( この写真は、東京目白の住宅街を撮影したものです。俗に高級住宅街というやつですが、人の気配というものがあ
まりありません。ちなみに、師匠のJ先生の家は、この場所からさほど遠くない所にありますのです・・・・・・
《 2014年、4月、撮影 》 )
【 はじめての方は、どうぞ 「第1章 改訂版」 よりご覧ください。 】
その19
《 漫画家アシスタントが・・・・母親について想う・・・・!? 》
「 覚えてるよ、加川君( ※参照 )だろう! 」
「 先生、お久しぶりです! 」
1968年から69年にかけて、当時の○ン月影先生がアクション劇画を描いていた事は前回もお話しま
したが、その仕事場へ行った時に、○ン先生は加川さんを覚えてくれていました。
実は、加川さんは3年ほど前の中学生の時にファンとして○ン先生を訪ねていたのです。
中学生だった当時の加川さんが少し大人になった姿を嬉しそうに眺めながら、静かに話を聞いてく
れました・・・・・
「 近いうちに俺のアシスタントになるか・・・・ 」
仕事のない加川さんに、そう言ってくれたのです。
そして、別れ際に・・・・・
「 その時には、こちらから連絡するからな 」
確かに、そう言ってくれたのです・・・・・・・・
その言葉に期待して、加川さんは毎日、○ン先生からの連絡( 手紙 )を待つことになります・・・・
しかし、いつまで待っても・・・・・その手紙が来る気配もありません・・・・・・・・
何で連絡がないのか・・・・・・・・・・毎日、悶々として過ごすのですが・・・・・・・・・・
連絡してくれない理由が思い当たりません・・・・・・・・・・
しばらく経ったある日、加川さんは母親に・・・・・・・
「 ○ン月影って人から手紙か何か届かなかったかなぁ・・・・・? 」
・・・・・と、問いただすと・・・・・・・
「 ああ、来てたけどね 」
「 えッ!? 」
「 破いちまったよ! 」
母親のキッパリとした返事に茫然とする加川さんですが、同時にムラムラと怒りが込み上げて来ま
す・・・・・・・・
『 俺の人生をメチャメチャにするつもりなのかよ! 』
怒りと憎しみを爆発させ、怒鳴りあいの親子喧嘩が始まります・・・・・・・・
当時を振り返る加川さんは、真剣な表情で話してくれますが・・・・・ふと、表情を和らげると・・
・・・・
「 あん時は、腹が立ったけど・・・・・・その結果としてJ先生との出会いがあった
んだから、恵まれてたと思うよ・・・・・本当に 」
確かに、この事があって後に加川さんは、J先生の仕事場を訪ねる事になるわけです・・・・・・・
当時、水商売をしていた加川さんの母親は、自分の息子だけには堅気の仕事をしてもらいたいと、
漫画を描くこと自体に反対していたのです。
あの時代、漫画なんてバカの読むもの、漫画家なんて職業を誰も「 仕事 」とは認めていませんでし
た。
ただの「 道楽者 」とか「 遊び人 」としか見てはいませんでした・・・・・・・・そんな時代でし
たから、母親がわが子の将来を思って○ン先生の手紙を破いた事も無理のない・・・・・・・時代
だったのかも知れません。
私も子供の頃に、母親に怒られる時に、「 マンガなんか読んでるからバカになるんだ! 」と怒ら
れ、「 マンガ本なんか全部捨てちゃいなさい! 」と脅された事が何度もありました・・・・・・
ところで、加川さんの母親ですが、私は2,3度会った事があります。
確かに漫画や、漫画を描いている人間を嫌っている雰囲気があって、ちょっと怖い様な雰囲気が少々
・・・・・・・・
加川さんの母親について、後日談があるのですが・・・・・・・・・・それは、次回に!
「 漫画家アシスタント 古い話で章 その20 」( 4月20日以降公開 ) へつづく・・・・
★前の記事へ→ 「漫画家アシスタント古い話で章 その」へ戻る 】
【 ※参照 】
・加川さん・・・・・・・・・・・中学卒業後、職業を転々としながら漫画家アシスタントに成る。
1969年にJ先生に師事。1978年に少年キングで連載を得て独立。1984年別冊漫画ゴラク連載。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ お知らせ ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
★ このブログ「漫画家アシスタント物語」が書籍化!
詳しくは・・・ 《アマゾンのネット通販》
★ 拙作、文庫本『 劇画 蟹工船 覇王の船 』も発売中!
詳しくは・・・ 《アマゾンのネット通販》
★ 「漫画家アシスタント物語 4章の31~」に書かせてもらったガンさん
(ブログ本では『ハアさん』)が描いたソープランドの実録漫画を公開
中です・・・ 特別寄稿「 親不孝通り 」 第40話お父さん
★ 拙ブログのうぶ主が1987年にヤングジャンプ新人賞で準入選デビュー
した作品・・・ 「 雨のドモ五郎 」
★ 「漫画家アシスタント物語 第6章の10~」に書かせていただいた
リョウさんが描いたイラストを公開中です・・・ 「 龍馬さんとボク 」
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
【 各章案内 】 「第1章 改訂版」 「第2章 改訂版」 「第3章 改訂版」
「第4章 その1」 「第5章 その1」 「第6章 その1」
「第7章 その1」 「第8章 その1」 「第9章 その1」
「諦めま章 その1」 「古い話で章 その1」
「もう終わりで章 その1」 「移住物語 こりゃタイ編 その1」
仕事が連休前の前倒し作業で忙しい上に、学校の新授業が始まり、これ
また早朝からてんてこ舞いの状態で・・・・・・
呑気なアシスタントではありますが、睡眠不足もあって、少々お疲れ気
味・・・・・・
そのため、「済州島」とか「ヘリ空母」とか「サルトル」とか「ユダヤ人」
とか難しい話には、ただみの見物としゃれ込みたいと思いますので、ご
容赦のほど!
サルトルの「ユダヤ人」はちょっと読んでみよっかな・・・・・・
http://www.benedict.co.jp/Smalltalk/talk-60.htm
「情念」としての反ユダヤ主義
ところで、「穏健な」反ユダヤ主義者は、落ち着き払った調子で、「わたしは、なにも、ユダヤ人を毛嫌いしているわけではありません。ただ、これこれの理由により、国家活動における彼等の領域が、制限されていた方がいいと思うだけなのです。[RQJ11-2/5-6]」などと主張する。これは一つの「意見opinion」なのであり、人はどのような「意見」を持とうと自由だ、というわけである。だが、サルトルは、反ユダヤ主義者のそうした「意見」が、「意見」や「思想」ではなく、むしろ「情念passion」なのだと言う。
反ユダヤ主義は(……)たとえ、うわべは理性的論証によって表現されても、実は身体的変化まで伴いかねないものなのである。ある人々は、一緒に寝ていた女から、自分はユダヤ人だといわれると、急に、不能になってしまう。ある種の人々は、中国人や、黒人に対する嫌悪と同様、ユダヤ人に対する嫌悪がある。しかし、この反発は、身体から生まれるものではない。なぜなら、ユダヤ人の女を、その人種さえ知らなければ、平気で愛することが出来るのであるから。この反発は、むしろ、精神から身体へと進むのである。それは、魂のアンガージュマンなのである。ただ、それが非常に深く、非常に全体的totalであるため、生理的にまで拡がるのであり、ちょうどヒステリーと同様なことが起るわけである。[RQJ11-12/6]
反ユダヤ主義者の男性が、女性から「実は自分はユダヤ人だ」と言われたとたん、不能になってしまう。この場合、不能という身体的な現象は、純粋な生理的現象としてはとらえられない。それは、彼の「世界との関係」の仕方によって規定され、それをいわば表現している。反ユダヤ主義者は、「反ユダヤ主義的身体」として存在する、と言ってもいい。
身体化するまでに深いものでありながら、にもかかわらず、この反ユダヤ主義という「世界との関係」は、反ユダヤ主義者による「自由な選択」の結果だ、とサルトルは言う。
反ユダヤ主義は、自己の自由で全体的な選択choix libre et totalの結果であり、単に、ユダヤ人に対してだけでなく、人類一般に対して、歴史と社会に対して、その人のとる一つの総括的な態度attitude globaleである。それは同時に情念passionでも、世界観conception du mondeでもある。[RQJ18-9/14-5]
つまり、「自由から逃避する態度」である反ユダヤ主義という態度そのものが、「自由に選択された態度」だ、というわけである。重要なのは、自由に選択された態度が、「全体的」totalなものだ、ということである。その意味で、それは自由に選択された単なる意見とは根本的に違うものである。
反ユダヤ主義は、ユダヤ人に対する単なる「意見」ではなく、反ユダヤ主義者の人格全体personne entièreをアンガジェする。(……)それは、一つの思考の方法であり、世界観である。[RQJ38-9/35]
逆に言えば、反ユダヤ主義を単なる「意見」としてとらえることは、それを「全体的」なものとしてはとらえないということである。その場合、反ユダヤ主義は、個人に外から付け加わる(したがって取り外し可能な)「要素」でしかないことになる。
この問題は、人格を、分解不能な「全体tout」としてとらえるのか、あるいは、独立したばらばらな要素の「総和somme」としてとらえるのか、という立場(これ自体もわれわれが選択する全体的な態度である)にわれわれを導く。サルトルは、前者を「総合的精神esprit synthétique」、後者を「分析的精神esprit analytique」と呼ぶ。サルトルによると、「分析的精神」は次のような思考である。
われわれは大革命以来、個々の物体を、分析的精神によって考察するように、すなわち単純な要素élémentに分析出来る化合物として考えるように馴らされてしまっている。われわれは、人格や性格をモザイク〔寄せ石細工〕として見る。モザイクにおいては、個々の石は他の石と共存しているが、この共存coexistenceは個々の石の本質になんら影響を与えないのである。[RQJ8/2]
分析的精神は、反ユダヤ主義を、ちょうどモザイクのピース(石)のように、反ユダヤ主義者の人格から取り外し可能な「要素」としてとらえる。サルトルはそれに反対し、「総合的精神」に基づき、反ユダヤ主義者を「全体」としてとらえようとするのである。
総合と分析
「総合的synthétique」と「分析的analytique」の対比、あるいは「全体totalité(tout)」と「総和somme」の対比は、サルトル哲学において初期からしばしば見られるものである[*3]。
例えば、前期の主著『存在と無』(1943年)では、サルトルは緒論「存在の探求」において「対自存在」と「即自存在」の概念を導入した後、第一部「無の問題」の冒頭において、「二つの存在領域のあいだに関係をうち立てる」という課題をたてる。そして、この関係が「総合的関係rapport synthétique」であることを示唆する。
ある関係の両項をまず分離しておいて、しかるのちにそれらを結び合わせるのは、不都合である。関係は総合であるrapport est synthèse。したがって分析analyseのもろもろの結果résultasは、この総合のもろもろの契機momentsと重なりあうことができないでろう。もともと孤立して存在するように出来ていないものを、孤立させて考えることが、抽象することである、とラポルト氏は言う。反対に、具体的なものとは、それだけで存在しうる一つの全体totalitéである。[EN37/I61-2]強調引用者)
具体的なもの、すなわち「総合的全体」とは何か。それは、「世界の中の人間」である。
具体的なものは、ただ総合的な全体totalité synthétiqueとしてのみありうるのであり、意識も現象も、ともにそれの契機をなすにすぎない。具体的なものとは、世界のなかの人間である。しかもそれは、たとえばハイデッガーが《世界-内-存在》と呼んでいるような、世界と人間とのあの特殊な結びつきをもった「世界のなかの人間」である。[EN37-8/I62]
一方、抽象的なもの、とは、分析の「結果」としての「要素」である。しかし、「要素」の総和を作り上げたとしても、全体を再構成することはできない。
抽象された諸要素の総和sommationもしくは編成によっては、具体的なものを回復するわけにはいかない。それはちょうど、スピノザの体系において、様態を無限に総和しても実体に到達することができないのと同様である。[EN38/I62]
またサルトルは、『存在と無』第4部で、自らが提唱する「実存的精神分析psychanalyse existentielle」の原理は「人間は一つの全体totalitéであって、一つの集合collectionではない」ということだ、と言う[EN656/III305]。実存的精神分析は、「世界に面しておこなわれ、世界のなかにおける身構えの選択」である「根源的選択」を規定するものである[EN657/III308]。
したがって、反ユダヤ主義を、「自己の自由で全体的な選択choix libre et totalの結果」として描写する『ユダヤ人』は、反ユダヤ主義者についての実存的精神分析である[*4]。
これは第二次大戦中に書かれた本ですが、ユダヤ人絶滅にまい進していたナチスドイツは勿論、ヨーロッパ全土に古くから浸透していたユダヤ人差別の歴史を振り返り、またそれが何故現在進行中であるのか分析されています。
サルトル曰く、普通の人たちが「ユダヤ人」という言葉を聞いた途端豹変し、根拠無き陰謀論を語り出し、自分達がいかにユダヤ人の侵略を受けているか並べ始める。
実際にそのような事実は全く無く、むしろロシア皇帝などは意図的にユダヤ人を民衆の敵として印象操作し、民衆の敵意をそれに向けて内国の治安を維持したそうです。
サルトルの分析が面白いのは、そういう陰謀論を安易に信じてしまう人は自分が社会に対して貢献できない事を内心理解していて、ユダヤ人を差別する行為によって自分が社会に貢献していると思い込みたいのであるという事。
一定の社会的地位にいる人はそういう陰謀論は信じないが、利己的な手段に敢えて用いて差別の循環を図る。
サルトルの分析は更にここから踏み込むのですが、これはまた別の話なので書かずにおきます。
私はこれを読んだ時に、昨今日本に蔓延している隣国に対する異常な差別、或いは陰謀論を思い浮かべずにはいられませんでした。
このコメント欄でもyesさんが聞きたくないと書いたにもかかわらず、むしろさらに意気揚々と隣国の根拠なき陰謀論を繰り返し書いておられる方がいますが、まさにサルトルの分析に当てはまります。
特定の国家の名を聞いた途端、スイッチが入ってしまうのです。
そして陰謀論が止まらなくなるのです。
是非ともそういう方にはサルトルの「ユダヤ人」を読まれる事をお勧めします。
そうすれば自分の心の歪みが自己認識できると思います。
ユダヤ人 (岩波新書) [新書]
http://www.amazon.co.jp/%E3%83%A6%E3%83%80%E3%83%A4%E4%BA%BA-%E5%B2%A9%E6%B3%A2%E6%96%B0%E6%9B%B8-J%E2%80%90P-%E3%82%B5%E3%83%AB%E3%83%88%E3%83%AB/dp/4004110793
大学留学生の数も、韓国7万人、日本1.9万人であり、ハーバードの留学生は、韓国300人、日本90人という具合です。
卒業後は、米社会に移民として、コミニティーを形成し、政治に熱心で、市会議員を増やし続けているとのこと。
何故韓国コミニティーが増えているかというと、15年前のロス暴動の際に、韓国人の雑貨店や、レストランが、儲かっているようだとねたまれ、攻撃対象になったため、韓国人コミニティーを造ったとのこと。
では何故、慰安婦なのかというと、慰安婦という人権問題を掲げると、結束しやすいし、アメリカ人の同情も買いやすいからだと・・・。
ようやく繋がりましたが、議会に対する強力なロビーストに6億円、ワシントンポストなど有力新聞への広告費、ネットで日本を卑しめるweb書き込み費、合わせて45億円と、日本の2倍のロビー費を大使館が配っていると話していました。
人口5000万人(日本の6掛け)で、GDPが日本の5分の一の韓国で、ロビー費が日本の2倍というのは、かなりの入れ込みようです。
一方、高齢化率が世界で最も早く、国民の4割が年金非加入と、老人問題は深刻です。
http://bylines.news.yahoo.co.jp/kataokahidehiko/20140127-00031843/
済州島は観光で有名ですが、今日の週刊誌で実は、かなりの規模の軍事基地を造っており、有事の際(つまり、日本が竹島に軍事攻撃を始めようと動き出した場合など)には、中国の航空母艦「遼寧 (空母67000トン)」を入港させることで、合意が出来ている。などという記事がありました。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%81%BC%E5%AF%A7_(%E7%A9%BA%E6%AF%8D)
なにせ、ヘリ空母の「独島」(18800トン--日本を仮想敵国)がぜんぜん頼りにならないものですから・・。
http://military38.com/archives/37007849.html
それで何がいいたいかというと、済州島は日本の攻撃から独島(竹島)を守る軍事基地として設定しているため、今回の「セウェル号沈没」にかこつけて、日本の軍事関係者に、済州島近辺の地理、軍事秘密を知られたくないため、あえて、救助を断ったとの見方が紹介されていました。
>私も、これの小型を2台もっています。
海坊主さんの話を読んでいると・・・・・説得力のあるお話なので、驚
くばかりです。
>「ソウェル号」で、私がもぐったら、5分でエアー送致システ
>ム設置完了です。
実際には、現地でエアー注入が始まったのが、沈没後2,3日経って
からですから、それでは遅すぎたという事になるのかも知れません
ね。
それにしても、「海坊主」の名に違わぬ「プロフェッショナル」ぶ
りと拝察いたします。(御見それいたします!)
>09年に日本で同様の事故、死者はゼロ
「ありあけ」の転覆事故は、乗務員と乗船客をあわせても30人足ら
ずの人数だったので、単純に「セウォル号沈没」とは比較にならな
いかと思いますが・・・・・
それにしても、「ありあけ」では、第一に乗客の救助と脱出に乗務
員が動き、結局、船を最後に離脱したのは船長以下6名の乗務員だっ
たという点だけは、「セウォル号」と比較しても良さそうですね。
先日、駿河湾ミニクルーズへ行って来たのですが、風が強くて白波
がたっていたので「いっそ、運航中止になってくれた方がいいかな
ぁ」などと思いつつ乗ったのです。
幸い、風の強さ(小台風並み)に比べて、波の高さはそれほどでもな
く無事にクルーズを楽しめましたが、東南アジアなどでは、細かな
運航ルールがずさんで、かなりヤバい船が多いのです。
一度、乗った小型旅客船のバランスが悪く、今にも転覆しそうな船
だったので、出向まもなく途中で無理やり引き帰らせた事がありま
した。
積載量やバランス、荷物の固定、救命用具の確認など、日本では当
たり前のことが海外では「適当」だったりすので、注意が必要です。
絶対に!
そうした機材は、「あります」、私も、これの小型を2台もっています。
90秒で10トン分のエアーを送り込める「エアーコンプレッサー」
バウアー社製「V180-15-5
1,480×830×1,520
http://www.bauer.co.jp/product/breathing.html
>実際にやられているのでしょうか
海洋土木工事の現場などで、ケーソン(堤防用)の設置で、日々使用されています。
https://www.google.co.jp/search?q=%E6%BD%9C%E6%B0%B4%E5%A3%AB&tbm=isch&tbo=u&source=univ&sa=X&ei=qrJTU4b6Msre8AXI_YDoBg&sqi=2&ved=0CEkQsAQ&biw=1506&bih=850
http://www.wowkorea.jp/news/newsread_image.asp?imd=124562&numimg=1
「ソウェル号」で、私がもぐったら、5分でエアー送致システム設置完了です。上の図では、エアーを送り始めたようです。
視野不良ダイビングは、ダイバー免許の初歩条件です。
ダイバーは残量計と、海中コンパスを持っていますから、もぐる前に自分のゴムボートの位置から、セウォル号のコンパスコースをたとえば230度と計測すれば、あとは、海中で230度の方向に進めばいいのです。
セウォル号事故で、朴政権に向けられる怒りと韓国メディアの変化
http://blogos.com/article/84876/
朝鮮日報ーー旅客船沈没:09年に日本で同様の事故、死者はゼロ
フェリー「ありあけ」、荷崩れで沈没
セウォル号と同じ林兼造船が建造、船体が大きく傾くなど状況も類似
2009年11月13日、マルエーフェリー(鹿児島県)が運航するフェリー「ありあけ」が、東京から沖縄に向かう途中、三重県沖で沈没した。マルエーフェリーは「セウォル」号がかつて日本で「フェリー・なみのうえ」として運航されていた当時の運航会社でもある。「ありあけ」は、「なみのうえ」を建造した林兼造船が、同船と同時期に建造した。排水量は、セウォル号(6825トン)に比べやや大きい7910トン。旅客定員は426人だが、沈没当時は閑散期だったため、乗客はわずか7人だった。乗組員は21人で、コンテナ・自動車など3249トンの貨物を積んでいた。「ありあけ」は、09年11月13日午前5時ごろ、6.9メートルの高波を受けて船体が急激に傾いた。これで貨物の固定が解けてしまい、大型コンテナが荷崩れを起こした。最終的に「ありあけ」は90度近く傾いた状態で漂流、沈没した。最初に傾いた原因は異なっても、その後の経過はセウォル号の事故とよく似ている、というのが専門家らの見方だ。
しかし「ありあけ」の事故では人命被害は発生しなかった。船が傾くと、船長はマニュアルに従って海上保安庁に救助を要請した。乗組員は、衝撃で船体がゆがみ、客室のドアが開かなくなる恐れがあると考えて、乗客らを客室から避難させた。船が大きく傾いていたため脱出は容易ではなく、消防用のホースをロープ代わりにして乗客を甲板に引っ張り上げた。甲板に待機していた乗客らは、およそ2時間後、ヘリで救助された。乗客が救助された後、乗組員が順番にヘリに乗った。最後まで船を守った船長・1等航海士ら6人は、浸水が続いたため、救命ボートを降ろして海に飛び込んだ。この6人も全員救助され、死者は1人も出なかった。
>ラティさん へ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
>ハングリー精神が足りない人が多い気がします・・・・
そういえば、「ハングリー精神」という言葉自体を聞かなくなりまし
たね・・・・・・
「熱い」から「クール」へ、それから、「絶望の中の幸せ」・・・・そんな
時代なんでしょう。
気が付いた時には、身動きの取れないネズミの集団になっていて、笛の
音に操られているのかもしれません。
>さあ、勝手に救助してくださいというわけにもいかないみたいです・・・・
確かに現場の混乱を予想すれば、「救助要請がなかった」なんてすねてい
る場合じゃないかも・・・・ですね。
>海坊主さん へ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
>素人っぽいただの貝取り上がりの50歳前後の漁師風という感じです。
潮の流れ、視界の悪さ・・・・・・相当に困難な救助作業なのでしょうが・・・・・・・
今日は、二次被害のニュースもあった様です・・・・・・・・・
映像で見る、油の浮いた土色の海・・・・・・30センチ先しか見えない海の底・・
・・・・想像するだけでも恐ろしい話です。
>私のところにマリン業者から、引き上げ依頼が来たことがありました・・・・
今回のコメントで、「海坊主さん」のハンドルネームの意味がやっと分かっ
た気がします。
すごい仕事をしていたんですね・・・・・・・まるっきり泳ぎの苦手な私にとっては、
水そのものが怖いですが、濁った海に潜るって凄い勇気がいるんじゃないで
しょうか。
>大型の空気送入機で、どんどん船の下からエアーを送り込めば、中の人間
>のエアーも持ちますし、船の浮力も増します。
それって、凄いアイデアだと思うのですが・・・・・実際にやられているのでしょ
うか・・・・・・何かの理由で出来ないのでしょうか・・・・・・・・・まさか、そうした機
材が存在しないとか・・・・・・・・
>全部日本と米国のレインジャーにお任せすれば、半分ぐらいは助かった
>のではないかと・・・・
改めて思うのですが・・・・・・・そんなに日本と米国のレインジャーは優秀なので
しょうか・・・・・・・・なんか怪しげな気もするけど・・・・・・・・・・・・
つまり、不審船の臨検や掃海作業、対テロ作戦には力を発揮しても、沈没船
の引き揚げや船内に閉じ込められた人を救うとなると・・・・・・・・・・・・どうなの
かなと。
私は30年ほどダイビングをやっていますが、TVで「500人のダイバーをもぐらせて・・・」という報道の、そのダイバーたちを見ると、海難救助の専門家には見えません。
素人っぽいただの貝取り上がりの50歳前後の漁師風という感じです。
潮の流れが速いから、中に入れないだの、15分しかボンベのエアーが持たないから、キャビンの中まで入れないだの、窓から中を覗いたら、3人死んでいるのが見えただの、ボンベを背負ったただの野次馬老人たちです。
7000トンの船から、数百人の人々を救い出すのですから、
レインジャー部隊が出動する必要があります。
10年前に、柴又の川で、重さ5トンのクルーザーが4メートルの川底に沈没し、クレーンでもアームが届かず、私のところにマリン業者から、引き上げ依頼が来たことがありました。
私は大型トラックのタイヤチューブを10本もらってきて、潜水してワイヤロープでくくりつけ、予備タンクからエアーを入れて、6本で見事に水面すれすれまで浮上させ、自分の船で、浅瀬まで曳航して、干潮時に水抜きをして浮上させ修理を成功させたことがあります。
今回の救助でも、海面すれすれまで船を浮上させるなら、今回舳先に取り付けられた浮き袋が10トンの浮力がありそうですから、船の全周に100個の浮き袋を取り付ければ、1000トンの浮力になりますから、亀のように海面ぎりぎりまでは浮上します。(海中のフェリーの重さは、700トン程度)
船を見ると、1階の手すり部分の柱がたくさんありますから、ここに左右80個、スターン(尻)に小クレーンがありますから、10個、バウ(先)のクレーンに10個で、船は海面すれすれまで浮上してきます。
海中の船の重さは、浮力のため700トン程度に軽くなっています。
この状態なら、ダイバーは10メートル程度もぐればキャビンに入れますから、潜水可能時間は50分ありますから、作業は楽になります。
なお、救助船も100トン程度の大きめの船を10隻ほどフェリーの回りに配置して、大型の空気送入機で、どんどん船の下からエアーを送り込めば、中の人間のエアーも持ちますし、船の浮力も増します。
また、ボンベではなく、船からエアーを送る潜水士を投入すれば、一日5時間はもぐりっぱなしでも作業でき、水中溶接機も使えます。
レインジャー50人を投入すれば、5時間ほどで、フェリーは海面すれすれまで浮上すると思います。
さて、沈没の数時間後に日本に救助依頼すれば、長崎、佐世保の基地から、珍島までは300キロですから、保安庁の救助艇の速度が50ノット(80キロ)ですから、4時間で駆けつけることが出来ますし、辛坊次郎を救助したU2飛行艇なら、岩国から30分で現場水域に着水できますから、
当日の午後には、救助に入れます。
一刻を争う事故ですから、救助してもらえる国があるなら、人命第一で依頼すべきだったと思います。
韓国の救助作業を見ていると、7千トンの船のへさきを眺めて、うろうろしているだけで、俄か仕立てのダイバーが「潮が早くてだめ・・・」「流されちゃう・・・」などと、出来ない言い訳ばかりです。
まず船の周りを、16ミリのパイレーンのロープで、縦に10本ぐらい縛り付けて、このロープを手で探って下降していけば、潮に流されませんし、水中スクーターも強力です。
すぐに日本に救助依頼すれば、翌日には作業が始まったと思います。大型クレーン船なんかでは、2週間以上掛かりそうですから、人命はほぼ全滅となってしまいます。
「コーディネートも必要で」とありますが、全部日本と米国のレインジャーにお任せすれば、半分ぐらいは助かったのではないかと、思われます。つまり、事故の翌日には、船体浮上、翌々日に救助開始となった可能性があります。
者にとっては住みやすくなりましたが・・
根本的には、吹き沈みの激しい不安定な仕事という
ことは忘れて欲しくないなと思います。
どうも、最近はいいイメージだけが先行しすぎて、
根本的なことを忘れて、ハングリー精神が足りない人が
多い気がします・・・。
ちなみに、横から失礼しますが、
>海上保安庁の救助部隊(海猿)の救援の申し出を、頭から拒否し
>て断ってくる・・・・・・
ですが、外交問題もあると思いますが、
災害が起きたとき、こういう受け入れという
のはコーディネートも必要で、さあ、勝手に救助して
くださいというわけにもいかないみたいです。
そして、コーディネートするのにも時間がかかり、
逆に混乱してよくないともいわれてます。
人がたくさんいれば、その人たちに指示をだして動かすって結構、大変なんですよ・・。最近しみじみ思ってます。
この事故の映像を見た時に、誰もがイメージしたのが「タイタニッ
クの悲劇」だと思いますが・・・・・・
私が想起したのは、吉村明著「艦首切断」(実話を元にした小説)です。
敗戦前の話で・・・・・・強烈な嵐で駆逐艦が破壊されるのですが、分裂
した艦首部分だけが沈没せずに海上に浮遊した事件。
それを何日もかけて港に曳航して、解体したら、中から人が出てき
た話です・・・・・・残念ながら、生存者だったかどうかは覚えていません。
きっと、沈没した旅客船の中にも大勢の生存者がいるだろうと思い
ます。(確実にいる!)
>海上保安庁の救助部隊(海猿)の救援の申し出を、頭から拒否し
>て断ってくる・・・・・・
それが本当なら、政治的な問題と旅客船沈没とは関係ない事なのに、
バカげた話だと思いますが・・・・・・
今のこじれた関係を誰も越えられないのでしょうか・・・・・・・・・・
>Unknownさん へ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
私の耳には、まだ、被災者の家族(高校生の親)が泣き叫ぶ声が聞こえ
ます・・・・・・・
・・・・・・・・・・そのため、今回の事故と並列して「抗日」だの「慰安婦」
だのといった事についてレスする気はありません。
まったく、いつになったら一緒に泣き、一緒に笑える日が来るのだ
ろう・・・・・・!
修学旅行の行き先が、抗日記念館というのも、驚きだが、17歳の子供たちを引率して、教頭が反日を先導し、とれそうもない〔謝罪と賠償〕のため、こぶしを振り上げ、日の丸に火をつけるというのも、分けのわからない話だ。
その引率した子供たち約3百人が水没の危機にあるときに、結果を見届ける前に、自ら自殺するという、この根性は何なのだろう。
国民全体が、競って「反日」のポーズを見せ合うことで、組織の中で、よりよい地位を得ようとして努力を続け、知識のない子供たちに「反日」思想の教育を附し、朝日新聞の一記者が捏造した「性奴隷」話(のちに本人の口から、捏造だったと表明した)をネタに、偽の慰安婦を集めて、ハト派の河野氏をだまし、とりあえず約250億円出せば解決すると持ちかけ、運よくパクッた金を、反日団体で山分けして、慰安婦と名乗り出たばあさん達には金を渡さなかった。
このときのうまみが忘れられず、今度は欧米に慰安婦像を設置して、また、金をパクろうとしているようだ。
そもそも、戦争関係者の大半は、年齢的に90歳以上に相当し、おおむね死亡している。
これは、韓国においても同様だ。
世界的に見て、侵略の歴史は、1600年台の大航海時代から始まり、スペイン・ポルトガルが南米を植民地化し、英国、仏国、アメリカも続いたもので、日本が最後にやってきたわけだが、
その日本のせいで、東南アジアの国々は、イギリス、オランダ、フランス等からの独立を勝ち得て、日本に感謝している。そういう国もある。
当時の韓国は、鉄道も、学校も、下水道もろくにない極貧の3等国で、経済破局して、日本に救いを求めてきたもので、中国の属国、または迫り来るソ連の侵略から、日本の投じた資金で、今日の1.5流国まで浮上することができたという経緯がある。
中国、韓国の「反日」は、時の政権が軍事政権のため、自分達の不当な金の溜め込みと、それに対する国民の批判をかわすため、という側面もある。
中国、ロシアの侵略的軍事行動も、やはり目くらましといえるだろう。
なかなか、大変な隣人が近所に住んでいるといわざるを得ない。
平和を口先でつぶやいているだけでは、安全は守りがたい今日この頃です。
朝日新聞の従軍慰安婦捏造
https://www.youtube.com/watch?v=MTzLZxPtvbQ
従軍慰安婦は大ウソ!池田信夫~バカでもわかる動画
https://www.youtube.com/watch?v=iOch_yQfTxU
{保護者アンケートで7万ウォンの飛行機代をケチって
費用の安い3万ウォンの船を選択
去年は中国人観光客を乗せた韓国フェリーが沈没したばかり
少し前には改装中の大型船が流され日本海で大炎上、他にも
韓国ご自慢のドクト艦が発電機の故障で日本海を漂流・・・
他にも韓国船による事故や油流出等のトラブルが後を絶たず、
船舶保険のロイズにも見放される始末。
http://hosyusokuhou.jp/archives/37606931.html
珍島というと、珍島物語を思い出しますが、この島が韓国の左南端のほうにあったとは、初めて知りました。
珍島物語(マリンAK)の中に、現場海域が撮影されており、とても暗礁の多い、波の荒れた海域です。
https://www.youtube.com/watch?v=jH0MIG5PMWU
海が割れるのよ 道ができるのよ
島と島とが つながるの
こちら珍島(チンド)から あちら芽島里(モドリ)まで
海の神様 カムサハムニダ
霊登(ヨンドン)サリの 願いはひとつ
散り散りになった 家族の出会い
ねえ わたしここで祈っているの
あなたとの 愛よふたたびと
海が割れて道ができ、島と島とがつながるという、大型客船にとっては、恐ろしい海域です。
おそらくは、濃霧の中、2時間の出航遅れを取り戻すべく、時速20ノットでひた走り、かつ、航行ラインを極力ショートカットしてぎりぎりを走ったとき、隠れ根に船底先を擦ったので、あわてて右旋回(面舵(おもかじ)いっぱい)したところ、積荷のトラックや車が左側にいっせいに傾いて、デッキ上のコンテナも傾いて、45度キールオーバーして、サイドから海水が浸水してきたのでしょう。
7000トンほどの客船が横倒しになって、浸水が始まったら、もうだれにも止められません。
船というのは、一度浸水が始まると、誰にもとめられないいのです。
それにしても、珍島物語の作詞者の中山大三郎は、1996年に、まるで今日を予測したような詞をよく書き上げたものだなあと、感心します。
高い技術力をもつ日本の海上保安庁の救助部隊(海猿)の救援の申し出を、頭から拒否して断ってくるというのも、韓国らしいやり方ですが、今日17日、一日中救助活動を行って誰一人助けられないというのも、だらしない話です。
あと1.2日は船内で100人程度は生きていると思いますが、早い救助が待たれます。
海外で慰安婦像を設置して、喜んでいる場合ではないということです。
先生の自宅へ呼ばれる事はもちろんですが、こちらから出かける
事もまったくありません。
ただ、5年に一度くらいは保険事務などの、具体的な事務手続き
で仕方なく出かける事はあっても、遊びに行く様な事はありま
せん。
昔から、うちの師匠は、弟子とプライベートに付き合う事をあま
りしないみたいです。
たまには、J先生のお宅に、おじゃますることもあるのでしょうか。