紘一郎雑記帳

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安田紘一郎雑記帳【知るほどに愛せる大阪・十三の由来】

2009-04-26 10:18:14 | Weblog
【西俣 稔氏「講演会とそのレジュメ」より】

只今「安田紘一郎様」より「世界でただ一人の大阪案内人」と
紹介して戴きましたが
本当は「宇宙でただ一人の大阪案内人」の「西俣」です(笑い)

【なぜ「大阪と京都」だけが「府」なのでしょう】

明治元年「徳川幕府の直轄領」が「明治政府の直轄領になり
「京都、大阪、東京」の重要地域を「府」とし
それ以外を「県」としのが始まりです。

以後色々と変節や改革が行われ「東京は」昭和13年に東京市と合併され
「都」と成りましたが「大阪と京都」はそのままの体制が残っているのです。

【なぜ梅田に大阪駅】

今、この会場がある「梅田界隈」についてお話しますと
この地域周辺は「梅田、角田、芝田、池田、或いは小松原」など
田舎や農村の地名が多く残っていますがこのあたりは
明治までは農業とそして墓地(梅田墓地)があるところでした。

明治7年「関西」に鉄道を作り汽車を走らす事業が始まりますが、
その駅を何所にするかで大きな問題が起きました。

当初は当時の大繁華街であった「堂島」に駅を作る予定でしたが、
周辺の方が猛烈な反対運動を致します。

煙を吐いて走る汽車は「危ない、火事が心配。うるさい」などが
反対の大きな理由でした。

仕方無しに少し手前の、田舎で反対の少ない「梅田」に駅を
作ることになったのです。

「原発やゴミ集積場、高速道路設置」などで揉めるのは現代と同じですね。
是非、作って欲しいが自分の近くでは嫌・・何所か違う場所に・・
時代は変化しても人間の本質は変化しない様です。

そして梅田に「大阪ステンション・当時名」が出来、
今の梅田の繁栄と繋がっていきます。


【大阪の素晴らしい先人たち】

大阪発展で忘れらない先人が多くありますが、
その中の一人「大橋 房太郎」の話を致しましょう。

明治43年の「新淀川完成前」は「川幅約50~150m」の
「中津川」が蛇行し大雨の時には淀川水流が氾濫し
有史上「250回」ほど大洪水あり、特に「明治18年、29年」には
大阪に多くの死者を出し莫大な損害をだした大水害でした。

「放出村出身」の府会議員「大橋房太郎」は米屋を営む傍ら
この現状を肌で感じ「淀川改修」に命を燃やし
「淀川屋」とあだ名で揶揄されても一貫して
今で言う「マニフェスト」も「淀川改修」の一つだけでした。

改修予算獲得のため、国会へ何度も陳情し、29年の大洪水を機に、
予算が通った際には国会で「淀川万歳・・」叫び守衛に
連れ出された記録も残っています。

帰阪した「大橋房太郎」は千人の支持者に地車(だんじり)を
繰り出しての大歓迎を受けました。

こうして「12年の歳月」をかけて「川幅650m」の淀川が
開削され頻繁に起っていた「淀川大水害」から助けられたのです。

【十三について】

この淀川に架かる「十三大橋」を「阪急電車は30秒」で通過しますが
歩いて渡りますと「15分」です。 

そこが「十三」です。 この地名「十三」の由来は、
どの文献も「淀から数えて13番目の渡し船場」の説が
書かれていますが私は異論が有るのです。

「1575年」の文献「大谷本願寺通記」に「十三渡し」の
意が記されていますが、「1583年」の「大阪城起工」の
以前に「13の渡し」あったとは考えられません。

「13の渡し」が出来たのはずっと後の時代だと思います。

私は「十三の」北に「十八条」の町名が残るので
「古代西成郡の条理制説」信じています。

「大化の改新」で各郡に租税の為の【一区画】を「654m」に設けています。

当時の「西成郡」の基点は「飛田(現・山王町)」でした。

その基点「飛田」から「十三」までは「8,5k」でなん【13区画】となり
「十八条」までは「11,8k」で【18区画】となるのです

この説を「毎日新聞」に掲載しましたが何所からも異論が無く正しい説と確信致しました。

「十三の地名」が世の中に知れたのは「箕面有馬電気道(現・阪急電鉄)」が
当時のこの地名「成小路」の駅名にせず「十三」としてからです。

阪急創設者「小林一三翁」も「十三駅名命名」に一役ありましたでしょうか?
是非、お聞きしてみたいものです。

時間が参りましたので本日は「知るほどに愛せる大阪」さわりだけの
講演と成りましたが修了させて戴きます。

 【紘一郎感想】

大阪は本当に「歴史と文化とユーモア」を感じる町ということがわかりました。

因みに明治7年開設の【大阪ステンション(現・大阪駅)】の
【初代駅長】は【長州藩の武藤正明】でその【婦人武子さん】は
あの【高杉晋作】の【妹でお武さん】のことです。
【大阪駅初代駅長は高杉晋作の義理の弟なのです】。
大阪駅には維新の偉大なる偉人【晋作】の思いのあるのです。