その瞬間。9年の歳月が過ぎてなお、心に刻む恐怖。
3月11日。あの忌まわしい東日本大震災から9年の歳月が流れた。
もう9年。まだ9年。人それぞれに思いはあろうが、被災地から遠く離れた町に住んではいても、あの悪夢のような津波の恐怖は、年を経て風化するどころか、年々実感として胸に迫るものが強くなって行く気がしてならない。
それは一言でいうなら、自分自身が歳を重ねて来て、幸せと不幸せの落差が身に染みてきているからなのだろうか。
窓から見下ろす先には穏やかな瀬戸内海が広がる。今までのところは、静かで穏やかで風光明媚を思わせてくれている。しかし、紛れもないあれも海なのである。太平洋や日本海といった外洋と直接つながってはいなくても、ひとたびことが起これば、どんな牙を剥くか分からない恐怖を感じないわけにはいかない。あの9年前の、目を疑うほどの大惨事が決して他人事と思えない3月11日ではある。
それでなくても、南海トラフという大震災の予知が報告されるご時世に、ここは大丈夫、などと言える場所などありはしない。
そんな意味においても、9年たとうが、復興という形が見えてこようが、被災された人たちの想像を絶する深い思いを忘れることなど出来ようか。だからどうする。何をしてあげられる。何もしてあげられないが、せめて深い哀しみに気持ちを寄せて、黙って聴いてあげることくらいか。
そして思う。自分がそんな場面に遭遇したら、いったいどんな生き方をするのだろう。打ちひしがれて下を向いて暮らすのか。なんとか苦境と向き合って、時々は笑顔を見せられる暮らしぶりをするのか。はてさて、どっちなのだろう。
言うは易しではあるが、被災地の皆さんに、小さな安らぎや甲斐のある生き方の出来る日が、一日も早く訪れることを願いたい。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます