昨日の、南京大屠杀死难者国家公祭仪式で、習近平国家主席が、
「任何人要否认南京大屠杀惨案这一事实,历史不会答应,30万无辜死难者的亡灵不会答应,13亿中国人民不会答应,世界上一切爱好和平与正义的人民都不会答应。」と述べた。
意訳すれば、「30万人虐殺の事実の否定を13億の中国人民は受け入れない」。
しかし、この30万人の数字には、数々の説があり、日本政府は事件そのものの否定はしていないが、数字には同意してない。→外務省サイト
中国側は、南京軍事法廷判決を根拠としており、中国政府、侵華日軍南京大遇難同胞紀念館もこの数字を支持している。
(注:南京軍事法廷は蒋介石・中華民国の元で行われたもので、民国26年=1911+26=1937年。
「被害者総数は三〇万人以上に達する」との記述がある。)
一方、極東国際軍事裁判における判決では 20 万人以上。松井石根(陸軍大将=南京入城の中支那方面軍司令官)に対する判決文では 10 万人以上だった。←南京大虐殺論争
2006年~2009年の日中歴史共同研究でも、意見が分かれたようだ。
日本側:
日本軍による集団的、個別的な虐殺事件が発生し、強姦、略奪や放火も頻発した。
犠牲者数は20万人を上限として、4万人、2万人などさまざまな推計がある。
中国側の30万人以上という犠牲者数は南京軍事法廷に依拠している。
食い違いの背景には虐殺の定義や対象地域、期間などの相違が存在する。
虐殺の原因は、憲兵の数が少なく食糧や物資補給を無視した攻略で、略奪行為が起きたと指摘されている。
中国軍の民衆保護対策にも欠如があった。←2010年1月31日 共同通信
中国側:
日本軍は南京で多数の捕虜や住民を集団虐殺し、略奪を繰り広げた。重大な国際法違反だ。
英国人や米国人の住居も略奪の目標にされた。
日本軍は慰安所を設け、強制的に多くの女性を「性奴隷」とした。11歳から53歳までの中国人女性が強姦された。
東京裁判は占領後1カ月間に南京市内で2万件近い強姦事件が起き、同6週間で市内や近郊で虐殺された民間人と捕虜は20万人以上と認定、南京軍事法廷は犠牲者数が計30万人以上とした。
上記のように、議論が分かれているが、この流れに乗って、最近の中国側の発表には、約80万人もの人が減った根拠を見つけたと湧いている。← 吉林省公文館 2014年1月7日 2014年5月5日ブログ
しかし、城壁に囲まれた南京市内(横浜市鶴見区の約3倍面積に相当)に100万人以上の人が住むのは??で、あり、以前からいろいろ説が出て来てます。
<追記>
左記の地図のように、現在の南京市は市区で、4,737km2とかなり広く、人口も市区で、712万人とかなり大きい。
しかし、右の地図のように、1930年代の「南京」と言えば、周囲約35kmの城壁に囲まれた地域+その周辺を指し、現在の鼓楼区(下関区含む)、玄武区、建邺区(白下区を含む)、秦淮区を含む範囲を言っており、玄武区は紫金山がほとんどであり、また、建邺区の半分は沼地であり、その部分を差し引くと、約100kM2となる。これは横浜市鶴見区の 3倍(または、鶴見区+中区+港北区の合わせた面積より若干大きい地域)に相当する。
左記の写真は新街口に住んでいた人が、1937年の撮った新街口から中山門方向を撮った写真です。(ごく、新街口的百年变迁=最近、公開された。)
街の真中でも、民家は余り見られない。
このような状況で、南京に100万人以上が住んでいたと言うが、かなり、無理があると思われる。
やはり、この数字に関しては更なる検証が必要と思われる。
「任何人要否认南京大屠杀惨案这一事实,历史不会答应,30万无辜死难者的亡灵不会答应,13亿中国人民不会答应,世界上一切爱好和平与正义的人民都不会答应。」と述べた。
意訳すれば、「30万人虐殺の事実の否定を13億の中国人民は受け入れない」。
しかし、この30万人の数字には、数々の説があり、日本政府は事件そのものの否定はしていないが、数字には同意してない。→外務省サイト
中国側は、南京軍事法廷判決を根拠としており、中国政府、侵華日軍南京大遇難同胞紀念館もこの数字を支持している。
(注:南京軍事法廷は蒋介石・中華民国の元で行われたもので、民国26年=1911+26=1937年。
「被害者総数は三〇万人以上に達する」との記述がある。)
一方、極東国際軍事裁判における判決では 20 万人以上。松井石根(陸軍大将=南京入城の中支那方面軍司令官)に対する判決文では 10 万人以上だった。←南京大虐殺論争
2006年~2009年の日中歴史共同研究でも、意見が分かれたようだ。
日本側:
日本軍による集団的、個別的な虐殺事件が発生し、強姦、略奪や放火も頻発した。
犠牲者数は20万人を上限として、4万人、2万人などさまざまな推計がある。
中国側の30万人以上という犠牲者数は南京軍事法廷に依拠している。
食い違いの背景には虐殺の定義や対象地域、期間などの相違が存在する。
虐殺の原因は、憲兵の数が少なく食糧や物資補給を無視した攻略で、略奪行為が起きたと指摘されている。
中国軍の民衆保護対策にも欠如があった。←2010年1月31日 共同通信
中国側:
日本軍は南京で多数の捕虜や住民を集団虐殺し、略奪を繰り広げた。重大な国際法違反だ。
英国人や米国人の住居も略奪の目標にされた。
日本軍は慰安所を設け、強制的に多くの女性を「性奴隷」とした。11歳から53歳までの中国人女性が強姦された。
東京裁判は占領後1カ月間に南京市内で2万件近い強姦事件が起き、同6週間で市内や近郊で虐殺された民間人と捕虜は20万人以上と認定、南京軍事法廷は犠牲者数が計30万人以上とした。
上記のように、議論が分かれているが、この流れに乗って、最近の中国側の発表には、約80万人もの人が減った根拠を見つけたと湧いている。← 吉林省公文館 2014年1月7日 2014年5月5日ブログ
しかし、城壁に囲まれた南京市内(横浜市鶴見区の約3倍面積に相当)に100万人以上の人が住むのは??で、あり、以前からいろいろ説が出て来てます。
<追記>
左記の地図のように、現在の南京市は市区で、4,737km2とかなり広く、人口も市区で、712万人とかなり大きい。
しかし、右の地図のように、1930年代の「南京」と言えば、周囲約35kmの城壁に囲まれた地域+その周辺を指し、現在の鼓楼区(下関区含む)、玄武区、建邺区(白下区を含む)、秦淮区を含む範囲を言っており、玄武区は紫金山がほとんどであり、また、建邺区の半分は沼地であり、その部分を差し引くと、約100kM2となる。これは横浜市鶴見区の 3倍(または、鶴見区+中区+港北区の合わせた面積より若干大きい地域)に相当する。
左記の写真は新街口に住んでいた人が、1937年の撮った新街口から中山門方向を撮った写真です。(ごく、新街口的百年变迁=最近、公開された。)
街の真中でも、民家は余り見られない。
このような状況で、南京に100万人以上が住んでいたと言うが、かなり、無理があると思われる。
やはり、この数字に関しては更なる検証が必要と思われる。
============================================================================================
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます