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「世の中、ちょっとやぶにらみ」

本音とたてまえ使い分け、視点をかえてにらんでみれば、違った世界が見えてくる・・・かな?    yattaro-

「歓喜!はじける笑顔!ビールシャワー」

2018年09月27日 | 幼馴染の動向

           
    2018年9月26日午後9:03分。カープ三連覇決定の瞬間。ヤクルト最後のバッターとなった山田哲人を三振に撃ち取る。
           (投げ終えてガッツポーズの中崎投手。右手を大きく挙げて喜び爆発の會沢捕手)

    
   歓喜の胴上げに続く、優勝監督インタビュー       セリーグ覇者に送られる優勝ペナントそして優勝カップ

    
  ペナントを大きく広げて、全員がスタジアムを一周      途中至る所で、観客席をバックに記念撮影 

  
 一通りの優勝セレモニーを終え、スタジオインタビューで喜びを語る。緒方監督・會沢選手会長・丸選手(左から)

     
   會沢選手会長の挨拶に始まるビールかけ。         一斉に大声上げて、鏡開き!

     
         あとはヒッチャカメッチャカ、喜びをぶつけ合うビールシャワーがはじけ飛ぶ!!

     
     ビールシャワーに笑顔を見せる緒方監督        ひと騒ぎの後、次なる目標に向かって締めの挨拶。

わずか30分か40分で、6000本という中瓶ビールが、100人に及ぶ選手や報道陣をびしょ濡れにするビールかけ。
一見、狂気の沙汰に見えないことも無いが、1年間真剣勝負で戦ってきた選手たちの、一瞬のねぎらいとして笑顔で見守ろう。
そして今日から体勢を整えつつ、来るべきクライマックスシリーズ、日本シリーズへと準備が始まる。

プロ野球史上巨人以外のチームが三連覇を果たしたのはカープ以外にない。兎に角この日を喜んで、さー!明日から!!

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「あんたもかよ・・・」

2018年09月17日 | 幼馴染の動向

               

今日は敬老の日。我が住む町でもあっちこっちで敬老行事が開かれた。
お役目柄、あっちこっちの敬老行事現場に出向いて写真を撮って来た。その写真と行事内容を記事にして、地域活動機関紙のニュースの一つとして紙面を飾るのである。

今日撮った写真の整理や、紙面レイアウトなどに少し頭を使っているときに、高校時代から今もずーっと付き合いのある友から電話が入った。いつも通り爽やかな屈託のない話しぶりである。稲刈りの苦労話でもしたくなったかな、などとタカをくくって彼の調子に合わせていた。「楽しみにしとった10月の飲み会に出席出来んようになってしもうた」と言うではないか。

近くの開業医で診察したところ「大病院で検査しなさい」ということになり、その結果「改めて10月に検査入院して肺細胞の一部を精密検査をする運びとなった」という重大報告。「オイオイ、あんたもそんなことになったのかよー」と、少なからずショックを受けた。
高校時代からずっとライバルでありよき友であった。お互い会社勤務を経て定年退職してからの16年間は、若い時以上にこの上ない友の一人として、高校仲良しグループ男女10人で、何かにつけて飲み歌い遊んで来た。たまには彼の稲刈りの手伝いもしてきた。

何故か我々のグループに限っては、女性側が早いうちから病気がちで、一人欠け二人脱落していき、ゆいに女性は仲間からいなくなった。
男の方も、一人は完全に治療専念。一人は後遺症を気にしながらの万全でない体調。残ったのは男3人だけになってしもうた。
そんな大切な一人が「重大検査入院」という。なんかしら身につまされるねー。

酒の量では彼が一番。カラオケだけは・・・・・・??どっこいどっこいかな。
この頃の酒の肴は、おつまみともう一つ「元気に生きてコロッと行こうや」「ピンピンコロリを目指そう」などの話も加わっていた。
検査入院の話が出た段階でそこまで心配しては少し行き過ぎ・・・と自分を戒めてはみるものの、「敬老の日」というタイミングでこんな話を聞かされると、やはり身に沁みる度合いが大きい。

長生きを喜ぶ「喜寿」を謳歌する今、「まだまだこれからよ、あんたは大丈夫だよ」と当てもない元気づけはしたものの、心の中では「もう少しオレに付き合ってくれよ」と拝み倒したい心境である。

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「カメラの花見」

2018年04月03日 | 幼馴染の動向

                                        
                                                 初めての岩国短大入学式

今日もまた真っ青い空が広がる絶好のお日和。
満開の桜が出迎える岩国短期大学の入学式へ。別段我が孫が入学するわけではないが、ご招待を頂いて礼服に身を包んで参列。
幼児教育科69名が厳かに着席。中には一旦社会人を経験して、今一度専門学習の道を選んだ人も数人見られた。
学長による入学許可宣言に続く式辞、いくつかの祝辞。そして入学者代表の「宣誓」。
所要時間30分少々。淡泊で短い儀式であった。これから向こう2年、専門教育を経て、育児のエキスパートとして世に出ていく。
やはりこういった式に侍るのは、児童・生徒・学生を問わず、心地よい緊張でことになる彼や彼女を見守ることになる。

             上流側か眺めた錦帯橋                       下流側から眺めた錦帯橋

昨日の「ついでの花見」のやり直しで、やや本気モード「カメラの花見」よろしく、あちこちビュースポットアングルを求めて。
と言っても、年から年中見ている景色。格別の感動が湧いてくるわけではないが、ひょっとしてこの拙ブログ初めて訪問される奇特なご仁がおられるかも。おられないかも。いずれにしても、郷土自慢の何枚かを貼りつけたくなるのは人情というものかも。

平日、それも火曜日というのに花見客はごった返すほどに。今年は桜の名所も一般の行楽地もお天道様に助けられたね~。
春に三日の晴れなし、と、異常気象の12日連続お天気との経済効果は如何ほどのものなのだろう。
兎に角いいお日和で、子どもたちは噴水プールで大はしゃぎ。

         
このアングルも、岩国吉香公園を代表するベストビューのひとつです。前方のさくらの見事なこと。
明後日は、飲み物食べ物好みの品々を持参して、気の置けない仲間でのお花見。花よ、少し残っていてね。

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「正月が往く」

2018年01月04日 | 幼馴染の動向

     

お正月帰省の第1陣は、近くに住む娘一家が元旦の夜やって来た。
高2の長男、中3の次男、小2の三男ともに食欲旺盛。食べるは食べるは。特段のおせち料理というわけではないが、それぞれの好みに合わせた料理は完璧なまでに揃っている。「もう今はいい」というほど満腹に。そしてそれぞれにお年玉をむしられた。

夜は遅くまであれやこれやの大賑わい。特に将棋の駒で遊ぶことを覚えた三男のお陰で、みんなが引っ張り込まれて「はさみ将棋」「回し将棋」「山崩し」と。久しぶりに子供時分にもどった遊びの仲間入りをした。

帰省第2陣の倅一家は、3日の夜遅くに帰省。初日はそれらしいことは何もなく、ただ寝るだけ。
明けて今日は、久しぶりのジジとの散歩を喜ぶ希姫。お天気に恵まれた海の公園で、貝殻拾いや何かで3時間近くお付き合い。夕方からがお正月。と言ってもビールを飲めばジンマシンが出る倅。お屠蘇もないまま、こちらもひたすら食べるだけ。

そんなこんなで正月も往ってしまった。
どいつもこいつも、自分のゲーム機を持っている。油断をするとすぐに下を向いて、黙々とのめり込んでいる。
我が家に来たときはゲームご法度。従って将棋の駒でみんなが輪になって遊ぶ賑やかさがある。

羽根つき・たこ揚げ・コマ回し・それにおはじき、と言ったような遊びは遠い遠い過去のこと。
もっとも、ヘタにたこ揚げすれば、切れた糸が電車を停める騒ぎになるご時世。考えモノではある。
それにしても、正月にはみんなが寄って楽しんだ昔の遊びは、今は小学校1年生を対象にした「むかし遊び」という、授業の一環として、我々社会福祉協議会に伝承の依頼がくるようになった。いわゆる骨とう品扱いである。

今さら昔に戻ろうとか、昔はよかった、など回顧録をひもとくつもりはない。
ただ、小学2年生にクリスマスプレゼントの希望を訪ねたら「スリーDSのチップ」という。4800円の代物である。仕方がない。これはこれで買い与えて「いいか、バットの素振りは1日30回」という条件を出すのが精一杯。

そんな意味でも、昭和の正月が懐かしい。結局は遠い昔を偲んでいる。ウ~ンオレも〇〇かな~

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「寂しい報せが」

2017年09月17日 | 幼馴染の動向

                                 
               思い出の1枚となったスナップ

こんな拙ブログでも、本人としては一応「写真ブログ」と位置付けている。
ブログアップするからには、多少なりとも本文に関連付けた写真を添えるよう心掛けている。その写真も巧拙は別として、責めて画像は鮮明に、見る人に解り易いように、と腐心しながら修正を掛けたりする。

ところが、今日アップする写真は、色を変え敢えて鮮明さを落とすことで、可能な限り個人の特定が出来ないように修正した。
そのわけはこれからである。
寂しい報せが届いた。同級生の訃報である。元気なころにはこのブログにも、欠かさずコメントを頂いた快き女性「takeko」さん。住んでいたのは、アメリカ南部に位置するフロリダ州。日本とは遠く離れたところに住んでいながら、近くにいる同級生の誰よりも近しく、お互いの生活環境までよく分かり合えた友人の一人であった。

高校卒業して米軍岩国基地で働くうちに、アメリカ軍属の素敵な男性と知り合い、結婚し彼の帰国に従ってアメリカに渡ったという経歴の持ち主。
他でもない25年前の50才で「人生の小休止」と銘打った中学校の同窓会を開いた。その同窓会に合わせてフロリダから一時帰国し、出席してくれた情熱家でもある。そんなご縁で、とーきどきのメール交換が始まった。そしてブログ開設して間もなく、一大ファンになって頂き、アップするたびに必ずと言っていいほど、コメントを頂いて来た、という次第。

そんな彼女と再会したのは昨年7月。「息子夫婦が日本旅行をするので一緒に行かないかと誘われたんよ」と言いながら「実は私がスポンサーよ」と満面の笑顔の彼女を囲み、岩国駅前で同級生数人でおしゃべりをした。これがまさしく最後の顔合わせとなった。その時の記念のスナップがこの1枚である。
彼女はその時にも「アルコール類は一切ダメ。食事も制限されている」ということで、食事会にもならず喫茶店でのコーヒーの乾杯だけで別れた。それから帰国して2カ月後、「体調が思わしくない」とのメールが入った。ほどなくコメントアップが途切れがちになった。メールの内容も彼女らしさが失われ、段々後ろ向きになっていた。すでに大病にむしばまれていたのだ。

他愛もない笑い話に激励を織り交ぜてメールを送り続けた。
だが無情にも一昨日、「Takeko died  Sep 7」のメールがご主人から届いた。文面はただこれだけ。

あの元気で朗らかで、「男に生まれりゃよかったね~」などと何度も笑い合った武子さんが、あっけなく天国に召された。
中学校の同級生というご縁がスタートではあったが、晩年はまさに「竹馬の友」として励まし合い、刺激し合ってきた。
それだけに、もう少し生きていてほしかった。言うも栓無きことながら、惜しい友を失った。寂しい秋半ばである。 合掌

コメント (6)
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