スケッチブック30

生活者の目線で日本の政治社会の有様を綴る

スケッチブック30(疑問 半藤一利氏)

2021-01-16 11:04:57 | 日記
1月16日(土)
 半藤一利氏がお亡くなりになられた。御高名は窺っているが私は氏の著作は何も読んでおらず、昔見て感動した「日本の一番長い日」(白黒)の、原作者として存じ上げるに過ぎない。心からご冥福をお祈りする次第だが、たまたま今「昭和天皇独白録」(文藝春秋社1991年第1刷)を読んでいて、その注を半藤氏が書いておられて、氏ともあろう人が何でこんな間違いをしているのかと非常に疑問に思っていたところなので、記してみる。支那事変の注にこうある。
 「石原莞爾の事変不拡大の方針に、正面から反対したのが陸軍省の軍務課長武藤章であったことは知られているとおり。怒る石原に『私たちは満州事変の時の閣下と同じことをしているのです』と軽く武藤がいなした話も有名である。」
間違いを指摘すると
1、武藤章は陸軍省軍務課長ではなく、参謀本部作戦課長である。つまり石原の直属の部下であった。
2、陸軍省にあって武藤と気脈を通じて石原の不拡大方針を潰したのは、軍事課長の田中新一である。武藤と田中を取り違えていたとしても軍務課長ではない。ここから半藤氏が軍務課長と軍事課長の業務の違いに通じておられなかったように、受け取られてしまう。
3、武藤がいなした有名な話は、一年近く前の、武藤が関東軍参謀であった時の、北支工作に関しての出来事である。
 ここの所は昭和史に無関心な人はともかく、少しでも勉強した人にとって初歩的な、いわば入門編的な知識である。なんでそんな所で間違えたのか非常に不思議なのである。仮に半藤氏がそう書いたとしても編集者が見落とすであろうか。半藤氏の注とあるが本当は半可通の編集者が書いたのではないかとも思ってしまう。
 しかし半藤氏は「まえがき」の所でも、松平康東と松平康昌を取り違えている。ここは少しマニアックな知識だが、これからして「昭和天皇独白録」の他の部分の注も、果たして本当かと疑ってしまう。もちろん私にその真偽を検証する知識はないのでそのまま読んでいるのだが、不安に駆られる。こういう本を出している文藝春秋社にも疑いを持つ。
 ネットは真偽を疑えとはよく聞くが、ちゃんとした出版物でも、批判的な目は必要だと思った次第である。