怒りのブログ

憤りを言葉にせずになんとしようか。

たそがれ清兵衛

2006-12-22 22:07:22 | 映画
今日、テレビでやっているのを観ている。
劇場で観たかったな。

映画が好きだ。
銀映像が好きだ。

大学時代に映画研究会に所属していたが、カメラマンをやらせてもらっていた。
高校時代に写真をかじっていた知識はそのまま生きた。

テレビの連続ドラマは嫌い。
話の展開もだが、映像に拒絶反応を感じる。

照明が不自然なのだ。
銀映像は照明にごまかしがきかない。
そこがとても好きだ。

山田映画の照明はとても自然だ。
作りのいい映画はほんとに安心して観ることができる。

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リーク

2006-12-22 21:56:21 | 教育
また職員会議内の話をリークしようと思う。
あんまりだと感じるからだ。

ただ、首がかかりそうな内容なだけに、日付をそのままに、アップを遅らせて記憶しようと思う。
そう、ひっそりと・・・。

卒業式などが地方自治体の行事と化し、式の形式、その他が教諭の理想や児童の主体性、保護者の想い、地域の伝統が考慮されなくなったことは、現在よく知られる事実だと思う。

具体的には、舞台演壇形式や日の丸拝礼・君が代唄えの強制卒業式だ。

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それでも、昨年度までは、式に、「卒業生への在校生の想い」をということで、会場内の装飾に、在校生手製の飾りなどがあったものだ。

今日、それが排斥される事実がわかった。

校長は「市の意向」ということ、「静粛に行う式」をということ、そんな理由で、その装飾を排除する方針を会議中に発した。
もう卒業式の会場は教育の現場ではなくなった。そう思った。

当事者的な関わり合いを教員ができない世界が学校の「式」であるならば、学校でやる必要性さえ疑わしいものだ。
ましてや、そこに教員が居合わせる必然も、保護者の前で演ずる卒業生も、見守る保護者も、全て「式」の必然であって、当事者である必然ではなく「式」に参加させられているとも考えられる。
強権的な匂いの紛々とする中で行われる卒業式を無条件で飲み込むというのか。校長。
そういう表情をしている。冷たい目。

会議は終わった。

私は卒業式を捨てる。そういう不良になったのだと思う。
学校は首長の思うがままだ。

教育活動は不当な支配に屈するがごとくである。(旧47教育基本法)
主権者は削除されたのである。(改悪06教育基本法)

そこに嬉々として屈服することを選ぶ校長は最低だ。
私はいつまで正気を保って教員を続けられるのか不安だ。

最後に一点、自分の情報のリーク。
実はこの学校の行く末を見とれる立場から(校長に)外された。
わずか3年か。
(愚痴を言えば、我が家は赤子だらけ。遠方だったら責任はだれがとってくれる?)