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ロン・ハワード サイン ハリウッド監督

映画監督ロン・ハワードのサイン。彼は映画俳優としても活躍していたようで、その時の写真が使われている。
 彼については個人的な思い出がある。私がNYに住んでいた時、小学生の娘がピアノを習っていた。私は知らなかったのだが、そのピアノの先生というのが、かなり有名な人物だったようで、生徒のピアノの発表会を、なんとマンハッタンにある「スタンレー」本社の売り場を貸切って行うということになった。当日、生徒である子供とその父兄が集まって発表会を行ったのだが、その父兄のなかに、他の人からサインを頼まれ、にこにこしながらサインをしている男性がいた。有名人なのだろうかと思って、他の父兄に聞くと「ロン・ハワード」だという。そういえば、サインをもらっている人の中には、当時アメリカで大ヒットしていた「アポロ13号」のDVDを差し出しそこにサインを貰っている人もいた。アカデミー賞2部門を受賞した作品の監督ということでまさに時の人だったのである。2人おいて隣くらいに彼が座っていて、握手かサインでもと思ったが、タイミングを逸して、結局どちらもだめだった。その彼のサインカードが売り出されたという話を聞いて、この1枚はなんとしてでも手に入れたかった1枚なのである。その後、2001年には「ビューティフル・マインド」でアカデミー監督賞を受賞、その他「ダビンチ・コード」というヒット作を監督するなど、順調に活躍しているのをみると、何故かとても嬉しい気がする。
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サンディー・モジャー サイン NHL

元NHLプレーヤー、サンディー・モジャーのサイン。カナダ出身の選手で、NHLでは、ボストンとロサンジェルスという名門2チームでプレーをしていた。生涯成績は、5年間のNHL生活で41ゴール、38アシスト、79ポイントというごくごく平凡な選手だ。他の国の出身であれば大選手なのだろうが、カナダやアメリカではこの程度の選手はゴロゴロいるというレベルだ。このように「サイン・カード」が制作されているということは、彼のサインに対するニーズがあるということでもあると思うのだが、本人としては気恥ずかしいのだろうか、サインの仕方、大きさが尋常でないくらいに控え目だ。ここまで小さくて自信のないサインも珍しい気がする。
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ショーン・マックイーシャン サイン NHL

元NHLのショーン・マックイーシャンのサイン。名前の綴りは「Shawn McEachern」で、名字の読み方が難しい。 既にリタイアしており、現在はマサチューセッツの大学でコーチをしているようだ。生涯の通算成績は2006年に引退するまでの13年間のNHL生活で254ゴール、317アシスト、571ポイント。また、彼の最盛期は2000年のシーズンで72ポイントをあげている。非常に立派な成績だ。プレーしたチームは、ボストン、ピッツバーグ、ロス、オタワで最後がアトランタだった。これだけの成績をあげている選手だから、当然弱小チームでは、中心選手という扱いだ。最後のアトランタでプレーしていた時などは「チームの成績は彼の出来映えに大きく左右される」といったコメントもあった。
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ルポ貧困大国アメリカⅡ 堤未果

以前ベストセラーになった同じ著者による「ルポ貧困大国アメリカ」の続編。前作は、「日本社会にも忍び寄る貧困社会の恐怖」という状況下で、大いに話題になったが、内容自体はそれほど珍しい話が書かれている訳でもなかった。そのため前作を読んだ時は、面白いは面白いにしても、何故こんなに話題になっているのだろうかとやや不思議な感じがした。日本のワーキングプア・ネットカフェ難民の問題との連想で、日本人の心に響いた面があったのだろうと思った。本書は、そうした前作に比べて、文章の緊張感や切迫度がさらに増しており、アメリカで本当に大変なことが起きているということが、前作以上に伝わってくる内容だ。前作以上に「アメリカのようにならないためには何をしたらよいのか」ということを考えさせられた。臨場感のある文章は前作の特徴でもあったが、本書では文章の巧みさにさらに磨きがかかっているように思われるし、語られている対象もさらにアメリカ社会に深くメスを入れたようなものになっている。第1章の「サリーメイ」の話などは、日本ではあまり取り上げられていないアメリカの悲惨な実態が伝わってくるし、次章の年金破綻の話も表面的な解説ではない切迫感がある。また、第4章の「刑務所ビジネス」の話はまさに驚きの連続だ。「世界の囚人の25%はアメリカの刑務所」などさりげなく出てくる数字も面白い。良く考えると、本書の方が前作よりも切迫感があるのは、著者の文章力が向上したからだけではなく、リーマンショック以降の世界の経済・金融危機を経て現実の切迫度が高まっていることの現れなのかもしれないと思った。(「ルポ貧困大国アメリカⅡ」堤未果、岩波新書)
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ん 山口謡史

本の帯の「日本語最大のミステリーを解く! 日本橋は何故Nihombashiと書かれているのか?」というキャッチにまず惹かれる。また、帯の裏には「『ん』にまつわる意外な話」として、西洋人は『んー』が大嫌い、『古事記』に「ん」はなかった、空海は創造主のひとり、といった好奇心をくすぐるフレーズがいくつも並んでいる。さらに題名も「ん」と意表をついている。興味津々で、早速読んでみた。
本書は、「ん」「ン」という文字とその発音にまつわるいろいろな話が満載で、読む前の期待に違わぬ面白さだ。西洋人は「んー」が大嫌いという話も初耳だったし、仏教に絡んで「ん」にこれほど深い考察の歴史があったとは本当に意外だった。日本人が次の音に移る前の保留、リズムを整えるために「ん」を活用してきたという歴史も「なるほど」と思わされる。本書の最大の収穫は「ん」に関する謎解きの過程で、昔の日本人が異国の文化や宗教を必死で我がものにしようとしたその葛藤をかいま見ることができたことだと思う。(「ん」山口謡史、新潮新書)
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ブラッド・メイ サイン NHL

NHLのブラッド・メイ選手のサイン。彼は、一般的には試合中に仲間の選手の戦闘意欲をかきたてる「タフガイ」とされており、ユーチューブを見るとファイト・シーンばかりがたくさん登録されている。確かにNHL昇格の初年度はペナルティが300分を超えており、「タフガイ」という感じだが、2年目以降のスタッツをみるとそれほどペナルティ時間は多くない。自分の役割に迷いがあったのか、初年度の記録がNHLになじめずに突出してしまっただけなのか、それとも2年目から「テクニック」で勝負しようと路線変更したのか、そのあたりは判らない。既に40歳近いベテランとなり、ここ2年ほどはまたペナルティが多くなっているのをみると、体力テクニックの衰えから、再び「タフガイ」に活路を見出そうとしているようにも思える。最近4年で4チームを渡り歩いており、こうした選手の典型的な引退直前のパターンのように思われる。
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航空機は誰が飛ばしているのか 轟木一博

以前読んだ「電車の運転」のような本かと思ったら全く違う内容だった。本の前半は航空管制官がどのような仕事をしているのか、空港の運行というものはどうなっているのか、といったことが丁寧に解説されている。このあたりは普通の薀蓄物のようで、それはそれで大変面白い読み物になっている。しかし本書の真骨頂は、後半部分の羽田空港の国際化や日本の航空行政に関する章のところである。「羽田空港の国際化」といった航空行政の課題に関して我々はどう考えたら良いのか、それが前半部分の細かい解説と見事に1本の線でつながっているのだ。「羽田の国際化」の議論が、前半の管制官の仕事や空港の運行に関する知識がないと、如何に表層的なものになるかが良く判る。これこそ著者が本書で言いたかったことなのだろう。細かい技術的な問題を積み上げていった結論は「羽田をアジアとの窓口に」とか「成田の問題はアクセスの改善が最も大切」とか、ごく当たり前のように聞こえるが、そこに至るまでに様々な考察が必要であることが本書をよく読むと判る。技術的なことを判りやすく解説した上で社会問題にまで理路整然と解説してくれる本書は、技術者と行政の両方に明るい人でなければ絶対に書けない傑作だと感じた。(「航空機は誰が飛ばしているのか」轟木一博、日経プレミアシリーズ)
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マイク・ボッシー アリーナの壁 NHL

伝説的なNHLのポイント・ゲッター、マイク・ボッシーの写真とアイスホッケーの聖地ジョー・ルイス・アリーナの壁の一部をあしらったコレクティブル。以前同じシリーズの1枚を紹介したことがあり、それもそうだったのだが、マイク・ボッシーとジョー・ルイス・アリーナに特に深い関係があるわけではない。もちろん、同アリーナでプレーをしたことは数多くあるだろうが、そうした選手は他にいくらでもいる。ボッシーはNYアイランダースをホームとしたフランチャイズ・プレーヤーである。両者の結びつき・因縁というよりも、彼がキャリアのピークに突然引退した伝説的な選手であるということで、こういう組み合わせが選ばれたのだと考えられる。
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サミー・ソーサ RC MLB

大リーグのサミー・ソーサ選手のルーキーカードである。サインは紹介したが、まだルーキー・カードを紹介していなかったので紹介しておく。まだ20年そこそこ前のものだが、写真や作りは何とも古めかしい。このころのルーキー・カードをみると、ひげを生やした写真が多いような気がするがなぜだろう。このRCの写真のソーサもひげを生やしているが、全く似合っていない。ファッションだったのかもしれないが、その当時は私自身もすでに大人で、ファッションの流行くらいは何となく知っているつもりなので、どうも釈然としない。何か野球選手だけに限定された流行でもあったのだろうか。少し謎である。
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知っておきたい日本の名字と家紋 武光誠

本書はかなり前に読んで紹介した「知っておきたい…神様」と一緒に買った本で、随分間が空いてしまった。対象こそ違うものの、いろいろなものの謂れを次々に紹介してくれるという内容は「‥神様」と全く同じだが、やはり名前の方が身近なものなので、より興味が沸くし面白い。織田信長の本当の姓は「平」だったというのは初めて知った。それから途中で出てくる日本人に多い「苗字」のランキングだが、大昔(多分中学生くらいの時?)に佐久間英さんという人が調べた人名ランキングbの本を読んだのを記憶していて、それが掲載されているのが非常に面白かった。佐久間さんは、確か小学校の先生の名簿を使って推計していた。このやり方ではサンプルがゆがんでいてまずいのではないかと子供心に考えたのを覚えている。やはり思ったとおり、その後の推計と佐久間さんの推計は随分違っていることが本書で判明した。(「知っておきたい日本の名字と家紋」武光誠、角川文庫)
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スターウォーズ スケッチ  TERANISHI

既に何枚か紹介したロバート・テラニシのスケッチ・カード。彼らしいといえば彼らしい1枚。筆致の確か・描写力はあるのだが、どことなく魅力に欠ける。問題はいくつかあるが、最初に目につくのは、線が薄い(=力を入れて描いていない)ことだ。柔らかいタッチを出すためであれば薄い線を用いるのも納得がいくが、題材からいってそういうことではない。要するに、たくさん描くために力を惜しんだのだろう。これは、スケッチ・カードとしては致命的だ。
 まだ他にもスケッチ・カードを持っているのだが、後は魅力のないものばかりなので、また新しい魅力的なものが入手できたら改めて紹介することとして、とりあえずはここまでとしておきたい。何日か前に、人気のあるスケッチカードの条件として、①作者のネームバリュー ②図柄の良さ ③手の込み具合 の3つをあげたが、最後に、再度、私にとっての良いスケッチ・カードの条件を羅列しておく。
 ①作者のネームバリューも大切だが、やはり制作枚数の少ない画家のものが欲しい。
 ②図柄は、やはり人気のあるキャラクターで、顔ならば正面を向いたものが良い。
 ③見栄えから言うと、何と言ってもカラーに勝るものはないが、カラーならば何でも
  良いという訳ではない。できれば緻密な下絵に丁寧に彩色したものが良い。
 ④小さな紙片ということを感じさせないスケールの大きい構図のものが良い。
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夜の小紋 乙川優三郎

それほど多く著者の本を読んだわけではないが、本書はこれまで読んだ作品と少し趣が違うような気がした。時代は確かに江戸時代なのだが、現代でも通用するような話が並んでいる。でてくる主人公が、中年に差し掛かって「陶芸」にはまる下級武士だったり、男性優位の社会でたくましく生きる女性だったり、夫に先立たれた老婦人であったりで、いずれも現代にいそうな人の話になっている。時代小説というのも、つまりは違う時代を描写しながら今を描いているのだという思いが強く感じられる本だった。(「夜の小紋」乙川優三郎、講談社文庫)
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プリンス・フィールダー RC MLB

大リーグの若手のホ-プ、プリンス・フィルダーのルーキー・カード。阪神タイガースで活躍したセシル・フィルダーの息子ということで、活躍すると日本でも報道されることがあり、比較的知名度は高い。ほぼまる4年間、大リーグでプレーしているが、年間本塁打40本、平均打率.290とパワーヒッターでありながら、ステディな面も併せ持った期待の若手だ。父親はギャンブルで多額の借金を抱えて破綻状態にあるそうだが、そうしたことを反面教師として堅実にプレーをしていけば、殿堂入り等も可能ではないかと思わせる逸材とのことである。
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毒殺魔の教室 塔山都

「イヤミス」という言葉がある。「読むとイヤな気持ちになるミステリー」という意味の言葉だ。世の中の大方のミステリーには殺人事件のような凄惨な事件が付きものだし、犯人という悪人も登場する。従って「ミステリー」とは多かれ少なかれ読んで「いやな気持ちになる」という要素を含んだ小説という言い方もできる。但し、「ミステリー」の全てが読んでいやな気持ちになるか、というとそうでもない。「容疑者Xの献身」のように「イヤミス」の対極にあるような美しい作品もまれにだがあるし、そもそも通常のミステリーの場合は、読者が読後にあまりいやな気持ちにならないよう、作者自身が「救い」を用意しておくことが多い。「救い」とは、犯人がやむを得ず反抗に至った悲しい過去であったり、犯行後の犯人の改心であったりいろいろだ。そうした「救い」の要素が少ないミステリーを「イヤミス」と呼ぶ。「イヤミス」は読む方も辛いが、書く方はもっと辛いのではないかと思う。
 この作品は「かなりのイヤミス」という評判の作品だ。書評でもそのような評価がされていた。被害者が小学生、犯行現場が小学校の教室というだけで「イヤミス」の資格は十分だが、読んでいると、登場してくる小学生の大人びた言動にどんどん「イヤミス」度がアップしてくる。ただ、同じ頃に刊行された湊かなえの「告白」とどこか似たようなシチュエーションで、どうしてもそれと比較されてしまうのは、この作品にとっては明らかに不運なような気がする。話の構成は、インタビューのテープ起こしのような文章あり、手紙あり、新聞記事ありで結構複雑な感じだが、不必要な複雑さではなく、読者にはとても判りやすく読める点に大変好感が持てる。(「毒殺魔の教室」塔山都、講談社)
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どうで死ぬ身の一踊り 西村賢太

 書評誌で年間ベストワンに選ばれた本書。久しぶりで「私小説」を読んだ気がする。「私小説は日本独特のジャンル」ということを学校の授業で習ったのを覚えているが、この歳になって思うのは、こうした文章を小説だということ自体に無理があるのではないかということだ。あとがきをみると、この本の文章が書かれた時点で、書いた本人は「小説」として発表する気がなかったという。
 内容は、「藤澤清造」という不遇の作家の生き方と自分の境遇を重ね合わせた著者が、その作家の「全集」を発行する準備をする間の日常を綴ったもの。当初は小説として発表するつもりがなかったというだけに、「私小説」独特の赤裸々な著述振りだが、それ以上にその開き直った生き方・開き直った末のある意味ピュアな考え方に驚かされる。まさに「藤澤清造」が詠んだ句からきている題名通りの内容だ。(「どうで死ぬ身の一踊り」西村賢太、講談社文庫)
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