敬老の日は9月15日が覚えやすくていいね。
敬老の日と言えば9月15日。長い間なれ親しんできた日である。
亡くなって2年9カ月になる母を、確実に思い出させる日でもある。
生前は、正月やお盆以外に年2回は必ず、姉弟や孫たちが集まって、ささやかだったり派手に騒いだりして、母を中心に輪ができたものだ。
一つは4月1日の誕生祝い。お花見には少し早いが、桜なしの花見を何度もやってきた。今一つが9月15日、敬老の日である。
年老いてからは、本人は静かに笑って見ているだけという宴会が多かったが 「多年にわたり社会につくしてきた老人を敬愛し、長寿を祝う」という趣旨を忘れはしなかった。
今から9年前の祝日法改正で、ハッピーマンデー採用の結果9月の第3月曜日が敬老の日となって、有難味が薄れた感がある。
そのときの法改正に大反対したお年寄りパワーに屈する形で、「9月15日を老人の日」という、あまり名誉ではない呼び方に落ち着いてしまった。
そしてその後の1週間を老人週間として現在にいたっている。
敬老の日が来ても、特にお祝いをするでもなくなった。白寿を迎えた叔母が元気でいてくれるのが唯一のお祝いだが、これとて従兄弟が主役を相務める。
などと考えているうちに自分が祝ってもらう立場になりつつあることをコロッと忘れるところだった。いやいやまだ敬老祝いは早すぎる。
せめて誕生祝いを派手にやって欲しいものだ。などと、段々わがままを考え始めること自体が、敬老祝いの主役に近づきつつあるということかな・・・。
な~~んの、まだまだ!!
自覚が足りないと思われようと思われまいと、これからもうひと花・・・。そんなわけないか。
毎年やってくる敬老の日の話題に、なんと申し上げましたらよいものかと…(笑)
そういう年代に差し掛かっていくのは避けようもないことで、誰にでもやがて公平に。(笑)
それはそれでして…、
たしか、「つぼみ」が開花し出て「働き盛り」の域へ向かわれるのではなかったのでしたか。
あんまり気負わず悠々と~ 成り行きに任せて?
敬老会に出席されてもyattaro-さんはyattaro-さん、別に~です。(まだ先でしたよね!)
何を申し上げようとしたか、よくわからなくなってきました。
長い休みを作る、それだけの理由で変えられた敬老の日、敬老本来の意味から遠く外れているように思いますが。
でも気持ちまでそうかというと必ずしもそうではないね。
気持ちを若く、逞しく、楽しみ多く・・・行きましょう
これがよさそうですね。
そうそう、50・60花ならツボミでした。これから迎える働き盛り。
敬老の主役などとんでもハップン。
間違って敬老会の案内が来たら、引き出しの奥に仕舞い込みましょう。
何通目で実際に参加する気持ちになるのか数えてみるのも面白そう・・・(笑)。
長年築き上げた、その地域の伝統というものもあるわけですよね。
9月16日であったり、9月22日であったり。
第3週月曜日ということは、結局9月15日という敬老の日は二度と迎えることはない計算になります。「老人の日」が残るだけです。ちょっと寂しい気がします。
体も見かけもどこから見ても老人で超高齢ですが、気持ちが良くも悪くも老人になりきれません、アマノジャクなのでしょうかね
敬老の日は「9月15日」
体育の日は「10月10日」
変更後随分経ちますが未だにピンと来ません。
趣旨が何であるかさえ変えてしまっている様な休みの都合だけで決められてもね~。
5月4日って何でしたっけ?
自分ではそれ程の年寄りと思わないところがおめでたい。
気になるのは、マスコミの老人が増えた話。
何だか申し訳ない気にさせられる。
70才の記念に立ち上げたブログ、あれから7年の月日が。
「今、しばらく、元気でいさせてください」
ただ、長年にわたり社会に貢献してきた功績を讃えられることに関しては、十分な権利をお持ちなのですよね。
自ら老けこむことなど全く不要です。
敬老?何が?どこが?で、済ませられるうちは年齢に関係なく普通の一人の人間ですよ。
この意気で少しでも長く楽しむことを考えましょう。