♪♪ しらかば 青ぞ~ら 南風 こぶし咲くあの丘 北国の ・・・ ・・・♪
今日も熱唱する歌手・千昌夫の映像が流れる。
原型をとどめないほど、震災・大津波の被害を受けた岩手県陸前高田市の出身。
「歌でつなごう」を合い言葉に、多くの仲間と一緒に東日本大震災で被災された多くの人々に、勇気と、元気を出してもらいたいと涙ながらに歌っていた。
「これじゃいけない、自分たちが落ち込んで歌っていたら、聞く人に元気など与えられない・・・」と思い直して、今では勤めて明るく楽しそうに歌うことを心がけているという。
その代表的な歌があの「北国の春」である。
1977年4月5日発売というから相当古い歌である。
にもかかわらず、興が乗るとつい思いっきり声張り上げて歌いたくなる一曲である。
遠い遠い昔の出来事。生涯忘れ得ない思い出が秘められている歌でもある。
カミサンの伯父さん夫婦がハワイに住んでいた。
元気なうちに遊びに行こうと思い立ったのが26年前。初めての海外旅行だった。
滞在期間中に、伯父さんの友達が社長職を退き息子に譲る「リタイヤ・パテ」なるものがあった。誘われるまま行ってみると、ホノルルインターナショナルカントリークラブという超一流の会場で催される勇退記念パーティであった。
日本から来たスペシャルゲストということで、一番前の特等席に座らされた。ステージでは素敵なハワイアンバンドに乗って優雅なフラダンスが幾組も披露される。
そのうち、日本で言う余興の時間になった。何は置いてもスペシャルゲストを迎えよう・・・と大きな拍手に押され、ステージに上げられた。首にはレイを掛けられる。
「何かをやってくれ」と沖縄出身の司会者がいう。日本語しか出来ない人間がステージで何をしよう??そうだ旅の恥はかき捨て、歌ってやれと開き直った。
三曲くらいタイトルを言った中で最も反応があったのが「北国の春」であった。思いっきり歌ったね~。途中からウクレレとベースが伴奏を付けてくれた。
歌はまずくともヤンヤの喝采を浴びた。千昌夫の気分を瞬間味わった。
あの頃から、北国の春という歌は世界を駆けめぐった歌だった。
「北国の春」に救われた思い出を抱いている。
今こそ、日本を・世界を歌でつないで、みんなに元気になってもらいたいものだ。
( 写真:臆面もなく日系一世・二世の前で演歌を披露する、若き日のyattaro-)