Yokoさんがコメントしてくださっている、ワシントンャXトの記事を読んだ。
http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2005/09/02/AR2005090202249.html
小泉が「刺客」として使っている女性議員のことが書いてあり、いちおう批判の声も挙っているとあるものの、「自民党が変わっている」なるコメントで記事が締めくくられているあたり・・ああああという感じ。あれを読んだアメリカの読者は、「おお、日本も自民党も変わってきていて、小泉もいいことをしているんだ」と勘違いしてしまいそうなのが浮「かも。
しかし、今回の選挙、あまりにあまりの展開で、いったい何をブログに書いたらいいのか・・と考えているうちに今日に至ったという感じ。で、新聞系サイトを見てみれば、自民党が過半数の勢いだとか。いったい日本はどうなってしまっているんだろう。「改革」という、具体的に何を示しているのか実に曖昧な言葉に踊らされ、だまされているんじゃないだろうか。
そして、小泉自民党による女性を使った「刺客」作戦。女性議員が日本の議会にあまりに少ないから、とにかく女性議員を増やそう、と動いてきた女性運動だったが、今回の「刺客」みたいな女性議員が増えてもかえって害悪になるのは明らかだ。私自身、「女性議員を増やそう」運動に多少は関わってきたので、今回の事態はどう考えていいのか、そして、どのように今後の運動を組み立てていくべきなのか、考えてしまう。
「女性議員を増やそう」運動に関わっていたときも、内部でいろいろ議論はあった。「女性議員だったら誰でもいいのか」という問いは常にあった。そして、当然ながら「女性議員だったら誰でもよい」わけではなかった。政策は非常に重要だ、というのは、ほとんどの人たちが思っていたと思う。
でも、「日本には女性議員が少なすぎる」「女性議員がいれば、少なくとも男ばかりの議会が気づかない様々なことに気づく可能性はある」「それがたとえ、議会に女子トイレがない、というレベルのことだったとしても、ほんの少しの変化だとしても、重要だ」「数は重要だ。女性議員がまったくいない環境自体が異常で、このような環境に慣らされるのはよくない」などなど。。様々な議論をへて、「そうだよね、やっぱり女性議員は増やすべきだ」と考えるようになった。そして、「女性議員が増えるべき」という私の基本スタンスは、いまでも変わってはいない。
しかし、今回の「刺客」のような女性議員は・・とくに「日本会議」がらみの女性議員たちは、「増えるべき」対象の「女性」カテゴリーにいれてもいいのだろうか。当然ながら、違う、と思う。
「女だったら誰でもいいのか?」この基本的な疑問に再度立ち返って、議論をし直す時なのではないかという気がしている。
本来、民主党がもっともっと女性議員登用に力を尽くすべきだったのではないかと思うが、そうはしてこなかった。そして、女性を議員を多く出してきた(現在の自民党なんかより、全然多くの女性たちを・・)社民・共産に関しては、ほとんど報道もされないという現状。深刻な状況だと思う。
http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2005/09/02/AR2005090202249.html
小泉が「刺客」として使っている女性議員のことが書いてあり、いちおう批判の声も挙っているとあるものの、「自民党が変わっている」なるコメントで記事が締めくくられているあたり・・ああああという感じ。あれを読んだアメリカの読者は、「おお、日本も自民党も変わってきていて、小泉もいいことをしているんだ」と勘違いしてしまいそうなのが浮「かも。
しかし、今回の選挙、あまりにあまりの展開で、いったい何をブログに書いたらいいのか・・と考えているうちに今日に至ったという感じ。で、新聞系サイトを見てみれば、自民党が過半数の勢いだとか。いったい日本はどうなってしまっているんだろう。「改革」という、具体的に何を示しているのか実に曖昧な言葉に踊らされ、だまされているんじゃないだろうか。
そして、小泉自民党による女性を使った「刺客」作戦。女性議員が日本の議会にあまりに少ないから、とにかく女性議員を増やそう、と動いてきた女性運動だったが、今回の「刺客」みたいな女性議員が増えてもかえって害悪になるのは明らかだ。私自身、「女性議員を増やそう」運動に多少は関わってきたので、今回の事態はどう考えていいのか、そして、どのように今後の運動を組み立てていくべきなのか、考えてしまう。
「女性議員を増やそう」運動に関わっていたときも、内部でいろいろ議論はあった。「女性議員だったら誰でもいいのか」という問いは常にあった。そして、当然ながら「女性議員だったら誰でもよい」わけではなかった。政策は非常に重要だ、というのは、ほとんどの人たちが思っていたと思う。
でも、「日本には女性議員が少なすぎる」「女性議員がいれば、少なくとも男ばかりの議会が気づかない様々なことに気づく可能性はある」「それがたとえ、議会に女子トイレがない、というレベルのことだったとしても、ほんの少しの変化だとしても、重要だ」「数は重要だ。女性議員がまったくいない環境自体が異常で、このような環境に慣らされるのはよくない」などなど。。様々な議論をへて、「そうだよね、やっぱり女性議員は増やすべきだ」と考えるようになった。そして、「女性議員が増えるべき」という私の基本スタンスは、いまでも変わってはいない。
しかし、今回の「刺客」のような女性議員は・・とくに「日本会議」がらみの女性議員たちは、「増えるべき」対象の「女性」カテゴリーにいれてもいいのだろうか。当然ながら、違う、と思う。
「女だったら誰でもいいのか?」この基本的な疑問に再度立ち返って、議論をし直す時なのではないかという気がしている。
本来、民主党がもっともっと女性議員登用に力を尽くすべきだったのではないかと思うが、そうはしてこなかった。そして、女性を議員を多く出してきた(現在の自民党なんかより、全然多くの女性たちを・・)社民・共産に関しては、ほとんど報道もされないという現状。深刻な状況だと思う。