先日から、macskaさんのところで、「ジェンダーフリー」と「男女平等」という言葉をめぐって論争が繰り広げられている。
それがまた広がって、斉藤正美さんや書いた文章が引用されたりしているのをちらほら見かけるようになった。
だが、なぜかWeに掲載した私の文章「ジェンダーフリー概念をめぐる混乱の根源(1)」だけを引用されるパターンが多い。途中で切れている文章なので、これだけだとわかりづらいんではないかなあ。
斉藤正美さんと私が「ジェンダー」や「ジェンダーフリー」に関する考察をまとめているサイト「ジェンダーフリー概念から見えてくる女性学・行政・女性運動の関係」がありますので、こちらをご覧ください。
ひとつ言いたいのは、私のャCントは別に「ジェンダーフリー」概念の意味がオリジナルと比べて間違っている、けしからん!ということではなく、その間違いから見えてくる、ひよった行政(もとはといえば「男女平等」がラディカルすぎて反発食らうと考えて、「ジェンダーフリー」を考えだしたんだろうから。)と、それに癒着してきた一部の学者たちの関係という構造的な問題にあります。そして、アメリカ白人の権威を使ったのは、「ジェンダーフリーはアメリカの教育学者が使う言葉だ!」という主張にこだわった学者たちのほう。それが見事に失敗に・・というストーリーから、見えてくる根源的な問題点は何だろう?というところにありました。
それがまた広がって、斉藤正美さんや書いた文章が引用されたりしているのをちらほら見かけるようになった。
だが、なぜかWeに掲載した私の文章「ジェンダーフリー概念をめぐる混乱の根源(1)」だけを引用されるパターンが多い。途中で切れている文章なので、これだけだとわかりづらいんではないかなあ。
斉藤正美さんと私が「ジェンダー」や「ジェンダーフリー」に関する考察をまとめているサイト「ジェンダーフリー概念から見えてくる女性学・行政・女性運動の関係」がありますので、こちらをご覧ください。
ひとつ言いたいのは、私のャCントは別に「ジェンダーフリー」概念の意味がオリジナルと比べて間違っている、けしからん!ということではなく、その間違いから見えてくる、ひよった行政(もとはといえば「男女平等」がラディカルすぎて反発食らうと考えて、「ジェンダーフリー」を考えだしたんだろうから。)と、それに癒着してきた一部の学者たちの関係という構造的な問題にあります。そして、アメリカ白人の権威を使ったのは、「ジェンダーフリーはアメリカの教育学者が使う言葉だ!」という主張にこだわった学者たちのほう。それが見事に失敗に・・というストーリーから、見えてくる根源的な問題点は何だろう?というところにありました。