東南アジア・ヴァーチャル・トラヴェル

空想旅行、つまり、旅行記や探検記、フィールド・ワーカーの本、歴史本、その他いろいろの感想・紹介・書評です。

サマセット・モーム,『手紙』,1924

2007-07-27 17:39:27 | ブリティッシュ
W. Somerset Maugham, "Collected Short Stories" Vol. 4, Penguin Books, 1978

邦訳多数だが下記の2つのみ参考にした。

田中西二郎 訳 新潮文庫 など 1955年頃の翻訳?
中野好夫 訳 岩波文庫 など 1940年頃の翻訳?
国会図書館の書誌情報などで、各訳者の初訳を調べればいいのだが、めんどくさいのでやめる。現在入手できる版が改訂・改稿しているか、など無視する。

英文学の分野ではあるゆる重箱の隅をつついた論考・論文があるから、以下の感想・分析もすでに関係者の間では、あったりまえの常識かもしれない。
過去の研究を調べるのはめんどくさいし、ウェブ上ではほとんど日本語資料がないので、無責任に書く。もし、同様の分析があったら笑って許してね。

かんたんにストーリーと登場人物紹介。
この短編はストーリーを知ってしまったらおもしろさ激減なので、以下、未読の方は読まないように。
入手が容易だし、すぐ読めるので、今すぐ読んでみよう!

ジョイス:シンガポールに事務所をかまえる法律家。クロズビー夫婦の友人。拘束中のクロズビー夫人の弁護士。

ロバート・クロズビー;マレー半島でゴム・エステートを経営する。他にも資産多数。
レズリー・クロズビー;その妻。

ジェフ・ハモンド;クロズビー夫妻の隣人(といっても8マイル離れている。)第一次大戦で負傷。夫妻とは、ここ数年、交際はほとんど無い、ということ。

オン・チ・セン;ジョイスの事務所の事務員。中国人。

物語は、ミセス・クロズビーが逮捕され、夫が弁護士・ジョイスに相談に来ているシーンから。

拘束中の妻・レズリーによれば、夫の留守中、深夜訪れたハモンドが、夫人につめより、暴行をはたらこうとした。パニックに陥ったレズリーは、夢中で銃を連射。ハモンドは即死。
夫人は正当防衛で無罪になると思われるが、規則上、公判まで拘束されている。夫は妻を思い、憔悴している。

夫・ロバートが帰ったあと、事務員のオン・チ・センがジョイスにある情報を持ってくる。
レズリーが暴行犯ハモンドに宛てた手紙が存在する。オンは手紙のコピーを見せる。もちろんコピーは証拠にならないが、自筆の手紙を取引したいという「友人」がいる、という情報を伝える。
コピーの手紙によれば、妻・レスリーは夫の留守を知らせ、秘密の逢瀬を懇願している。

弁護士・ジョイスは拘束中の夫人を訪問する。
会話の中で、夫人が手紙を出したことは事実であり、夫人はハモンドと長い間恋人関係、不倫関係にあった、ということが、読者に知らされる。(もちろん、弁護士・ジョイスにもわかる。)

夫人は、手紙を買い戻すことを願い、夫・ロバートがその代金を支払うことを確信している。(もちろん違法な買収だ。)
「わたしのためでなく、あなたの友人でもあるロバートのために……。」
証拠隠滅に協力してくれ、というわけ。(ここで、読者も語り手も、放埓で自信過剰な女の内面に気づく。この点を物語の中心として読みとる批評も多いが、そんな単純な構造ではない。)

弁護士・ジョイスは、被告の夫ロバートに事情を話す。
事務員・オン・チ・センから取引の金額と方法も提示される。
結局、現金をもって、取引の場所にジョイスとロバート二人が訪れ、中国人女(殺害されたハモンドと同棲中であった。)から手紙を受け取る。
夫ロバートは、妻が浮気の相手に出した手紙を読む。

そして、裁判は滞りなく進行し、レズリーは釈放される。

ジョイス夫妻は、自宅に疲労したクロズビー夫婦を招待する。
夫のほうは、エステートの仕事のためという口実で、昼食後すぐに退去する。

その後、ふたりきりで、ジョイスは、レズリーの口から、浮気相手ハモンドの心変わりの経緯、ハモンドの侮蔑のことば、激情にかられ銃を連射したことを聞く。
激白した後、レズリーは、もとの冷静で慎ましやかな女性にもどる。
事情を知らないジョイス夫人が無邪気な言葉をかける。

というストーリー。

熱帯のエステートの中(ちなみに、開拓されているんだから、奥地でもジャングルでもないよ)、留守がちの主人(けむくじゃらで日焼けしたスポーツマン・タイプの無粋な男として描かれる)に倦み、放埓な浮気をする身勝手な女のおこした事件、というのが、表面上のストーリーである。

しかし、物語を読めば、ふつうの読者なら、彼らブリティッシュ系のまわりにうごめく、不気味な中国人たちの存在がもっと大きなテーマだと気づくはずだ。

法律事務所の事務員オン・チ・センの端正な服装、抑制のきいた話し方、雇い主に対する慇懃な物腰、すべて不気味である。
裏取引の陰謀の首謀者がこのオンではないか、と勘ぐられるほどだ。
ソツがなく、能率的、冷静沈着、(作者モームがホモセクショアルだったという観点からの分析は、つまらないから止めとくが)不気味な色気が漂う男である。

支配階層である白人のジェントルマンシップ・貞節がくずれていく中、着々と見えないネットワークの中で足場を築く中国人たち……。

しかし、物語はもっと深い恐怖を描いている。
以下、「その2」で。


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