「世の中、ちょっとやぶにらみ」

本音とたてまえ使い分け、視点をかえてにらんでみれば、違った世界が見えてくる・・・かな?    yattaro-

「豊かな夏を」

2012年08月13日 | 家族・孫話

             
           ボクもオイちゃん、おネエちゃんに花束を・・・

子どもたちの夏休み課題ではないが、我が家でもこの夏大きな課題を抱えていた。
この子らのオイちゃんに当たる我が家の倅が、多くの招待客や家族、親戚縁者の前で、新たな誓いを立て、新生活をスタートさせた。
甥っ子三兄弟の、たくまないお祝いの行動に会場は和んだ。 

少しながら照れが出始めた兄ちゃん。天真爛漫大きな声ではっきり物を言う三男坊。二人のはざまで何かにつけてちょっと分が悪いが自分の世界を持つ次男坊。
それぞれの特徴を遺憾なく発揮。笑いに包まれお披露目の儀無事お披楽喜。
夏休み当初から楽しみにしていたオイちゃんの結婚式を終えた。

チャペル挙式での、厳かに指輪を捧げる役割や、お祝いの花束贈呈など、あらかじめ練習したわけでもないが、三人揃えば勇気百倍なのか、妙齢な司会者の誘導に乗って大役を無事に果たした。拍手喝采が心地いいようであった。

その点はオヤジも似たようなもので、司会者の言いなり、あれこれ役目を果たした。
とはいっても、これらの演出、プロデュース、コーディネートなどは、全て挙式する二人の意思が反映され、それに会場担当者や司会者がアドバイスをはさむ。
そのようにしてお披露目全体のシナリオが出来上がる。そこここに、彼女の思い入れや、倅の意思が盛り込まれているのが感じられた。普段見せない倅の顔がチラリ。

このように、名実ともにこれから始まる人生マラソンのスタートラインに立った二人。
オリンピックマラソンのように、距離の長さもコースも途中の起伏も曲がり路も、あらかじめ分っているわけではない。もちろん練習などというものもない。
まさにぶっつけ本番、全てが初体験の連続。生易しいレースではない。
しかし、周りの諸先輩はそれらをみんな通ってきた、乗り越えて来た人達なのである。

遠くをみると気が遠くなることもあろう。そんな時、「あの橋のたもとまで」「あの電柱まで」「あの曲がり角まで・・・」目の前にある目標を一つひとつクリアーすることで、気持ちを新たに距離を伸ばすことが出来ると聞いたことがある。
沿道で声を枯らす応援団がここにいる。         

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「この胸のときめき」

2012年08月11日 | 家族・孫話

        
            珍しく一晩に3本の花を咲かせた、ホテイアオイ

天地鳴動!!空駆ける閃光、大地を揺らす雷鳴驟雨!!
待ちに待った天の恵みに、木も草も畑のスイカも、ものみな大きく深呼吸。
大地がよみがえるほどのまとまった雨に安堵の胸を撫で下ろす。

4ヶ所の水槽で息づくホテイアオイが一斉に花開いた。
中でも最も水量の少ない、昔ながらのお餅つき用石臼には一晩に3本の花を付けた。嬉しい予兆なのか、ちょっと期待。

いよいよ明日、名実ともに我が家にお嫁さんがやってくる。
本来ならジューンブライダル、6月の花嫁さんとなるはずであったが、諸般の事情で学校が夏休み期間中の明日、一人息子の結婚式を挙げる運びと相成った。
我がことのようにときめきをおぼえ、なんとなく鼻の奥が切ない。涙腺が緩みそう。

明日本番は大勢のお客さんの前で「新郎の父親・両家の代表」という大役が待っている。つい肩いからせて紳士を振舞うに違いない。マイクも持たなくてはならない。
その点今日はどんな思いをしようと、一人ニヤケていようと涙腺が緩もうと、意のままに明日の謝辞を考えておけばいい。気は楽だ。

いつも言葉少なで飄々たる倅が、ヒョイと神妙な言葉を掛けてくる。
親父の背中を時々は見てきたのか、と思わせるようなことを言うところをみれば、これも成長の証かなと思いたいが果たしてどうなんだろう。
  
   ♪♪ 多くは言わない お前も大人さ 
        俺でよきゃ聞いてやる いちばんお前を 知ってる
           親子じゃないか この先ず~っと ・・・ ・・・ ♪♪

靴も磨いた。靴下も揃えた。残るはこの胸のときめきをどう鎮めて明日を迎えるか・・・。

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「腕に覚えあり」

2012年08月09日 | 季節の移ろい・出来事

 
  数は多いが大きくならないスイカ        やっと直径15センチくらいに

ブログのタイトルに迷いを生じる時がある。
今年のスイカの出来栄えが、昨年などとは比較にならないほどよくない。
そんな状態を書こうとする時「不作」とするか「凶作」とするか迷う。どっちもおんなじじゃ、などとのたもうなかれ。確かに結論的には似たようなことなのだが、全く意味が同じなのなら「不作」か「凶作」かどっちか一つにすればいい。なのに、両方の言葉が生きている以上、微妙なニュアンスの違いがあることに気付く。

凶作とは、天災や気候不順のため作物の実りのひどく悪いこと。
不作とは、1、耕作しないこと 2、穀物などのできが悪いこと。 3、一般にできの悪いこと。失敗作。などとある。こうして並べてみると違いが分るし、使い方もはっきりしてくる。
そして結局は、凶作も不作も関係ない「腕に覚えあり」というタイトル。なんのこっちゃ!!

高校クラス会打ち上げのビアガーデン!と銘打った、高齢暇人のかつ飲みかつ騒ぐ会。
今回ばかりは準備不足もあって全体的人数が少ない。それでも集まってきた男子4人は、百姓仕事やスイカ作りには「腕に覚えあり」のつわものぞろい。
もちろん小生もその中の一人。経験こそ浅いが腕に覚えありと本人がうそぶく。

何年か前なら考えられないような、スイカ談義で話がはずむ。「もっと色気のある話で盛り上がっていたのにな~」苦笑いしながら調子を合わせる。
もっとも、最初にスイカ凶作話を持ち出したのはだれあろうこのワタシ。

ここ数年、大きないいスイカが出来て孫に抱かせた写真や、スイカ割りに興じる写真をアップしてきた。味のよさまで付け加えてきた。ところが、ある親しい友から「写真や文章だけ見せられてもね~、花よりダンゴだよね~」などとひんしゅくを買ってきた。
ヨ~シッ!今年こそ立派な一瓢を団子代わりに進呈しよう、と張り切って3本の高い方の苗を植えた。出来た出来た、ツルは例年以上に伸びた。イヒッイヒッ笑いが浮かぶ。

ところが、花が咲き雌花から実が留まる頃になって連日の雨と言う雨。花弁を散らし、なかなか実が留まらない。ようやく留まったかと思えば今度は雨が一切降らない連日連夜の猛暑酷暑ときた。人間でさえヘタリそうなのに、スイカに悪影響及ぼさぬわけがない。
実は13個もゴロゴロしているのに、この頃になってやっとこさ直径15cmが最高。
今年もそのお方にお届出来そうにない己の未熟を、腕に覚えありのみんなに話した・・・これが話の発端。すると後の3人が口をそろえて「今年はダメでー」「スイカはあきらめた」と言うではないか。

やはりそうか、この身の不手際ではない凶作の年だったのだ。安堵の胸を・・・。
あと2週間待ってみよう。直径20センチに成長したらお裾分けに行こう。胸を張って!!

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「褒められて・・・怪」

2012年08月07日 | つれづれ噺

          
「もしもし、〇〇さんでしょうか、このたびはおめでとうございます・・・」
健康的な爽やかな女性の声で、さも100年の知己のような親しさで話しかけてくる。
「〇〇さん、素晴らしいエッセイ集を出版なさいましたね。随分とご評判のようです、図書館でも多く読まれているようですね。ご自身の体験が盛り込まれているのですね・・・」

まるで自分が手にとって読んだ感想を聞かされているような錯覚を起こす。
「素晴らしい」という言葉が何度も出てくる。段々マユにツバを付けたくなる。
天にも昇る心地で褒めそやされる。これまでのエッセイ執筆で、これほどまでに褒められたことのないような、言葉巧みな褒め上手、それが嫌味に聞こえないから不思議。

そりゃそうだろう、褒められているのだから。そんなに腹を立てることでもない。
私のフルネームも、ペンネームも先刻ご承知。「随分買って頂かれたのでしょうね、もっともっと多く、日本全国の方に読んで頂かれるといいですね・・・」ときた。
いくらお目出たい男でも、なんか胡散臭いな~と冷静さを取り戻す。
実力以上に褒められても何の嬉しさも感動もなくなってくる。それほど評価されるものでないことは、自費出版した己が一番よく知っている。身の程もわきまえている、つもり。

「そのような立派なエッセイ集、私どもで是非〇〇新聞に広告として掲載し、全国的に宣伝したいと思います。よろしいでしょうか」と丁重なお誘い。
ホーそんなおいしい話が世の中にはあるのか・・・などと思うほど甘ちゃんでもない。
「△△万円出して頂ければこれこれしかじかの大きさで、目に付くように広告掲載します」やっと正体も尻尾も見えて来た。ン十万円の広告料出した日にゃ、こっちは首が回らなくなる。丁重にお断りをし、納得してもらって一件落着。

世の中には色んな商売があるものだし、色んな妖怪がいるものだ。
連日の猛暑・酷暑に辟易する毎日の中で、脇の下から冷たい汗が流れる涼しさをおぼえた。下手な怪談話よりよっぽど怖い、ウソのようなホントのお話。
暑さと怪談話にはご用心、無事に元気な夏を過ごしましょう。

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「引いて引かれてお城山」

2012年08月06日 | 家族・孫話


                 夏空にそびえる岩国城

8月6日。67年前のあの日も、今日のように暑かったと聞く。
平和の鐘とともに進められる平和祈念式典。過去を反省し、人類の今後の繁栄と幸せを祈らずにはいられない。
そんな気持ちの一方で、核兵器を含む原子力の扱い方に対しては、どうしても納得いかない大国のエゴが見え隠れする。

孫たちの時代は、今とは異なる本当の意味の世界平和が訪れてくれることを、神様仏様、そして何より人間の身勝手さに訴えて、全人類の安心安全が確保されることを祈りたい。
自分たちの右手には世界を制するほどの核兵器を悠然と保有しておきながら、左手では核の拡散防止を訴え、こともなげに平和を唱えるこの矛盾。
自分たちは増やすことはあっても減らすことなど考えもしない裕福な核保有大国。
それらに対して核廃絶の声がどれほど届いているのか、真摯に聞く耳を持っているのか、本当に核の脅威・核の惨めさを認識しているのか、疑問に思う。

孫たちに一体何と説明しようか迷う。
そんな思いも込めて、孫と眺める平和祈念式典のテレビ画面。思いは複雑である。

夏休みの宿題も少し進んできた今日、お昼前からおむすびとお茶を持って、孫兄弟とジジの「汗かきレクリェーション」と洒落こんだ。
などという生易しさいことではないが、兄ちゃんも毎日毎日プールでは飽きるだろう。
名誉の負傷でプール禁止のカー君も少しストレスを感じているだろう。そんな気分転換を求め、ジジは自ら動いて汗を流そう、それには城山登りが最適となった。

真夏の日差しに向かって勇躍出かけた。流れたねー汗が。途中から汗の玉が路面に滴る。委細構わずお城を目指し、お二人さんに岩国城のウンチクを聞かせたり、北の丸遊歩道を散策したり「これは江戸時代の瓦かねー」などと、瓦のかけらを拾って質問するカー君をあしらいながら、身体全体の老廃物を城山に置いてきた。

夏空にそびえる岩国城、お見事!!
汗と共に不断の疲れまで流れ出たような爽やかな夏の一日。

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「あと一週間」

2012年08月05日 | 家族・孫話

          

ロンドンオリンピックも後半戦の熱い闘いが繰り広げられている。
愛する広島カープは、地元で阪神相手に同一カード3連勝、貯金が2。気分の悪かろうはずがない。破顔一笑・・・いや一勝ではなく、破顔三笑ということに。

1975年、昭和50年10月15日。東京後楽園球場のスタンドを赤一色に染めた熱狂的関東ファンの前で、巨人を相手にセリーグ優勝を決めた広島カープ。今も忘れない。

そんな初優勝に湧き上がる5日前の10月10日、我が家に長男が誕生した。
昭和50年10月10日。どういうわけか非常に憶えやすい誕生日である。しかもその当時は、10月10日は体育の日という国民の祝日であった。絶対に忘れることは無かった。

いまそんなことを力説するまでもないが、セガレを簡単に紹介する時、何となく分りやすい一つのプロフィールであろう、と誕生のエピソードを付け加えることにしている。
他に付け足すことは何もないなどということでは決してないことも付け足しておこう。

そんな我が家の長男が身を固めることになった。そのけじめの日が1週間後。
何もかも二人にお任せ。親父としては、モーニングを着るか、略式礼服にするかを決めればいいと言った程度の出番である。
オッともうひとつ、スポンサーという大役が秘められていた。

いずれにしても、セガレが嫁さんをもらうこと、よそ様のお嬢さんが我が家の新しい家族になること、新たな親戚が増えること、などなど色んな意味で男のロマンを感じる一大行事である。
そんな壮大な夢を見る裏側では、娘の時もそうであったように、オロオロしながら幸せになってくれることだけを祈るピエロに早変わりする男のロマンでもある。

偉そうなことは言えない。この身も40年前には、こちらの両親、彼女の両親にどれだけ不安な思いをさせたのか。胸に手を当てて考えてみたい。

1週間を有効に使い、準備万端遺漏なきようその日を迎えることに全力投球。

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「暑中お見舞い・・・・・・」

2012年08月04日 | 季節の移ろい・出来事

          

 暑中お見舞い申し上げます。

少し遅くなってしまいましたが、辛うじて“暑中”見舞いの期限に間に合いそうです。
いつも、この拙ブログに足を運んで頂く方々に、心を込めて暑中お見舞いをお届けしたいと存じます。是非とも元気にこの暑い夏を共に乗り切りましょう。

3日もすれば暦の上の立秋。その頃から暑中見舞いではなく“残暑”見舞いになると書いてある。実はこの残暑と言うのがなかなかの曲者。いつまでたってもジリジリ暑さが続く。
その点暑中見舞いは割とあっさりしていて、暑さの真っ只中で残暑見舞いに席を譲る。
変わり映えしないが、すぐそこにある咲きたてのハスの花と、我が家に咲いたホテイアオイのすがすがしさを添えて。せめてもの一服の清涼剤となればこの上ない。

この8月の暑い暑い日差しに立ち向かう時、決まったように頭をかすめる父の姿。
「頭が痛い、風邪を引いたような、喉が渇く・・・」と言い始めて1週間もしないうちに事切れたあっけない最期。亡くなって39年になるが、きのうのことのように思い出される。

今、盛んに言われる熱中症であったと思われるが、当時はまだ熱中症などと言う病気は一般的に知られていなくて、それが命取りになることなどは考えもしなかった、というのがあの時の我々家族の思いである。だからこそ、今、地球温暖化や地表全てがアスファルトと言っても過言ではない照り返しによる気温の上昇に、ことさら気を付けたいという思いを強くするひとりである。

たかが葉書1枚の世界ではあるが、自分の体は自分が守る・自らその身を大切にする「ご自愛下さい」という言葉に託して、こちらの思いを込めるのである。

皆様、どうぞご自愛ください。そして素敵な秋を迎えましょう・・・と。

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「葉月ついたち夏祭り」

2012年08月01日 | 季節の移ろい・出来事


       毎年8月1日に開かれる介護療養施設の夏祭り、多彩なイベント。

夕涼みにはちょうどいい夏祭り。
すぐ近くにある、大型の介護療養施設で、入所者をはじめ近隣の老若男女を集め毎年8月1日に開かれている。
娘が勤めていることもあり、三人の子どもの後見人、つまり孫の守りに駆り出され、あらかじめお札をコインに両替する小遣い提供者の役割を受け持つ。

毎年オープニングセレモニーの一つ「岩国太鼓」で華やかに幕が開く。
地元のダンシングチームによる派手なパフォーマンスも拍手を浴びる。
それよりなにより、施設の職員や地元商工連の出店が一段と雰囲気を盛り上げる。

少子化にともなうお手伝いの数も減り、このようなお祭り的な人の集まる機会が極端に少なくなった。あそこでもここでも行われた盆踊りさえも非常に少なくなった。
そんな寂しい夏休みの子どもたちにとって、大いに楽しみなイベントとして定着しつつある。小中学生が多く集まる。珍しく大人の数を凌ぐほど集まる。
この会場に限って言えば、高齢化は避けられないが、少子化と言う言葉に若干の抵抗をおぼえるほど集まってくる。楽しい光景ではある。

 
          兄ちゃんがやっているボールすくいを悠雅君も一丁前に!

こういったお祭りには、テキ屋と呼ばれる出店をなりわいにする商売人がいて、お祭りその物に活気を呈したものだ。
そんなテキ屋さんも今は昔の物語となった。フーテンの寅さんがいなくなった。

子どもの目が輝くこんなお祭りが、いつしか子ども心にふるさとを大切に思う気持ちや、汗を流して準備する大人たちへの淡い感謝、そしてそこで遊ぶ友達同士の連帯感みたいなものも育まれていたのではなかろうか・・・などとちょっと年寄りじみたことを考えてみる。

それもこれも、後を絶たない「いじめ」や小中学生の自殺などという不幸な言葉が、日常的に目に映り耳に入ってくるからだろう。
祭りがあったらいじめがなくなるか。そんな単純な問題ではないことは百も承知。
ただ我々の遠く及ばないところで繰り返される悲劇に、なんとか一役買えないものだろうか、と思う気持ちはある。ボールすくいを無邪気にやっている孫兄ちゃんが、来年は中学生になる。

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