Don't Let Me Down

日々の雑感、引用。
言葉とイメージと音から喚起されるもの。

物質的恍惚;無限に中ぐらいのもの;沈黙

2010-07-26 14:36:18 | 日記


1967年、27歳のル・クレジオが書いた本=『物質的恍惚』を、いま(2010年夏)に読む。

読むことができる;

★ ぼくが望んだのは、先立つ虚無と後につづく虚無を内包しているような書物を創り上げることでした。(“自身によるル・クレジオ”)

★ ぼくが書いているこれらの言葉、これらの文章はぼくに属するものではない。ぼくにはそれらをぼくのものと信ずる権利はない。ぼくは一人の年代記作者にすぎず、反映の数々で満足している。根底的には、それこそぼくが仕遂げたいことなのだ――忠実であるような本。人間的なる何ものをも断念しないこと、いかなる物質をも軽蔑しないこと。(『物質的恍惚』)

★ ル・クレジオはこの本によって、彼の『存在と無』を書いたと言ってもよいだろう。しかしこの奇妙な存在論が目指しているのは、無(人間)の構造に関する解明であるよりもはるかに、人間生命をも包含して永遠に、無時間的に存在する物質という明証事、あらゆる注釈を無用かつ不可能とするていの明証事であって、それについて言えることといっては、「存在」は存在し、「無」さえもなおかつ存在する、ということ、ただもうそれだけなのだ。
(亡き翻訳者豊崎光一による1970年4月の“訳者のことば)


しかし(“しかし”という言葉が適切か分からないが)、ル・クレジオが、彼の人生の転機となるメキシコ・シティへ兵役代替仏語教授のため赴任し、インディオ世界と接触するのは、この本の“後”である。
現在の妻ジェミア(砂漠の民ベルベル人の血を引く)と出会うのも、1968年である。


ル・クレジオは自分を、《一人の年代記作者》と呼んだ。

彼の旅は、続き、それは、“彼の本”の連なりとして、ぼくらに届けられた。
彼の旅は、今も、これからも続く。

かれのようなダイナミズムは持てなくても、ぼくらや、ぼくの旅も続いている。







★ 眼にもとまらぬ細部、種子の中に混じり合った種子、ほんの些細なことで道から逸らされてしまうに足りる単なる可能性だったとき。ぼくか、それとも他者たち。男か、女か、それとも馬、それとも樅の木、それとも金色の葡萄状球菌。ぼくが無でさえなかった――なぜならぼくは何ものかの否定ではなかったのだから――とき、一つの不在でもなく、一つの想像でもなかったとき。ぼくは精子(たね)が形もなく未来もなしにさまよい、涯しない夜のうちにあって、行き着くことのなかった他の精子の数々とひとしかったとき。ぼくがひとの養分になるものであって、みずから養分をとるものではなく、組み立てるものであって、組み立てられたものではなかったとき。ぼくは死んではいなかった。ぼくは生きてはいなかった。ぼくは他者たちの躰の中にしか存在していず、他者たちの力によってしか力をふるえなかった。運命はぼくの運命ではなかった。極微な動揺が時の流れを走って、実質であるものは種々さまざまな道を辿って揺れていた。どの瞬間に、ドラマはぼくにとって切って落とされていたのか?どの男ないし女の躰の中、どの植物の中、どの岩の塊の中で、ぼくはぼくの顔に向かう旅を始めていたのか?


★ 世界の細片の一つ一つをそれ本来の位置で感じとるためには、自分の躰全体を空虚にひらかねばならず、いかなる白昼もうちこわすことはあるまいこの夜という、万物に共通の眺めを前にしてみずからをぱっくりと空にせねばならなかったし、世界がその明証という単純な状態のうちに示していたもの以外の何ものをも希望しようと欲してはならなかった。どうでもよい一破片であるにすぎないことを受けいれるためには、充溢した軽やかなこの夜、眩暈(めまい)なき深淵がなければならなかった。熱気、卑小さ、特異さにすぎぬことを受けいれるためには、この寒気、この無限さ、この無辺さがなければならなかった。単なる一つのジャンプであることを受けいれるためには、とどまることのないこの旅という想念、生命とともにやってきた唯一の想念がなければならなかった。そしてさらになお、躰の中にこの心臓の鼓動、ひとを生命に向かって送り出しつつ、同時に死に向かって送り出していたあの致命的な最初の鼓動が響くことを容赦するためには、かつて知られたことのないものの無際限の沼から汲みとった、この絶対の現存という歓喜がなければならなかった。白と赤とに染められた場では、鋭い釘を植えたハンマーの鈍い一撃が打ちおろされ、あっという間に牛の首すじに食いこむ。ぼくをこの世に生みだした女は、ぼくを殺した者でもあるのだ。

<ル・クレジオ『物質的恍惚』(岩波文庫2010)>





後悔しない生き方;スマートなひと(女)が捨てたもの

2010-07-26 10:05:55 | 日記


さて今日の読売編集手帳である。

読売新聞は、なにが言いたいのか。

全文を引用するが(引用したくないが、引用しなければわからないので;笑)、ぼくの疑問は、最後の

《「人生は選択肢だらけ。何かを選ぶために何かを捨てる。でも後悔しない」》

という言葉である。

すなわち、

彼女たちが<選択しなかったもの(捨てたもの)は何か?>という問いである。


引用開始;

脆くみえるガラスでも、たたき割れない強化ガラスがあるだろう。「グラス・シーリング」(ガラスの天井)は、米国などで長年、キャリア・アップを目指す女性に立ちはだかる壁に例えられてきた◆そんな天井を突き抜けた先駆者がいる。代表がヒューレット・パッカード(HP)のカーリー・フィオリーナ元最高経営責任者(CEO)とインターネット競売大手イーベイのメグ・ホイットマン元CEOだろう◆「最強の女性経営者」と評されたフィオリーナさんは秋の米中間選挙で、カリフォルニア州の上院選に共和党候補として名乗りを上げた。ホイットマンさんは、シュワルツェネッガー同州知事の後任の共和党候補だ◆もたつく米国経済は、全米最大のカリフォルニアの復調に左右される。巨額赤字を抱える政府と、同州の財政再建も難問である。青い空が似合うカリフォルニアに暗雲がたれ込める◆「人生は選択肢だらけ。何かを選ぶために何かを捨てる。でも後悔しない」。フィオリーナさんの人生哲学だ。実業界の経験をアピールするカーリー&メグ旋風は、民主党オバマ政権に脅威となりかねない。(今日読売編集手帳)



ちなみに天木直人ブログからも引用しよう。
ぼくは天木直人氏の主張の“各論”には賛同しかねることも多いが、以下の発言には賛成である;

★猛暑のせいでもないだろうが、なんだか、世の中が緩みきっている。
 気色悪い世の中になってきた。
 メディアがそれを許し、いやむしろ演出している。
 そう思うのは私一人だろうか。

★この国は嘘で塗り固められた緩んだ国になりつつある。
 それをメディアが許し、作り出している。
 日本はもっと単純、明快な国に戻るべきだ。
 本音が言える国にならなければいけない。
 真面目に生きる者が報われる国であるべきだ。
 要するに皆が真剣に毎日を生きる、そういう緊張感のある国に戻らなければいけないと思う。
(天木直人ブログ“なんだか気色悪い世の中になってきた”から引用)



もちろん、天声人語からも引用せねばなるまい(笑);

《▼親方衆と暴力団の関係が新たに報じられるなど、角界の前途は多難を思わせる。強い白鵬が人気をつないでいるうちに、再生の足がかりをつかむほかなかろう。相撲協会は、危機を一人で背負える大横綱の存在に感謝しないといけない》


朝日新聞の<正義>とは何か?

ぼくは<正義>をあまり信じないが、このような<言説>が、正義に反する社会を形成してきたことは、知っている。





<追記>

読売も朝日も、“新自由主義”イデオロギーに凝り固まった保守(保身)主義者にすぎない。

まさに、この“保守主義”こそが、死に至る病である。

柔軟であっても頑迷であっても老獪であっても、“みな同じ”である。
真面目に言っても、‘しゃれ’をいっても、‘やさしく’言っても、‘かわいく’言っても、‘お笑い’であっても、みな同じ。

<現実>にまったく鈍感な“現実主義者”たち(彼らの閉ざされた<五感>、シャットアウト!)

永遠に自分の“刷り込み”を、ただ繰り返すだけの“ロボット言語=キカイなキカイ語”。

“アイドル”を死ぬまで“追っかける”だけの人生。

もちろんぼくは、60余年、後悔ばかりして生きてきた(生きている)

なんか、文句あっか?(笑)

このような硬直人間が、けっして理解し得ない<言葉>もたくさんあるのである。

そのひとつを掲げる;

《各人はその能力に応じて、各人にはその必用に応じて!》






こういう<言葉>もある;

★今日、わたしたちは、真理は存在しないということを知っている。爆発と変容と疑惑があるだけなのだ。出発すること。わたしたちは出発したいと思う。しかしどこへか。すべての道は互いに似ていて、すべては自己自身への回帰にすぎない。それならほかの旅を探さなければならない。

★わたしたちの目の残忍さと貪欲。
しかしここには、河のほとりに立って動かない若い女の、見つめている目だけがある。(見つめている目)。

★言葉による征服、言葉や、形容詞という蟻のあらゆる小さな咬み傷。話すことを学びつくしたとき、残るものはなにか。沈黙する術(すべ)を学ぶことだ。

<ル・クレジオ『悪魔祓い』>