東南アジア・ヴァーチャル・トラヴェル

空想旅行、つまり、旅行記や探検記、フィールド・ワーカーの本、歴史本、その他いろいろの感想・紹介・書評です。

石井米雄,「前期アユタヤとアヨードヤ」,2001

2009-06-10 19:54:57 | 通史はむずかしい
『岩波講座 東南アジア史 2』所収。

「タイ人の南下」については、すでにタイ王国公式の説は否定されて、新しい説が定着していると言っていいだろう。

いわく、現在の雲南省の大里盆地に住むタイ人が、モンゴルの侵入で追われ、北のほうからスコータイ~アユタヤと南下してきた……。という事実はない。
現在のベトナム北部~中国江西省チワン族自治区あたりに住むタイ語族をしゃべる集団がメコン川流域からチャオプラヤー流域にゆるやかに移動したようだ。
その移動がおこる以前にも、現在の東北タイやカンボジアに、モン語やクメール語をしゃべる集団と混住あるいはモザイク状に住み分けていたようだ。

というのが妥当な線であろう。

それでは、アユタヤ朝というのはどういう勢力であったか。
まず、アユタヤ朝1351-1767、という連続した見方は捨てたほうがいい。

1569年のビルマ軍の侵略で断絶している。
本論文が扱うのは、それ以前、「アユタヤ」という名称さえ同時代史料には見えないそうだが、便宜的に「前期アユタヤ」とする。

1351年のアユタヤ朝の始まりとは、なにを指すのか?
チャオプラヤー・デルタにいくつかあった勢力のうち、ロッブリーとスパンブリーの二か所が強力であった。
二つの勢力の首長の娘を娶ったウートン侯という謎の人物が「前期アユタヤ」王朝の開祖とされる。「ラーマーティボディ王」である。
この人物はペッブリーあたり出身の裕福な華人であったという説がある。由来はともかく、タイ湾とマレー半島北部、ベンガル湾へ通じる交易に精通した人物が、有力首長を結合させた、とみられる。

ラーマーティボディ王は、王妃の長兄パゴアをスパンブリーの太守に、長子のラーメースエンをロッブリーの太守に任じる。
スパンブリー=軍事力の供給地
ロッブリー=クメールの統治技術を継ぐ専門職能人の供給
アヨードヤ=海外交易を営む華人の経済力
という三軸構造の基礎を築く。

前期アユタヤの歴史は、この二つの勢力、ロッブリーとスパンブリーの内部抗争と東西南北への進出の過程である。
この過程で、アンコールを陥落させ、アンコールの文物・知識がアユタヤに流入する。また、北方への進出により、スコータイ、チェンマイが、〈シャムの領域〉として認識される基礎を作る。

乱暴にまとめると、デルタ地帯に割拠していた首領&商人たちが、アンコール文明の要素を受け入れ、北方タイ人を吸収した、ということ。(このことは、タイ王国の儀礼や王室寺院がクメール的要素を含むという話題で、よくとりあげられる。また、タイ文字もクメール文字から派生したという見方が有力)

しかし、もっと重要なのはマレー半島の交易拠点を押さえること。
この方面にはビルマ人・モン人など強力な敵がいたが、アユタヤ勢はマラッカまで宗主権を伸ばす。
ここへ1511年、ポルトガル人がやってくるわけだが、ポルトガル人と友好関係を結び、マラッカへ森林物産や米を供給し、ますます栄える。つまり、アユタヤにとって、ポルトガル人の到来はビジネス・チャンスであった。
また、鉄砲の伝来による軍事革命も招く。

しかし、鉄砲の伝来はアユタヤだけを利したのではない。タウングー朝(第一次、1531-99)もまた、銃火器とポルトガル人傭兵で勢力を拡大した。
結果として、支配構造が脆弱なアユタヤが、地方太守の裏切りや寝返りで、敗北。
前期アユタヤ朝は断絶する。

この第一次タウングー朝が拡大した過程はハンサワディー(ハンターワディー、ハムサワディ、いろいろな表記がある)など、ベンガル湾沿岸勢力がダビンシュエーティー(ダビンシュエーディー)王によって攻略され陥落した時期である。伊東利勝論文が扱う時代である。

ダビンシュエーティー王の義弟バインナウン王、上ビルマ・シャン高原・チェンマイを押さえた後、ピサヌロークを落とす。そして、アヨーディヤを包囲。

小暦九三一年巳年、第九月一一日の夜明け、第三時、アユタヤ、ハンサワディー王に降る。大一一月白分六日、マハータンマラーチャー、アユタヤの王座に登る。ハンアワディー王、マヒンを連行してハンサワディーに帰る。

マハータンマラーチャーとは、ピサヌロークの太守、降伏してビルマ側についていた。

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ごちゃごちゃ書いて、知っている人には無用、知らない人には理解不能であると思うが、つまり、この時期、沿岸勢力が内陸勢力に先んじて交易の時代をリードした。ポルトガル人の参入は、地域の交易をさらに活性化させた。

ただし、脆弱な連合勢力の港市国家(前期アユタヤ)は、一時的な時流に乗った内陸勢力(第一次タウングー朝)に敗れた。


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