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夫の墓には入りません 垣谷美雨

前に読んだ著者の本が面白かったので本書を読んでみることにした。著者の本は、小説として面白いのと同時に、世の中の多くの人々が抱える不安を少しだけ小さくしてくれるというオマケが付いているような気がする。実際に本書も、「御焼香を」と言って近づいてくる詐欺まがいの輩に注意、といった配偶者に急に先立たれた時に注意した方が良いエピソードが上手くストーリーの中に織り込まれている。ネット検索するとまだまだ著者の本で面白そうなのがいくつもあり、少しずつ読んでいくのが楽しみだ。(「夫の墓には入りません」 垣谷美雨、中公文庫)

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展覧会 廃墟の美術史展

第一展示場(2階)は、18世紀以降のヨーロッパ絵画が中心だったが、正直言って似たような作品ばかりで退屈。こんなものかと少しがっかりしたのだが、地下の第ニ展示場が現代アート中心でものすごく面白かった。普通の絵なのに背景に廃墟が描かれていたり、何となく廃墟っぽい装飾だったり、「廃墟」という言葉の定義が一挙に広がったような世界が現れた。特に面白かったのは、渋谷の交差点の俯瞰写真がそのまま廃墟になった細密画の作品。「時間軸を少しいじるだけで現代アートになる。」という解説もしゃれていた。

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ちいさな桃源郷 池内紀編

昭和30年代から50年代にかけて刊行されていた山登りに関する雑誌「アルプ」に収録されていた名文を集めた一冊。雑誌の名前は聞いたことがあるし、独特の表紙も見たことがある気がするが、オンタイムで読んだ記憶はない。各編の内容は、山登りというよりも、山里の風景とか田舎生活の様子とかが主で、本格的な山登りの文章は皆無。また、各編ともいつの時代の話なのか読んだだけでは分からず、その場所がどこなのかも余り重要ではないという感じでよく分からないものが多い。古いものだと60年くらい前に書かれた文章で、しかもかなり前の思い出話のようで明らかに戦前のものもある。書かれている場所がどこなのかも、わずかに記述された地名をネットで検索して意外に都会に近い場所で驚いたりという具合だ。具体的な時間や固有名詞など重要ではないというスタンスで書かれたのか、それともその当時は有名な場所でかつこんな何十年後にも読まれると想定していなかったからなのか。しかも心当たりのある名前の著者も皆無。殆どの著者は作家とか著述家となっていて、こうしたエッセイのような文章や私の知らない作品を書いて生計を立てられた人がこんなに多かったのだという事実にも驚かされた。こういう文章はなかなか読む機会がないので、何か新鮮なものを読んだ気分に浸れた。(「ちいさな桃源郷」 池内紀編、中公文庫)

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お話はよく伺っております 能町みね子

年初に著者の本を初めて読んで面白かったので、早速2冊目を読んでみることにした。電車の中、飲食店の隣などで耳にした赤の他人の会話から広がる著者の妄想。これがとても面白い。勝手に名前をつけたり、2人の関係を想像したりとやりたい放題だが、それが何となく当たっているような気がして飽きない。この自由な発想そのものが文章を書くことの本質であり、著者の文筆家としての天性の証なのだと感じる。それにしても、世の中には自分の特性を意識できれば、色々な楽しみ方があるんだなぁと感心して読み終えた。(「お話はよく伺っております」 能町みね子、文春文庫)

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映画 家に帰ろう

母国ポーランドからアルゼンチンに逃れ、ホロコーストを生き延びた主人公のユダヤ人が、人生の最後に70年前の友人との約束を果たすためにポーランドまで旅をするロードムービー。旅で出会った人々は老人の頑固さやこだわりに翻弄されながらも彼を暖かくサポートし、主人公もそうした気持を受けて少しずつ変わっていく。主人公に感情移入しながらあっと言う間に見終えた。

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この世にたやすい仕事はない 津村記久子

これまでに読んだ著者の本の中で最も面白かった一冊だ。長年勤めた職業を離れて、色々な職業を渡り歩くことになった主人公が、よくあるような日常的な新しい仕事をこなしていくなかで、様々な事件や謎に巻き込まれていく。ある作家の挙動を1日遅れで監視する仕事、路線バスの車内アナウンスの原稿作りの仕事、製菓会社であられの袋に印刷する「一口豆知識」の原稿を作る仕事、地方自治体の公共ポスターを貼る仕事、大きな公園の監視と見回りの仕事など、ありそうでなさそうな仕事、誰でもできそうだがキッチリやろうとすると様々な困難がありそうな仕事を転々とし、その度に主人公を取り巻く世界が様々に変容していく。帯の寸評で伊坂幸太郎が「こんな不思議な小説を作れるのか」と感嘆するのもっともだと思うほど、凄い小説だ。(「この世にたやすい仕事はない」 津村記久子、新潮文庫)

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映画 めんたいぴりり

福岡名産・辛子明太子を作った人物をモデルに、戦後の混乱期を逞しく生きる人々を描いた作品。主人公の博多華丸はやや演技過剰な気がするが、もう1人の主人公の富田靖子のキレの良い演技と3人の子役の溌剌な演技が素晴らしい。映画館内のあちこちですすり泣きが聞こえてきた。

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映画 ナチス第三の男

試写会にて鑑賞。原作「HHhH プラハ、1942年」の作者が言うように、小説とは全く違う雰囲気の作品だが、2つの異なる暗殺計画の当事者の視点から描かれた刻々と迫るクライマックスは映画ならではのものだ。

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フーガはユーガ 伊坂幸太郎

単行本だが、通っている病院への往復の電車の中と病院での待ち時間で読み終えたので、中編といった方が良いかもしれない。何故か誕生日になると一定時間だけ心身ともに入れ替わってしまうという双子の話だ。ものすごい特異現象だが、心だけでなく瓜二つの身体も入れ替わってしまうというのがミソで、大した役に立たないばかりか、むしろ不便なことの方が多いというのが面白い。この能力を使って兄弟が命をかけた冒険に挑む。登場人物、特に主人公周辺の大人たちは皆どうしようもない悪人ばかりで、それに立ち向かう主人公たちの奮闘は切ないが、最後には少しホッコリできる著者らしい一冊。(「フーガはユーガ」  伊坂幸太郎、実業之日本社)

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ひとつむぎの手 知念実希人

昨年は、著者の本を11冊も読んでいたが、今年もたくさん読むことになりそうだ。本書は、これまで読んだ著者の作品の中でも、最高傑作ではないかと思うほど面白かった。市立大学病院に勤務する中堅の心臓外科医が主人公で、本職に忙殺されるなかで、教授から、新人の研修医の教育係を命じられたり、病院に巻かれた怪文書の犯人探しを頼まれたりという悲惨な毎日を送る様が克明に描かれる。教授が執刀する手術の際に何を任されるかで一喜一憂する主人公の苦闘に、お医者さんの世界の大変さがひしひしと伝わってくる。昔の「白い巨塔」の世界がまだそのまま残っていて、本質が何も変わっていないことに慄然とする。ミステリー色は全くないが、医学界の陋習をあぶり出すまぎれもない傑作だ。(「ひとつむぎの手」  知念実希人、新潮社)

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音楽会 ディズニー ハワイアンコンサート

前半の子ども達の群舞、ウクレレ天才少年、後半の観客のフラダンス参加など、楽しい企画がいっぱいで楽しめた。ディズニーなのに観客は高齢者ばかり。子どもたちが鑑賞するには、夜の18:30開演は遅すぎるのだろう。

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ウドウロク 有働由美子

著者がNHKを退社した直後に出た本だったので、随分タイミングが良いなと思いながら購入したまま未読になっていた一冊。読んでみたら、既に単行本で刊行されていたのがそのタイミングで文庫化されただけということだった。従って、退社の経緯などは文庫版のためのあとがきで少し書かれているだけだが、現役のNHKアナウンサーのエッセイということで十分面白かった。特に、紅白の司会を最初にやった時の裏話やNY駐在時代の話などは、へえそういうものかと感心してしまった。大半は女子向けに書かれた内容なので、おじいさんのわたしが読むのは少し気恥ずかしい感じだが、たまにはこういう本も気分転換になるので有り難い。(「ウドウロク」 有働由美子、新潮文庫)

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リベラルがうさんくさいのには理由がある 橘玲

題名を見るとリベラル批判=保守派の書という感じの本書だが、読んでみると全く違った。最初の「沖縄における集団自決問題」では、結論ありきの自己の主張に都合の良い事実しか見ない「リベラル」「保守」双方の議論を不毛と断罪、続く「安全保障問題」「従軍慰安婦問題」「働き方改革問題」では双方の論点がそもそも見当はずれと指摘するなど、左右どちらかに組みするのではなく、双方がこれまでの主張に囚われて本質を見誤っていると指摘する。全体的には、世界に広がるリベラリズムに取り残されてしまった日本の「リベラル」への失望が通奏低音として流れているので、題名に偽りありということではないが、今現在旗色の悪いリベラルに内容以上に厳しい感じの題名になってしまっているのは著者の本意ではないかもしれない。本書の続編とされる「朝日ぎらい」を読んだ時も題名が必ずしも内容に合致していないという気がしたが、本書も然りだ。いずれにしても、ネットの情報には気をつけろというのが常識である中、どうしてもマスメディアからの情報に頼らざるを得ない状況下、本書のようなマスコミの書かないあるいは書けないことの考察の助けになる本の存在意義はますます大きくなっていると思う。(「リベラルがうさんくさいのには理由がある」 橘玲、集英社文庫)

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静おばあちゃんにおまかせ 中山七里

チェスタトンのブラウン神父シリーズを思わせる題名のついた短編が並ぶ本書。基本的にはアームチェア探偵ミステリー集だが、最後にあっと驚くようなしかけがあるし、扱われている事件は現代日本が抱える社会問題と直結した重たい内容のものもある。最後の一編で大きな謎が明らかにされ、それによってこの作品には続編はないと思わせるのだが、すでに続編が刊行されている。どういう話の流れで続編が成立するのか、そこが続編を読む時の最大の関心事になってしまった。(「静おばあちゃんにおまかせ」 中山七里、文春文庫)

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本と鍵の季節 米澤穂信

一言で言えば、高校の図書委員である主人公が持ちかけられる様々な謎を明晰な頭脳で解き明かしていく青春連作ミステリー。全般的に高校生にしては会話が哲学者のように大人っぽい気もするが、自分のことを振り返ってみると、高校生くらいの時の方が今よりもずっと思弁的な言葉を発していたような気もする。本書の大きな特徴は、事件の真相を明らかにした後の主人公の振る舞いだ。単に犯人の企みを指摘するだけとか、犯人に同情して見逃すといった単純な結末は一つもない。そこにあるのは、正義感とか犯人への共感という言葉だけでは捉えられない若者らしいものの見方だ。このあたりがありがちな普通の青春ものとは違う本作の大きな魅力だと感じた。(「本と鍵の季節」 米澤穂信、集英社)

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