東南アジア・ヴァーチャル・トラヴェル

空想旅行、つまり、旅行記や探検記、フィールド・ワーカーの本、歴史本、その他いろいろの感想・紹介・書評です。

『岩波講座 東南アジア史 2』その3

2009-06-25 22:05:01 | 通史はむずかしい
ベトナムと大陸北部のタイ人世界を積み残したが、ひとまず東南アジア史の古代世界から去る。

この第2巻で描かれるのは、モンゴル帝国のインパクトはけっして東南アジアの古き良き世界を壊滅させたのではなく、新しい時代の幕開けを告げるものである、という見方だ。
モンゴル軍の衝撃が大きかったか、さほど影響を与えなかったか、議論が分かれるところであるが、ひとつの時代の画期としては意味があるだろう。

〈13世紀の危機〉というセデスの説は、13世紀を分水嶺とする点では当たっているかもしれないが、決して危機ではなく、新しい世界の幕開けである。

ずっと後の世に、まだ東南アジア史研究家というものが存在したら、〈20世紀の危機〉はあったか否か?なんて議論をするかもしれない。

たとえば、

20世紀の東南アジアは日本の衝撃によって危機に陥ったか?

いや、日本の衝撃は、20世紀全般の北アメリカの衝撃に含まれるもので、連続した流れに位置づけられる。日本独自の衝撃などと呼べる要素はなかった。

いや、衝撃という用語自体おかしい。それ以前もそれ以後も、東南アジアらしさは継続している。日本も北アメリカも、20世紀以前から東南アジア史に参入しているプレイヤーたちの一つのすぎない。

いや、日本が関わった事件はさほど重要ではないが、この時期は、その前と後を分ける歴史的な画期として意味があるのだ。便宜的に、〈大日本参入時代〉と名づけよう。

それは過剰な評価である。この20世紀東南アジアはヨーロッパやラテン・アメリカ、イスラム世界と同じような世界システムの一部であったのだ。東南アジア特有の要素はない。ゆえに、日本の衝撃などという過大評価は、ちゃんちゃらおかしい。

いや、東南アジアにとってのインパクトは小さいが、日本にとっては重要な事件である。東南アジアの研究者も、日本のことを無視しないで、日本に与えたインパクトを理解してほしい。

……なんて議論をするかもしれない……


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