ヤマトタケルの夢 

―三代目市川猿之助丈の創る世界との邂逅―
★歌舞伎・スーパー歌舞伎・その他の舞台★

あのとき歌舞伎が変わった

2009-09-12 20:32:03 | 歌舞伎
本日、朝日新聞の朝刊の文化面(29面)に、猿之助さんが創出したスーパー歌舞伎
ヤマトタケル初演時の頃のことも書かれていると友人より連絡あり、拝読。
全文ではないけれど、asahi.comでも要約が読めます。
本当に、猿之助さんは先駆者として、
いわれのな誹謗中傷・揶揄なども受けて苦労されたと感じる。
スーパー歌舞伎に至る以前の、古典の復活狂言での斬新的な演出や、
歌舞伎では、本来は歴史のある「手法」であった宙乗りについてまで。
当時、宙乗りを「猿の犬掻き」と言い放っていた“大幹部”さんのご子息やお孫さんたちが、
現在は、宙乗りを試みている。新機軸の提唱は「挑戦」と言われ褒め称えられている。
そういう道を拓いてきた猿之助さんの、歌舞伎に対する真摯な姿勢と信念を思うと
とても、胸が熱くなる。

十二夜の鏡の演出についても言及されているけど、スーパーの八犬伝、オグリ、
そして、三国志の方がずっと早いです。
十二夜を褒めるなら、十二夜オリジナルの演出の部分を
前面に出して称えてあげれば良いのに。
(私には、その最大のポイントがどこなのかよく分かりませんが。
演舞場でなくて歌舞伎座で上演したということ?)(マスクも三国志2で使ってるしな~)

ちょっと引っかかってしまったのが
>ヤマトタケルの初演を見た、
>当時18歳だった日本女子大准教授の児玉竜一氏は戸惑いを隠せなかった。
>ジャンルの垣根を壊してゆく力は感じた。
>歴史的試みだったが、一体、歌舞伎をどこへ連れて行くのかという思いもあった。
のくだり。

きっと、その頃も、18歳で歌舞伎ファンなんていうと
「まあ、若いのに歌舞伎がお好きなんて」と言われていたのかな?
と想像するけれど、歌舞伎にハマるひとって、
だいたい、初期に「歌舞伎本」-演劇史とか、自伝とか、評論集とか、演劇界(爆)とかを
読み漁ったりしない?と思うのだけど、歌舞伎ヲタほど、
歌舞伎の歴史を紐解けば、新機軸や新演出はいつの時代にも試みられてきた
ということを「知識」としては、知っているんじゃないかな?と。
なのに、何故、歌舞伎をどこへ連れて行くのかという発想になるのか凄く不思議。
猿之助さんは、若い頃から自費を投じて、春秋会などの自主公演で
「歌舞伎」の仕立て直しを試み、
そして、歌舞伎の手法を駆使した「スーパー歌舞伎」というジャンルを造り上げた。
歌舞伎を、どこかへ、遠くへ持っていこうとなんてしてはいない。
より私たちの身近に取り戻そうとしていた。
スーパー歌舞伎の演出や手法のベースは、歌舞伎そのものにあることが、
「歌舞伎ファン」ほど理解出来るのではないかな~と思うのだけれど、
どうして、当時「異端」のように扱われていたのかしら。
その頃の幹部さんのいき方のみが正当と思う人や、
幹部連におもねる評論家の「評論」ファンが多かったから?
歌舞伎の評論や記事を書いてる人って、
いかに自分はその役者さんやその先代と親しいか身内ボメしか書いてないやん!!
というのが、歌舞伎観始めの頃の私の演劇本に対する感想。
今は、私の方も(笑)、もうちょっと柔軟な考え方が出来るようになりましたが。
確かに、役者さんとの親しい交際から出てくる興味深いお話もあるよね、と。

しかし、何故今、またこのような「検証」的な記事が、書かれるのでしょうね。


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