★ 人間学からの離脱としての自己からの離脱のプロセスについては、確かにそれを、『知の考古学』において一応の完結を見たものとみなすことができるかもしれない。しかし、主体性の問題化と、それと不可分のものとしての自己の連続性の問題化については、これらを、60年代のフーコーの研究を特徴づけるものとしてのみならず、彼の仕事にその後も絶えず方向を与え続けるものとしてとらえることができるように思われる。
★ フーコーは、とりわけその晩年の対談や講義において、自分の研究が常に問題化すべきものとして扱ってきたのは何よりもまず主体であるということ、それもとりわけ主体と真理の関係であるということを、繰り返し語っている。実際、1960年代の研究において人間学的思考といくつかの科学とのあいだの関係を分析した後、70年代の著作において彼は、「非行性」や「セクシュアリティ」といった概念が孕む問題に注目しつつ、主体に何らかの真理が組み込まれる際に作動する権力のメカニズムを読み解こうと試みる。そして、1980年代になって「セクシュアリティの歴史」をめぐる彼の研究に大幅な変更がもたらされたのも、主体と真理の関係をめぐる問題を当初の構想とは別のやり方で提起する必要が生じたからである。
★ そして、そうした研究計画の変更について語っている1984年の『快楽の活用』序文のなかで、その動機としてフーコーが挙げているのがまさしく、自己からの離脱への欲求である。つまり、自己を自己自身の思考から解放すること、別のやり方で思考することへの関心こそが、彼に対し、以前の計画を放棄して新たな研究に着手するという選択を促したということだ。主体をめぐる問題を新たなやり方で提起するために要請された方向転換が、思考の思考自身に対する批判作業を経て実現へと導かれたのである。
★ 主体と真理との関係をめぐる問題がフーコーの著作全体を実際に貫いており、自己の連続性の問題化が彼の研究をその最晩年までに至るまで駆り立てているということ。主体こそが自分の絶えざる関心事であったと語る晩年のフーコーの言葉を、単なる回顧的なとらえ直しとみなしてはならない。「考古学」において実践された自己からの脱出の企てを、すでに完了しうち捨てられた任務とみなしてはならない。
<慎改康之;フーコー『知の考古学』(河出文庫2012)訳者解説>