後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

「妻の楽しい幼少時の鎌倉ものがたり」

2024年06月19日 | 日記・エッセイ・コラム
鎌倉はいろいろな意味で確かに魅力ある町です。観光客が絶えません。
しかし私にとって鎌倉は特別な意味があります。家内が生まれ、そこで終戦の年まで育った場所でした。終戦時は国民学校2年生でした。
家内は結婚以来何度も、何度も鎌倉での楽しい思い出を話します。
家内の話を聞いてから、私も彼女の昔の家の近所を何度か散歩しました。そして鎌倉の中をいろいろ歩き回りました。
家内が鎌倉生まれで小学校まで住んでいた処は長谷寺の近くで現在の鎌倉文学館の下でした。幼稚園は六地蔵の傍にあった聖母幼稚園へ行っていたそうです。その幼稚園を探したら名前は変わっていましたがありました。
通っていた小学校は御成小学校です。現在も当時のままの門がありましたので写真を撮りました。
1番目の写真は御成小学校の門です。御成小学校は海蔵寺や寿福寺に行く途中にあるので何度も行きました。戦前の校門と講堂が残っています。
妻が昔住んでいた家の上の丘には現在、鎌倉文学館学館がありますが当時は加賀藩主だった侯爵前田氏の別荘でした。鎌倉文学館はその別荘の建物をそのまま使っています。何度か入りましたが川端康成、芥川龍之介、久米正雄ら鎌倉文士やゆかりの作家300人余の原稿や初版本が展示してあります。そして昔の別荘の華麗な内装や家具を眺めて楽しみました。
2番目の写真は現在の鎌倉文学館学館です。
そこは当時、妻は加賀様山と呼んでいて、別荘の庭やその周囲の丘や草原で毎日のように遊んでいたそうです。
3番目の写真は昔家内の家のあった場所です。1975年頃迄は当時のままの2階建ての家が残っていました。
そして自宅から路地を抜けて、江の電の線路を渡ると由比ヶ浜です。夏になると親類の若者や子供達が海水浴に来て、何日も泊っていきます。
4番目の写真は由比ヶ浜です。
家内の父親は横須賀の海軍の経理学校で教えていました。一応佐官待遇だったようですが自由な思想の持ち主で陸上競技や野球を楽しんでいました。
鎌倉は終戦まで大規模な空襲が無かったので、戦前の余裕のある楽しい生活が続けられたのです。
鎌倉に行く度に家内が元気はつらつになるので、何度も行くことになりました。そのうち私自身も第二の故郷のように思うようになります。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)

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