在りし日の瀬戸内寂聴さん
あの独特のしゃべり方、歯に衣着せぬ放言など、強く耳に残っている作家の瀬戸内寂聴さんが亡くなられた。
我が町出身の作家宇野千代さんを姉のように慕ったというご縁もあって、何度か岩国を訪れ宇野千代のお墓にも詣でたと聞いている。
あれは何年前だったろうか、女性がほとんどの宇野千代さんを顕彰する会で、数少ない男性会員としてわずかに活躍していたころの話だから、10年以上前になるだろうか。
宇野千代顕彰会主催で「瀬戸内寂聴講演会」を開くことになった。顕彰会の中から司会を出すことになり、白羽の矢が立ったのがこの私である。
臆面もなく素直に引き受けはしなかった。「少し荷がはりますね~」くらいのことは言ったと思うが、兎に角お願いされて引き受けたのを覚えている。
会場は1500人が収容できる市民会館。その会場が膨れ上がるほどの聴衆が詰めかけている。狭い町なので知り人もいっぱい。
喉がカラッカラに乾く思いで第一声を発した。過去に積み重ねた婚礼の司会で仕込んだ「マイクの前に立ったらマイペース」の度胸がよみがえった。
講師の簡単な紹介も任されていたのをなんとかこなして、「それでは寂聴先生のご登壇です」の言葉でにこやかに寂聴先生がステージに。
中央に据えられた講演テーブルをスタスタと通り過ぎて、ステージの袖に立つ私のもとへお越しになった。こりゃ困ったどうしよう。講師に恥をかかせたら司会者失格である。やおら小声で「先生のお席はこちらですよ」とお腰に手を添えて指定席へご案内。あとはもう寂聴話に大笑いの客席。
ホッと一息。講演が終わった控室で「お疲れ様でした」と声を掛けたら「まあ私ったら、いい男が好きなもので舞台を横切っちゃったわね」と大笑いをされたのには、驚いたり喜んだりの、生涯忘れることのない寂聴講演会の一幕であった。気さくで飾りっ気もなく、誰でもファンにさせてしまう引力があった、と覚えている。
99才の人世。色んなことがあった全てを背負って、生涯現役を全うされた99年。涙の見送りよりも、拍手に笑顔を添えて「ご苦労さま!」の見送りがお似合いの人である。