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「西の谷緑地公園」を美しく!

「公園都市水戸」の街造りを考える人達と協働したいと思っています。

KENZO&やんちゃ倶楽部@南町自由広場

2016年07月15日 22時10分15秒 | 水戸今と昔
KENZO&やんちゃ倶楽部@南町自由広場





第4回beerフェスタ水戸×肉フェスタ水戸(7月15日~18日)が開催されている。 世界の美味しいビール105種類も飲めるのだ。

屋外でのライブコンサートは気分が良い。



トリは「KENZO&やんちゃ倶楽部」

前日の雹が降るような荒天でなく風も止んだが、幾分涼しい。





とは言え、観客は大いに盛り上がった。
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岐阜さんようこそ@ケーズデンキスタジアム水戸

2016年07月15日 18時17分22秒 | 水戸ホーリーホック
岐阜さんようこそ@ケーズデンキスタジアム水戸



水戸ホーリーホックの3月26日(土)岐阜メモリアルセンター長良川競技場でのFC岐阜戦、初勝利を願って応援に岐阜に参上したが、残念ながら0-1で敗れた。しかし、柳ケ瀬・金華山の岐阜城などを巡ることが出来た。

Jリーグの良さは、相互の都市で試合をするから、応援に行く楽しみもある。
6月26日、天童市のNDソフトスタジアム山形で開催されたモンテディオ山形戦にも応援バスツアーで参加したが2-2で引き分けたが、山形のサポーターからの差し入れされた大量の「佐藤錦」を味わった。

さて、明日(7月16日)はFC岐阜をケーズデンキスタジアム水戸に迎える。
22節の千葉戦では前半39分の得点を守り、8試合ぶりの勝点3を得た。
二度目の連勝を目指し岐阜戦に臨む。3月の借りは返さなければならない。
大勢の応援で試合を盛り上げよう。

今回、岐阜のサポ―ターがどのくらい訪れてくれるか。
「おもてなしツアー」が開催されるから水戸の街を楽しんでもらいたい。
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『JAZZ NIGHT LIVE』@水戸市南町2丁目ローソン・広場

2016年07月15日 16時32分34秒 | 水戸今と昔
『JAZZ NIGHT LIVE』@水戸市南町2丁目ローソン・広場



今晩(7月15日)4時40分より、夏の恒例のイベントとなった「JAZZ NIGHT LIVE」が開催される。
これまでは常陽銀行と東電の間の路地空間を使用していたが、反対側のツルヤの跡地に開業した「ローソン」の駐車場が会場。
最近のコンビニは広い駐車場が必須で、ここもかなり広いからステージを組んでも余裕がある。
生憎、今日は雨こそ降らないが風が強い。
昨日の様に、雷雨の上に雹まで降ったことを思えばマシ。

水戸工業高校のビッグバンド、ブルー・ビギィナーズ。
山田よしお、仲野亜紀子、遠藤さや、等の人気バンドやグループが出演。
生ビール300円。一品の樽酒などから、マルニ・コーヒーまで飲み物もそろっている。

昔の話だが、ロンドン近郊の街・レディングの「レディングフェステバル」に行ったことが有る。
町中のパブや広場でジャズを始めあらゆるジャンルのライブ演奏。
客は自分用のビールカップを腰に下げ、何か所も巡り歩く。

単に2丁目に止まらないで、広いエリアの動きに発展すれば、との願いは有る。

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「サントピア水戸」の時代への挽歌 其の⑨

2016年07月14日 19時10分04秒 | 水戸今と昔
「サントピア水戸」の時代への挽歌 其の⑨



エキサイティングビッグバザール.


梅雨が明けないがデパートなどでは夏物のセールが行われている。
セールと言っても、特に目玉が在るわけではない。

しかし、サントピアが躍進した1980年代は日本全国で広く社会的な現象となった「DCブランド」ブーム。
今では死語となったDCブランド(ディーシーブランド)の「DC」とはデザイナーズ(Designer's) & キャラクターズ(Character's)の略とされる。

●熱田 龍明 さん
サントピア、高校時代のDCブランドブームの時はよく行ってました。
●Yuko Miyanagaさん
お正月の初売りですごい行列でした。入り口から歩道橋へと並んで中央郵便局の方まで続いていたような......。

夏と冬のセールと新年の福袋の時期は、開店の数時間前から座りこみ人達が出て舗道には警備員が並んだ。
水戸ではサントピアと駅前の丸井が双璧だった、

サントピアは「エキサイティングビッグバザール」.と銘打って単なるセールではないよと云う感じ、値段で勝負の様な広告はしなかった。

引っ張ったのは地元の若者

ブランド店の集客力に呼応して、地元の若者が起業した小さな店も魅力的な品揃えで対抗したのも活況を呈することにつながった。
これからブレイクしそうなブランドを先買いしたのだ。

若きオーナーたちは僅か5坪くらいの店舗で月商500万円、年商6000万から1億を売り上げた。
驚異の数字で、ファッションの専門誌に「サントピアの駐車場にはオーナーの高級外車がゴロゴロと取り上げられたこともあった。



5月の開店の記念日頃には「サンキューデー」が開催され、この期間は安売りでなく、海外旅行などのあたる抽選会などのイベントが主体だった。

バブルの時代と共にサントピアはあったのだ。

(2枚のポスターの写真撮影は海老原 豊さん)
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牛久沼聖地公苑@つくば市泊崎383

2016年07月12日 09時16分12秒 | 
牛久沼聖地公苑@つくば市泊崎383



今回は【Tabi-ぶら】の前身【旅のCafe】の仲間だった故久保田時治さんのお墓参り。
新参者の私は久保田さんを存知あげないが、家族的な雰囲気は主宰者の山本さんの人柄に拠るのだろう。

牛久大仏で有名な「浄土真宗東本願寺派の霊園・牛久大仏」などと同様な公園墓地は首都圏の一部と云える地域ならではの施設。

友人が購入した大船の公園墓地に行った時に感じたが、墓地も時代と共に変わってきた。

「牛久沼聖地公苑」。

樹木の大きさから推定するに、かなり前に開設されたようだ。

入り口の管理事務所のパンフレットによれば、牛久沼を見下ろす台地62,000m² (約2万坪)の敷地に約8000区画の墓地がある。
牛久は既に首都圏、水戸の近辺では成り立つことはなさそう。


メモリアルホールや法要堂。





墓石も色々なタイプが。



牛久沼を見下ろす台地。



沢山の百合が植えられ、白い花が咲き初めていた。



久保田 時治さんの墓地。

『待ち合わせの霊園の駐車場に行ったら、Kazunori Uedaさん、上田 典子さんが降りて来て、鈴木 靖さんがどーもどーもとやってきて、やっぱり齋藤 友幸さんはタイガースで、にこにこしてました。
牛久沼をずっと見渡せるんだね。

なるほど、久保田 時治さんが、ここを選んだ理由がわかったような気がして、みんなで眺めました。
上田さんがもっていらして かわいく手をあわせる猫をちょこんとお墓に供え、ニコニコしてたら、澤田 臣男さんも来てさ。またにぎやかになってね。
というわけで、石岡に行く前に、澤田茶園の茶畑ながめて、お茶をいただいて・・。』(山本さんのFBより)



牛久市女化(おなばけ)の澤田茶園。



広い茶畑に驚く。

「茶」と「はと麦」「落花生」を有機栽培、「はと麦茶」を購入。
「黒落花生」が好評で、入手困難とのこと。
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蒲焼 伊勢屋 @龍ケ崎市稗柄町125

2016年07月11日 07時28分52秒 | 
蒲焼 伊勢屋 @龍ケ崎市稗柄町125



明治35年創業の老舗の「伊勢屋」

牛久に行くなら昼飯は鰻にしようと山本さんと決めていた。
常磐高速が無い頃、国道6号・通称水戸街道、牛久沼が見える辺りは鰻屋の看板が目立ち、立ち寄ることがあった。



その記憶の場所は、高速道路や6号国道の拡張によって風景は大分変ったが、沼の周囲に名残はある。



記憶に残る店の一軒に入ったのが「蒲焼 伊勢屋」

鰻や天麩羅は気どらない「丼」が好みだが、昨今は具が大きく蓋が出来ないので、蓋無しの店が多い。
少し蒸してから食べるのが旨いのに、手抜きの店が増えたのは残念。

とにかく、ウナギをたっぷりと云う事で今回は「うな重」に。



うな重、肝吸い付き。



鯉こく

他所の土地ではともかく、牛久では「鯉こく」は外せない。
輪切りの鯉の腹回りの脂と味噌味の融合。
鱗が若干残るかの如くの、しゃりっとした皮の食感。



窓越しに「まさに牛久沼」とも言うべき景色を眺め、後藤清一さんと小川芋銭にまつわる話をしながら鯉と鰻を堪能した。

帰りしな、会計の際にご主人に問うと「創業は明治35年です。昔は鰻屋が20軒以上在りましたが、今は半分以下です」

●牛久沼の周辺の地方自治体は全て「竜ヶ崎市」と云う事や「うな丼」は牛久沼が発祥の地、と云う話は、今回の旅から戻って知った。参考までに。

うな丼発案者「大久保今助」と「牛久沼」

江戸時代後期に江戸日本橋堺町に芝居の金方(資金を出す人)で、鰻の大好きな大久保今助という人物がいた。故郷である現在の茨城県常陸太田市に帰る途中、水戸街道を牛久沼まで来て、茶店で渡し船を待っているときに鰻が食べたくな り、蒲焼きとドンブリ飯を頼んだ。
ところが、注文した品が出てきたとき「船が出るよー」の声。
今助はドンブリと皿を借り、ドンブリ飯の上に蒲焼きののった皿をポンと逆さにかぶせて船に乗り込み、対岸に着いてから土手に腰をおろして食べたところ、蒲焼きが飯の温度で蒸されていて、より柔らかくなり、飯にはタレがほどよくしみこんで、これまでに食べたどこの鰻よりもうまかった。



江戸時代の水戸街道と牛久沼の渡し

水戸街道を江戸方面から来て、小貝川を渡ります。そのまま水戸街道を陸路で進むよりも、小貝川沿いに北上して牛久沼を船で渡ることで距離を短縮することができたと考えられます。
大久保今助も、このルートで牛久沼を渡ったと考えることができます。この渡しの距離から推測すると所要時間は、約10分。かば焼きをご飯の上に載せて船で渡り、陸に上がって食べたとすれば、ご飯の熱で、かば焼きが丼全体になじんで特別な味になっていたというのは、十分納得できる話です。

との逸話が竜ヶ崎市のHPに掲載されている。
http://www.city.ryugasaki.ibaraki.jp/article/2013081500954/

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芋銭の菩提寺 「得月院」 @牛久市城中町258

2016年07月10日 19時02分49秒 | 
芋銭の菩提寺 「得月院」 @牛久市城中町258




旧・牛久城の大手門・陣屋近くの芋銭の菩提寺 「得月院」

小川 芋銭(おがわ うせん)は1868年3月11日(慶応4年2月18日) - 1938年(昭和13年)12月17日)19世紀から20世紀前半にかけて活躍した日本の日本画家。



小川芋銭「河童百図<因指見月>」 昭和12年 茨城県立近代美術館蔵 

水辺の生き物や魑魅魍魎への関心も高く、特に河童の絵を多く残したことから「河童の芋銭」として知られている。
絵筆を執る傍ら、「牛里」の号で俳人としても活発に活動した。
長塚節や山村暮鳥、野口雨情などとも交流があった。

小川家は常陸国牛久藩の大目付であったが、廃藩置県により新治県城中村(現在の茨城県牛久市城中町)に移り農家となった。
最初は洋画を学び、尾崎行雄の推挙を受け朝野新聞社に入社、挿絵や漫画を描いていたが、後に本格的な日本画を目指し、川端龍子らと珊瑚会を結成。
横山大観に認められ、日本美術院同人となった経歴を持つ。



旧牛久城の大手門・陣屋近くの「得月院」本堂。



小川家墓地。

今回、山本 哲士さんの案内で芋銭の暮らした牛久沼を歩いたが、牛久沼の地理的・行政的な特殊性を感じた。



牛久沼(うしくぬま)は、茨城県龍ケ崎市にある一級河川利根川水系の小貝川支流に含まれる沼。





沼に近い牛久市と同じ名前であるが、全域が龍ケ崎市の区域内だが、接する自治体は牛久市、つくば市、取手市、つくばみらい市。
従って、沼畔の道路を走っていると、頻繁に市の標識が変ることで実感する。



「抱樸舎」(ほうぼくしゃ)
「雲魚亭」の数軒先に住井 すゑ(すみい すえ、1902年 - 1997年)の「抱樸舎」が在る。住井は、奈良県出身の小説家で代表作は『橋のない川』。被差別出身ではないが差別について取り組んだ。
自宅敷地内に「抱樸舎」(ほうぼくしゃ)を建て、人間平等思想の学習会を行った。

7月9日(土)催行の【Tabi-ぶら】番外編<アイツんとこに行ってみようか。to 牛久&石岡>の参加記録です。
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小川芋銭の「草汁庵」と記念館「雲魚亭」@牛久市城中町

2016年07月10日 01時22分00秒 | 彫刻家 後藤清一
小川芋銭の「草汁庵」と記念館「雲魚亭」@牛久市城中町





彫刻家・後藤清一は昭和9(1934)年5月、友人の森戸達雄、小野信夫、津川公冶と共に牛久在住の画家・小川芋銭を訪ねた。
先ず、自刻の「弥勒菩薩像」を芋銭に贈呈し、画室「草汁庵」に於いて良寛の書の一幅を観ながら、良寛論、書論へと話は及ぶ。
更には文人画を描く芋銭の画境が語られる。
昼食時と成り、頼んで有った船にご馳走を積んで牛久沼へ漕ぎ出した。
大師堂のある出島に着き、松籟を聞き景色を眺める。
再度、船を進め沼縁の料亭「湖月」で暫く寛ぐ。卓上には牛久特産の蓴菜と蒲焼、草汁庵から持参の料理を加えての昼の宴。
酒もほどほどに回って、釣りをしようと、釣り談義。
時間はあっという間に過ぎて、6時過ぎには草汁庵を辞した。

津川公冶著『画聖芋銭』(宮越太陽堂・昭和18年)「牛久沼上の一日」には詳しく述べられている。

この日の出来事は晩年になっても、「昨日の様に覚えている」と話したので、この地を一度は訪ねてみたいと思っていた。
それから約40年、山本 哲士さんの案内で実現したが、話で聞いていた場に立てたことは大きな喜びであった。



入り口近くの「河童の碑」
芋銭の偉業を讃えるために昭和26年に友人「池田龍一」が中心となって建立。



雲魚亭入口付近の「改善一歩」道標。
1922年(大正11年)に城中青年会(矯風会)によって旧牛久村の主要な道沿いに立てられた道標。
芋銭は自分の進む道を良い方向に改めて進みなさいという意味の「改善一歩」という言葉を提案した。



木立の合間から牛久沼が望める。




母屋と記念館「雲魚亭」への道。


昭和12年、母屋の隣にアトリエ兼住居「雲魚亭」を建設。
『河童百図』の刊行準備の時期に病に倒れたため、ほぼ病室として使われ昭和13年に70年の生涯を閉じた。
現在は「小川芋銭記念館」として土・日のみ公開。



複製画や芋銭の愛用品が展示されている。



母屋(「草汁庵」)。
現在も芋銭のお孫さんが住居として使用しているとのことで非公開。
その中の一部屋が、画室として使用された「草汁庵」。

7月9日(土)催行の【Tabi-ぶら】番外編<アイツんとこに行ってみようか。to 牛久&石岡>の参加記録です。
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「サントピア水戸」の時代への挽歌 其の⑧

2016年07月08日 23時23分24秒 | 水戸今と昔
「サントピア水戸」の時代への挽歌 其の⑧

再開発は何をもたらしたか。


解体工事の進むサントピア跡地。



50号線から。



東側を銀杏坂から。



西側を黒羽根町の通りから。

第二次大戦の焦土の中から徐々に復興した水戸市の商店街。
泉町2丁目は常陸太田から進出した「志満津」と江戸時代からの呉服店「伊勢甚」が道路を挟んで競い合うようになった。
それまではどの商店も特別に大きいという訳ではなかったが、「志満津」と「伊勢甚」の競合はお互いを拡大させた。
隣接する住宅などを買収し、木造店舗から鉄筋コンクリートビルを建設し百貨店へと成長した。
屋上のミニ遊園地、最上階の食堂など備えた両店の並立は泉町の商店街の核となり、郵便局から泉町の南町商店街のなかの中心を占めるようになった。

対抗するように南町の商店街は、地元有志が協同組合・会社設立などにより大手のスーパーを核として誘致する動きとなり、

●南町4丁目に1971年(昭和46年)に東光ショッピングセンター【1980年(昭和55年)にユニー水戸店】が開店。*1993年(平成5年)閉店。
隣接して、田原屋水戸店が在った。

●南町2丁目に1973年(昭和48年)がダイエー水戸店開店。
*2005年(平成17年)閉店。現在分譲マンション建設中。

水戸駅前には
●水戸駅ビル・エクセル
1985年(昭和60年)3月~現在営業中。
●西友水戸店(水戸駅前 1971年9月~2009年3月。
●高島屋水戸・ローズランド(水戸駅前)撤退後の現在も「天恩ビル」として存続
●丸井水戸店。
西側にあった小規模な店舗から1993年(平成5年)2月東側の再開発ビル移転。
㊟丸井水戸店のビルの所有者は「水戸都市開発株式会社」
出資構成 水戸市40%、権利者20%、(株)丸井20%、その他20%
役員 取締役社長 高橋 靖

大手の進出と撤退を大雑把に記した。



ユニー田原屋の跡地は広場と駐車場。





サントピア開業のきっかけとなったダイエー水戸店はマンション工事が進行中。
西側と東側から。



呉服と書籍の「鶴屋」の跡地はコンビニとなった。



十字屋・水戸店(南町3丁目)後にコートワンビルとなったが廃業し現在は駐車場。



駅前の西友跡地は現在更地で利用計画なし。

共同ビル建設、組合方式による建設、買収による建設など、手法は異なったが大手の誘致は契約年数満了すればいとも簡単に撤退し、あとは更地か駐車場。
地の利が良ければ分譲マンション。

開発前、木造の商店街の賑わいは戻ってこない。

(写真は何れも2016年7月8日、午前9時頃)
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西成田 育男 展 更地/翳韻@ギャラリーしえる

2016年07月07日 23時27分30秒 | 美術展
西成田 育男 展 更地/翳韻@ギャラリーしえる
2016年7月5日~7月17日






西成田 育男さんの個展が開催されている「ギャラリーしえる」のドアを開けるまで、「今回の展覧会、どんな作品が並んでいるか」と期待が高まる嬉しさが有る。常に変化と進化を遂げ、予想もしない作品が並んでいたりするからだ。

西成田さんはグラフィックデザイナー・アートディレクターとして、今や県内では大御所、若手を起用したディレクションで新境地を拓いている。
忙しい合間を縫っての創作活動だが、これが忙しさに比例して良い作品が生まれるようだ。
人間の能力は無限、の証だ。

2015年9月12日~10月25日に「いわき市立美術館」で開催された「西成田育男展・更地」では回顧展の要素もあり、西成田さんの全貌に触れた感じもした。

特に、Bari Box『言葉にならないものもある』(2001年)はクリアケースの中に外箱・絵画1点・写真2葉・半透明の中に封筒が入っている。
箱に入った作品で中が見えない、と云うのもあった。





今回は「更地/翳韻」
「更地は」分かるが「翳韻」は何と読み、どの様な意味か。

西成田さんはかなり難解なタイトルを使う。
自作の造語も意味が有るのだろう。


今回は大作から小品まで、平面作品だけだ。

薄手の麻の生成りのキャンバスに描かれてあるが、地塗りされてないキャンバスは、透けて見える。

雲母や和紙などが貼られたりで、下地は一様ではない。
その辺が魅力で、何度も塗り重ねられているから、かなり複雑な色合いだ。
日本画の顔料のような素材で描かれた画面は 複雑で多様な色。
画面はじっくりと眼を凝らして観なければ分からない。
茫洋として読み取れない形と色は何時まで見続けても限がない。



今回は黄色系の色を使った「更地/夏至」が加わった。






更地/錆壁・更地/翳処など、

日本画の顔料のような素材で描かれた無機的な画面だが、目に見えない何かが語りかけてくるから不思議だ。

関連催事として7月9日[土]午後2時から
●長谷川裕久ポエトリー・リーディング「池沢夏樹詩集成」(抜粋)
●西成田さんを囲んでドリンクパーティー。
どちらも参加無料。

参考
【翳▼す】(音読み)「エイ」(訓読み)「かざす」「かげる」「かげ」「かげり」
意味:きぬがさ。鳥の羽で飾った絹を張った傘。
【韻】「イン」
1 言葉のひびき。また、物の出す音。「松韻・神韻・余韻」2 風流な趣。「韻事・韻致/気韻・風韻」3 漢字音で、声母(頭子音)を除いた部分。韻母。「韻字・韻書/音韻・畳韻・平水韻」4 詩や文章で、同一または類似の音を、特定の場所に繰り返して用いること。「韻律/押韻・脚韻・頭韻・和韻」5 詩歌。「韻文」
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ヤマモモ@千波公園西の谷

2016年07月06日 15時19分07秒 | 西の谷緑地公園
ヤマモモ@千波公園西の谷





西の谷に案内看板が立てられた。
僕が有ったらいいな」と思ったのは、簡単な案内の略図が描かれ、どの方面に行けるか分かる様なもの。
寄贈者の水戸商工会議所なんてもっと小さくてしかるべきと思う。

ヤマモモの実。

この看板の近くに赤い実を付ける木が10本くらいある。
直径2センチ弱、房状に実を付ける。
実が既に熟して落下してしまった木も多い。



当初、山桜桃梅(ユスラウメ)と思ってアップしたところ「ヤマモモ」ではありませんかと指摘を受けた。
調べてみれば、確かに「ヤマモモ」で不明を恥じる。

Wikipediaには。

ヤマモモ(山桃)は、ヤマモモ科ヤマモモ属の常緑樹。
和名の由来は、山に生えモモのような果実をつけることから。
漢名は楊梅(ようばい、ヤンメイ、)別名として山桜桃、火実などがあり、古代から和歌などにも詠まれる。
高木で、成木は20mほどになる。
幹は太くなると灰白色の樹皮に覆われ、多数の楕円形の皮目を持つ。
古くなると縦の裂け目が出ることが多い。
雌雄異株のため結実には雄株が必要であるが、都市部では街路樹として植栽されている雄株が随所にあるため、雌株の結実性は比較的高い。

確かに、実を付けた木と無い木が有る。
食べてみれば甘酸っぱい味だ。

小さい実なので見逃してしまうが、美しいものだ。
自然の造形に改めて驚くし、知らないことが多く恥かしくなる。
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MITO彫刻展@アートセンタータキタ(水戸市泉町3丁目)

2016年07月05日 21時12分58秒 | 美術展
MITO彫刻展@アートセンタータキタ(水戸市泉町3丁目)



第44回を迎えた「MITO彫刻展」は7月1日~6日まで。





今回の出品者は小張 隆男・ 小宅 淑子・ 北沢 努・ 篠原 洋・ 六崎 敏光・ 村山 悦子・森山 元國の7名の作家が出品。

芸術家の仕事はどのような分野で大変だろうが、特に彫刻の世界はなおさらと思う。作品に仕上げるまで多くの行程が有って簡単には出来ない。
鋳造や設置にも大きな労力を必要とする。

欧米では公園やお城、或いはオペラハウス等、至る所に彫刻があるが日本の風
土や建築空間は彫刻作品の入り込む余地が無い。

小張 隆男「猫」シリーズ
小張隆男は鷹匠として猛禽類と共に暮らしているようだ。
昨年の「鷹」は今、飛立たんと云う姿を見事にとらえていた。





今年は「猫」家族の一員であろう、伸び伸びとした猫の姿が捉えられている。

北沢 努「森に棲む」シリーズ。





作品の幅も広くなったし、テーマを自分の手の内にしたようだ。
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新たなものより、守り育てることの重要性。

2016年07月05日 13時47分48秒 | 
新たなものより、守り育てることの重要性。



【Tabi-ぶら】番外編<アイツんとこに行ってみようか。to 牛久&石岡>が
7月9日(土)に催行される、とのことで参加することに。

【Tabi-ぶら】の前身【旅のCafe】の仲間だった故久保田時治さんの牛久沼聖地公苑へお詣り。

久保田さんのご家族であろう【久保田直子のまばたき写真 風の吹くまま、辿り展】@まちかど情報センターギャラリースペース の展示拝見。
先日、空き店舗活用のこのスペースに偶々立ち寄った。

「香丸資料館」での【山本透/LaLa mosura共同展】。
蔵を改良したギャラ―&喫茶「香丸資料館」が出来て40年近いと思う。
開館当初に何度も通った。水戸にもこんな場所が欲しいと思ったものだ。
5月に訪ねたら、企画展が開かれる時以外は休館と知って残念だった。
今回の山本透さん写真展。重厚な蔵の中で拝見するのが楽しみ。
更に1階の喫茶スペースのコーヒーと美術品。

こんな盛りだくさんなのに、「番外編」と云う事で会費は無料。
【Tabi-ぶら】の企画者・山本 哲士に有り難う、と言うほかない。

●6月25日の「潮来の初夏の一日」も多くの出会い、新発見があった



地域の人達が守り続けてき「延命院」の観音菩薩立像。
延命院は大生神社(おおうじんじゃ)の所管で、大生家の菩提寺「延命院」の観音菩薩立像(10世紀後半~11世紀)をお祀りしている。
像高161.2cm、榧(かや)材の一木造、背刳(せぐり)を施し、両腕とも肩先から両足も別材で補修。

地方に保存されている仏像は地区の人達によって守り伝えられてきた。
この仏様もこの地区の人達がお堂のカギを預かり守っている。
昔の小さな御堂から鉄筋の収蔵庫に移されたが、このお堂の屋根瓦は大震災の影響、或いは、傍の桜の大木の枝によるのか、屋根瓦が崩れてしまっていた。
早急に補修しないと天井が崩れる恐れがある。

●「水郷まちかどギャラリー」
潮来市役所 情報発信マネージャーに就任したばかりの小関 かすみさんの案内で潮来の市内を巡った。







「小堀進と弟子たち展」水彩画で水郷を描いた小堀進を中心とした作家の展覧会。水彩の透明感を生かし、油彩の重厚さも感じさせる画家と後継者の展覧会。



潮来祇園祭。(8月5日~7日)のポスター。



祭りの華麗な山車の収蔵庫。
この辺りは、潮来を代表する繁華街であったらしい。
今も名残は若干ある。
多くの地方都市が歩んでいる姿で特別の現象ではない。



アヤメ園。
幾らか時期を過ぎていたが、観光客はまだ多い。
水戸にも共通する課題だが、その時期だけに集中させず年間を通して来客があるような宣伝と施設は必要。
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得月亭茶会「七夕の会」@徳川ミュージアム

2016年07月04日 13時00分47秒 | 博物館
得月亭茶会「七夕の会」@徳川ミュージアム

水戸市見川の徳川ミュージアムの茶室「得月亭」では定期的に茶席が開かれる。
7月3日は「七夕の会」として開かれた。



石州流茶道水戸何陋会の会長・湊正雄さん。
全国の石州流のまとめ役もなさっているのでお忙しいようだ。



担当したのは県立笠間高校の茶道部の皆さま。
(写真は徳川ミュージアムHPより)





今日のお菓子は七夕の会ということもあり「星と天の川」をイメージした爽やかなもの。



床のお花と掛け軸



お点前を披露する生徒さんは、先生指導のもと、お稽古のよう。
次代を担う若い人がお茶に親しむことは嬉しい。
県内の高校の茶道部、増えているとのこと。
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偕楽園好文亭月釜 @好文亭

2016年07月04日 00時02分19秒 | 水戸今と昔
偕楽園好文亭月釜 @好文亭



茶室のある寺や庭園などで、毎月決まった日に行われる茶会を「月釜」という。
偕楽園の好文亭を会場に月釜が開催されているが、出席の機会に恵まれなかった。

「見川塚畑遺跡・現地説明会」の終了後、歩いて10分程度などで立ち寄ることが出来た。

「偕楽園・好文亭月釜」の主催は水戸観光協会だが、茶の湯ボランィテア「拙誠会」が運営している。入場無料はありがたいが、好文亭の入場料は必要だ。





今月の7月3日(日)「江戸千家」
会場は好文亭1階奥の大広間で、見取り図では「西塗縁」となっている。
確かに板張りの床は黒漆が塗られているようだ。

時間は午前10時から午后3時までだからお客さんも多い。
1席で約20人のお客さんだから、延べにすると何人になるか。



この席、子供連れもいたし、北海道から沖縄までと浜松の方もいた。
水戸や偕楽園というと、梅の季節とばかり思われるし、そういう宣伝もしているが年間を通して魅力があるのに。
その点でも、この月釜は大きな役目を果たしている。



床の間。(仮設です)
正客の石州流茶道水戸何陋会の宗匠・湊正雄さん。



お菓子は水戸銘菓の「水戸の梅」久し振りに食べましたが、やはり美味しい。

来月8月11日(木・祝)は遠州流の担当。

茶席の運営には人手が要だが、20人位は携わっている。

好文亭の入り口で松本山雅FCのサポーターさんと出会った。



お互いの健闘を願った。

Jリーグの良さはお互いの街を訪ねることに意味がある。

この後、僕も「ケーズデンキスタジアム水戸」での水戸・松本戦を応援に。
前半2点を先制するも後半に3点を献上。
松本のサポーターが1000人位は来ていたろう
大迫力だったが、8月7日のアウェー戦、水戸から何人位行くだろうか?
負け試合で18位に後退、後がない状況になってしまった。

<拙誠会(せっせいかい)について>
表千家・裏千家・江戸千家・遠州・石州と煎茶東阿部流の各流派の同好が集い、平成17年から好文亭内に於き「拙誠会」と命名し、ボランティアで呈茶を行っている。
 「拙誠会」とは、この偕楽園を創設した水戸藩代9代藩主徳川斉昭公自ら書かれた茶道に対する心構えを説いた「巧詐 ( こうさ ) は 拙誠 ( せっせい ) に 如 ( し ) かず」が出典。
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