やまちゃん奮闘記

1970年代から海外に出かけ、滞在した国が合計26か国、21年の海外生活が終わりました。振り返りつつ、日々の話題も、

79年前の今日(続き)@南京

2016-12-13 | 政治・経済

79年前、国民政府の首都南京を攻略することによって、戦争を終わらせることができると考えた日本の軍部は、上海戦で消耗し、十分な補給体制のないまま、一気に南京攻略に突入した。 11月7日に上海派遣軍は第10軍とともに中支那方面軍(司令官:松井石根)として改編された。

11月19日には第10軍が和平工作をすすめる軍中央の方針を無視して、その後上海派遣軍が、撤退する中国軍の追撃を独断で始め、首都南京への侵攻を目指した。

日本軍が南京城に迫る中、蒋介石ら中国首脳部は南京防衛司令官唐生智と防衛軍を残して、12月7日に南京を脱出した。

日本軍は12月8日には南京を包囲し、12月9日に中国軍に対し無血開城を勧告した。

中国軍が開城勧告に応じなかったために、日本軍は12月10日には攻撃を開始した。

南京防衛司令官の唐生智も12月12日に逃亡した。 しかし、南京の中国軍の大半は組織的撤退を知らないか、知らされても安全に逃げられない状況であった。中国兵の中には塹壕に足を縛られて防戦させる者もいたし、唯一の逃避路である北部の長江へつながる挹江門に仲間を撃つことを躊躇しない督戦隊が置かれて撤退する側と同士撃ちとなった (挹江門事件)。

12月13日には中国軍は総崩れとなり南京城は陥落した。

陥落時には南京城の北側から長江の対岸へと逃げようとした非常に多くの兵隊・一般人が、舟もない中で渡河しようとして、大半が途中で溺れ死んだ。 その後は敗残兵掃討が行われ、一般市民も多数犠牲となった。

中国では、「1937年12月13日に中国を侵略していた旧日本軍が南京市で40日間以上にわたって虐殺を行い、30万人以上が殺害された」として、この12月13日を「南京大虐殺犠牲者国家追悼日」とすることを2014年初めに決めた。

2014年12月13日の初回国家追悼日には、中国共産党中央委員会総書記、国家主席、中央軍事委員会主席の習近平氏が出席して、重要スピーチを行った。

今年も雨の中、地元市民などが参加し、行われた。➡こちらの政府報道(含む写真21枚)

昨年に続き習近平国家主席ら最高指導部メンバーは姿を見せなかった。日中関係に一定の配慮を示したとみられる。➡朝日新聞


南京大虐殺犠牲者国家追悼

 

  この南京事件に関しては、「南京大虐殺文書」のユネスコ記憶遺産登録フランス博物館での「南京事件」展など、国際的にひろがりつつある。日本人は肩身が狭くなるばかり。

日本政府殿、国民の利益を守るのも政府の仕事ですよね。何とかしてくださいよ。

 

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