ヤマトタケルの夢 

―三代目市川猿之助丈の創る世界との邂逅―
★歌舞伎・スーパー歌舞伎・その他の舞台★

NHKスペシャル「父と子」

2013-01-13 10:38:32 | 歌舞伎―襲名披露
2013年最初の更新となりました。(今頃~)
いつも、訪問して下さっている皆さんありがとうございます。
今年もよろしくお願いします。

松竹座も初日に行って参りましたが
なかなか落ち着いて感想を書く時間も集中力もなく(汗)


NHKスペシャル、
リアルタイムな現状を、可能な範囲で踏み込んで取材されてましたね。
猿翁さんへの取材があそこまでオッケーだったことが意外でしたが
見ているうちに、猿翁さんらしいかな・・・とも思いました。

70年代、孤軍奮闘しつつ、復活狂言で大当たりを取り続け
当時集客が厳しかった歌舞伎興行の中で客席を埋め尽くし
今やどこのおうちの幹部さん御曹司さんもなさる宙乗りを
「サーカスもどき」と言われていた時代のドキュメント
(さすがにこれは、リアルタイムでは見てませんが)
80年代の海外公演やスーパー歌舞伎創造のドキュメント放映などを振り返ると
ここにまた、新たに「二代目猿翁」となった実像を、ありのままを
伝えようとされているのかなと感じました。

身体はお痩せになり、お薬の影響で声が出にくいところはあるけれど
あの鋭い眼差しは「三代目猿之助」の時のそれと変わらないものでした。
お辛そうなリハビリの映像もあり胸が痛みましたが
ここまでしても舞台に立とうとする気迫
そして、弟子たちを育ててきたように、中車さんや團子さんを育てようとする気力。

門閥外の役者さんも多く育てたけれど
「澤瀉屋」としての責務を、今また果たそうとされている。

二代目猿之助さんが「猿之助」の名前を誰にも渡したくなかったように
三代目も「猿之助」の名前は自分そのもののように思っていたことでしょう。
33年間続いた「七月大歌舞伎 市川猿之助奮闘公演」という
自身の名を冠した連続公演という前人未到の記録も築いた。

だけど、初代から「途絶えることなく続いた」名前を
その歴史を引き渡すべく
猿之助でありたかった(三代目)猿之助さんが
亀治郎でありたかった(四代目)猿之助さんに名を譲った。

血と屋号の継承。

そして、中車さんをちょっと羨ましいとも思った。
両親とも早世した私には、もう、いつかは会えるかもしれない・・・
ということもないから。


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2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
自分が恥ずかしかったわ。 (non)
2013-01-13 14:06:12
yayaさん、ご無沙汰してます。
「父と子」私も観ましたよ。職場の人も観て翌日凄いな!て話してました。

昨年7月の舞台を観たとき、拍手喝采の中で、胸が痛くて本当にご自分の意思で舞台に立たれたのかな?と思ったのです。

そんなことを考えていた自分が恥ずかしいと思うほど、どこまでいっても何処を切ってもてなんか変やけど、猿翁さんは歌舞伎役者そのもの以外の何者でもない。
今自分のできるすべてをかけて芸の継承をされてる。
そう思ったの。
久しぶりに歌舞伎の素晴らしさに追加して地元で観劇しています。
返信する
コメありがとう (yaya)
2013-01-13 21:27:28
nonさんお久しぶり~

地元松竹座観劇、今月堪能して下さいね。
猿翁さん、「I LOVE KABUKI」ってよく仰ってましたよね。
私生活も公的?生活も、歌舞伎漬け!の今、
お体の不自由はあっても(そのことについての苦悩はあっても)
幸せなのかもしれません。
返信する

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