川西 修氏講演会 [幸南食糧株式会社・代表取締役」
【ちょっとの気付きで人は変わる!】
川西です。歴史ある会の皆様の前でお話させて戴く事に緊張しております。
私が会社を興してから30年になりますが「追い風」の時もありましたが
「向かい風」の時もあり、又「無風」の時もありました。
振り返ってみますと「向かい風」の時の方が多かったように思います。
そのお蔭で自分なりに色々なことを学ばせて戴きましたが、特に
「ちょつとした気付き」で人は大きく変わる事を学びました。
私は香川県の四国山脈に近い田舎で3人兄弟の次男坊として育ちましたが、
高校を出ると働いて家計を助けるために大阪へ就職して参りました。
頑張って、お金を稼いで少しでも「親の手助け」になればの一心でしだ。
大阪に出ても「住むところ」も「寝るところも」ありませんので、
住み込みで働き、少し給料の貰える、お米屋さんの問屋に就職しました。
仕事は60キロ・100キロの重たい米俵を車に積み込んだり、降ろしたりする
作業で、その会社にはリフトのような機材はなく、全て人の力による重労働でした。
大変な仕事でしたので殆どの同僚が仕事が続かず、次から次と退社して行きました。
真夏の暑い日に60キロ・100キロの重たい荷物を何百・何千と運ぶ仕事は過酷で
しんどいものでした。
でも頑張って働けたのは私には「夢」と「目標」があったからです。
【目標は人生をデザインする道具である】
「目標」を達成する為には「諦めない」「我慢をする」の
二つの気持ちが大切がだと思います。
辞めていった多くの同僚は「しんどい・きつい・給料が少ない」などの
目先の事ばかりを考え、将来の「夢や計画」何がしたいのか、
全く思ってなく、その場だけの生活を送っていたようでした。
【苦労という言葉は”夢”の実現が遠くなる】
よく皆様から「苦労されたんですね」と言われますが、
その時私は「いえ少しだけ努力しました」と答えています。
「努力」は「人」を裏切りません!
そして、6年後その大恩ある米屋さんを退職し、念願の自分の店
を持つことになりました。
開業したのは、大阪南部の「松原市」で【7坪】の店からのスタートでした。
自分の店を持てたのが「嬉しくて嬉しくて」私にとっては
夜も寝付かれないほど一大事でした。
その時代「米」は国の規制に関わる事業で、国の許可が必要でした。
当時「松原市」には「コンビニ」がなくお客様は「米」は「米屋」で
買うしか方法が有りませんでした。
「松原市」人口137000人の中に「米屋」さんが「43軒」あり
私が「44軒」目の開店でした。
開店は致しましたが、全く商売にならず大苦戦のスタートとなりました。
販売にお宅にお伺いしても「お米は先祖来々、買うお店がきまっているのよ」と
断られ、お客様の開拓がどうにもならず、1ケ月・2ケ月・半年過ぎても
全く売れないで、家賃さえ支払い出来ない日が続きました。
そんな悩みが続くなかで、ハッとある事に気がつきました。
【最大のライバルは時代】
「43軒」の米屋さんが「同じ方向」を向いて営業をしていたのです。
「配達は5時まで」「配達は建物の1階まで」「日曜祭日は休み」が
全てのお米屋さん43軒のの顧客サービスでした。
そこで私は「配達は何日でも・何時でも・お宅の米びつまで」の
サービスを始めました。
追い風も吹きました。「高度成長時代」松原市には、どんどんと新しい
「マンション」や「ハイツ」が建ち、生活習慣にも変化があり、
女性の社会進出で奥様が仕事を持ち「昼間は留守」の家庭も、
増えてまいりました。
昼間働いて帰宅する奥様には「年中無休で夜間でも配達します」は
便利と喜んで戴き、「米びつまでのサービス」は
4・5階などでエレベーターのない住宅の方に重宝され
幼い子達を持つ若いママには感謝されました。
「そこまでやっくれるのか!」のサービスが感動を呼ぶと思います。
サービス業は「今日一日、たった一人のお客様に」「こころから有難う」と
感謝を持って接するよう心がけると、そのお客様がお客様を呼び、
結果的にお客様が増えるということにつながります。
今の時代は知れば知るほど、乗り切るのは大変で、難しいと感じている方は
多いと思いますが、しかし世の中は常に変化するものであり、
時代が変わったら、当然自分も変わるべきです。
でも自分自身を変えるのは至難ですが、変わる必要に迫られている事に
「気付く」ことが大切なのです。
そんな環境の中での私の「サービス」は、多くのお客様に「ご注文」戴き、
その上、感謝までされて、業績は飛躍的に伸びて参りました。
現在の当社の数百億の売り上げの原点は「この時」にあると今でも思っています。
「小さな一流企業」これが当社の「目標」です。
1)自分の仕事 2)相手の仕事 3)誰の仕事でもない仕事 をどうするのか!
今、当社の」「1・1・2運動」を展開中の運動です。
安田紘一郎雑記帳
「気付き」とは何か?
他とは違う「気付き」を教えて戴きました。
【川西氏】はこのたび【松原市商工会議所・会頭】に
就任され益々のご活躍が期待されております。
川西様より戴いた「講演」の中で、本日はお客様について投稿致しましたが
機を見て次回は教育と経営についてのお話の中より投稿いたします。
【ちょっとの気付きで人は変わる!】
川西です。歴史ある会の皆様の前でお話させて戴く事に緊張しております。
私が会社を興してから30年になりますが「追い風」の時もありましたが
「向かい風」の時もあり、又「無風」の時もありました。
振り返ってみますと「向かい風」の時の方が多かったように思います。
そのお蔭で自分なりに色々なことを学ばせて戴きましたが、特に
「ちょつとした気付き」で人は大きく変わる事を学びました。
私は香川県の四国山脈に近い田舎で3人兄弟の次男坊として育ちましたが、
高校を出ると働いて家計を助けるために大阪へ就職して参りました。
頑張って、お金を稼いで少しでも「親の手助け」になればの一心でしだ。
大阪に出ても「住むところ」も「寝るところも」ありませんので、
住み込みで働き、少し給料の貰える、お米屋さんの問屋に就職しました。
仕事は60キロ・100キロの重たい米俵を車に積み込んだり、降ろしたりする
作業で、その会社にはリフトのような機材はなく、全て人の力による重労働でした。
大変な仕事でしたので殆どの同僚が仕事が続かず、次から次と退社して行きました。
真夏の暑い日に60キロ・100キロの重たい荷物を何百・何千と運ぶ仕事は過酷で
しんどいものでした。
でも頑張って働けたのは私には「夢」と「目標」があったからです。
【目標は人生をデザインする道具である】
「目標」を達成する為には「諦めない」「我慢をする」の
二つの気持ちが大切がだと思います。
辞めていった多くの同僚は「しんどい・きつい・給料が少ない」などの
目先の事ばかりを考え、将来の「夢や計画」何がしたいのか、
全く思ってなく、その場だけの生活を送っていたようでした。
【苦労という言葉は”夢”の実現が遠くなる】
よく皆様から「苦労されたんですね」と言われますが、
その時私は「いえ少しだけ努力しました」と答えています。
「努力」は「人」を裏切りません!
そして、6年後その大恩ある米屋さんを退職し、念願の自分の店
を持つことになりました。
開業したのは、大阪南部の「松原市」で【7坪】の店からのスタートでした。
自分の店を持てたのが「嬉しくて嬉しくて」私にとっては
夜も寝付かれないほど一大事でした。
その時代「米」は国の規制に関わる事業で、国の許可が必要でした。
当時「松原市」には「コンビニ」がなくお客様は「米」は「米屋」で
買うしか方法が有りませんでした。
「松原市」人口137000人の中に「米屋」さんが「43軒」あり
私が「44軒」目の開店でした。
開店は致しましたが、全く商売にならず大苦戦のスタートとなりました。
販売にお宅にお伺いしても「お米は先祖来々、買うお店がきまっているのよ」と
断られ、お客様の開拓がどうにもならず、1ケ月・2ケ月・半年過ぎても
全く売れないで、家賃さえ支払い出来ない日が続きました。
そんな悩みが続くなかで、ハッとある事に気がつきました。
【最大のライバルは時代】
「43軒」の米屋さんが「同じ方向」を向いて営業をしていたのです。
「配達は5時まで」「配達は建物の1階まで」「日曜祭日は休み」が
全てのお米屋さん43軒のの顧客サービスでした。
そこで私は「配達は何日でも・何時でも・お宅の米びつまで」の
サービスを始めました。
追い風も吹きました。「高度成長時代」松原市には、どんどんと新しい
「マンション」や「ハイツ」が建ち、生活習慣にも変化があり、
女性の社会進出で奥様が仕事を持ち「昼間は留守」の家庭も、
増えてまいりました。
昼間働いて帰宅する奥様には「年中無休で夜間でも配達します」は
便利と喜んで戴き、「米びつまでのサービス」は
4・5階などでエレベーターのない住宅の方に重宝され
幼い子達を持つ若いママには感謝されました。
「そこまでやっくれるのか!」のサービスが感動を呼ぶと思います。
サービス業は「今日一日、たった一人のお客様に」「こころから有難う」と
感謝を持って接するよう心がけると、そのお客様がお客様を呼び、
結果的にお客様が増えるということにつながります。
今の時代は知れば知るほど、乗り切るのは大変で、難しいと感じている方は
多いと思いますが、しかし世の中は常に変化するものであり、
時代が変わったら、当然自分も変わるべきです。
でも自分自身を変えるのは至難ですが、変わる必要に迫られている事に
「気付く」ことが大切なのです。
そんな環境の中での私の「サービス」は、多くのお客様に「ご注文」戴き、
その上、感謝までされて、業績は飛躍的に伸びて参りました。
現在の当社の数百億の売り上げの原点は「この時」にあると今でも思っています。
「小さな一流企業」これが当社の「目標」です。
1)自分の仕事 2)相手の仕事 3)誰の仕事でもない仕事 をどうするのか!
今、当社の」「1・1・2運動」を展開中の運動です。
安田紘一郎雑記帳
「気付き」とは何か?
他とは違う「気付き」を教えて戴きました。
【川西氏】はこのたび【松原市商工会議所・会頭】に
就任され益々のご活躍が期待されております。
川西様より戴いた「講演」の中で、本日はお客様について投稿致しましたが
機を見て次回は教育と経営についてのお話の中より投稿いたします。