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イスラム教の論理 飯山陽

読んでいて、とにかく驚きの連続だった。昔読んだイスラム教に関する啓蒙書は、イスラム教について、「厳しい戒律というイメージがあるが、実際は臨機応変な解釈が可能な穏健な宗教である」ということが強調されていて、てっきりそうだと思い込んでいたのだが、本書に書かれたイスラム教は全くそれとは違うものだった。本書で書かれたイスラム教は、多神教や間違った社会を排するという目的に関しては全く妥協しないものだという。イスラム教国家における過激派による凄惨な事件は、イスラム教同士の内紛だという解釈は全く違うと教えてくれる。間違った社会を正すことが正義であるということであれば、イスラム教国家で事件が多いのは、単にそこにイスラム教徒が多いからということになる。しかも自爆というジハードという行為には、天国の切符が約束されているという。また奴隷制度についても、それを是とするのが本来の教義だという。今までに読んできたイスラム教に関する本と本書はなぜこんなにも違うのか?本書に最初に書かれているように、それは、これまで書かれてきたイスラム教に関する啓蒙書が、社会学者や歴史学者によるものか、宗教学者によるイスラム教礼賛のどちらかが大半だからだとのこと。そう言われてみれば、そこに大きな落とし穴があったことは明白だ。多様な相手を知ることの重要性を改めて感じざるを得ない一冊だった。(「イスラム教の論理」 飯山陽、新潮新書)

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その犬の歩むところ ボストン・テラン

最近あまり海外の小説を読んでいないなぁと思い、確かめてみると、昨年読んだ海外の小説は10冊にも満たなかった。手元には積読の海外作品が10冊以上溜まっているのだが、最近どうしても海外の小説は後回しにしてしまう傾向がある。なかなか良い作品に出会えないのが理由のようだ。本書の内容は、GIVと名付けられた犬とそれに関わった人々の波乱に満ちたストーリー。9.11・カトリーナ台風・湾岸戦争といったアメリカ史に残る大事件に翻弄される人々と、そうした人々と深く関わりながら誇り高く生きていく主人公の犬。心温まるアメリカ讃歌という要素が強い作品だが、そのなかに運命に傷ついたり悲しんだりしながらも誠実に生きる人々が描かれていて心を打つ。(「その犬の歩むところ」 ボストン・テラン、文春文庫)

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おらおらでひとりいぐも 若竹千佐子

今年度の芥川賞作品。ひとりの70代の老女の心の声の能弁さと、東北弁と標準語が混じり合った独特の文体が話題になった作品だ。老女の心の声すなわち思考は、これまでの人生での出来事の回想と現在の出来事が錯綜し、視点も様々な人が乗り移ったように目まぐるしく変わる。その錯綜振りはもしかしたら認知症患者の心のうちとはこういうものなのではないかと思うほどだが、同じくらいの年齢である自分としても、心の中の声がどんどん能弁になっていくという現象には十分思い当たるものがある。そして、終盤で老女の思考が急に明るさを増し、孫との交流をきっかけにして新しい一歩を踏み出していくところは、実現できるかどうかは不安であるが、老齢期に入ったもの誰もがそうありたいと思う最後の希望だ。(「おらおらでひとりいぐも」 若竹千佐子、河出書房新社)

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気がつけばチェーン店ばかりでメシを食べている 村瀬秀信

多くの人に良く知られた「外食チェーン店」に関するエッセイ集。私も、本書に登場するチェーン店にはほとんど行ったことがあるので、読んでいて思い当たる節が数多くあって楽しい。かなり長期に亘る雑誌連載記事をまとめたもののようなので、最新情報がどこまでフォローされているか少し気になったが、本書のための追加情報が完全とはいえないもものちゃんと記載されていて、そうした細かい気配りが嬉しくなった。何件か久しぶりに行きたくなった店もあり、予約困難でどうせ行けないと思ってしまうような洒落た店ばかりを紹介するグルメ本よりもずっと役に立つ楽しい一冊だ。(「気がつけばチェーン店ばかりでメシを食べている」 村瀬秀信、講談社文庫)

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ポースケ 津村記久子

芥川賞受賞作「ポトスライムの舟」の続編ということで読んでみた。色々読んだ著者の作品を書かれた順番に頭の中で並べてみると、その作風の変化がはっきりと読み取れるし、特に芥川賞の受賞前と後には小さな断絶すら感じられる。本書は、当然その断絶の後の作品ということになるが、色々悩んだり苦労したりしながらも登場人物たちにそこはかとない明るさを感じるのは紛れもなくその断絶の後の作品の特徴だ。ポースケの晩に集う人々と、主人公が彼らに振る舞う晩餐の意味。著者の多くの作品の中で最も感動的な一場面だ。(「ポースケ」 津村記久子、中公文庫)

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パパの電話を待ちながら ジャンニ・ロダーリ

父親が出張先から寝るまえの幼い娘に電話で聞かせた話をまとめたという設定のショートショート集。幼い子どもにも分かるように難しい言葉は使わず、子どもの好きそうなお菓子とか人形とかが沢山出てくるあまり毒のない内容。また、一目で判るような教訓的な話もあれば、ブラックジョークに近い話もある。但し、総じてホンワカした話が多く、こんなホンワカした話で現代の子ども達が喜ぶんだろうかと心配になるが、子どもは子どもで耳からの情報を映像化したりして結構楽しむのかもしれないし、本当に楽しんでいるのは子どもに語っている大人の方なのかもしれない。いずれにしても、こうした本が高く評価されているということは、おとぎ話が、子どもだけのためのものでないこと、子どもに聞かせる話はあまり説明しすぎず子どもの想像力を助けることが大切ということなのだろう。(「パパの電話を待ちながら」 ジャンニ・ロダーリ、講談社文庫)

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人間の居場所 田原牧

ノンフィクション賞を受賞した作家で色々ネット検索していたら本書に行き当たった。著者のこれまでの仕事やそれ以外での経験のなかで得たアウトサイダー的な人物や事象との関わりを通じて、現代社会に潜む様々な断絶を深く考察したエッセイ集だ。語られる社会的事件への視点や感想を読んでいると、ほぼ同世代ではないかと思われるような強い共感を感じた。一方、本書を読んでいると、帯に掲載されている作者の写真を見ると女性なのだが、何だか男性の文章のような気がしてきた。著者の年齢と性別がとても気になったので、ネット検索してみて驚いた。まず年齢は私より6つ下で同じ歴史の空気を吸ってきたといってぎりぎりセーフというのは案の定ということなのだが、出身校が私と同じ。6つ違いなので中高一貫校でも同時期に通学していた時期がないとはいえ、道理で同じ空気を吸っていたという強い共感を感じたわけだ。もう一つ驚いたのは、著者がトランスジェンダーだということ。これは第2章で本人の筆でもそう書いてあった。著者と自分では卒業後の経歴も全く違うのだが、同窓の絆というのは強いんだなぁと、妙に納得した1冊だった。(「人間の居場所」  田原牧、集英社新書)

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山手線謎日和 知野みさき

山手線の駅を舞台にしたコージーミステリー短編集。登場する人物やストーリーはかなり類型的で気軽に読めることは間違いないが、短編ごとに少しだけやや重たいひねりが入っている。歩きスマホをしている人にわざとぶつかって転ばす愉快犯、痴漢の現場で何も出来ない傍観者などをどう思うか、話はどんどん進んでいくのだが、最後に読者の頭にこの問いが残ってモヤモヤするのだ。著者がそうした効果も想定しているのがすごい。(「山手線謎日和」 知野みさき、角川)

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花嫁のさけび 泡坂妻夫

これも最近のブームを反映した復刻版だと思うが、こまめにネット書店をチェックしていて購入可能になっているのを見つけた一冊。有難いことに、河出文庫が少しずつ著者の本を復刻してくれていて、本書もそうして復刻された昔の名著ということらしい。本書では、物語が唐突に始まり、主人公がどういう人物なのか知らされないまま、その周りの人々や状況が物語が進むなかで少しずつ判ってくる。こういうミステリーの場合、主人公を含む人物像に予断を持たないことが、謎の解明に重要な要素として関わってくることが多いのだが、本書の場合はどうなのか、そうしたことを考えながら読み進めた。本書の最大の謎は、案の定そこがポイントになっていたが、本書で最もビックリしたのは、本編を読み終えて、巻末の解説に書かれていたこの作品に関するある事実。作者が最初から最後まで貫き通したある前代未聞の仕掛けには心底驚かされた。(「花嫁のさけび」 泡坂妻夫、河出文庫)

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雑草はなぜそこに生えているのか 稲垣栄洋

人間が雑草と呼んでいる植物にも生存のための独自の戦略があるということは容易に想像できるが、それがどういうものかはなかなか思い浮かばない。本書は雑草の生き残り戦略についての驚くべき実態を、雑草という定義から判りやすく教えてくれる解説書だ。頭の悪いアブを花粉の媒介にする雑草と賢いミツバチに花粉を運んでもらう雑草の戦略の違いなどには、ものすごくびっくりした。その違いが、春の野原の一面黄色のお花畑という光景の理由と知って二度びっくり。また、ゴルフ場のラフとグリーンに生える同じ雑草が刈り取られないように背丈を変えて生えているという話にも、その植物の適応力の凄さに驚かされた。若い人向けの記述が少しまどろっこしいが、驚き満載の一冊。ニッチなものを研究対象としている科学者の本は面白いものが多い。(「雑草はなぜそこに生えているのか」 稲垣栄洋、ちくまプリマー新書)

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2018年本屋大賞予想

今年も本屋大賞のノミネート10作品を読み終えたので、自分なりの予想をしてみたい。今年の全体的な感想は、「これはすごい」というとびぬけた作品が見当たらなかったことだ。もちろんどれも多くの書店員さんたちに推薦された作品だけに、面白かったり斬新だったりで、色々楽しむことはできたし、文学賞のような「受賞作なし」ということとは違うのだが、10冊を思い出してみて抜きんでていたと感じた作品がなかったのも確かだ。そんな中で最も心に残ったのは「かがみの孤城」。現代の「いじめ問題」を扱って、最後にほのかな希望が見える作品だった。それ以外では、重厚なサスペンスが楽しめる「盤上の向日葵」、近年まれにみるサプライズだった「屍人荘の殺人」、小品ながら深く考えさせられた「星の子」、の3作品が印象的だった。もう一つ、作品ではなく作家で選ぶならば「崩れる脳を抱きしめて」の知念実希人。本作品は著者の作品のなかで飛び抜けた出来栄えということではないと思うが、他のシリーズ作品の面白さなども含めて個人的には受賞してほしいなぁと思う。

本命:「かがみの孤城」

対抗:「盤上の向日葵」、「崩れる脳を抱きしめて」

 

 

 

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崩れる脳を抱きしめて 知念実希人

最近著者の本をかなりのペースで読んできたので、もうそろそろ良いかなと思っていたら、本書が「本屋大賞」にノミネートされたので、読んでみることにした。これまでに読んだ著者の作品は全て医療ミステリーという範疇に入るが、これまでの作品をあえて分類してみると、「謎解き中心のミステリー作品」「医療をめぐる人間模様を描いた作品」「医者たちが悪の組織と戦うサスペンスもの」など、その範囲は結構広い。本書は、二つ目の範疇の作品で、最高傑作という感じではないが、著者の作品のレベルの高さを示すのに丁度良い作品だと思う。この作品にということではなく、著者にということで、本屋大賞に相応しい気がする。(「崩れる脳を抱きしめて」 知念実希人、実業之日本社)

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まともな家の子供はいない 津村記久子

中学生の視点で描かれたいくつかの家族を巡る日常。早熟であることを強いられる子どもたちと、幼児性を残したままの大人たちによって構成される家族というものが、残酷なほどリアルに描かれている。「いつまでも子供の気持ちを持ち続ける」ことがほめそやされる風潮への反旗、それを見つめる子どもたちが大人に向けて浴びせる心の罵倒。本書で描かれる家族の唯一の救いは、子どもたちの個性あふれる多様性だけのような気がした。(「まともな家の子供はいない」 津村記久子、ちくま文庫)

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バナナの皮はなぜすべるのか? 黒木夏美

「落ちているバナナの皮に滑って転ぶ」という世界共通で昔からある定番ギャグのルーツを探る一冊。「バナナの皮は本当に滑りやすいのか」という日本人の研究がイグノーベル賞を受賞したという話は聞いたことがあったが、本書はそれとは別物だ。過去の文芸作品や映像作品を徹底的に調査する著者の執念には心底敬服するが、自分自身にはそこまでの思い入れがないせいか、最後の方は読んでいて少し飽きてしまった。著者の話は、「バナナの皮で転ぶ」という話に止まらず、「バナナの皮を食べる」という話が世界の「貧困」の象徴として語られているという事例とか、芭蕉の木が「Japanese banana」と言われていることなどに及ぶ。自分自身としては、そのあたりの少し脱線した話の方が面白く感じられた。(「バナナの皮はなぜすべるのか?」 黒木夏美、ちくま文庫)

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美術の力 宮下規久朗

美術評論家のエッセイ集。この著者の本は何冊か読んでいるが、2年前に読んだ「美術の誘惑」という本がとにかく衝撃的で、その年読んだ本のベストワンだと書いた記憶がある。本書は、その前に読んだ本と基本的には同じく、雑多な美術に関する極く短いエッセイが並んでいる読み物風の一冊。日本で開催された展覧会の解説とか感想といった趣の文章が多い。書かれた内容は、事物を組み合わせて人物の顔を描いたアルチンボルト、静物画をひたすら描いたジョルジュ・モランディ、戦国時代の踏み絵、日本独自の画材であるクレパスによる絵画、聖地に飾られるエクス・ヴォート(奉納画)、戦時中に描かれた戦争画、津軽の供養人形、アウトサイダー・アートなど多彩。多彩だが、こうして並べてみると、やはり著者の人生に対する虚無感のようなものが感じられる。なお、こうしたエッセイの多くが、日本で開催された展覧会の感想として描かれたということは、本書は日本における美術シーンが多彩になっていることの証しと言えそうだ。(「美術の力」  宮下規久朗、光文社新書)

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