怒りのブログ

憤りを言葉にせずになんとしようか。

和田中学校の気になる件

2008-01-10 06:58:37 | ニュースから
公立校&塾、連携に賛否 「学力向上」「不平等では」(朝日新聞) - goo ニュース

(記事内にはないので参考を以下におく)
指導文書の内容(和田中学、杉並区教委側が改善するといった三点)は
(1)参加方法、費用の負担等について義務教育の機会均等という観点から疑義がある。
(2)特定の私塾に学校施設を利用させることは営利性を疑わせ、学校施設の公共性に反する恐れがある。
(3)教材開発に校長及び教員が関与することは、公務員の兼業、兼職の適正な手続きの観点から疑義がある。

(参考ここまで)

まだ書くのは早い気がするのだけれど、現時点で気になる事を書いてみる。

この件で問題と感じるのは当事者の問題。

順番としては、まず現場の教員達。
彼らの想いはどうなのだろう。

高校進学というのが中学校のカリキュラムを歪めているのは確かだと思う。
これは、私が今年一年、小中連携の公的研究で、主要科目である「国語」を中学の先生方と一緒に研究してきて思う感触だ。
でも、逆にいえば、中学では進学を意識して対応しているということに他ならない。
そこへ、藤原氏の言葉を借りれば、成績上位のへの対応ができていないから塾を導入するのだという話は、教員が、対応への努力を怠っているか、すでに限界であるという批判になる。
そうでないとするならば、それは藤原氏の独断の道義的な問題になり、判断を誤ったということになるだろうし、そうであると認めるならば、それは教育システムの歪みを文科省や都教委が認めなければいけないという責任問題になり、都教委側が疑義を申し立てるのではなく、都教委側こそが処分の対象となり得るだろう。

また、今回の件の具体的な部分で、生徒選抜や塾カリキュラムの設定に関して、どうやら現場教員も巻き込まれているという噂を聞いている。
(某杉並区議のリークなので、かなり確かな情報のようだ。異動希望者が増大したとも聞いている。)
これが本当であれば、本末転倒であって、公務以外の仕事を指示した藤原氏の責任問題は問われなければならないだろう。
彼は現場のリード、マネージメントを司る管理職としては不適格だということの証明になる。

さらに、この件の現場共通理解という点で気になるのは、藤原氏の実践における、区長とつくったとされる「学校支援本部」の問題。
これが教員のオーバーヘッドで動いてこの機会を作ったとすると、学校の主体性という点で、教員は無視された立場ということになる。
教員側で「やってられない」という状況が生まれてもおかしくはない。

順番第二に、生徒の問題がある。
学校内に選抜制の塾があり、その運営を校長と保護者を含む地域がやっている。
塾にとっては、どうやら宣伝になっているため、授業料も破格に安い。
(校舎を使用できるから安いというのは違う。交通費が云々も違う。それらはこの安値の対価ではない。)
和田中学に通うということ、進学に当たってそこを通過するということ、それはそういった選抜の塾をにらんで生活するということ。
学校生活において、それが健全であるかどうかといわれれば否と言いたい。

藤原氏は「私学ではなく志学を目指す」と言っている。
でも、それは「公立」のシステムから離れるという宣言に他ならない。
法規制、道義的責任をそういった言葉で乗り越えようとする野心を感じる。
それを区教委が肯定、容認してきたのならば、そこに乗り切れない子ども達の存在責任はひとえに区教委にある。

和田地域は藤原氏が校長になり、生徒が増えたそうだが、そこから逃げられない人もいるということだろう。
平たい公立という伝統をもってきたはずの和田中学校。
過去にたぐってでも当事者の声が聞きたい。

中学校の問題というのは、進学に耐えうるかどうかではなくて、本来、教育の目的は違うところにあるはず。
これは現行の教育基本法でさえそのはずだ。
和田中学の実践は投げられた池の一石ではなく、毒の一滴だったのかもしれない。

順番三、保護者の問題。
地域性ともいえるが、こういった中学校の体勢に対して、「負け組、勝ち組」ではないが、格差や排除が意識されずに用いられている恐れがある。
昨日のニュースで出ていた保護者の発言はまさにそれで、我が子がよければ他はいい、あるいは今さえよければそれでいいという風に聞こえる。
保護者として本当にそんな刹那的な発想でいいとするならば、それをもう少し意識的に訴えて欲しいものだ。
そうであれば、逆に、現在の学歴社会、格差社会の歪みとして捉えられようもあったと思う。
陰に隠れたヒステリックな状況にある保護者達の可能性を見る想いだ。

第四。
「学校支援本部」が気になる。
PTAの存在も課題が多いのだが、本当に民主的な運営がなされているのか、実態が見えてこない部分を感じる。
これも地域における政治的な力をもっているとは思う。
「PTAではできないことができる」と藤原氏に言わせている「支援本部」は、学校という枠組みを崩している。
それをよしとするかどうかは、やはり当事者が決める問題だと思う反面、そこに区長や校長の政治性を持ち込んではならないとも思う。
今、和田中学は冷静に判断できるのか、疑わしい。

第五。
藤原氏の進退。
彼は3月で退職が決まっている。
置き土産としてはあまりにも無責任な態度ではないだろうか。

彼の実践において、最終段階で目指していたものはコレだったのか?という感じで受け止める人も少なくないだろう。
夜間に学校を貸し出すことは、できない相談ではないが、それを学校が推奨したり、手を貸したりする必然性はない。
ましてや営利丸出しのSAPIXだろう。
食われるのは生徒であることは必定。
教育の場所、「学び」の場所である学校で、反教育的、反「学び」的であるSAPIXの授業が行われるというのは倒錯的とも言える。

今回のことが、一部の保護者の有志として行われたのだったら、それは我が子を思う気持ち、個人の想いを達成したとして受け止められたかもしれない。
でも、今回のことはどうだろう?

いろいろ疑問はつきないのだけれど、最後に、都教委。
「機会均等」を建て前に出しているのだけれど、これは入塾に当たって広く希望を聞けばクリアされてしまう気がする。
今回の都教委の通達では3点の改善で済むと藤原氏側はいっている。
つまり、都教委側としては一時停止は求めても、終結は求めていない。
今回の件は、都教委側のフリだったとしか思えない。

石原氏の「けっこうなこと」発言もそういった意味で意志統率がとれている。

石原氏が「ポジティブに、子供のために足りないものを補うのはいいことだ」と言ったのは、選抜に耐えたものには学校側として優遇があってよいということをいったものだ。
公立の学校というのは、そういった内部競争がイメージとしてあるのだろうか?
それならば、一時期話題になった、民間学力テストや成績順クラス編制などを大々的に推奨するのだろうか?
政治的な恣意性を感じ、教育業界は相変わらず食い物にしかなっていないなと感じる。

この一件で一番儲かるのはSAPIXだろう。
(私はこの塾には個人的に恨みがあるので大嫌いだ。精神的に壊れた子どもを生産しているからだ。学校にいい迷惑。)

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