怒りのブログ

憤りを言葉にせずになんとしようか。

成績出し終わる

2006-12-21 07:02:12 | 教育
いつも成績処理は胃が痛くなる。
評価自体嫌いだ。
おそらく「評価すること」を無くすると、教育が荒廃でもするとでもだれか考えたのだろうか?

よく考えると、子どもをその場その場で誉めたり、テストしたり、相互評価的活動をしたりするのは全然嫌じゃない。
この期末にある事務的な作業が嫌いなのだろう。
日々、評価、価値付けしてあげていると、今更のようにとどめを刺す評価の気恥ずかしいことよ。

等身大の子どもを通知表に表現する自分の技量不足、資質不足が原因なのだろう。

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所見欄に、学期にやってきたことを羅列しながらコメントする様式がある。
あれが嫌いだ。
言い尽くせないし、事務的で、端的なので程度のごまかしも容易に入れられる。
でも、毎学期に「この子はこうだ!」という評価を下し続ける事は、少ない情報量で子どもを決めつけてかかるので神経がすり減ってしまう。
第一、マイナス評価を書く事は基本的には御法度。
そうなればなんと書きにくいことよ・・・。
(背に腹変えられず、今回は前者の方式で書いてみた。はぁ・・・。)

毎回の愚痴はさておき、2学期分終了。
あとは諸帳簿類だ・・・。(自爆)

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2 コメント

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成績評価 (はたやん)
2006-12-24 12:50:16
お疲れ様でした。

私は講師になる以前から担当科目の成績評価に立ち会ってきました。
但し、最初「絶対評価」と伝えられていた評価手順が、評定値の割り当てで「母集団」「平均」の概念が出て来るのでした。

最終判断(1・2の評定)(9・10の評定)では「絶対評価」でしたが、基本は「相対」でした。

また、理由の如何によらず欠点を付ける教員が「悪者」とされ、職会で校長から事情聴取された時期がありました。

元々、どの学年でも「騒ぐ生徒」が多い傾向がありましたが、この時期を境にそれがエスカレートしたのでした。

>第一、マイナス評価を書く事は基本的には御法度。

私のところでも同様でしたが、「たとえ真実でも書いてはならない」という、一種異様な空気を感じました。

私は、評価では「公平」が大原則と思います。
その原則において、マイナス要素が顕著な場合は「書くべき」というのが理想でした。

結局、プラス評価を最初に打ち出し「但し~」と、マイナス面を書き添える方法で対応していました。

それでも、「狭いスペースで書き伝える」のは、難しいですね・・・
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評価という事務作業 (yo)
2006-12-24 23:54:21
コメントどうも。

絶対評価というのがくせものですよね。
真の絶対評価など、日本の教育システムではあり得ないのです。
(少なくとも義務教育段階ではそう。特に中学。高校入試段階で学校間の相対化が顕現してしまう。)

また、評価において、マイナス評価ができないというのは所見欄の意味をなさないと思う。
小学校だから、そこに指導内容を落とさなくても・・・という理屈はもっともに聞こえるけれども、「よいところ見つけ」だけで評価が終わる事が全てでもねぇ。

日本の教育の枠組みはわけがわかりません。
こういうことこそ、世間一般の感覚からは慣れていると思うのだけれどなぁ・・・。
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