漫画家アシスタント物語

漫画家アシスタントの馬鹿人生40年と、リタイア後のタイ移住生活。

漫画家アシスタント 諦めま章 風邪休養

2013年07月12日 23時23分58秒 | 漫画

 ( この写真は、私が暮らしているJR武蔵浦和駅近くのマンションです。中央、自動車の奥一階白い窓が私の部屋
  になります。風邪をひいてからは、ずっとこの部屋で休んでおります・・・・・《 2012年、11月、撮影 》 )
 
 
  【 はじめての方は、どうぞ 「第1章 改訂版」 よりご覧ください。 】

 

                        風邪休養


今回は、風邪のためにお休みさせていただきます。( スイマセンです! )

 ゴホッ ゴホッ 

仕事場であるJプロも、学校で漫画背景を教える授業も、お休みをいただいております。

4~5日すれば元気になるかと思いますが・・・・・現在は、熱と鼻水、喉の痛みなどと格闘中
であります。

皆さまも、急に暑くなったりして、温度変化や冷たい飲み物など、くれぐれもお気を付け下さ
い!

では・・・・・・

失礼いたしますです・・・・・・

 ゴホッ ゴホッ ( わざとらしい咳 )
 
 
 
 
        「 漫画家アシスタント 諦めま章 その37 」( 7月20日以降公開 ) へつづく・・・・


             ★前の記事へ→ 「漫画家アシスタント諦めま章 その36」へ戻る 】

 
 
 
 
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~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~   




【 各章案内 】   「第1章 改訂版」  「第2章 改訂版」  「第3章 改訂版」
          「第4章 その1」  「第5章 その1」  「第6章 その1」
          「第7章 その1」  「第8章 その1」  「第9章 その1」
          「諦めま章 その1」   「古い話で章 その1」
          
「もう終わりで章 その1」 「移住物語 こりゃタイ編 その1」





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5 コメント

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あぢー電気代がっ (近眼予備軍)
2013-07-13 10:09:22
ええ,ええ,僕もこの急な暑さにくたばらないのが不思議ですよ。なにせ体が丈夫なだけ長~く苦しまなきゃならないんですから(笑)。寝起きも最悪、欠席や遅刻を夏バテのせいにしても成績はさがりますからね~(泣)。しかし、この強烈な日差しで生まれる、お外のコントラストもなかなか漫画の背景のよう!!僕のお部屋は窓を開けても風が通らないから作品もインクも変質してしまうンじゃないかと!!うふふっ。僕も深刻なネタ切れですっ。しかしこれしきのことは人生茶飯事。ポジティブにいきます!!イエさんかわいいよーー!!
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Unknown (五円)
2013-07-13 17:01:15
お大事に。。。
自分も、咳、頭痛が酷いんですけどね
でも、熱がないんで労働はしてますwww.
返信する
まだ、回復できません・・・・・ (yes)
2013-07-18 22:46:09

まだ、風邪から回復できておりません。

近眼予備軍さん、五円さん、コメントありがとうございました。

もうしばらく、コメントの方は、静観させていただきたいと思っています。

どうも、年のせいか・・・・・・風邪ひとつでダウンしており・・・・・・・

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今週のお散歩 (灰色ねずみ)
2013-07-24 23:57:04
震災記念堂がある両国の「横網町公園」に行ってきました。国技館から歩いて数分のところにあり、隣が旧安田庭園です。
安田記念というのがありますが、これは競馬の話、震災記念というのは、なんの震災かというと、大正12年の「関東大震災」の記念のことです。

公園中央にどこかの大寺院のような、一見築地本願寺のような大きなお寺状の大伽藍が見えます。

しかし、その天守閣部分というべきところが、なにか和風ではなく、インド風というか、なにか違和感があります。
というのも、ここは寺院ではなく、超巨大な納骨堂であるからです。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:The_Great_Kanto_Earthquake._at_Tokyo_Memorial_Hall_for_the_Casualties.jpg

この中に、たくさんの遺骨が納められています。

先の「3.11 東日本大震災」では、1万8千人が亡くなりましが、ここでは4万人ほどが、火災流につつまれて焼死しました。わずか2万坪ほどの公園内での話です。

■焼死者
数百人単位で焼死した場所は下の通り

場所 焼死者数
本所区被服廠跡 44,030
>浅草区田中小学校敷地内 1,081
本所区太平町横川橋北詰 773
本所区錦糸町駅 630
浅草区吉原公園 490
本所区被服廠跡は、2万坪の土地

日本橋からスカイツリーに行く途中で、いつも国技館を横に見ながら行くのが好きなのですが、その隣の公園が、あの有名な「本所区被服廠跡」だったのです。

大正12年当時、母方の祖母が、浅草竜泉寺で米屋を営んでおり、大震災のときは祖母は21歳で、1歳の乳飲み子(母の姉)を抱えて、壊滅した東京市の中で、火災に追われて走り回っていたのです。

だから、祖母から、「この本所の公園に、震災後の倒壊した家屋の中から家財道具をリアカーに積み込んで集結した群集のほとんどが、強風にあおられて、生きたまま焼け死んだ」という話を聞かされたました。

公園の中に「復興記念館」という古い白レンガの建物があり、ここで当時の大震災で焼け焦げたあらゆる品々の実物と、写真、絵画が展示されています。

http://tokyoireikyoukai.or.jp/park/%E6%96%BD%E8%A8%AD%E6%A1%88%E5%86%85/%E5%BE%A9%E8%88%88%E8%A8%98%E5%BF%B5%E9%A4%A8/

この大震災から20年後、昭和18-20年に今度は、サイパンから飛び立ったB29の焼夷弾の雨によって7万人が焼死しました。

このへんの話は、こんどは母から聞かされました。
昭和19年当時、母は19歳でこの年齢で結婚し、昭和20年に姉が生まれています。

いまの若者も、非正規が1千万人などといわれていますが、昭和の時代の若者も大変だったということになります。

関東大震災の後、東京壊滅で中小企業の多くが倒産し、数百万人の失業者が町にあふれ、やがて昭和金融恐慌が起き、昭和4年からの世界恐慌が始まり、日華事変が勃発し、昭和11年に墨田区の墨問屋で働いていた父に召集令状が届き、恩賜の銃剣を持たされて、船に乗せられ、蒋介石が立てこもる上海の倉庫に向けて、揚子江から「敵前上陸」の命令が発せられることになったわけです。
返信する
灰色ねずみさん、コメントどうもありがとうございました! (yes)
2013-07-26 01:22:40

「今週のお散歩」ありがとうございました。

 >震災記念堂がある両国の「横網町公園」に行ってきました・・・・

あの有名な被服廠跡が両国の横網町公園とは知りませんでした。

一辺が300mの三角形の空き地で4万人が焼死した所ですね・・・・・・。

私は前に震災が起こった正午過ぎに被服廠跡地で避難した人々の
報道写真を見た事があります。

それには、大八車に乗せた家財道具や、山積みになった避難民の
荷物などを背景に、多くの避難民が写っていました。

中には、将棋を指している人もいたりして・・・・・自分たちが数時間
後に全員焼け死ぬ事になるとは想像さえしていなかったのだと思
います。(まだ、遠くの火災を眺めていた!)

震災以前から、大火災の際には家財道具は持ち出してはいけない
と言われていたのに・・・・・

防火用水に水桶、消防用の空き地など、江戸時代から続いた防災
意識が薄れ、「東京に大地震なんか来ないし、近代都市で水道も
あるから火災の心配はいらない」と油断していたとも言われます。

私の母が暮らす中央区の勝どきにも、大きな橋があります。その
橋のたもとには「震災慰霊碑」があるのですが、多くの人が川や
橋で死んでいます。

ほとんどの橋(鉄やコンクリートの橋を含めて)で避難民が全員
焼死しています・・・・・これは、橋いっぱいに立ち往生した大八車や
家財道具が、飛んでくる火の粉によって延焼するからです。

ほとんど焼け落ちた橋の中で唯一、誰一人死ななかった橋があり
ます。(この橋は木造だった!)

その橋では、警官が避難民の持っている全ての荷物を捨てさせた
ために、飛んでくる火の粉を各人が素手で払ったり初期消火する
事ができて延焼を防いだのです。

もちろん、中には家財を捨てる事を拒否した者もいたそうですが、
警官が命懸けで家財を捨てさせたそうです。(この警官は、震災
後に勲章か何かをもらったそうです)

被服廠跡にも、こんな警官がいたら、4万人の命が救われていたか
も知れません。

ちなみに、現在は多くの自動車が幹線道路を走っていますが・・・・・
・・・もし、東京直下型大地震が発生すればガソリンを積んだ自動車
が大渋滞で道路を封鎖して、建物と道路が同時に火の海になり、
東京都民は・・・・・全滅ですね。

 >浅草区吉原公園 490

この「490」というのは、ほとんどが吉原のお女郎さんたちだと思
います。

公園には小さな池があって、そこで300人以上のお女郎さんたちが
重なり合う様にして焼死したそうです・・・・・また、その光景はまさ
に地獄、言語に絶するほど凄まじいものだったそうです。

こうした話は、吉村昭著「関東大震災」にも紹介されています。

この本では、特に、間抜けな東大の地震学者が震災の数年前に
「東京に大地震なんて来ない」と断定して、完全に油断させて
しまった話があったりして・・・お薦めです!

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