公立校&塾、連携に賛否 「学力向上」「不平等では」(朝日新聞) - goo ニュース
(記事内にはないので参考を以下におく)
指導文書の内容(和田中学、杉並区教委側が改善するといった三点)は
(1)参加方法、費用の負担等について義務教育の機会均等という観点から疑義がある。
(2)特定の私塾に学校施設を利用させることは営利性を疑わせ、学校施設の公共性に反する恐れがある。
(3)教材開発に校長及び教員が関与することは、公務員の兼業、兼職の適正な手続きの観点から疑義がある。
(参考ここまで)
まだ書くのは早い気がするのだけれど、現時点で気になる事を書いてみる。
この件で問題と感じるのは当事者の問題。
順番としては、まず現場の教員達。
彼らの想いはどうなのだろう。
高校進学というのが中学校のカリキュラムを歪めているのは確かだと思う。
これは、私が今年一年、小中連携の公的研究で、主要科目である「国語」を中学の先生方と一緒に研究してきて思う感触だ。
でも、逆にいえば、中学では進学を意識して対応しているということに他ならない。
そこへ、藤原氏の言葉を借りれば、成績上位のへの対応ができていないから塾を導入するのだという話は、教員が、対応への努力を怠っているか、すでに限界であるという批判になる。
そうでないとするならば、それは藤原氏の独断の道義的な問題になり、判断を誤ったということになるだろうし、そうであると認めるならば、それは教育システムの歪みを文科省や都教委が認めなければいけないという責任問題になり、都教委側が疑義を申し立てるのではなく、都教委側こそが処分の対象となり得るだろう。
また、今回の件の具体的な部分で、生徒選抜や塾カリキュラムの設定に関して、どうやら現場教員も巻き込まれているという噂を聞いている。
(某杉並区議のリークなので、かなり確かな情報のようだ。異動希望者が増大したとも聞いている。)
これが本当であれば、本末転倒であって、公務以外の仕事を指示した藤原氏の責任問題は問われなければならないだろう。
彼は現場のリード、マネージメントを司る管理職としては不適格だということの証明になる。
さらに、この件の現場共通理解という点で気になるのは、藤原氏の実践における、区長とつくったとされる「学校支援本部」の問題。
これが教員のオーバーヘッドで動いてこの機会を作ったとすると、学校の主体性という点で、教員は無視された立場ということになる。
教員側で「やってられない」という状況が生まれてもおかしくはない。
順番第二に、生徒の問題がある。
学校内に選抜制の塾があり、その運営を校長と保護者を含む地域がやっている。
塾にとっては、どうやら宣伝になっているため、授業料も破格に安い。
(校舎を使用できるから安いというのは違う。交通費が云々も違う。それらはこの安値の対価ではない。)
和田中学に通うということ、進学に当たってそこを通過するということ、それはそういった選抜の塾をにらんで生活するということ。
学校生活において、それが健全であるかどうかといわれれば否と言いたい。
藤原氏は「私学ではなく志学を目指す」と言っている。
でも、それは「公立」のシステムから離れるという宣言に他ならない。
法規制、道義的責任をそういった言葉で乗り越えようとする野心を感じる。
それを区教委が肯定、容認してきたのならば、そこに乗り切れない子ども達の存在責任はひとえに区教委にある。
和田地域は藤原氏が校長になり、生徒が増えたそうだが、そこから逃げられない人もいるということだろう。
平たい公立という伝統をもってきたはずの和田中学校。
過去にたぐってでも当事者の声が聞きたい。
中学校の問題というのは、進学に耐えうるかどうかではなくて、本来、教育の目的は違うところにあるはず。
これは現行の教育基本法でさえそのはずだ。
和田中学の実践は投げられた池の一石ではなく、毒の一滴だったのかもしれない。
順番三、保護者の問題。
地域性ともいえるが、こういった中学校の体勢に対して、「負け組、勝ち組」ではないが、格差や排除が意識されずに用いられている恐れがある。
昨日のニュースで出ていた保護者の発言はまさにそれで、我が子がよければ他はいい、あるいは今さえよければそれでいいという風に聞こえる。
保護者として本当にそんな刹那的な発想でいいとするならば、それをもう少し意識的に訴えて欲しいものだ。
そうであれば、逆に、現在の学歴社会、格差社会の歪みとして捉えられようもあったと思う。
陰に隠れたヒステリックな状況にある保護者達の可能性を見る想いだ。
第四。
「学校支援本部」が気になる。
PTAの存在も課題が多いのだが、本当に民主的な運営がなされているのか、実態が見えてこない部分を感じる。
これも地域における政治的な力をもっているとは思う。
「PTAではできないことができる」と藤原氏に言わせている「支援本部」は、学校という枠組みを崩している。
それをよしとするかどうかは、やはり当事者が決める問題だと思う反面、そこに区長や校長の政治性を持ち込んではならないとも思う。
今、和田中学は冷静に判断できるのか、疑わしい。
第五。
藤原氏の進退。
彼は3月で退職が決まっている。
置き土産としてはあまりにも無責任な態度ではないだろうか。
彼の実践において、最終段階で目指していたものはコレだったのか?という感じで受け止める人も少なくないだろう。
夜間に学校を貸し出すことは、できない相談ではないが、それを学校が推奨したり、手を貸したりする必然性はない。
ましてや営利丸出しのSAPIXだろう。
食われるのは生徒であることは必定。
教育の場所、「学び」の場所である学校で、反教育的、反「学び」的であるSAPIXの授業が行われるというのは倒錯的とも言える。
今回のことが、一部の保護者の有志として行われたのだったら、それは我が子を思う気持ち、個人の想いを達成したとして受け止められたかもしれない。
でも、今回のことはどうだろう?
いろいろ疑問はつきないのだけれど、最後に、都教委。
「機会均等」を建て前に出しているのだけれど、これは入塾に当たって広く希望を聞けばクリアされてしまう気がする。
今回の都教委の通達では3点の改善で済むと藤原氏側はいっている。
つまり、都教委側としては一時停止は求めても、終結は求めていない。
今回の件は、都教委側のフリだったとしか思えない。
石原氏の「けっこうなこと」発言もそういった意味で意志統率がとれている。
石原氏が「ポジティブに、子供のために足りないものを補うのはいいことだ」と言ったのは、選抜に耐えたものには学校側として優遇があってよいということをいったものだ。
公立の学校というのは、そういった内部競争がイメージとしてあるのだろうか?
それならば、一時期話題になった、民間学力テストや成績順クラス編制などを大々的に推奨するのだろうか?
政治的な恣意性を感じ、教育業界は相変わらず食い物にしかなっていないなと感じる。
この一件で一番儲かるのはSAPIXだろう。
(私はこの塾には個人的に恨みがあるので大嫌いだ。精神的に壊れた子どもを生産しているからだ。学校にいい迷惑。)
(記事内にはないので参考を以下におく)
指導文書の内容(和田中学、杉並区教委側が改善するといった三点)は
(1)参加方法、費用の負担等について義務教育の機会均等という観点から疑義がある。
(2)特定の私塾に学校施設を利用させることは営利性を疑わせ、学校施設の公共性に反する恐れがある。
(3)教材開発に校長及び教員が関与することは、公務員の兼業、兼職の適正な手続きの観点から疑義がある。
(参考ここまで)
まだ書くのは早い気がするのだけれど、現時点で気になる事を書いてみる。
この件で問題と感じるのは当事者の問題。
順番としては、まず現場の教員達。
彼らの想いはどうなのだろう。
高校進学というのが中学校のカリキュラムを歪めているのは確かだと思う。
これは、私が今年一年、小中連携の公的研究で、主要科目である「国語」を中学の先生方と一緒に研究してきて思う感触だ。
でも、逆にいえば、中学では進学を意識して対応しているということに他ならない。
そこへ、藤原氏の言葉を借りれば、成績上位のへの対応ができていないから塾を導入するのだという話は、教員が、対応への努力を怠っているか、すでに限界であるという批判になる。
そうでないとするならば、それは藤原氏の独断の道義的な問題になり、判断を誤ったということになるだろうし、そうであると認めるならば、それは教育システムの歪みを文科省や都教委が認めなければいけないという責任問題になり、都教委側が疑義を申し立てるのではなく、都教委側こそが処分の対象となり得るだろう。
また、今回の件の具体的な部分で、生徒選抜や塾カリキュラムの設定に関して、どうやら現場教員も巻き込まれているという噂を聞いている。
(某杉並区議のリークなので、かなり確かな情報のようだ。異動希望者が増大したとも聞いている。)
これが本当であれば、本末転倒であって、公務以外の仕事を指示した藤原氏の責任問題は問われなければならないだろう。
彼は現場のリード、マネージメントを司る管理職としては不適格だということの証明になる。
さらに、この件の現場共通理解という点で気になるのは、藤原氏の実践における、区長とつくったとされる「学校支援本部」の問題。
これが教員のオーバーヘッドで動いてこの機会を作ったとすると、学校の主体性という点で、教員は無視された立場ということになる。
教員側で「やってられない」という状況が生まれてもおかしくはない。
順番第二に、生徒の問題がある。
学校内に選抜制の塾があり、その運営を校長と保護者を含む地域がやっている。
塾にとっては、どうやら宣伝になっているため、授業料も破格に安い。
(校舎を使用できるから安いというのは違う。交通費が云々も違う。それらはこの安値の対価ではない。)
和田中学に通うということ、進学に当たってそこを通過するということ、それはそういった選抜の塾をにらんで生活するということ。
学校生活において、それが健全であるかどうかといわれれば否と言いたい。
藤原氏は「私学ではなく志学を目指す」と言っている。
でも、それは「公立」のシステムから離れるという宣言に他ならない。
法規制、道義的責任をそういった言葉で乗り越えようとする野心を感じる。
それを区教委が肯定、容認してきたのならば、そこに乗り切れない子ども達の存在責任はひとえに区教委にある。
和田地域は藤原氏が校長になり、生徒が増えたそうだが、そこから逃げられない人もいるということだろう。
平たい公立という伝統をもってきたはずの和田中学校。
過去にたぐってでも当事者の声が聞きたい。
中学校の問題というのは、進学に耐えうるかどうかではなくて、本来、教育の目的は違うところにあるはず。
これは現行の教育基本法でさえそのはずだ。
和田中学の実践は投げられた池の一石ではなく、毒の一滴だったのかもしれない。
順番三、保護者の問題。
地域性ともいえるが、こういった中学校の体勢に対して、「負け組、勝ち組」ではないが、格差や排除が意識されずに用いられている恐れがある。
昨日のニュースで出ていた保護者の発言はまさにそれで、我が子がよければ他はいい、あるいは今さえよければそれでいいという風に聞こえる。
保護者として本当にそんな刹那的な発想でいいとするならば、それをもう少し意識的に訴えて欲しいものだ。
そうであれば、逆に、現在の学歴社会、格差社会の歪みとして捉えられようもあったと思う。
陰に隠れたヒステリックな状況にある保護者達の可能性を見る想いだ。
第四。
「学校支援本部」が気になる。
PTAの存在も課題が多いのだが、本当に民主的な運営がなされているのか、実態が見えてこない部分を感じる。
これも地域における政治的な力をもっているとは思う。
「PTAではできないことができる」と藤原氏に言わせている「支援本部」は、学校という枠組みを崩している。
それをよしとするかどうかは、やはり当事者が決める問題だと思う反面、そこに区長や校長の政治性を持ち込んではならないとも思う。
今、和田中学は冷静に判断できるのか、疑わしい。
第五。
藤原氏の進退。
彼は3月で退職が決まっている。
置き土産としてはあまりにも無責任な態度ではないだろうか。
彼の実践において、最終段階で目指していたものはコレだったのか?という感じで受け止める人も少なくないだろう。
夜間に学校を貸し出すことは、できない相談ではないが、それを学校が推奨したり、手を貸したりする必然性はない。
ましてや営利丸出しのSAPIXだろう。
食われるのは生徒であることは必定。
教育の場所、「学び」の場所である学校で、反教育的、反「学び」的であるSAPIXの授業が行われるというのは倒錯的とも言える。
今回のことが、一部の保護者の有志として行われたのだったら、それは我が子を思う気持ち、個人の想いを達成したとして受け止められたかもしれない。
でも、今回のことはどうだろう?
いろいろ疑問はつきないのだけれど、最後に、都教委。
「機会均等」を建て前に出しているのだけれど、これは入塾に当たって広く希望を聞けばクリアされてしまう気がする。
今回の都教委の通達では3点の改善で済むと藤原氏側はいっている。
つまり、都教委側としては一時停止は求めても、終結は求めていない。
今回の件は、都教委側のフリだったとしか思えない。
石原氏の「けっこうなこと」発言もそういった意味で意志統率がとれている。
石原氏が「ポジティブに、子供のために足りないものを補うのはいいことだ」と言ったのは、選抜に耐えたものには学校側として優遇があってよいということをいったものだ。
公立の学校というのは、そういった内部競争がイメージとしてあるのだろうか?
それならば、一時期話題になった、民間学力テストや成績順クラス編制などを大々的に推奨するのだろうか?
政治的な恣意性を感じ、教育業界は相変わらず食い物にしかなっていないなと感じる。
この一件で一番儲かるのはSAPIXだろう。
(私はこの塾には個人的に恨みがあるので大嫌いだ。精神的に壊れた子どもを生産しているからだ。学校にいい迷惑。)
教育ブログ上位100ブログの中で、この問題を堂々と批判してくださっているのは現在のところ2ブログだけです。有難うございます。
「とんでもない世の中か!!藤原君」と言ってやりたい私です。
しかし、2ブログとは・・・。
私の知っているものでいうと、ランキングに参加されていない方で批判している人もいます。
ま、そういうことなのでしょう。
堂々といいたいのですが、内密情報もいくつか抱えています。
実のところ、文面以上にたいへんなことが起こっています。
ランキング100位前後をうろうろしているピラフです。
もう一つの批判ブログって、多分うちのことですね。
電車女さんもコメントくださいましたし。
ま、私は北海道なんで、無関係だから。
好き放題言っちゃいますよ~♪
ならば和田中校長に夜スペを開催して教育者の心得からご指導お願いします。
コメントうれしいです。
最近の教育施策についてはマスコミの影響もあって、一般的にはおかしいと気づいていながらなかなか反対という立場を表明できるだけの自立した考えの持ち主がいないのが現状ですね。
徹底してマイナー志向でやってきた私には望む所です。
マス男さんも北海道でバンバン言っちゃってください!!
ちなみに私の母は函館出身、弟は札幌にいます。
友人も何人かいます。
小学校のとき、北海道は大旅行をしましたし、函館は当時、毎年行っていました。
第二の故郷のようなものです。
>madographosさん
コメント嬉しいです。
結局は、他にもある公教育に関するマス的不安症の一つの表出だと思っています。
「教育不信」「教師不信」「学校不信」。
そんなものへのヒステリックな対向だと。
マスコミや政治家、場の雰囲気に飲み込まれ、「学力」という神話に目を塞がれ、東京都の教育は、営利な目的、政治的な目的のために、いいように扱われてしまっています。
自律的な主体性を奪われている。
そう感じます。
SAPIXの裏話はつきないのですが、本当に子どもがいじめられている。
保護者はそこに加担している(無意識にさせられている)。
杉並区あたりでのSAPIXの影響は、私がその周辺区でやっていた体験からも凄まじいと思っています。
藤原氏や支援本部(これが問題)などがSAPIXと手を結んだのも、そういった距離感からは容易に想像がつくのですが、それ以前に、SAPIXなどが距離を縮めていたかも知れませんね。
(もちろん、これは憶測の範囲を超えませんが)
藤原氏自身、ベネッセとの繋がりをもったり、そのた私企業とのつながりをもっている人ですから、こういった結果は必然の部分があるかもしれません。
そんな想像をしています。
>夜スペ革命さん
コメントどうも。
「ならば」のレトリックがわかりません。
日本語的に説明をしていただかないと、あなたのコメント中の「指導お願い」は何をすればいいのかよくわかりません。
そのあたりからの指導になってしまって、たぶん本意ではないでしょうから、失礼。
でも、あしからず。
またよろしくお願いします。
記事の「学校支援本部」が気になったので再びお邪魔します。
文部科学省は来年度予算に「学校支援地域本部の創設に50億円」を要求しています。つまり、全国規模で展開ということなのでしょうか。
これは一つの塾についての問題ではなく、たしかに政治的な何かが関係しているのかもしれませんね。
正直、それはわかりません。
ただ、教育再生会議の前身といわれる教育改革国民会議の時代にできた学校理事会や学校評議会、戸田某氏の主張などが表に裏につながりがないとは言い切れないと思います。
学校支援地域本部などは、現行でもネットでひっかかるものがたくさんあるようです。
それとは別に、真にボランティアチックなものも存在しているようです。
何につけ、下からの要求や実態調査に基づかない上からの施策なんて護摩臭いものです。
たいてい利権や政治的なもので薄汚れているといっていい。
どう利用するかという視点もあるけれど、根本的な改善にはぜったい至らない。
そういうことだと思います。
藤原氏は3月で辞めるのだそうですが、これからの子どもにいい迷惑にならないようにするためには、前例、既成事実を増やしてはならないのです。
そのためには元から絶たなければだめ。
石原が悪い。それは動かない。そういうこと。
この話題に関して、自分のmixiの書き込みを転載します。
毎日新聞のサイトに、和田中の藤原校長のインタビュー記事がありました。
http://mainichi.jp/life/edu/news/20071224ddm004100018000c.html
以下は引用
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実は11月中旬、サピックスから区内の全中学校に届いたダイレクトメールがきっかけ。「放課後に講師を派遣します」という内容で、すぐに電話した。いい話は、最初のお客になることが重要だ。翌日に担当者が来て説明したが、向こうは塾を開いていない夕方を狙って授業をする、という営業戦略だったんだな。僕は言った。「放課後は生徒が忙しいから、塾を開いている夜間に授業してくれ。それなら受ける」。向こうも必死だ。「分かりました」と、その場で条件をのませた。
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引用終わり
所詮、安易に塾の営業に乗っかったわけなんですね・・・。
ま、その方が自分たちであれこれ工夫するより、楽でしょうから。
「夜スペ」の意義とか、いろいろおっしゃってますが、退任後に向けての自分の為の実績づくりなんでしょうかねー。(それは言い過ぎかな)
しかしこの問題で、生徒や父兄のインタビューはありましたけど、現場(和田中学校)の先生たちの姿が見えてこないのは、気のせいなんでしょうか?
>退任後に向けての自分の為の実績づくりなんでしょうかねー。(それは言い過ぎかな)
ちっとも言い過ぎてはいません。
藤原氏としてはそんな程度でしょう。
>現場(和田中学校)の先生たちの姿が見えてこないのは、気のせいなんでしょうか?
想像するに、戒厳令でしょう。
ま、それはデマとして・・・。
かなり確かな事実としては、この件を境に、異動希望者が異常増加したそうです。
そんな人々が話せる状態ではないのではないかと思っています。
所詮、藤原氏という瞬間風速でしかないのです。
生徒も保護者も、大きく変革した和田中学の尻馬にのっただけ。
つまりは実は主体者としての役割を果たそうなんて連中は少ないと私はふんでいます。
だから問題は政治的な力を有する支援本部でしょう。
そう思っています。