怒りのブログ

憤りを言葉にせずになんとしようか。

白川静さんに学ぶ漢字は怖い(共同通信社)小山鉄郎2007.12

2008-01-26 23:35:02 | 教育書
「白川静さんに学ぶ漢字は楽しい」の続編が書店に並んでいた。

白川静が書いたかのような題名はなんだかよくわからないが、字源カルタの解説書のようで、まあ見やすい。

漢字検定が流行っているが、私が入るならこういう本からだなぁ。
そう思って人にすすめたことがある。

基本的に私のネタ本であるから、その考えが広く普及していくのは個人的に有利なことかもしれない。

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既成事実化に対する私的な繰り言

2008-01-26 21:34:26 | ニュースから
塾連携の有料授業始まる=区立和田中で-東京・杉並
(時事通信) - goo ニュース


和田中式による塾との連携例として独り歩きしだした感のある状況と受け取っている。

先日、自分の保護者に聞いてみた。
「中教審の今回の答申で、時数増が方針として決まったが、どう思うか?」

返って来た分は、学習が進むので「賛成」という。

教育再生会議の政治思想的な活動の様相と影響、中教審の恣意的な態度に関して知っている者は憤っているが、当事者であり、民意の主体の一端を担う保護者は、我が子かわいやで場当たり的な判断しかできない。
別に、それは仕方がないのだけれど、そうなるとやはり情報公開というのは徹底して必要であるし、マスコミの責任は重大であるし、現場教師の声が届かないシステムというのは問題化させなければならない課題だと感じる。

最近読んでいる兵庫教育大学の梶田の文(いずれエントリ化する予定)に関してもそうだが、ずいぶんな言い方を世間は認めていることになる。

昨年9月発表の寺脇著書は「それでも、ゆとり教育は間違っていない」といっているのだが、近著は「さらばゆとり教育」といっている。
アイロニーやらがこもっているのだろうが、もう声が届かなくなった人をみると、こういった独り歩きというのは責任の所在を求めるよりも、詳細に渡って無効化を検討せざるを得ない気がする。
(ちょっとゲリラ的な意味合いになってきてしまうので、一方で八方が傷つかない配慮も必要になって、難しい部分はあるのだが・・・。)

寺脇の著書は、主たる主張を通す側に立ったものが責任を明確にしろといっているように聞こえるのだが、それで自分はどうなのかとつつかれて終わっているような気がする。
自分と同じ立場の人を量産してもダメだと思う。
最近、だれの?というよりも、まず自分の足下を守るような消極的な闘いになってきていると感じる。

都立病院の民営化問題ではないけれど、ハード(設備等)を立派にするのは付加価値を高めるのではなく、民間に八百長をもって報いている最悪のパタンだと思う。
公でなければならないとはいわないが、公である特色を忘れていい理由は全然ない。
でも、既成事実化はJRの時からずっと繋がって見える気がする。

公立教育の民営化などと嘯くのも、それなりに筋がないように聞こえないのだけれど、いったいいつまで受容的な状態でいられて、目を伏せていられるのか。

「日本の教育を考える10人委員会」が出した「今、義務教育が危ない!」の副題は「国民のライフラインを守ろう」だが、だれが「ライフライン」と意識できるのだろう。

先日ついた地元の方のコメントではないけれど、大問題という意識さえ、「地元では・・・」というエクスキューズで簡単に解錠されてしまう。
何が問題で、何が課題で、何が意識かされなくてはいけないのか。
それは対抗すべきとして守るものを感じている人のものであって、死に体の心には何も宿らない。

けれど、けれど・・・が私の想い。
それは無効な葛藤。
最近、冷めて来ているが・・・。

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