東南アジア・ヴァーチャル・トラヴェル

空想旅行、つまり、旅行記や探検記、フィールド・ワーカーの本、歴史本、その他いろいろの感想・紹介・書評です。

石井米雄,「「ポンサーワダーン」(王朝年代記)についての一考察」,1984

2009-06-22 18:01:46 | 通史はむずかしい
『東南アジア研究』,22巻1号,1984年6月 所収
repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/handle/2433/54702

pdf ファイルで読める『東南アジア研究』を紹介していくとキリがない。
わたし自身、時々ぺらぺらめくるだけで、各論文を熟読しているわけではないし、熟読しようと思っても、頭がついていかないのだが、概論的な図書よりも学術論文のほうが解りやすい場合がある。
とくに『東南アジア研究』の論文は、中身は濃いが文章が平明で、読もうと思えば読める。

ちなみに、東南アジア学会の『東南アジア 歴史と文化』のほうも電子化が予定されているようで、はやくタダで読めるようになってほしい。(実際に電子化されても、熟読しないだろうが……)
現在、著作権委譲に関する告知がでている。現在の会長が伊東利勝氏なんですね。

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以下メモ。直接読めばいいので、他の方には不要だろう。石井米雄の単著にも収録されているはずだが未見。

で、中身は、

19世紀から20世紀にかけて、タイ王朝史観の成立過程。
その中核となる「ポーンサワダーン」(王朝年代記)
がどのような過程で成立したか。

通称パレゴア本「シャム王朝年代記」
通称チャイニーズ・レポジトリー本(1836-38)
通称モー・プラドレー本(1864年)
 タイにおける最初の印刷された史書

以上は、「ポーンサワダーン」と総称される王朝の年代記であり、アユタヤに降臨した神の化身の王統の歴史として綴られる。
つまり、アユタヤ以前の物語はない。

ラタナコーシン朝年代記

通称「御親筆本」(1855)
ティパコーラウォン著『ラタナコーシン王朝年代記』
 1869年完成。1901年出版
ダムロン親王『2世王年代記』
 1916年完成。刊行は1961年
三世、四世の年代記は1934年完成。

ダムロン親王による『五世王年代記』は1934年ごろ(立憲革命でペナンに逃亡中)書かれ1950年出版。

ダムロン親王による『御親筆本王朝年代記』の改訂出版、1914。
この1914年改訂出版の前文で、
「スコータイを王都とする時代」
「アユタヤを王都とする時代」
「ラタナコーシン(=バンコク)を王都とする時代」
という三時代区分を提唱した。

同時期、ジョルジュ・セデスは、『御親筆本王朝年代記』の出版を海外にしらせる。
その後、セデスはダムロン親王の招きでバンコク滞在。(1918-29、12年間)
「国立ワチラヤーン図書館」主席司書、王立翰林院事務局長をつとめる。
ラーマカムヘン王碑文、ナコーン・シーチュム=リタイ王碑文を研究。
1920年「スコータイ王朝の起源」を発表。
1924年『スコータイ碑文集成』出版。

ダムロン親王は1924年、チュラロンコーン大学で「タイ国史」の特別講義、1925年『シャム史講義』として出版される。

同時期、「国立ワチヤラーン図書館」(「」でくくるのは国立ではない、という意味か??)中国語専門家ルアン・チェーンチーンアクソーン、暹羅関係の漢籍記事をタイ語訳。これが『明史・暹羅伝』の見解をタイ語で紹介し、「スコータイからアユタヤへ」というシャム史の見方を定着させる。1917年出版「タイ史料集成 第5集」

ダムロン親王の〈ポーンサワダーン〉概念は、現代の歴史学とは異なること。
その時代の王朝年代記の読み方には注意が必要であること。

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以上、年号を並べたが、明治維新や第一次大戦の年号と照合すると、タイ王国の危機と国史の誕生が関連づけられるだろう。


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