紘一郎雑記帳

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龍馬登場! お龍さん 赤尾氏講演会より 紘一郎雑記帳

2010-07-19 05:48:23 | Weblog
龍馬登場!!
【龍馬はなぜ・京都に】講演会より

   講師ー赤尾 博章氏
  「NPO法人京都龍馬会・理事長」

【第2部】

「龍馬」が亡くなったのは「慶応3年11月15日」は
多く文献がありますので、間違いありませんが
「誕生日」はお龍さんの証言だけなのです。

龍馬は生まれてから「19歳」で江戸の行くまでの
記録は一切ありません。

「19歳」の時「江戸に剣術修行」に行きたいとの
「届け」が土佐に残っており、始めて「龍馬」が
歴史的に出てきました。

それまでの記録はなく、多くの歴史小説家の腕の見せどころ
となりました。

幼いときに「姉さん」に色々鍛えられたと「大河」でも
「小説」でも伝えられていますが、全て想像の世界です。

「龍馬」が歴史上に登場したのは「明治維新」を
遠く過ぎた「明治16年」のことでした。
それまでは全く無名の男でした。

維新の主人公の「薩長閥」から取り残された「土佐」が
蔑ろにされた為に起こした「自由民権運動」に多くの
「土佐人」が運動に参加しました。

それは「土佐新聞」で連載された作家「坂崎紫潤」の
「汗血千里の駒」その中に「龍馬」が登場したのです。
これが最初です。それまでの「龍馬」は
誰も知らない存在だったのです。

「坂崎紫潤」は他に「維新土佐勤皇史」の作品があります。
この「汗血千里の駒」は「自由民権運動」の拡大に
「龍馬」を利用した部分もありますが、「龍馬」を
知っている人への取材を元にしている面もありますので
かなり、正確な「龍馬」だといえるのです。

ただ「自由民権運動」の中での「ヒーロー」として
「龍馬」を取り上げているので、100%ではないことも事実です。

後の「司馬遼太郎」さんの「小説」も、その「汗血千里の駒」が
基本となっているので、少し違う「龍馬」でしょう。

「龍馬」は2回ほど「江戸」に「剣術修行」行っていますが、
これは大変なことですね
現在「海外に留学」するどころでは有りません。

もっとお金がかかりましたが、龍馬の家が「「質屋」
みたいな事をしており、金持ちで「侍」に金貸しなどをして
おりましたので、物理的にも、又「藩」から許可も、
貰えたのだと思います。

龍馬が江戸に行った時にちょうど「ペリー来航」があり
目の前に見た「黒船」に大刺激を受けたのです。

あんな大きな舟が勝手に動くことにはびっくりしたのですね
その当時の龍馬は色々と迷ったのでしょう「土佐勤皇党」に
入ったりしていました。

「土佐勤皇党」は「武知半平太(瑞山)」が作った
倒幕を目的にした「団体」で、かなり過激の行動をしており
「岡田以蔵」なる「殺人専門人」もいました。

龍馬は、それも棄て「文久2年3月24日」に土佐を「脱藩」致します。
「脱藩」というよりは「亡命」という方が正確でしょう。

その年に、後から出会うことになる「お龍さん」の
「父親」が「安政の大獄」でなくなっています

お龍さんの父親は「京都青蓮院・宮家」に仕えた
「勤皇」の医者でした。母は「公家」の出でした。
同じ「医者」の中でも「位」の高い医者でしたので
楽な生活をしていたのでしょう。

天保12年(1841年)に冨小路六角付近で生まれて、
しばらくはこの地に住んでいたという事は残っています。

炊事や家事は何もできなっかたが「習い事」は色々と
勉強しており勿論「読み書き」も充分習っていました
「龍馬」はそんなところにも惹かれたのでしょう
「龍馬」の死後「お龍さん」はどんなに落ちぶれても
その「姿」だけは「毅然」としていたようです。

ところが父が死んだ後は、今までの平穏な豊かな生活が
大きく変わり「一家離散」状態になりました

長女である「お龍さん」は弟や妹の為に自分も宿屋で働きます

妹たちが女郎屋に売られかけた時には、捨て身で乗り込んで
助けだしたという「「武勇伝」も残っております



さて「脱藩」した「龍馬」ですが「文久2年」の
足跡は何も残っておりません

「江戸」にいたとか「長州」で勉強していたとか
色々な説がありますが、わかりません、何も判らないのです。

しかし「文久3年」に京都に入ってきます。

続きは第3部にて


紘一郎雑記張

お龍さんと別行動をした、母親と妹2人は現在の
「三十三間堂南大門」前の「河原屋五兵衛の隠居所」
に移り住んでいて「土佐亡命志士」の賄いなどを
していたのですが、ここに龍馬が住んでいて「お龍さん」と
出会うきっかけとなりました。

龍馬は行方不明の後、ここにいたのです。

龍馬は姉宛の手紙に「もことに面白き女」と紹介しています。

そこから「龍馬」の生活は一変します。
龍馬の京都での生活や活動の元は「お龍さん」ですね、
後に「龍馬」の奥さんになるのですが、この「お龍さん」
重要な役割をしていくのです。