Don't Let Me Down

日々の雑感、引用。
言葉とイメージと音から喚起されるもの。

あんまりたいした意見じゃない

2010-07-31 05:24:00 | 日記

このごろつくづく思うのだが、けっきょくある個人の意見というのは、“好きか嫌いか”ということで決定されているのではないでしょうか?

“一般に”、こういう態度は、“感情的”と言われる。

たしかに、それはそうなんだが、“人間”というのは、感情的動物で“ない”のだろうか。

“だから”感情的でない、“公平な判断を求める”というのは、わかる。

しかし、まず自分が、“どーしてそれが嫌いか”あるいは“どーしてそれが好きか”を熟考する必要があるように思える。

けれども、残念なことに、熟考しても“わからない”場合も多い(ぼくの場合)

そうなると、“幼児期が決定する”というようなことも考えられる。

“遺伝子が決定する”というような、考えもあり得る。

つまり、死刑に反対するとか、憲法を改訂したい、というのも、遺伝子が決定したり、幼児期の環境が決定している。

もちろん、この場合も、遺伝子が決定するのと、幼児期が決定するのでは、“ちがうこと”である。

もっと厳密な人は、遺伝子はある素質であり、幼児期の環境も相対的であって、“環境”といっても、幼児期だけが問題でなく、歳を取っていく、“すべての段階の環境”が影響すると言う。

たしかに、そう言われればその通りであるが、だんだん問題がわかったようなわからないようなことになってくる。

“原因”はよくわからないのだが、この現在において、ぼくはあるものが好きなのに、あるものが好きでない。
好きか嫌いかわからない“グレイゾーン”も存在するが、そういうことは、要するに関心がないのであって、ぼくの人生には関与しない。

けっきょく、現在において、なぜか、アレは好きだが、アレは嫌いであるというのが、<ぼく>を定義する。

そして、<ソレ>を人に言うときには、なんやかんやと理屈をつける(笑)

私が好きなものが、真理だとか正義だとか“言いたい”わけである。

ぼくがよくわからない“タイプ”は、以上のよーなことを自覚していないひとである(爆)

“私の好きなことは、多数が好きである”と論証するひとである。
“私が嫌いなことを、多数も嫌うべきである”と論証するひとである。

もちろん、ぼくにもこのような“傾向”はある。

“ブログ”をやっていてよかったのは、そのことが、わかったことである(笑)

だからぼくは、せめて、自分の好きなものは好きであり、自分の嫌いなものは嫌いであることを、明瞭にしたい。

先日このブログに書いた(引用した)<美人投票>の逆である。

たとえば、ぼくはどうして小林秀雄が嫌いで、森有正が好きだったのか。
どうしてぼくはビートルズが好きなのに、それに影響を受けたJ-POPが嫌いなのか(笑)
中上健次が好きで、村上春樹が嫌いなのか。

もっと“微妙”なこともある。
日本の“同世代”のふたりの人物、加藤周一と堀田善衛。
ぼくは加藤は比較的読み、“嫌いでなく”、堀田はほとんど読んだことがなかった。
しかしごく最近、堀田善衛を読みはじめて、加藤周一というひとが“あまり好きでない”ことが、“わかった”。

だから、このことは、きわめて“主観的”なのである。

あるひとりの人に対する、“好き嫌い”も年齢によって変わるのである。
ぼくの場合、さきほど挙げた“村上春樹”が劇的にそうである。

“吉本隆明”もそうである。
“大江健三郎”もそうである(笑)、大江はいったん嫌になって、近年また好きになった。

もちろん、“ずっとすきなひと”もいる(ずっと嫌いなひともいる!)

だがこの場合も、なぜ自分がそのひとを、ずっと好きで“いられるのか”は、本当はよくわからない。





哲学は役に立たない

2010-07-30 22:31:39 | 日記

哲学史や、哲学者~思想家の概説書ばかり読んでいると、ときどき“哲学”がいやになる。

やはり“オリジナル”を読もうとしても、仏語でも独語でも哲学を読む能力はなく、“翻訳”で読むっきゃない。

いちばん読めそうなニーチェとやらを(その翻訳書を)読みはじめると、やたら“!”(びっくりマーク)が出てくる(笑)、こういうのは、(実は)、ぼくの趣味に合わない。

ベンヤミンなら“読めそう”であり、実際読んで感心するのだが、どうしても彼の“ユダヤ神秘主義”に‘ひっかかる’、ぼくの辞書には、”メシア“とか”メシア的“という言葉がない。

20世紀最大の哲学者と呼ばれる(こともある)ハイデガーにいたっては、“哲学と処世術”は関係ないと言われても、彼が“ヒットラーの大学総長”だったことを忘れるのは無理である。


ああ、哲学とは何か!
なんで、この哲学者たちは、こんなにも面倒なことを、考え、書き続けてきたのか!

そのときこそ、いつも思い出される名がある;メルロ=ポンティである。

加賀野井秀一によるわりと最近出たメルロ=ポンティについての本がある、その“序”から引用する;

★ もう30年以上も昔になるだろうか。とある昼下がり、私は三鷹のICUキャンパスで森有正さんのオルガン演奏を聴き、帰路、タクシーに同乗させていただいたことがある。この時、私の内では、にわかに悪癖が鎌首をもたげ、当時、誰彼の見さかいなく発していた質問をせずにはいられなくなった。
「森先生、メルロ=ポンティのこと、どう思われます?」
すると森さんは破顔一笑。
「いいですね、あの人のものは…。あの人のものは、何と言うか、こう、私たちの心を開いてくれる…。」
そんな答えが返ってきたのだ。これが私にとっては、その笑顔とともに、森さんとの最良にしてただ一度の思い出となっている。

★ 「私はこうしたささいな事柄を思い出すのが好きだ。それらは何も証明しないのだが、人生のひとこまではあるからだ」(『シーニュ』1)と独りごちて、ああこれもまたメルロの語り口だったな、と、我ながら苦笑してしまう。(略)「あの人のものは、私たちの心を開いてくれる…」、森さんのこの言葉によって、私たちはメルロ=ポンティの魅力の源泉を、まずはおおざっぱに包囲しておくことができるだろう。

<加賀野井秀一『メルロ=ポンティ 触発する思想』(白水社2009)>


この本の“序”からもうひとつメルロ=ポンティの言葉を引用しよう;

★ 事物そのものへとたち帰るとは、認識がいつもそれについて語っているあの認識以前の世界へとたち帰ることであって、一切の科学的規定は、この世界にたいしては抽象的・記号的・従属的でしかなく、それはあたかも、森とか草原とか川とかがどういうものであるかをわれわれにはじめて教えてくれた風景にたいして、地理学がそうであるのとおなじことである。

<『知覚の現象学』序文>




どうでもいい”エピソード”もひとつ。

メルロ=ポンティは、1927年6月に受けた学士号取得のための「一般哲学」の試験で3位だった。

その時の1位はシモーヌ・ヴェイユ、2位がボーヴォワールだったそうである。

昔から女性は、”優秀”だったのである(笑)






*このブログの写真は、メルロ=ポンティの後ろ姿では、ありません。






見えるものと見えないもの

2010-07-30 00:19:59 | 日記

★ 哲学とは、問いを提起し、この問いに答えることで、欠けていた空白部分が少しずつ埋まっていくという性質のものではない。

★ 哲学は文脈を所与のものとして受け取ることはない。哲学は問いの起源と意味を探るために、答えの意味、問い掛ける者の身分を探るために、文脈に立ち戻る。そしてここから、すべての知識への問いを活気づけている<問い掛け>へと至るのである。<問い掛け>は、問いとは異なるものなのである。


★ このように可視的なものはわたしを満たし、わたしを<占める>が、それが可能であるのは、見ているわたしが、無の背景の上にそれを見るのではなく、それ自体の場において見ているからである。それを見る者であるわたしそのものも<見える>ものである。それぞれの色、それぞれの音、それぞれの手触りの肌理(きめ)、現在と世界の重さ、厚み、<肉>が生まれるのは、それを感受する者が、ある種の<巻き込み>や<二重化>によって、それらのもののうちから自分が生まれると感じるからであり、自分がそれらと必然的に同じ質でできていると感じるからである。

★ だから、歴史と地理の領域にかかわらない本質とか観念というものはない。これがこうした領域に閉じ込められていて、他の人には近づけないというのではない。自然の空間や時間と同じように、文化の空間と時間というものは、俯瞰されるものではないからであり、形成された一つの文化と他の文化の交流は、これら二つの文化が誕生した野生の領域を通じて行われるからである。

★ わたしたちが目の前に見るのは、純粋な個体ではなく、分割できない存在の<氷河>でもない。場所も日付ももたない本質ではない。ましてや、こうした本質が別の場所に、わたしたちが把握できない場所に存在するのでもない。それは、わたしたちが経験であり、すなわち思考だからである。わたしたちは、自ら思考する空間、時間、「存在」そのものの重みを、自己の背後に感じている思考だからである。この思考は、そのまなざしのもとに、直線的な時間と空間や、系列の純粋な観念を所有する思考ではない。積層、増殖、侵食、混沌といった性格をもつ時間と空間に囲まれている思考である。この時間と空間は、絶えず繰り返される受胎、絶えず繰り返される分娩、生殖性と一般性、なまの本質となまの実存であり、これが同じ存在論的な振動の腹部であり、結び目なのである。

<モーリス・メルロ=ポンティ『見えるものと見えないもの』から―『メルロ=ポンティ・コレクション』(ちくま学芸文庫1999)>





あなたは死刑制度に“賛成”ですか?

2010-07-29 12:37:21 | 日記

昨日までの眩暈のするような陽射しが、今日は雨に変わったが、蒸し暑い。
この蒸し暑い日に、死刑制度について“考える”のは、もっと暑苦しい。

けれども、これは今日の“タイムリーな”話題である、ツイッターなどもこの話題で姦しいようだ。

ぼくもかつてのブログで死刑制度について書いたことがある。
そのころぼくは死刑制度に“反対”の立場であった。
現在、ぼくは“分からない”という“立場”に変更した。

ぼくがここで言いたいのは、ある事態にたいして、賛成か反対かを“決める”こと自体である。

ある日、あなたに“世論調査”の電話がかかり、“あなたは死刑制度に賛成ですか、反対ですか?”と聞かれた時、あなたには、それに即答する義務はない。

“私はそれについて考えているが、まだ結論は出ていない”という“回答”もあり得るのだ。
しかしこの場合は、ほんとうに“考えている”必要があるのである(笑)

今日ここで考えるために、今日の読売新聞から二つの文章を引用して、若干“考えて”みたい;


☆ 例文1:読売新聞社説から

内閣府が今年2月に公表した世論調査では、死刑容認派が過去最高の85・6%を占めた。被害者や遺族の感情に配慮する意見や、凶悪犯罪の抑止力になることを期待する意見が多かった。
世界的には欧州を中心に、死刑を廃止か停止している国の方が維持している国よりも多い。だが日本では、国民の大多数が死刑を容認している現実を踏まえ、その声を尊重する必要があろう。
法相は自ら希望して、拘置所で2人の刑の執行に立ち会った。記者会見では「見届ける責任があると思った」と述べた。法務行政の最高責任者が執行に立ち会うのは、初めてのことだという。
法相はまた、死刑制度のあり方について、省内で本格的な議論を始める方針を明らかにした。
昨年から裁判員裁判が始まっており、いずれ裁判員が裁判で死刑の選択を迫られる日も来る。
国民が責任の一端を担う以上、死刑制度の議論を深めること自体には意味があろう。だが、最初から廃止や停止の結論ありきでは、国民の理解は得られまい。
死刑に関する情報の公開も欠かせない。法相が東京拘置所の刑場を報道陣に公開する方針を示したことは前進と言える。
これまで法務省は、死刑について徹底した「秘密主義」を貫いてきた。執行した死刑囚の氏名まで公表するようになったのは2007年以降である。
刑場の構造、執行の方法、死刑囚の生活――。そういった情報が提供されることが、国民一人ひとりが死刑制度を考えるきっかけになるだろう。
(2010年7月29日01時08分 読売新聞)

★ 問題点

① 世論調査で、死刑制度賛成が85・6%を占めたという数字は信頼できるか?

② また、その数字が“正しいとしても”、《日本では、国民の大多数が死刑を容認している現実を踏まえ、その声を尊重する必要》というのは、どういう意味か?
国民の大多数が“まちがったこと”を信じていることも多い。

③ その“国民の大多数が”、死刑制度に賛成している根拠は、
A:被害者や遺族の感情に配慮する
B:凶悪犯罪の抑止力になる
である。
ぼくはBについては、まったくそんな効果はない、と思う(犯人自身にも、犯罪予備軍にも)
問題はAである。
《被害者や遺族の感情に配慮する》というのは、ずいぶんもって回った欺瞞的表現である。
要するに被害者の関係者は、加害者に報復したい、ということである。
あまり“上品”ではないが、ぼくはこの感情は支持する。
だから、ぼくは迷っている。
しかし、ぼくが愛する者を殺した犯人に“復讐”するのに、“国家の手”を借りてしまっては、結局気は晴れない、であろう。

④ この社説で、まったく変なのは(論理矛盾!)以下の部分である;
《国民が責任の一端を担う以上、死刑制度の議論を深めること自体には意味があろう。だが、最初から廃止や停止の結論ありきでは、国民の理解は得られまい。》

みなさん!この文章のどこが間違っているかを指摘してください。

つまり、ここで読売は、《最初から廃止や停止の結論ありき》を批判している。
しかし、読売新聞は<最初から廃止や停止の立場を否定>しているのである。
読売新聞は、<最初から死刑制度を存続せよ>という立場なのである。

こういう“自己矛盾”言説を掲げる新聞の社説を読んでいても、どうしようもないなー、と今日も思う。



もっと面白いのは“こっち”である;


☆例文2:読売編集手帳から

サンテグジュペリの『星の王子さま』で、狐が王子さまに言う。〈肝心なことは目では見えないんだよ〉◆誰かが誰かを殺す。神様が一部始終をビデオに収めていたならば、正視に耐えない凄惨な映像だろう。そういうビデオは、この世に存在しない。目に見えなくても、心には刻んでおきたい「肝心なこと」である◆宇都宮市の宝石店放火殺人事件などで死刑が確定した2人の死刑囚にきのう、東京拘置所で刑が執行された。千葉景子法相は足を運び、立ち会ったという。拘置所で「見た場面」には、思うところ、感じるところがいろいろあっただろう◆自分の命令によって消える命の最後を見届けた行為には敬意を表しつつ、思う。死刑制度の是非を議論する場合には「見た場面」だけでなく、「見ぬ場面」にも思いを致してほしい、と。6人の人間が縛られ、衣服にガソリンをまかれ、焼死する場面は、目で見ることができない◆死刑執行の報に「ああ、あの事件…」と思い出した。〈思ひ出すとは忘るるか 思ひ出さずや忘れねば〉(閑吟集)。遺族は事件を思い出しはしなかったろう。片時も忘れぬゆえに。(2010年7月29日01時13分 読売新聞)

★ 問題点

はてさて読売新聞は“サンテグジュペリ”(アントワーヌ・ド・サン=テグジュペリのこと)まで持ち出してなにが言いたいのだろう?

①“目で見えるもの”と“目で見えぬもの”
これは、“哲学的”テーマである(爆)
メルロ=ポンティには『見えるものと見えざるもの』という本があるので参考にしよう!
この場合、“見えるもの”は殺人現場の凄惨な光景と、死刑執行の(ぼくは見たことがないので想像だが)管理された死である。
たしかに、ぼくも大部分の人々も、この“二つの光景”を実際に目にしたことはない(この編集手帳の書き手は、目にしたのか?)
しかし、“ぼくら”は、TVドラマや映画や小説で、“殺人現場の凄惨な光景”を嫌になるほど目にしている。
これより、数少ないが、“死刑執行”の場面もこれまで、何度も“映像”として再現-表現されている。
しかしたしかに、これらは“つくりもの”であって、“リアル”ではない。

② ゆえに、“目に見えないもの”を<想像>することが、必要である。

③ 《遺族は事件を思い出しはしなかったろう。片時も忘れぬゆえに》

たしかにそうであろう。
しかし、自分の子供や親や家族や近親者を殺すものもいる。
一方に“凶悪犯がいて”、一方に“善良な市民”がいるわけではない。
そういう“単純化”は決して許されない。

また、“思い出せないほど、忘れらないこと”というは、このような“刑事事件”のみではないのである。
“国家の犯罪”というようなものもあるようである。

まさに、ある<事件>が、忘れようもなく自分の記憶であることが、この現実の認識であると“同時に”、<歴史認識(事件の思想の)>である。




読売新聞さん、ものごとの“短絡化・単純化”は、いけません。

そういう“わかりやすい言葉”が、<大衆>を“動員”するとしても。






<追記>

最近のぼくのブログは、“引用”もふくめて長いのである(笑)
これはよくない傾向である。

しかし、自分が批判する“言説”を引用しなくては、フェアじゃない。
あるいは、自分が“支持する”言説を、ただ引用し、その根拠を示さないのも、不親切である(ぼくにもそういうブログもある)

上記ブログでぼくが“言いたいこと”を要約すると、以下のことである。

たとえば“死刑制度”という問題は、他から切り離されて“単独で”あるわけではない。

だから、“死刑制度”という問題“だけ”について、賛成か反対かをいくら“論じても”無駄である。

世界は丸いから、すべては繋がっている(関係している)と思う。
これがぼくの“立場”である。

逆に死刑制度論議“から”、世界(との関係)に向かっていくひとがいるのなら、それはそれで良いことである。

ただ死刑制度に限らず、現在の“すべての個々の問題”の論議が、“そのように行われていない”と感じる。

そういう“現在の論議”を、“ただのおしゃべり”と呼ぶ。
まさにメディアと大学先生とタレントが率先して“おしゃべりにはげみ”カネを稼ぐ。

一見明瞭な論理展開や、すんばらしい“結論”がなくてもよいのである。

歴史上のどんな“偉大な宗教家-哲学者-思想家”だって、完璧な解答を人類に与えたためしなどないのである。

だからあなたにも、まだ考える(感じる)ことは、ある。





夏;ラジオのように

2010-07-28 18:08:18 | 日記


今日は、ぜんぜん外に出ない、家のなかで過ごす。
夕方に向かっても、激しい夏の光が、風で、散乱している。

その光と風を窓の外に見ながら、音楽を聴く。

バッハ“ヴァイオリン・ソナタ第1番”(ムローヴァ)→バッハ“チェロ・ソナタ”(マイスキー+アルゲリッチ)→モーツアルト“ピアノ・ソナタ第15番”(ピリス)→バッハ“フランス組曲”(ホグウッド)

急に、ブリジット・フォンテーヌ「ラジオのように」が聴きたくなる、聴く。

ぼくはこのアルバムを最初は“LP”で持っていた、CDに買い換えたのはそんなに昔じゃない。
このアルバムは1969年に出ている、最初聴いたときから、好きだった。

だが、ブリジット・フォンテーヌ(とアレスキー)が、というより、バックをつとめている“アート・アンサンブル・オブ・シカゴ”に惹かれたのだ。
事実、ほかのブリジット・アルバム(アート・アンサンブル・オブ・シカゴがいない)はつまらなかった。

しかし、“このアルバム”は、ブリジット自身もよいと思うようになった。
いかにもエキセントリックだが繊細な“フランス女”という印象が、変化した(ぼくのなかで)

この繊細さは、“強靭”なのだ。
それはもちろん、おばさんの強靭さとは、隔絶しているが(笑)

ただ“夢見がちな少女の夢”ではない。
ただ“夢見がちな少女”が、アート・アンサンブル・オブ・シカゴを起用するはずがない。

それにしても、最近のぼくは、“60年代の話題”が多いのである(笑)

ついに“1960年代”に回帰してしまったのだろうか。

「ラジオのように」におさめられた1曲“夏、夏”を引用しよう(ライナーの訳詞をそのまま)

最後に繰り返される“toujours vivants”(トゥジュール・ヴィヴァン=いつも生きている)というブリジットの声が、夏の光のなか、風のなかで、ぼくの耳に鳴っている;


そして、私はまだ生きている、

白い砂
目をくらませるような、
そして、私は、まだ生きている

刈りとられた草
腕を広げた枝、
風、風、風、風

暖められたつげの木、
香ばしい風、
夏、夏、夏、夏

もうすぐ夏、
金色の風
腿のまわりの絹のスカーフ

埃だらけの噴水、
熱っぽい舗道、
そして私。私はまだ息をしている。

身をかがめた小さなロバ、
小さな植民地人よ
小石みたいな目の、小石みたいな目の、

私は忘れてしまった、
死んだ猫たちを、
けれど猫たちはもっとはやくに忘れる。

門のそばで
木が音をたてる、
そして私達、私達はいつも生きている、
いつも生きている、
いつも生きている、
いつも生きている、
いつも生きている。

<ブリジット・フォンテーヌ “夏、夏”>



やはり“ラジオのように”の出だしも引用すべきか(この訳詞は、ぼくがちょっと変えた);

これは、まったく
ラジオのようなもの
音楽以外のなにものでもない
なにものでもない
言葉以外の、言葉以外の
言葉以外の
ラジオのように





ぼく自身のための広告

2010-07-28 14:53:04 | 日記
20世紀が終わってから10年たった。

“戦争(世界戦争)”が終わってから60数年が経った。
“原爆が人類史上はじめて使用されてから”でもよい。

ぼくは“たまたま”、この“人類史上はじめての惨事を経験した国”に産まれた、”新しい憲法“と同じ歳で。

しかしこのブログはそうした“歴史”、あるいは“政治-経済-社会”を論じるものでは、ない。


ぼくはあくまで“ブンガク”について語る。

忘れられた人々について。

現在、この国の大部分の人々にとっては、“ブンガクを書く人”はただ一人である;“村上春樹”という。

すなわち、“他の作家たち”は、忘れ去られた。
気楽に読める“無数の作家と駄本”は、日々量産されていても。

“戦後の”作家たち。
だれが、大岡昇平を大江健三郎を開高健を中上健次を日野啓三を知っているのか?

だれが、デュラスをビュトールをル・クレジオをギュンター・グラスを、知っているのか。

ぼくは、近日、ル・クレジオの引用を続けている。

しかし、昨年ノーベル文学賞を取るまで、誰がル・クレジオを覚えていたのか。
(ぼくはもちろんよく知らないが、これは、日本だけでなく、フランスでも同じだったのではないか?)

なんども言ってきたが、ル・クレジオを翻訳刊行した新潮社は、ずっとル・クレジオを絶版とし、ノーベル賞を取ったので、『調書』を復刊した。
岩波書店は、ノーベル賞を取ったので、今年岩波文庫に2冊のル・クレジオを入れたのである。

しかし、ル・クレジオの価値は、“ノーベル賞を貰うまで”証明されなかったのでは、なかった。
ル・クレジオの価値は、彼が1963年に23歳で『調書』でデビューしたときから、<明白>だった。
その『調書』を、新潮社は、新潮文庫にも入れず、何十年もほったらかしていたのである。


しかし、いまぼくが書きたいのは、もうひとりの作家、“アメリカ人”、ノーマン・メイラーのことである。

これまた、現在、“アメリカ作家”は、サリンジャーとカポーテとケルアックとせいぜいポール・オースターしかいないと思っている方々も多いようである(笑)
もちろん、ヘミングウェイやフォークナーがいるのである。
だが、“戦後作家”としてのノーマン・メイラーは忘れ去られた。

ぼくがメイラーを知ったのは、ぼくの読書師匠であった大江健三郎によってであり、最初の遭遇は、メイラーのエッセイ集(であろうか?)『ぼく自身のための広告』上下2冊本であった(これまた“新潮社”が出したはずだ)

その後、代表作『裸者と死者』や『鹿の園』、『アメリカの夢』を読んだ。
そして、メイラーはある時期から、“ノン・フィクション”(ドキュメント)を書き始めた。

しかし、これらのメイラーの本は、いつの間にか、ぼくの蔵書からも消えてしまった、手元に残ったのは、“ノーマン・メイラー選集”(これは早川書房!)の1冊、『月にともる火』(1972発行)一冊である(ぼくはこの本を読み終えていない)

今日、むかし読んで感銘を受けた1冊『夜の軍隊』をAmazonマーケットで再入手した。

『夜の軍隊』は1967年、ヴェトナム戦争抗議のための国防総省(ペンタゴン)への行進の前後4日間のドキュメントである。

すなわち、1967年、ペンタゴンへ抗議のために行進した“人々”(多くはアメリカ人)が、いたのである。

ノーマン・メイラーは、その人々のひとりにすぎないが、彼は“それ”を記録したのだ。

最初の数ページを読むだけで、あの“メイラー節”がよみがえる(笑)

彼は、まず最初に、当時のタイム誌から引用して、“猥褻な言葉を吐き、酔っ払ってひょろひょろ歩く”、メディアの“メイラー像”の呈示からはじめている。

しかし“メイラー”が、アル中、ヤク中であり、“猥褻な言葉を吐き散らすだけ”の人間でないことは、この『夜の軍隊』1冊によって証明される。


ぼくは、なんとも残念である。
このことを、何度言っても、気がおさまらない。

“良い本”を、新刊書店からなくすな。

<本>が、現在のような“紙が接着された”形態であろうと、電子ブックであろうと、まったくどうでもよい。

どうでもよくないことは、<良い本>が消え、忘れられること、だけ、である。

たしかに、現在、“マーケット・プレイス”や“古書店”で、これらの良書は入手可能である(しかも安く!)

しかし、楽観は許されない。

“書店”が消えてなくなることもあり得るし、“大型書店”(街の、ネット上の)が威容を誇っていても、その中身が、膨大な屑の山になることも、おおいに“あり得る”のである。


ブラッドベリ『華氏451』のように、1冊の本を記憶し続ける<人間>、(そしてそれをリレーすること)、が必用な時が迫っている。





* 残念ながら、このブログに掲げた写真は、ぼくが撮ったものではありません。
Googleで画像検索したもの。
この2冊は、現在ぼくの手元にありません。







深い溝;新しい映画

2010-07-28 10:15:56 | 日記


内田樹ブログ“『借りぐらしのアリエッティ』を観てきました”から引用する;

「こびとと人間」のサイズの差はもっぱら視覚的に表象されるはずだという常識を裏切って、こびとの世界では「モノそれ自体」が触覚的に違う仕方で切迫してくる。
これはすばらしい着眼点である。
けれども、それだとすれば、その触覚的な違和感はほかのものに対してもひとしく適用されるべきではなかったかと思う。
映画のクライマックスはアリエッティと翔が指を触れあうところだけれど、ここで私は軽い失望を覚えたことを告白せねばならない。
なぜか人間の皮膚はこびとの皮膚と同質に描かれていたからである。
ガリバーの報告に従うならば、こびとの眼には人間の指先は深い溝が刻み込まれ、さまざまな分泌物や埃や汚物の詰まった、大小無数の「丘」の連鎖のように見えるはずである。
もちろんそこまでリアルに描く必要はないけれど、せめて「深い溝」くらいは描いて欲しかったと思う。
その触覚的違和感が感知できれば、人間とこびとの共生不能というアリエッティ一家の結論に観客は深く同意できたと思うのだが。
もちろん、それはジブリ内部ですでに議論された論件だと思うのだが、なぜ、「皮膚の質感を同じように描く」という結論に達したのか、その理由を宮崎駿に尋ねてみたい気がする。(引用)


ぼくはこの映画を見ていない。
ぼくは見ていない映画について語るのは、あまり良いことではないと考える。

だからここでのぼくの感想は、あくまで上記引用文からの“想像”である。

ぼくは宮崎駿の映画を一応見てきたが、それほど熱心に執着してきたわけではない。
しかし、近年の宮崎駿映画がヒットすればするほど感じていたのは、宮崎駿という“作家”の個性とスタジオジブリという“企業体”の解離であった。

上記引用文を読むかぎり、『借りぐらしのアリエッティ』においても、この矛盾は解消されない(いったい解消されることがありうるだろうか?この映画も観客を動員する=儲かる)

当然この映画においても、“作家宮崎駿”のモチーフは、《人間とこびとの共生不能》である(見なくてもわかる;笑)

しかし“ジブリ”は、《人間とこびとの共生不能》という結論で<映画>を終わらせることはできなかった。
なぜなら“ハッピーエンドでないもの”は、商売に差し障るからである。

だから、一方に《人間とこびとの共生不能》というモチーフがあるのに、《なぜか人間の皮膚はこびとの皮膚と同質に描かれていた》(内田樹)なのである。

《映画のクライマックスはアリエッティと翔が指を触れあうところだけれど、ここで私は軽い失望を覚えたことを告白せねばならない》のである。

しかしまさに、ジブリ映画においては、<映画のクライマックスには、アリエッティと翔が指を触れあう>ことが、“可能”でなければならなかった。

これこそ“ファンタジー”の虚偽である。

奇妙なのは、この頭のいい内田樹がそれを“述べない”こと自体の方である。

《もちろん、それはジブリ内部ですでに議論された論件だと思うのだが、なぜ、「皮膚の質感を同じように描く」という結論に達したのか、その理由を宮崎駿に尋ねてみたい気がする》

などと、“カマトト”ぶっているのだ(笑)

もちろん宮崎駿に“それを尋ねても”無駄である。
ニャッと笑われるだけである。
宮崎駿にしてみれば、そんなことはとっくに“分かって”いた。

すなわち、商業主義に妥協しなければ、ジブリ社員を“食わせられない”ことが。

大学教授とは、ちがうのである。

しかしぼくは、宮崎駿には初心を貫いてほしかった、「スカイクロラ」の押井守のように。

もちろんあらゆる<映画>は、商業主義(大衆の悪趣味)との危うい均衡のうちに歴史を刻んできた。

そして、すべてがスタジオセットのなかでしか展開しない映画が量産されるようになった。

<すべてがスタジオセットのなかでしか展開しない映画>というのは、“比喩”である。

それは、アニメや特撮テクノロジー映画を、意味しない(たとえば“イーストウッド映画”である)

まさに「スカイクロラ」には、風が吹いていた(あるいは、風は止っていた)
<外部>へと抜け出る風が。

ぼくは<SF>から映画や小説の世界へ“入った”。

そのころ、アシモフやブラッドベリの世界にさえ、風があった、“赤い惑星”の砂塵である。

現在、風は感じられない。

“すべて”が、アメリカ製の缶詰(アメリカ軍が戦地にケータイするヤツ)のなかで、“腐らない”。

永遠に“腐らない”ピカピカ映画の“内部で”、腐っていく<観客>と<見物人=内田樹のよーなひと)がいるばかりだ。


ぼくは“新しい映画”が見たい。





美人投票

2010-07-27 09:38:56 | 日記


‘あらたにす新聞案内人’で東大の経済学教授が“美人投票”について書いている。

ぼくは“経済学”にうといので、このケインズの理論をちょっと前まで知らなかった。

これを知ったのは、大澤真幸『<自由>の条件』でやはりこの“美人投票”が説明されていたから。

東大伊藤元重教授の説明を引用する;

《ケインズは「美人投票」という表現を使った。美人投票とは、壇上に並んだ何人かの女性で自分が一番美人だと思う女性に投票する。票を集めて一番票が集まった女性が「美人」ということになるが、このゲームの勝者はこの女性に票を入れた人たちである。この女性に投票した人たちに償金が配られるのだ。
 このようなゲームに勝つためには、自分が美人だと思う人に投票してはだめだろう。皆が美人だと思って投票するだろう女性に投票する方が、ゲームに勝てる可能性が強くなる。
 為替市場や株式市場では美人投票が行われている。多くの人がドルは上がると考えているようなら、とにかくドルを買わないと損をする。そうして多くの人がドルを買えば、実際にドルは上がってしまうのだ。こうしたことが行き過ぎるとバブルになってしまう。》
(以上引用)


この“美人投票”理論は、“経済”について提起され、ここでも伊藤教授は、“国債バルブ”について述べている。

ぼくには、経済のことはよくわからない(あなたはわかっているのだろうか?)

しかしこの“理論”が興味深いのは、この“美人投票”という価値付けが、資本主義の本質をやはり示しているように感じるからだ。


端的に言って、
《ゲームに勝つためには、自分が美人だと思う人に投票してはだめだろう。皆が美人だと思って投票するだろう女性に投票する方が、ゲームに勝てる可能性が強くなる》

という“投票行動”を続けていると、《自分が美人だと思う人》はどうでもよくなり、果ては、《自分が美人だと思う人》がいなくなるのではないだろうか。

ただ《ゲームに勝つ》ことが自己目的化され、あらゆる<意味~価値>は消え失せるのではないだろうか。

たしかに、これは“経済”の問題ではあろうが、ただ“経済”の問題であるだけではない。

伊藤氏はこのコラムの最初に、

《経済発展、財政の維持可能性、人口構造のトレンドの影響など、長期の視点で経済の動きを見ることが重要であることは多い。長期とは、通常は5年から10年、あるいはそれ以上の長さを想定している。
 ところが、金融や為替の市場で活動しているトレーダーなどの方と話していると、彼らにとっての長期とは20分以上のことだと言われてしまう。生き馬の目を抜くような活動をしている市場関係者の方々にとって、非常に短い時間の間にいろいろなことを判断して、行動に起こさなければいけない。20分以上先のことなど考えられないということだろう》
と書いている。

すなわち《20分以上先のことなど考えられない》人々によって、“われわれの経済”は左右されていると言えるのではないか。
“長期の視点”を重んじる経済学(者)や経済政策は無効化しているのではないだろうか。


すなわち、すべてのひとが“美人投票”し、すべてのひとが《20分以上先のことなど考えられない》社会が、到来している。






物質的恍惚;無限に中ぐらいのもの;沈黙

2010-07-26 14:36:18 | 日記


1967年、27歳のル・クレジオが書いた本=『物質的恍惚』を、いま(2010年夏)に読む。

読むことができる;

★ ぼくが望んだのは、先立つ虚無と後につづく虚無を内包しているような書物を創り上げることでした。(“自身によるル・クレジオ”)

★ ぼくが書いているこれらの言葉、これらの文章はぼくに属するものではない。ぼくにはそれらをぼくのものと信ずる権利はない。ぼくは一人の年代記作者にすぎず、反映の数々で満足している。根底的には、それこそぼくが仕遂げたいことなのだ――忠実であるような本。人間的なる何ものをも断念しないこと、いかなる物質をも軽蔑しないこと。(『物質的恍惚』)

★ ル・クレジオはこの本によって、彼の『存在と無』を書いたと言ってもよいだろう。しかしこの奇妙な存在論が目指しているのは、無(人間)の構造に関する解明であるよりもはるかに、人間生命をも包含して永遠に、無時間的に存在する物質という明証事、あらゆる注釈を無用かつ不可能とするていの明証事であって、それについて言えることといっては、「存在」は存在し、「無」さえもなおかつ存在する、ということ、ただもうそれだけなのだ。
(亡き翻訳者豊崎光一による1970年4月の“訳者のことば)


しかし(“しかし”という言葉が適切か分からないが)、ル・クレジオが、彼の人生の転機となるメキシコ・シティへ兵役代替仏語教授のため赴任し、インディオ世界と接触するのは、この本の“後”である。
現在の妻ジェミア(砂漠の民ベルベル人の血を引く)と出会うのも、1968年である。


ル・クレジオは自分を、《一人の年代記作者》と呼んだ。

彼の旅は、続き、それは、“彼の本”の連なりとして、ぼくらに届けられた。
彼の旅は、今も、これからも続く。

かれのようなダイナミズムは持てなくても、ぼくらや、ぼくの旅も続いている。







★ 眼にもとまらぬ細部、種子の中に混じり合った種子、ほんの些細なことで道から逸らされてしまうに足りる単なる可能性だったとき。ぼくか、それとも他者たち。男か、女か、それとも馬、それとも樅の木、それとも金色の葡萄状球菌。ぼくが無でさえなかった――なぜならぼくは何ものかの否定ではなかったのだから――とき、一つの不在でもなく、一つの想像でもなかったとき。ぼくは精子(たね)が形もなく未来もなしにさまよい、涯しない夜のうちにあって、行き着くことのなかった他の精子の数々とひとしかったとき。ぼくがひとの養分になるものであって、みずから養分をとるものではなく、組み立てるものであって、組み立てられたものではなかったとき。ぼくは死んではいなかった。ぼくは生きてはいなかった。ぼくは他者たちの躰の中にしか存在していず、他者たちの力によってしか力をふるえなかった。運命はぼくの運命ではなかった。極微な動揺が時の流れを走って、実質であるものは種々さまざまな道を辿って揺れていた。どの瞬間に、ドラマはぼくにとって切って落とされていたのか?どの男ないし女の躰の中、どの植物の中、どの岩の塊の中で、ぼくはぼくの顔に向かう旅を始めていたのか?


★ 世界の細片の一つ一つをそれ本来の位置で感じとるためには、自分の躰全体を空虚にひらかねばならず、いかなる白昼もうちこわすことはあるまいこの夜という、万物に共通の眺めを前にしてみずからをぱっくりと空にせねばならなかったし、世界がその明証という単純な状態のうちに示していたもの以外の何ものをも希望しようと欲してはならなかった。どうでもよい一破片であるにすぎないことを受けいれるためには、充溢した軽やかなこの夜、眩暈(めまい)なき深淵がなければならなかった。熱気、卑小さ、特異さにすぎぬことを受けいれるためには、この寒気、この無限さ、この無辺さがなければならなかった。単なる一つのジャンプであることを受けいれるためには、とどまることのないこの旅という想念、生命とともにやってきた唯一の想念がなければならなかった。そしてさらになお、躰の中にこの心臓の鼓動、ひとを生命に向かって送り出しつつ、同時に死に向かって送り出していたあの致命的な最初の鼓動が響くことを容赦するためには、かつて知られたことのないものの無際限の沼から汲みとった、この絶対の現存という歓喜がなければならなかった。白と赤とに染められた場では、鋭い釘を植えたハンマーの鈍い一撃が打ちおろされ、あっという間に牛の首すじに食いこむ。ぼくをこの世に生みだした女は、ぼくを殺した者でもあるのだ。

<ル・クレジオ『物質的恍惚』(岩波文庫2010)>





後悔しない生き方;スマートなひと(女)が捨てたもの

2010-07-26 10:05:55 | 日記


さて今日の読売編集手帳である。

読売新聞は、なにが言いたいのか。

全文を引用するが(引用したくないが、引用しなければわからないので;笑)、ぼくの疑問は、最後の

《「人生は選択肢だらけ。何かを選ぶために何かを捨てる。でも後悔しない」》

という言葉である。

すなわち、

彼女たちが<選択しなかったもの(捨てたもの)は何か?>という問いである。


引用開始;

脆くみえるガラスでも、たたき割れない強化ガラスがあるだろう。「グラス・シーリング」(ガラスの天井)は、米国などで長年、キャリア・アップを目指す女性に立ちはだかる壁に例えられてきた◆そんな天井を突き抜けた先駆者がいる。代表がヒューレット・パッカード(HP)のカーリー・フィオリーナ元最高経営責任者(CEO)とインターネット競売大手イーベイのメグ・ホイットマン元CEOだろう◆「最強の女性経営者」と評されたフィオリーナさんは秋の米中間選挙で、カリフォルニア州の上院選に共和党候補として名乗りを上げた。ホイットマンさんは、シュワルツェネッガー同州知事の後任の共和党候補だ◆もたつく米国経済は、全米最大のカリフォルニアの復調に左右される。巨額赤字を抱える政府と、同州の財政再建も難問である。青い空が似合うカリフォルニアに暗雲がたれ込める◆「人生は選択肢だらけ。何かを選ぶために何かを捨てる。でも後悔しない」。フィオリーナさんの人生哲学だ。実業界の経験をアピールするカーリー&メグ旋風は、民主党オバマ政権に脅威となりかねない。(今日読売編集手帳)



ちなみに天木直人ブログからも引用しよう。
ぼくは天木直人氏の主張の“各論”には賛同しかねることも多いが、以下の発言には賛成である;

★猛暑のせいでもないだろうが、なんだか、世の中が緩みきっている。
 気色悪い世の中になってきた。
 メディアがそれを許し、いやむしろ演出している。
 そう思うのは私一人だろうか。

★この国は嘘で塗り固められた緩んだ国になりつつある。
 それをメディアが許し、作り出している。
 日本はもっと単純、明快な国に戻るべきだ。
 本音が言える国にならなければいけない。
 真面目に生きる者が報われる国であるべきだ。
 要するに皆が真剣に毎日を生きる、そういう緊張感のある国に戻らなければいけないと思う。
(天木直人ブログ“なんだか気色悪い世の中になってきた”から引用)



もちろん、天声人語からも引用せねばなるまい(笑);

《▼親方衆と暴力団の関係が新たに報じられるなど、角界の前途は多難を思わせる。強い白鵬が人気をつないでいるうちに、再生の足がかりをつかむほかなかろう。相撲協会は、危機を一人で背負える大横綱の存在に感謝しないといけない》


朝日新聞の<正義>とは何か?

ぼくは<正義>をあまり信じないが、このような<言説>が、正義に反する社会を形成してきたことは、知っている。





<追記>

読売も朝日も、“新自由主義”イデオロギーに凝り固まった保守(保身)主義者にすぎない。

まさに、この“保守主義”こそが、死に至る病である。

柔軟であっても頑迷であっても老獪であっても、“みな同じ”である。
真面目に言っても、‘しゃれ’をいっても、‘やさしく’言っても、‘かわいく’言っても、‘お笑い’であっても、みな同じ。

<現実>にまったく鈍感な“現実主義者”たち(彼らの閉ざされた<五感>、シャットアウト!)

永遠に自分の“刷り込み”を、ただ繰り返すだけの“ロボット言語=キカイなキカイ語”。

“アイドル”を死ぬまで“追っかける”だけの人生。

もちろんぼくは、60余年、後悔ばかりして生きてきた(生きている)

なんか、文句あっか?(笑)

このような硬直人間が、けっして理解し得ない<言葉>もたくさんあるのである。

そのひとつを掲げる;

《各人はその能力に応じて、各人にはその必用に応じて!》






こういう<言葉>もある;

★今日、わたしたちは、真理は存在しないということを知っている。爆発と変容と疑惑があるだけなのだ。出発すること。わたしたちは出発したいと思う。しかしどこへか。すべての道は互いに似ていて、すべては自己自身への回帰にすぎない。それならほかの旅を探さなければならない。

★わたしたちの目の残忍さと貪欲。
しかしここには、河のほとりに立って動かない若い女の、見つめている目だけがある。(見つめている目)。

★言葉による征服、言葉や、形容詞という蟻のあらゆる小さな咬み傷。話すことを学びつくしたとき、残るものはなにか。沈黙する術(すべ)を学ぶことだ。

<ル・クレジオ『悪魔祓い』>






My Little Town

2010-07-25 09:30:43 | 日記

ぼくの小さな町では
神を信じて育った
神はぼくたちをみつめていて
壁に向かって信仰を誓うとき
ぼくにいつものしかかってきた
主よぼくは思い出す
ぼくの小さな町を

学校がひけて家に帰るときは
工場の門の前を自転車で飛ぶよう走り抜けた
母さんは洗濯の最中で
ぼくたちのシャツを汚れた風に干していた

雨があがると
虹がでた
でもそれは真っ黒だった
その虹に色がなかったからじゃなく
その町のみんなにイマジネーションが欠けていたから
すべてが同じものだった
ぼくの小さな町では

ぼくの小さな町では
ぼくは何者でもなかった
父さんの子である以外は
カネをためて
栄光を夢見ていた
引き金にかけた指みたいにひきつって
死者と死んでいく人しかいない町を離れる
ぼくの生まれた小さな町を

死者と死んでいく人しかいない
ぼくの小さな町
死者と死んでいく人しかいない
ぼくの小さな町を

<Paul Simon:“My Little Town”>



“ここから抜け出す道があるはずだ”
ペテン師が泥棒に言った
“あんまりこんがらがっているんで息もつけない、ビジネスマンは俺のワインを飲んじまうし百姓は俺の土地を耕す、そいつらの誰一人その値段を知らない“

“そんなに興奮しなさんな”
泥棒がやさしく言った
“俺たちの仲間の大部分だって生きることはジョークだと思ってる、でもあんたと俺はそんなことは卒業したしそいつは俺たちの運命じゃない、だからアホな話はよそう、夜も更けてきた”

見張り塔からずっと、王子たちは見張っていた
その間、女たちはやって来て去っていった、裸足の召使たちも

遠くの方で山猫がうなった
二人の馬に乗った男が近づいてくる、風が吠え始めた

<BOB DYLAN:All Along The Watchtower>



世界はまるいから
ぼくはうっとりする
世界はまるいから

風は高いところにある
ぼくの心のなかを吹く
風は高いところを吹く

愛、それは古い、愛、それは新しい
愛、すべて、愛、それはあなた

空が青いから
泣ける
空がいつも青いから

<BEATLES:Because>



あなたの息はあまく
あなたの瞳は空に輝く二つの宝石のよう
あなたの背中はまっすぐで、あなたの髪はなめらかに
あなたが横たわる枕にひろがる
だけどあなたの愛情が感じられない
敬意も愛も感じられない
あなたの忠誠はぼくに対してではない
あなたの頭上の星々に対してだ

コーヒーをもう一杯道を行くために
コーヒーをもう一杯ここから出て行くために
あの下の谷に向かって

あなたの父さんは無法者
根っからの放浪者
彼はあなたに教えるコソ泥の仕方
ナイフの投げ方を
彼は王国の支配者
よそ者は閉め出す
彼の声は震える
おかわりを求めるときに

コーヒーをもう一杯道を行くために
コーヒーをもう一杯ここから出て行くために
あの下の谷に向かって

あなたの姉さんは未来を見る
あなたのママやあなた自身のように
あなたたちは決して読み書きを学ばない
あなたたちの棚には本がない
そしてあなたたちの快楽には底がない
あなたたちの声は草原のヒバリのよう
しかし、あなたたちの心は大海のよう
神秘的で暗い

コーヒーをもう一杯道を行くために
コーヒーをもう一杯ここから出て行くために
あの下の谷に向かって

<BOB DYLAN;ONE MORE CUP OF COFFEE>






*かつて、ある旋律とともに歌われる詩が、意味を持っていたことがあった。





スカボローの市へ行くのかい
パセリ、セージ、ローズマリー、そしてタイム
そこに住むひとに、ぼくを思い出させてくれ
彼女はかつてぼくの真実の恋人だった

彼女に告げてくれ、ぼくに綿のシャツをつくるように
(深い森の緑の丘の斜面で)
パセリ、セージ、ローズマリー、そしてタイム
(雪の上に残る小鳥の茶色い羽飾りの跡をおいかけて)
縫い目も針のあともないように
(山の子の毛布と寝具)
そうすれば彼女はぼくの真実の恋人になる
(喇叭の響きにも気づかず眠る)

彼女に告げてくれ、ぼくに1エーカーの土地を見つけるように
(丘の斜面には木の葉が散らばる)
パセリ、セージ、ローズマリー、そしてタイム
(銀色の涙で墓石を洗い)
塩水と渚のあいだに
(ひとりの兵士が銃を磨く)
そうすれば彼女はぼくの真実の恋人になる
(喇叭の響きにも気づかず眠る)

彼女に告げてくれ、皮の鎌で刈り取るように
(戦争が真っ赤な軍勢で咆え狂うとき)
パセリ、セージ、ローズマリー、そしてタイム
(将軍は彼の兵士に殺せと命令する)
そしてそれらすべてをヒースの束にまとめてくれ
(彼らはとっくの昔に忘れた理由で戦う)
そうすれば彼女はぼくの真実の恋人になる

<S&G “スカボロー・フェア/詠唱”>





火星年代記

2010-07-25 03:01:22 | 日記


★ その水晶の柱の家は、火星の空虚な海のほとりにあり、毎朝、K夫人は、水晶の壁に実る果物をたべ、磁力砂で家の掃除をする。その様がよくみえた。磁力砂は埃をすっかり吸い取り、熱風に乗って吹き散ってしまうのである。午後になると、化石の海はあたたまり、ひっそり静止し、庭の葡萄酒の木はかたくなに突っ立ち、遠くの小さな火星人の骨の町はとざされ、だれ一人戸外に出ようとするものはいない。そんなときK氏は自分の部屋にとじこもり、金属製の本をひらいて、まるでハープでも弾くように、浮き出た象形文字を片手で撫でるのだった。指に撫でられると、本のなかから声が、やさしい古代の声が語り始めた。まだ海が赤い流れとなって岸をめぐり、古代の人々が無数の金属製の昆虫や電気蜘蛛をたずさえて戦いに出掛けた頃の物語を。

<レイ・ブラッドベリ“1999年2月 イラ”-『火星年代記』(ハヤカワ文庫1976)>





犬の日;不破利晴への手紙10-07-24夜

2010-07-24 22:58:24 | 日記


不破利晴さま

今日は昼頃から仕事に出たんだが、すごかった(笑)
アンドレ・カイヤットの映画『眼には眼を』を思い出した。
『アラビアのロレンス』でないのは、あの映画の砂漠は美しすぎる。
まさに“太陽”が、残忍な意志のように感じられる。
帰り道で、太陽が雲の影に隠れてほっとした。

仕事帰りになぜかずっと食欲不振だったのが、西武新宿線の小さな駅前の“中華料理店”を見たとたん入って、“広東麺”食べる、5時ごろ、客はひとりもいない、まずい!残さず食べる。

なぜか駅側路地に、昔風の正当“喫茶店”あり。
この店も、入ったときいたオバさんグループが去ると、客はぼくひとり。
仕事に出る前に書いていたブログ“夏休みの読書;ノン・フィクション”の関連で引っ張り出した文庫本『パリは燃えているか?』を読む→この書きかけブログを完成するか否かわからない。
昨日は、新宿の喫茶店で、仕事帰りに、『悪魔祓い』を読んだのだった。

ぼくは君とちがって、冷房に弱い。
家では、よっぽどの時、短時間しかクーラーを使用しない。
外出ではいつもジャケットを携帯し、“腹に巻く”(笑)

汗だくで、冷房に弱いという体質は、この社会の夏に適応がむずかしい。
ところで、君のブログ写真にある君の書斎やデスクは、ぼくよりグレードが高い(爆)
つまり、環境がよい。
だが家でも仕事関係の“勉強”があるのには、同情する。
ぼくは、パートでやっている仕事でさえ、最近適応能力が落ちてきている。

さっきまで、遠くで雷の音が、聞えていたが、もっと激しい雷鳴と雷光につつまれたい。
俺に激しい雨よ、降れ。

最近ますますぼくは、街に出ても、なにも面白くない。
もともと酒は、ひとと会う時と、妻といっしょに外食のときしか飲まない。
新宿や吉祥寺の“なじみの”喫茶店は、みな潰れた(あと渋谷に一軒あるのみ)

ぼくにとって街がつまらないのと、ニュースがつまらないのは、パラレルである。
『悪魔祓い』を読んでいて、自然の威力ということに、あらためて気づかされた。
すなわち、ぼくには、新宿高層ビル街やニューヨーク摩天楼が、あらゆる蔦や蔓に“巻きつかれて”崩壊していく光景が幻視できた。

“文明”が機能麻痺すれば、数ヶ月でこのような光景が出現するだろう。
ぼくは、このような崩壊や人間の消滅を待ちわびるわけではないが、あらゆるパニック映画の氾濫は、“ぼくより”こういう光景を期待する多数の存在を予感させる。

けっきょくぼくなどは、“たわいない”ヒューマニストである。
この世の“悪意”の膨大さ(大きな物語も小さな物語も)には、眩暈を感じる。

自分を“露悪する”ことで正直であることを表明したり、自分が“悪趣味である”という趣味を誇ることは、まったくの無意味である。

ぼくが言っている<テレビ>とか<メディア>というのは、“たんに”そうゆー世界である。
それが、大きな悪意であるか、ちっぽけな悪意であるかは、どーでもよい。

ゴミは、どこまでいってもゴミであるようだが、もちろんぼくには、それを断罪する資格はない。

のこりすくない、人生の時、“美しいもの”を、やはり見ていたい。

コンビニの床のように、ピカピカ・ツルツルでないものを。

先日、近所のセブンイレブン女性店員から聞いた;

《店の床がピカピカ・ツルツルなのは、店を“明るく”するためである~虫は明るいところに集まる》






* このブログに(またまた)まぶしげなアラン・ドロン写真を掲載したのは、ぼくや不破利晴がドロンのような“美男”であるからでも、“美男”にあこがれているからでもない。

“太陽がいっぱい”

ただ、好きである、タルコフスキー『鏡』や、ヴェンダース『都会のアリス』のように。

もちろん、マリー・ラフォレがいる。









犬の日々

2010-07-24 09:10:30 | 日記


今日の話題は、“熱中症”、“ひきこもり70万人”、“河童”である。

“W杯”、“選挙”、“野球賭博”、“元工作員”は、さようなら。

目先に“熱中する”メディアと“おしゃべりども”は、今日も亜熱帯ジャングルに“世界最大の花”とかを見に繰り出すほど元気である。

読売編集手帳によると、「土用」を“ドッグズデイ”というそうだ(教養が増えた)

ついでに引用すると、
《きょうは芥川龍之介の忌日にあたる。「あんまり暑いので、腹を立てて死んだのだろう」と述べたのは作家の內田百だが、芥川がみずから命を絶った83年前の気温は35~36度とか。午前中に各地で37度を超す今年は、それをもしのごう》
ということである。


天声人語も芥川の話題;

《▼龍之介は、人が自然を愛するわけを「自然は我我人間のように妬(ねた)んだり欺いたりしないからである」と言っていた。平たく言えば、無心の安らぎということか。きょうはその芥川が命を絶った河童忌。人界の暑苦しさにうだりながら、梓の流れを瞼(まぶた)に呼びさましてみる》(引用)


どんな意味でも<無心の安らぎ>などというものは、ないのである。

芥川だって、よく知らないが、無心のやすらぎがあったなら、なぜ自殺したのか。

つまり、天声人語は、芥川さえ、読んでいないのである。
あるいは、これまた、“とっくに忘れた”。

自分に切実でないものを引用するな、ダシに使うな。

これこそ自国の文化に対する、“不敬=うやまわないこと”である。
それは“文化人”を過剰に讃美することの裏返しである。

日々生成する“事件”に無責任な言動をつらね、すぐ忘れて、《梓の流れを瞼に呼びさましてみる》というような、<生き方>は正当であろうか?

正当ではない。

天声人語のような人(集団人格)に決定的に欠けているのは、この文化の歴史に対する感性と敬意である。

ようするに、“いい気になっている”のだ、ボテ腹をさすって。

どうでもいい“サブカル”作家が殺された。
天声人語氏も(もちろん読売編集手帳氏も)気をつけたほうがよい。

人を殺すのは悪いことである。
だが、駄文ばかりをいい気になって書いていると、殺されることもあると知ることは、教訓である。


ぼくは、この“犬の日”にも仕事に行く。

“気分”は、<ひきこもり>であるけれど(笑)

たしかにぼくも、一匹の犬である。