怒りのブログ

憤りを言葉にせずになんとしようか。

既成事実化に対する私的な繰り言

2008-01-26 21:34:26 | ニュースから
塾連携の有料授業始まる=区立和田中で-東京・杉並
(時事通信) - goo ニュース


和田中式による塾との連携例として独り歩きしだした感のある状況と受け取っている。

先日、自分の保護者に聞いてみた。
「中教審の今回の答申で、時数増が方針として決まったが、どう思うか?」

返って来た分は、学習が進むので「賛成」という。

教育再生会議の政治思想的な活動の様相と影響、中教審の恣意的な態度に関して知っている者は憤っているが、当事者であり、民意の主体の一端を担う保護者は、我が子かわいやで場当たり的な判断しかできない。
別に、それは仕方がないのだけれど、そうなるとやはり情報公開というのは徹底して必要であるし、マスコミの責任は重大であるし、現場教師の声が届かないシステムというのは問題化させなければならない課題だと感じる。

最近読んでいる兵庫教育大学の梶田の文(いずれエントリ化する予定)に関してもそうだが、ずいぶんな言い方を世間は認めていることになる。

昨年9月発表の寺脇著書は「それでも、ゆとり教育は間違っていない」といっているのだが、近著は「さらばゆとり教育」といっている。
アイロニーやらがこもっているのだろうが、もう声が届かなくなった人をみると、こういった独り歩きというのは責任の所在を求めるよりも、詳細に渡って無効化を検討せざるを得ない気がする。
(ちょっとゲリラ的な意味合いになってきてしまうので、一方で八方が傷つかない配慮も必要になって、難しい部分はあるのだが・・・。)

寺脇の著書は、主たる主張を通す側に立ったものが責任を明確にしろといっているように聞こえるのだが、それで自分はどうなのかとつつかれて終わっているような気がする。
自分と同じ立場の人を量産してもダメだと思う。
最近、だれの?というよりも、まず自分の足下を守るような消極的な闘いになってきていると感じる。

都立病院の民営化問題ではないけれど、ハード(設備等)を立派にするのは付加価値を高めるのではなく、民間に八百長をもって報いている最悪のパタンだと思う。
公でなければならないとはいわないが、公である特色を忘れていい理由は全然ない。
でも、既成事実化はJRの時からずっと繋がって見える気がする。

公立教育の民営化などと嘯くのも、それなりに筋がないように聞こえないのだけれど、いったいいつまで受容的な状態でいられて、目を伏せていられるのか。

「日本の教育を考える10人委員会」が出した「今、義務教育が危ない!」の副題は「国民のライフラインを守ろう」だが、だれが「ライフライン」と意識できるのだろう。

先日ついた地元の方のコメントではないけれど、大問題という意識さえ、「地元では・・・」というエクスキューズで簡単に解錠されてしまう。
何が問題で、何が課題で、何が意識かされなくてはいけないのか。
それは対抗すべきとして守るものを感じている人のものであって、死に体の心には何も宿らない。

けれど、けれど・・・が私の想い。
それは無効な葛藤。
最近、冷めて来ているが・・・。

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4 コメント

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公立学校で勉強させない政策 (電車女)
2008-01-27 00:07:02
学校の先生という職業が侵害されていますね。
子どもに学力さえつけてやれないような学習指導要領を作って、責任はすべて現場の努力の問題にする。
すべては受験、教育産業を潤すための教育政策が原因です。
それが分っていながら私たちは何もできない。
わが子を思う気持ち。親の弱みに付け込んだ私企業に公が倒されたわけですね。
そして、一番可哀想なのは子どもです。
中途半端な勉強を昼にやり夜にやるわけですから。
寺脇氏も藤原氏も一流大学を出ているのにこんなことしかできない「教育者」です。
そして、彼らの最大の過ちは「学校の先生と子ども」の絆を破壊したことです。
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コメントどうも (yo)
2008-01-27 09:28:40
まったくもって、あとで読み返すと戯言的なエントリ文。
そんなところへコメントどうもです。

以前、エントリのどこかで書いた藤田英典氏の「信頼」こそが今の教育に必要ということを思い返しました。

私の無効化の呪文は、まず、自分の目の前にいる子ども、保護者、そして地域の人と信頼関係を築く事。
和田中学校の空は、私の空と繋がっている。
だからこそ、私もまず目の前のことから始めるのは基本。
そしてまず「信頼関係」をつくり、「学び」と「育み」への相互理解と共同を求めていくこと。

学校は塾ではないし、塾は学校にとってかわるのは不可能。
学校が無理ならば、教室からできることをするまで。

和田中学校の既成事実は向かい合っても遠いので、まずは自分から。
今はそんな気持ちです。
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かんがえさせられた (今日)
2008-01-29 08:06:07
先日、自分の保護者に聞いてみた。
「中教審の今回の答申で、時数増が方針として決まったが、どう思うか?」

返って来た分は、学習が進むので「賛成」という。

教育再生会議の政治思想的な活動の様相と影響、中教審の恣意的な態度に関して知っている者は憤っているが、当事者であり、民意の主体の一端を担う保護者は、我が子かわいやで場当たり的な判断しかできない。・・・・・・・

* この事を向こうは、知っていて、利用しているんですね。

体を大事にしてください。
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向こう側 (yo)
2008-01-29 18:49:56
今日さん。いつもありがとうございます。

「向こう」という言葉に反応してしまいました。

向こうの人は確実にいますが、誰なのかという対象として考えられないところにグレーゾーンがあるのだと思います。
彼らもこちらを(直視ではないだろうけれど)見ているだろうし、こちらも意識せざるを得ない、そう思います。
でも、きっと、そんなこととは別なところから事態は急展開するかもしれないと感じてもいます。
最近。

なぜならば、事は二者択一でもないし、当事者と呼べるもの以外にも周囲の人は多く存在するし、風が吹けば・・・とは思わないのですが、まだ踏ん張れる足場というのは、自分の真後ろだとは考えないようにしているということかもしれません。

ぐるぐるした思考を書きとめて、読みにくくなってしまいました。
すいません。
とりいそぎ。
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