南京日本人会の南京探訪第13回としての企画で、中山码头から長江フェリーに乗り、対岸の浦口码头で下り、南京北駅(浦口駅)を探訪。また、フェリーで戻り、下関区(鼓楼区と合併し、今後は鼓楼区)の大馬路、南京西駅を探訪して来ました.
左記は今回の探索の出発地点の「中山码头」の建物。2013年初めに改装された建物で、旧建物は、ここで見れる。
渡船。一人2元。地下鉄・バスなどの公共プリペードで支払すると1元。
南京北駅(浦口駅):1914年に建築され、南京の揚子江対岸北側で、天津からの津浦鉄路の終点。
1968年に南京大橋が完成するまで、北京天津方面からの列車はこの駅に到着し、旅客は渡船で南京に渡っていた。
2004年10月に旅客扱いが廃止され、現在、この駅を発着する列車はもうない。(駅ターミナル、プラットホーム、チケット売り場、駅の派出所などが完全に保存され、これから修繕され、重点文物として保護される予定)
また、中山码头から北へ向かい大馬路近くの長江沿いに、左記写真の記念碑を見かける。日本軍に殺害され、遺体を埋めた場所に設けられた。現在は護岸工事の為、全景写真は撮れなかった。
左記写真は、1895年に開通され、当時南京北側の重要な交通要道の大馬路。長江港、長江渡し場、南京西駅、汽車の渡し場を繋ぐ南京一の繁華街だった。1918年の江蘇郵政局旧館、1923年の中国銀行南京分行の旧館などの民国建築が残っている。
この辺り一帯を取壊し、再開発が計画され実行中ですが、これらの主だった建物は保存される模様です。
再開発後の風景
南京一の海鮮市場と言われた建物は取り壊されていた。
南京西駅:去年の3月25日に旅客輸送業務が停止された。1908年に運営を開始し、当時は「南京駅」という名前だった。南京で最も古く、旧瀘寧鉄道の始発駅だったこの駅は当時、南北の交通の要所であり、100年余りの歴史の移り変わりを見てきた。市の計画によると、当駅には歴史的価値の高い建物が多くあり、これから南京初の鉄道博物館に生まれ変わる見通し。
左記は今回の探索の出発地点の「中山码头」の建物。2013年初めに改装された建物で、旧建物は、ここで見れる。
渡船。一人2元。地下鉄・バスなどの公共プリペードで支払すると1元。
南京北駅(浦口駅):1914年に建築され、南京の揚子江対岸北側で、天津からの津浦鉄路の終点。
1968年に南京大橋が完成するまで、北京天津方面からの列車はこの駅に到着し、旅客は渡船で南京に渡っていた。
2004年10月に旅客扱いが廃止され、現在、この駅を発着する列車はもうない。(駅ターミナル、プラットホーム、チケット売り場、駅の派出所などが完全に保存され、これから修繕され、重点文物として保護される予定)
また、中山码头から北へ向かい大馬路近くの長江沿いに、左記写真の記念碑を見かける。日本軍に殺害され、遺体を埋めた場所に設けられた。現在は護岸工事の為、全景写真は撮れなかった。
左記写真は、1895年に開通され、当時南京北側の重要な交通要道の大馬路。長江港、長江渡し場、南京西駅、汽車の渡し場を繋ぐ南京一の繁華街だった。1918年の江蘇郵政局旧館、1923年の中国銀行南京分行の旧館などの民国建築が残っている。
この辺り一帯を取壊し、再開発が計画され実行中ですが、これらの主だった建物は保存される模様です。
再開発後の風景
南京一の海鮮市場と言われた建物は取り壊されていた。
南京西駅:去年の3月25日に旅客輸送業務が停止された。1908年に運営を開始し、当時は「南京駅」という名前だった。南京で最も古く、旧瀘寧鉄道の始発駅だったこの駅は当時、南北の交通の要所であり、100年余りの歴史の移り変わりを見てきた。市の計画によると、当駅には歴史的価値の高い建物が多くあり、これから南京初の鉄道博物館に生まれ変わる見通し。