紘一郎雑記帳

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陰陽道・安倍晴明講演会・福井榮一氏より2部 紘一郎雑記帳

2010-02-19 05:19:14 | Weblog
福井栄一氏講演録より
[上方文化評論家」

陰陽道・安倍晴明講演・第2部
《1月21日投稿分の続きです》

陰陽道の2本柱の「陰陽説」「五行説」について
基本原理を説明してきましたが、ここからは
2大原理の統合の話をします。

陰陽説によると万物には陰と陽の両面があります。
それは五行(木・火・土・金・水)のそれぞれにも
陰と陽があるはずです。

陽を(え)陰を(と)と読むと”木”が、陽の状態なら
「きのえ」陰の状態なら「きのと」となる。
同様に”火”ならば「ひのえ」「ひのと」となり
最後の”水”の「みずのえ」「みずのと」となり
合計で”十語”が得られる。

そして、この語に漢字を一文字づつあてると
「甲乙丙丁戊巳庚辛壬癸」で「十干」と呼ぶ。

陰陽説と五行説の統合の結果「十干」が生まれた。

ただ十個の漢字で、森羅万象を表現することは
難しいので援軍を呼ぶことにした。
分かり易い漢字と身近な生き物達を動員して
12匹の動物を象徴する漢字軍が出来ました。

それが”12支”で「子丑寅卯辰巳午未申酉戊亥」である。

「十干」「十二支」で試しに”年”を記述すればどうなるか
例えば1年を1文字で表現すると10+12で合計22年で
一人の人生にすると短すぎ、「十支・十二支」で2文字熟語にして
当てはめると120年になり昔の人の人生には長すぎる。

そこで考えられたのが、併せて「二十二支」の半分6文字だけを
結びつけ「60年分の」年の名前を用意した。
「60歳」を超えて長生きしたら暦が一巡し、
数え始めた年に還る年齢「還暦」となるのである。

そしてその呼び方は多く活用されている。

日本史では「1868年」の「旧幕府軍」と「新政府軍」との戦争は
その年が「戊辰」の年であつたので「戊辰戦争」と呼ばれている。

もう少し遡って「672年」の「大友皇子」と「大海人皇子」の
間の皇位争奪の戦いは「壬申」の年に行われた政治革命で
あったので「壬申の乱」と名づけられている。

中国史でも「1911年」の「清朝」が倒れて「中華民国」が
建国されたのは「辛亥」の年であり「辛亥革命」といわれている。

現代社会の中で規定する陰陽道の例を少し挙げてみよう。

十二支を時計の文字盤の様に円形に配置してみると
陰陽道はこのシンプルな図で森羅万象を説明している。

例えば、方角は「北が子・南が午」にあたるので
南北を「子午線」と呼びますね。

時間の観念をあてはめてみると
「東が春・南が夏・西が秋・北が冬」を表す。

色彩で見てみるそれぞれのシンボルカラーが
「東が春・南は赤・西は白・北は黒」で「中央は黄色」で
この5色を陰陽道では「五色」と呼んで重要視している。

因みに京都の「五色豆」はこれを踏まえている。

その京都の町も「平安京」の立地には陰陽道の思想に基づいている
東西南北の四方を4匹の神獣「青龍・白虎・朱雀・玄武」が
守護する土地こそ理想郷とされたのです。

「東の青龍」は龍のように伸びる東山連邦や鴨川になり
「西の白虎」は千里を走る山陽道にあたり
「南の朱雀」は流れを受け止める地形で、昔の「巨椋池」
「北の玄武」は亀の甲羅のような船岡山あたりが該当する

こうして平安京(京都)は陰陽道の考えに沿って遷都され
その甲斐あって1000年以上も都として存続したのである。

現在の日本の歴史の教科書には大変な偏りがある。
「政治経済史偏重教育」で「文化史」や「生活史」に冷淡である

珍しく、文化や芸術の言及があったとしても、大半が
仏教の思想、美術の紹介に終始しており、庶民が日々
何を食べ、どんな服装をし、何を信じ、何を恐れて
いたなどの、生々しい人間像が見えてこないのである。

それは陰陽道という「第3の目」の欠如にあります。

仏教や神道の知見だけで、日本の精神史や文化史を
論じることには、そもそも無理があります。

仏教や神道の知識だけでは「雛人形」の飾り方の
由来ひとつ満足に説明できません。

平安京の立地条件についても然りでこの「第3の目」を
持たないことには「日本文化」は語れないのです。

陰陽道は怪しげな「なじない」ではありません。
ヒューマンスケールをこえた大きな秩序や、
宇宙の摂理を解明し、それと矛盾しない生き方を
示唆する思想体系であります。

最近の「環境共生思想」「エコの思想」とも見事に通底する
陰陽道の現代性はそこにあります。

我々が、21世紀に陰陽道を学ぶ意義は大きいと思います。


安田紘一郎雑記帳

好奇心旺盛な若者や学生達が、教師から「壬申」とか「戊辰」とか
聴かされるたびに「その由来や語源」に疑問をもって質問しても
殆どの場合、教える方の側に答えられない事が多いようだ。

教える方に、教師に陰陽道の知識が無いからであろう。

ある学校で生徒の質問にたいして、教師が答えられず
「そんな事は受験には関係ないから気にするな!
 今は事件のあった西暦年を丸暗記しなさい!」と
不届きな教えをする人もあるようです。

若者の貴重な好奇心の芽を摘む「受験一筋」の
教育方法こそ今の日本の課題ではないでしょうか!

【次回は帰朝講演をされた
「ニューヨーク大菩薩禅堂・島野老師の法話」より
「第1部・2部」に分けて投稿致します。】