やまちゃん奮闘記

1970年代から海外に出かけ、滞在した国が合計26か国、21年の海外生活が終わりました。振り返りつつ、日々の話題も、

この時期、いつも話題となる南京事件30万人の根拠とは?

2016-12-17 | 政治・経済

12月13日は、「南京大屠杀国家公祭日」。この時期になると、いつも、南京虐殺記念館に掲げられている遭難者30万人の数字が話題となる。

南京事件の犠牲者「30万人」説の起源は、戦後、南京で開かれた国民政府国防部審判戦犯軍事法廷(南京軍事法廷)と東京裁判にさかのぼる。これらの裁判に提出された、中国側が作成した「敵人罪行調査報告」が出発点だ。

この報告は南京軍事法廷に先立つ1945年11月から46年2月にかけて、南京地方法院検察処が、住民の目撃証言や遺体を埋葬した慈善団体などの記録をまとめたもので、この中に被害者数を「34万人」と主張するくだりがある。だが、同じ報告の別の箇所には「集団虐殺二十余万人」、「確定被殺者既に30万に達し、なおいまだ確証を得ざる者合計20万人を下らざる」の記載があるなど、異なる数字が混在する。

ほかにも被害者数について「27万9586人」という数が登場するが、その内訳として列挙された目撃証言や埋葬遺体数を足しても27万人には達しないなど不透明な部分が少なくない。

それでも、南京軍事法廷はこの報告の内容を受け入れ、47年3月、南京攻略時の第6師団長(中将)、谷寿夫(ひさお)に対する判決で「集団殺害19万人以上、個別殺害15万人以上、被害総数30万人以上」と認定した。➡産経新聞、こちらのサイトなど

「南京で2万の強姦(ごうかん)、20万人以上の殺害があった」と断定した東京裁判だが、司令官だった松井石根に対する判決では「南京陥落から6、7週間に何千という婦人が強姦され、10万人以上が殺害」とそれぞれ数を引き下げている。

日本政府も、南京虐殺は否定していないが、この30万人については認めていない。➡外務省サイト

しかし、今回、訪日している南京虐殺記念館・元館長の朱成山は公演で、この論議に対して、「30万人という被害者の数は歴史的事実。国際法廷で出た結論だ」と述べ、「30万人以上になるのは確実だ」と主張している。→産経新聞

この朱成山と言う御仁は、1954年生まれの南京人。南京事件などを一筋に研究してきて人物で、「旧日本は悪人」で凝り固まっているように見受けられる。中国政府も、この人の発言が、日本を叩くのに有利と判断し、後押ししている。➡中国大使館報道 

中国内からアクセスできる百度百科で、「远东国际军事法庭」などを検索してみると、30万人がでてくる。20万人や10万人の数字は見ることができない。

30万人と言う数字と違う根拠がいくつか上がっているが(こちらのサイト)、中国側で、この30万人に疑問を唱える人はなかなか出て来ないですね。「30万人説」が一人歩きしている。

金盾も中国側主張の一因になっていると思われる。(中国政府に不都合なサイトは中国ではアクセスできない。)

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上記左写真:1937年12月12日、城内に進撃する日本軍の攻撃によって敗走して挹江門を通り抜けようとした中国国民政府軍87師、第88師および教導総隊の潰走兵と、それらを武力阻止するよう唐生智に命ぜられた国府軍第36師212団とが衝突して双方が発砲した結果、約一千名の中国軍兵士が死亡したとされている挹江門事件後の12月17日に、長谷川司令長官の日本海軍将兵は南京長江に面する港の下関(Xiàguān)に上陸、軍艦旗を掲げて挹江門(yì jiāngmén)から南京に入城した。

写真右は現代の挹江門(yì jiāngmén)

  

 

  

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日本人と中国人が見る南京事件の不一致

2016-12-17 | 政治・経済

日本人和中国人眼中的不一样的南京大屠杀」と題して、中華網が対照的な写真を掲載して、比較をしている。

日本軍の南京入城に際し、道路脇で拍手で迎える中国人、病院で治療にあたる日本軍。

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これに対して、死体が転がっている写真、首切りの写真など対比している。南京虐殺記念館の展示物がすべて正しいものではないことを知ってもらいたいものだ。

中国人の評はいかに?

 

 また、「生活在南京的日本人」と題して、南京に住んでいる日本人を紹介している。日本人会会長の兎澤さんの名も出ている。

彼らは、当初は歴史的要因で南京での生活を心配していたが、実際に生活してみると案外普通で生活しやすいと。しかし、南京大虐殺紀念館では、日本語を話すことはできなかったと。

これに対して、いろいろコメントが寄せられてるようだ。

「歴史を抜きにすれば、仕事や生活で出会う日本人はみんな礼儀正しい」「日本人はとてもいい人たちだよ。悪いのは日本政府」

「中国政府は絶えず反日感情を煽っていて、庶民の対日感情を悪化させ、国内矛盾から目をそらさせている。」 などと。

 

 

 

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大活躍の検疫探知犬@成田空港

2016-12-15 | 社会・風俗

厦門航空の便で、成田空港に降りた。荷物CLAIMカウンターはA1と端っこで、動植物検疫カウンターの前。

荷物が出始めると、検疫探知犬が次々と怪しい鞄を嗅ぎ分けて、鞄の前に座り込む。係官は、乗客にこんなものなど持ってますかなど、質問し、すぐ前の動植物検疫カウンターへ誘導する。

中国から来る人は肉類、果物類など持ち込み禁止品を持っていることが多いですね。かなりの人が誘導されていた。


検疫探都犬

 最近、関西空港で2頭増加され、現在、日本の空港には全部で24頭の検疫探知犬が活躍している。

多いときは1便に5件の輸入禁止食品を発見する活躍とか。

 

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79年前の今日(続き)@南京

2016-12-13 | 政治・経済

79年前、国民政府の首都南京を攻略することによって、戦争を終わらせることができると考えた日本の軍部は、上海戦で消耗し、十分な補給体制のないまま、一気に南京攻略に突入した。 11月7日に上海派遣軍は第10軍とともに中支那方面軍(司令官:松井石根)として改編された。

11月19日には第10軍が和平工作をすすめる軍中央の方針を無視して、その後上海派遣軍が、撤退する中国軍の追撃を独断で始め、首都南京への侵攻を目指した。

日本軍が南京城に迫る中、蒋介石ら中国首脳部は南京防衛司令官唐生智と防衛軍を残して、12月7日に南京を脱出した。

日本軍は12月8日には南京を包囲し、12月9日に中国軍に対し無血開城を勧告した。

中国軍が開城勧告に応じなかったために、日本軍は12月10日には攻撃を開始した。

南京防衛司令官の唐生智も12月12日に逃亡した。 しかし、南京の中国軍の大半は組織的撤退を知らないか、知らされても安全に逃げられない状況であった。中国兵の中には塹壕に足を縛られて防戦させる者もいたし、唯一の逃避路である北部の長江へつながる挹江門に仲間を撃つことを躊躇しない督戦隊が置かれて撤退する側と同士撃ちとなった (挹江門事件)。

12月13日には中国軍は総崩れとなり南京城は陥落した。

陥落時には南京城の北側から長江の対岸へと逃げようとした非常に多くの兵隊・一般人が、舟もない中で渡河しようとして、大半が途中で溺れ死んだ。 その後は敗残兵掃討が行われ、一般市民も多数犠牲となった。

中国では、「1937年12月13日に中国を侵略していた旧日本軍が南京市で40日間以上にわたって虐殺を行い、30万人以上が殺害された」として、この12月13日を「南京大虐殺犠牲者国家追悼日」とすることを2014年初めに決めた。

2014年12月13日の初回国家追悼日には、中国共産党中央委員会総書記、国家主席、中央軍事委員会主席の習近平氏が出席して、重要スピーチを行った。

今年も雨の中、地元市民などが参加し、行われた。➡こちらの政府報道(含む写真21枚)

昨年に続き習近平国家主席ら最高指導部メンバーは姿を見せなかった。日中関係に一定の配慮を示したとみられる。➡朝日新聞


南京大虐殺犠牲者国家追悼

 

  この南京事件に関しては、「南京大虐殺文書」のユネスコ記憶遺産登録フランス博物館での「南京事件」展など、国際的にひろがりつつある。日本人は肩身が狭くなるばかり。

日本政府殿、国民の利益を守るのも政府の仕事ですよね。何とかしてくださいよ。

 

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中華料理と中国料理は違うの?

2016-12-11 | 食事・食物

あれっ?と思える記事を見つけた。「日本の「中華料理」と「中国料理」の違いは?―中国メディア」→こちら

普段、あまり考えたことがないが、言われて見れば、違うのかな?

ネットでそれぞれ検索してみると、中華料理:中国菜(Zhōngguó cài チョングオツァイ)は、中国で食べられてきた料理、またはその技法や調味料で作られた料理。中国においても、地方ごとに食材も異なり、調理法や味付けも地域差が大きい。日本を含め世界的に広く普及し、また現地化も進んでいる。

日本国内において中華料理と呼ぶ場合は、日本人向けに味付けや調理法が工夫、創作された大衆料理を指し、ラーメンや餃子を代表的な料理とする事が多く、中国料理または地名をつけて広東料理上海料理と呼ぶ場合は、中国本来の料理を指す事が多いと。

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この記事に言うように、「中華料理」と呼ばれている店の多くは裏路地にあり、夫婦で経営しているといったような個人経営で小さな店舗であることが多い。そして、内装もシンプルで、メニューはラーメンやチャーハン、ギョーザ、麻婆豆腐、チンジャオロースなどがメインだ。

 確かに、日本の「中華料理」はローカライズされており、日本人の好みに合わせて味付けが変えられ、調理法も大きく異なっている。

もし、本場中国と同じ料理を食べたいなら、「中国料理」と掲げられたレストランに行かなければならない。「中華料理」店と「中国料理」店は、メニューの種類や価格帯が異なるほか、店内の雰囲気も全く違う。

ネットで、中国料理店で検索してみると、大きな店は中国料理店のようだが、ナビなどは、中華料理で出て来ており、はっきり区別はしていないようだ。

 

今晩は、同僚と一緒に、地元の海鮮料理屋でLOCAL FOODの海鮮料理を食べてきた。魚、蟹、鮑など醤油味ですが、味付けはまさしくLOCALでさっぱりしている。魚が新鮮で美味しい!!

魚や 蟹


 

魚1 魚2

 

鮑 トン汁

 

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