永い間、世界を明るく照らした白熱電球
人間は年を取る。動物も年を取る。山川草木、生きとし生けるもの全て年を取る。
もう少し言えば、人の手によって作り上げられ、物として命を吹き込まれ、形を成した物も、同じように年を取る。世の流れ、時の流れと言う中で間違いなく年を取る。
お仏壇に造花を飾るのは芳しくないと教えられた。
お仏壇に生きている花をお供えし、その花の命を仏に捧げる。そこに生あるものは必ずや枯れ行く運命を持つがゆえに、命の営みの尊さがある・・・といったお話だったような。
門前の小僧が習わぬ経を読むような話をするのではない。が、この世に存在する物の全てに、栄枯盛衰があり世代交代という非情さの前には抗しきれない現実がある。
世界中を明るく照らし続けたあの白熱電球。
エジソンが電球を発明したのが1879年と言うから、130数年もの永きを電球の王様として君臨してきたことになる。その間に蛍光灯と言う厳しいライバルも登場したが、それでもなんとかもち応えて現在に至った。だが今度ばかりは「電力節減」という我が国のお家の事情が大義名分となり、さらには、Light (光を) Emission (放射する) Diode (ダイオード)略してLED電球の電力消費の少なさ、耐久性などの優位性が採用されることで、ついに従来の白熱電球製造自粛が発表された。
これまでの筆舌に尽くせない多大な貢献度に感謝をしながらも、まさに世の流れ・時代の流れに押され、ついに一時代の幕を閉じるときが視野に入ってきた白熱電球。
世代交代と言ってしまえば一言だが、取って代わる役目を仰せつかった時は有頂天で気持ちも高揚したのを憶えている。その逆に取って代わられる役回りが来た時の哀れさも知っている。それだけに、今は白熱電球に肩入れしてみたくなる。
そうは言いながら、地球規模で自然エネルギーの無駄遣いを抑えなければならない今、自分にも出来るささやかな省エネ活動。それは世代交代の感傷に浸っているひまはないということだろう。カミサンからせがまれている、この部屋の天井蛍光灯をLEDに替える作業に取り組まなければ。「この部屋が一番電気を遣うのだから・・・」とのたまう。