Don't Let Me Down

日々の雑感、引用。
言葉とイメージと音から喚起されるもの。

自己からの脱出;“別のやり方で思考すること”

2013-09-30 12:41:57 | 日記

★ 人間学からの離脱としての自己からの離脱のプロセスについては、確かにそれを、『知の考古学』において一応の完結を見たものとみなすことができるかもしれない。しかし、主体性の問題化と、それと不可分のものとしての自己の連続性の問題化については、これらを、60年代のフーコーの研究を特徴づけるものとしてのみならず、彼の仕事にその後も絶えず方向を与え続けるものとしてとらえることができるように思われる。

★ フーコーは、とりわけその晩年の対談や講義において、自分の研究が常に問題化すべきものとして扱ってきたのは何よりもまず主体であるということ、それもとりわけ主体と真理の関係であるということを、繰り返し語っている。実際、1960年代の研究において人間学的思考といくつかの科学とのあいだの関係を分析した後、70年代の著作において彼は、「非行性」や「セクシュアリティ」といった概念が孕む問題に注目しつつ、主体に何らかの真理が組み込まれる際に作動する権力のメカニズムを読み解こうと試みる。そして、1980年代になって「セクシュアリティの歴史」をめぐる彼の研究に大幅な変更がもたらされたのも、主体と真理の関係をめぐる問題を当初の構想とは別のやり方で提起する必要が生じたからである。

★ そして、そうした研究計画の変更について語っている1984年の『快楽の活用』序文のなかで、その動機としてフーコーが挙げているのがまさしく、自己からの離脱への欲求である。つまり、自己を自己自身の思考から解放すること、別のやり方で思考することへの関心こそが、彼に対し、以前の計画を放棄して新たな研究に着手するという選択を促したということだ。主体をめぐる問題を新たなやり方で提起するために要請された方向転換が、思考の思考自身に対する批判作業を経て実現へと導かれたのである。

★ 主体と真理との関係をめぐる問題がフーコーの著作全体を実際に貫いており、自己の連続性の問題化が彼の研究をその最晩年までに至るまで駆り立てているということ。主体こそが自分の絶えざる関心事であったと語る晩年のフーコーの言葉を、単なる回顧的なとらえ直しとみなしてはならない。「考古学」において実践された自己からの脱出の企てを、すでに完了しうち捨てられた任務とみなしてはならない。

<慎改康之;フーコー『知の考古学』(河出文庫2012)訳者解説>








どんぐり林の哲学;“私たちは主権者である”

2013-09-28 22:19:57 | 日記

近年は、おカネもないので、なかなか出たばかりの本を買うことがないのだが、新書という買いやすい形態(価格)でもあるので、出たてホヤホヤの國分功一郎『来るべき民主主義』を昨日Amazonに注文したら、さっき届いた。

まず、“あとがき”を読み、続いて“第5章”、“はじめに”を読んだところで、このブログを書く、いつもどおりの引用である(“あとがき”から)

この“小平都道328号線問題”については、ぼくの住んでいる所の隣駅付近の問題でもあり、前にこのブログで、“今後の経過を注視して行きたい”と書いたと思う。
また、國分功一郎という“哲学者”が、こういう“現実問題”にどう対応するのかにも、関心があるわけだ;

★ 時折、どんぐりの雑木林で「森の哲学講義」と称した講義を行っている(…)。そこで、本書の基本アイディアを話したことがあった。本書同様、最後にデリダの「来るべき民主主義」の話をした。大変印象に残ったのは、参加者の方が講義の後に口にした、「デリダの民主主義観がとてもしっくりくる」という感想である。

★ 難解と見なされるデリダの思想が、理解されるどころか、実感をもって納得される……。いや、すぐれた思想とはそういうものだ。すぐれた思想は、どんなに抽象的に見えようとも、その本質に具体的なものをもっている。だからこそ、具体的な問題に関わっている人の心にはきちんと響く。前提となる知識などなくとも、その言葉は届く。

★ だが、思想には配達人が必要である。おそらく、哲学に携わる者の責任とは、配達されるべき言葉を配達することだ。たとえば、民主主義の根源には「主権」なる概念があるのだから、それを巡るかくかくしかじかの言葉を配達すること。議会制民主主義を考える上では「制度」なる概念が不可欠であるから、それを「法」との対比で定義するかくかくしかじかの言葉を配達すること。本書はそういう意識で書かれている。

★ 私はこれまで、哲学に携わる者の責任など考えたこともなかった。だが、東京都が開催した都道328号線の「説明会」に参加し、この問題を知り、そのような責任を本当に心の底から感じた。この問題に応えることができなければ、自分がやっている哲学など嘘だと思った。

★ 最後に私の訴えを記させてほしい。
猪瀬直樹都知事には、是非ともこの328号線計画の見直しを検討していただきたい。(…)
「一度決めたら変えられない」という行政の旧弊から東京が自由であることを、日本の新しい行政の形がこの首都東京にあることを、猪瀬都知事に是非示してもらいたい。

★ そして、読者の皆さんにも力を貸していただきたい。
おかしなことには「おかしい」と言っていかなければ、社会は少しもよくならないし、時折、取り返しのつかないことが起こってしまうだろう。月並みだが、一度失われた自然は二度と戻らない。一度失われたコミュニティも二度と戻らない。328号線の事業主は東京都(具体的に担当しているのは東京都建設局道路建設部計画課)であり、東京都が工事を行わなければ、自然もコミュニティも失われることはない。
私たちにはそれを訴える権利がある。私たちは主権者である。

<國分功一郎『来るべき民主主義 小平市都道328号線と近代政治哲学の諸問題』(幻冬舎新書 2013)“あとがき”>






境界線上の“私”

2013-09-27 12:30:38 | 日記

★ 認識し経験する主観である「私」にとって、経験され知られることになるのは、「私」にとってそう現われる対象、つまり「現象」である。個々の現象が、そのまま「世界」と呼ばれるのではない。「世界」とはむしろ「いっさいの現象の総括」「諸現象の総合における絶対的総体性」のことである。すべての現象をとりまとめて、それを一箇の完結した全体としてとらえたものこそが世界の名にあたいするものであろう。

★ 個々の対象、現象としての対象は直接的に与えられる。カントによれば「直感」にたいして与えられよう。だが、世界、より正確にいえば「世界全体」はけっして直接には与えられない。そればかりではない。世界とは現象の総括であるかぎり、世界が問題となるときはつねに世界「全体」が問題となっているのだ。世界全体、全体としての世界は、だんじて経験には与えられない。その意味で世界は経験を超えたもの、カントふうにいえば一箇の「理念」である。

★ 世界は「与えられている」のではない。世界は経験にたいして「課せられている」。「課せられている」というのは、つまり、経験によってそのつどの世界の限界を完結させるという課題が、またそのこととうらはらに、そうした世界の限界を不断に拡大してゆくという課題が、おなじように経験じたいにわりあてられているからである。――世界とは、それじしん境界をしるしづけることばである。経験がそのつどそれを超えて生起すべき限界をしるすことばなのである。

★ 世界は「所与」(与えられているもの)ではない。世界は経験を拡張し、事象をさかのぼるそのつど生起する。経験が生起するたびに、境界として生成する。世界とは「課題」(課せられているもの)である。世界はそのときどき、いまだ規定されてはいないものとして、経験の地平であるにとどまる。世界という地平(背景)を欠いては経験そのことが不可能であるが、地平としての世界は、いっさいの可能な経験を超えている。経験はそれが世界にかかわるものであるかぎり、世界そのものを地平として前提している。世界それ自体については、その直接的で全体的な経験はけっしてありえない。世界とは、経験を超えた、経験じしんの地平である。

★ 純粋理性の批判とはそもそも、理性が知りうることと知りえないこと、人間理性における知と無知とにかかわる思考である。それは、理性そのものの境界線上でいとなまれざるをえない思考であったはずである。カントの思考は、理性批判の哲学であろうとする、その意図じたいにおいて、境界にかかわる思考であり、境界を問う思考であって、そのことで同時に、それじしん境界において紡ぎだされる思考であったのである。

★ カントはかくて、すぐれて哲学的と呼ばれうる思考を織りあげたことになる。とりわけて哲学的な思考とは、無知の知の刻印を彫りこまれながら、つねに境界上に身をおく思考のことであるからである。知と無知との、あるいは知と非-知との境界線のうえで揺らぎながら、経験と知の可能性それ自体を問いかえそうとする思考のことであるからだ。

<熊野純彦『カント 世界の限界を経験することは可能か』(NHK出版・哲学のエッセンス2002)>






ふたつの“問い”

2013-09-26 14:01:05 | 日記

大澤真幸の現在進行中のふたつの仕事に注目する。

A:動物的/人間的

このシリーズは現在一冊目が、『動物的/人間的 1社会の起源』(弘文堂・現代社会学ライブラリー2012)として刊行されている。
さらに、“2.贈与という謎”、“3.社会としての脳”、“4.なぜ二種類(だけ)の他者がいるのか”の刊行が予告されている。
『動物的/人間的 1社会の起源』の最初に書かれているこのシリーズのモチーフは以下の通り;

★ この空隙は、すなわちかつて神との関係における人間という主題が占めていた、知の覇権の地位は、何によって埋められるのか?
それは、当然、<間>のもう一つの項との差異を通じて<人間とは何か?>を問う探究であろう。すなわち、人間以外の自然物、とりわけ動物との差異において<人間>の同一性を問うことである。人間は、動物とどのように違うのか?人間は、動物とどの程度、どのように同じなのか?人間はどこまで動物なのか?あるいは人間はどのような動物なのか?こうした問いは、神と人間の関係についてのかつての問いと同等の重要性を、今日の知の全領域で占めていなくてはならない。


B:<世界史>の哲学

このシリーズは現在、『古代篇』と『中世篇』が講談社から刊行され(2011)、「群像」連載中の “東洋篇”が今年中に刊行予定となっている。
『<世界史>の哲学 古代篇』の第1章“普遍性をめぐる問い”からこのシリーズのモチーフを;

★ 資本主義こそは、特異性と普遍性との結合を端的に具現する現象である。そうであるとすれば、世界史へのわれわれの問いは、資本主義の誕生をめぐる謎に、まずは照準を合わせるのが適当かもしれない。資本主義が西洋で生まれたのはなぜなのか?しかも、資本主義は、母胎である西欧と自身を繋ぐ「臍の緒」を、思い切り徹底して切断するような形で波及していく。その切断は、なぜ、そしてまたいかにして生じたのか?これがわれわれの問いである。

★ 資本主義を中核に据えて普遍性の発生の機序を問うという、ここでの問題意識には、政治的・実践的な意義もある。現在、人類が直面している社会問題、緊急に解決が要求される社会問題は、3点に集約される。①民族・宗教など文化的な差異に源泉をもつ戦争・紛争。②(国際的あるいは国内的な)経済格差。③環境破壊。これらの問題を解決しうるかは、最終的には、人類が、資本主義を超える――あるいは資本主義に代わる――普遍性を有する社会を構想しうるか、という点にかかっている。言い換えれば、資本主義を、人類が見出しうる最終的で「自然な」社会体制として受け入れてしまえば、これら三つの問題の根本的な解決を断念したに等しいことになるだろう。






近代知の限界点

2013-09-24 18:13:32 | 日記

★ 『宗教社会学論集』「序言」や「儒教とピューリタニズム」に見られる筋道は、一見したところでは、キリスト教の救済観念によって発動された合理化のなかに人類史の普遍的な発展方向が示されている、というメッセージのように読み取れます。事実、多くの読者はそのように受け取ってきました。(・・・)それらの読者は、ヴェーバーが同じテキストの中で語っていた「運命的な力」という表現が何を意味するかについて、慎重な吟味を加えようとはしませんでした。

★ 苦難に圧しひしがれそうになりながらも、その苦難の中に神の計り知れない配慮を読み取り、そのことによって一貫した倫理的行為へと自らを律していったあの宗教改革期の精神は、いまや死滅してしまった。この精神の危機に直面しながらも、現代の人間はそのことに気づこうともせず、むしろ、この「強力な力」に快く身をゆだね、日々の生活を享受するばかりである。――現代社会についてこのようなペシミズムを抱いていたヴェーバーにしてみれば、近代ヨーロッパの合理化を賛美したなどという解釈が流布することなど、思いもよらぬことだったに違いありません。

★ 近代ヨーロッパの合理化は、賛美されるべきものではまったくなく、むしろ、「文化発展の最後に現われる“末人たち”」を生み出す問題の局面に他なりません。ヴェーバーはこのくだりをこう結んでいます。こうした「末人たち」に対しては、「次の言葉が真理となるのではなかろうか。“精神のない専門人、心情のない享楽人、この無のもの(ニヒツ)は、人間性のかつて達したことのない段階にまですでに登りつめた、と自惚れるだろう”と」。

★ 『プロテスタンティズムと資本主義の精神』の末尾に出てくる「文化発展の最後に現われる“末人たち”」という印象深い表現は、実は、ニーチェの『ツァラトゥストラはこう言った』の一節からの借用なのです。となると、ヴェーバーは近代以降の合理化を問題化したというにとどまらなかったのではないか、ヨーロッパ文化全体の根源にまでさかのぼってそれを告発したニーチェから批判精神を継承していたのではないか、という想定が成り立つでしょう。この脈絡からすれば、「ヴェーバーとマルクス」の重なりでなく、「ニーチェとヴェーバー」の重なりこそが問いの核心部分を形成することになります。

★ 従来、『古代ユダヤ教』は、バビロン捕囚以前に現われた予言者を起点とする世界像の形成が、やがてキリスト教に継承されることによって西洋近代の現世内的禁欲という生活態度を形づくってきた、という筋道で解釈されてきました。しかし、そのような解釈は、(ヴェーバーの仕事の)中期の検討によって明らかにされた観点に照らしてみると、一面的でしかないことがはっきりします。というのも、ヴェーバーは、予言者によって打ち出された方向が、戦士市民ないし騎士層のエートスと決定的に対立するものであることを、読者にアッピールしているからです。西洋近代の合理化は、戦士市民ないし騎士層のエートスを打倒し圧伏することによってその大道を歩んできたのだということ、これがヴェーバーの観点でした。その結末こそが「資本主義と官僚制」に他ならないのです。

<山之内靖『マックス・ヴェーバー入門』(岩波新書1997)>






どうして村上春樹は歳を取らないのか

2013-09-24 13:05:10 | 日記

ひところ、“同時代”として、そのひとの著書を刊行されるにしたがって読み続けたが、ある時期、読みたくなくなった“著者”がいる。

ぼくの場合、数人いる。
読まなくなった年月が、数年であるのか、十数年であるのか、数十年であるのかもさだかではない。
いや実は、その著者が(ぼくが読まなくなってからも)大評判で、ノーベル文学賞の万年候補でさえあるので、無視できず(笑)、そのひとの“最新作”を読みさえしたのだが、読み終わったとたんに、わすれてしまうような“作品”だった。

しかもこの“著者”は、1949年生まれ、ぼくは1946年生まれの、“同世代”であり、同じ大学の同じキャンパスを歩いていたこともあるのだ。

ぼくが村上春樹を読んでいた時代、彼の小説の主人公たちは、ぼくと“同世代”であり、彼らの“思い出”や時代感覚も、“共有”しうるものと思えた。

いったいどこで、村上春樹と“ぼく”は、“別れた”のだろうか?

この疑問文をいまここで読むひとびと(ぼくにはその顔がわからないが)が、上記疑問文を滑稽と思うのは、勝手である。
いったいノーベル賞候補作家と“ぼく”とに、いかなる“関係”があるのか!

けれども、ぼくは文章を、主観的にしか書けないのである。
なにが悪い?
この世界は、ぼくの主観によって構成されていて、その世界の、核心ではないけれど、中心付近のいくつかの事柄のひとつに、この“村上春樹問題”があることも事実なのである。

たとえば、先日、十何年もご無沙汰だった大学“同級生(女子)”に突然(ぼくが)電話したら、彼女は、“多崎つくる”がどうのこうのという小説を読んで、感銘したと言うのだ(ぼくのブログは読んでいないのだ!)
ぼくの妻とぼくが村上ファンだった当時、彼女は春樹を読んでいなかった(べつにそれはそれでよい)

ぼくは、“多崎つくるがどうのこうの”という新作を読んでいない。
だが“情報”によれば、多崎つくるは、60代のジイ様ではないようである。

ゆえに、ぼくの“疑問”は、このブログのタイトルに掲げてある。

実は昨日なぜか(理由はあるが、めんどうで書かない)、ひっさしぶりに、春樹のエッセイ『遠い太鼓』の書き出しを読んだのである。

そこで春樹は、37歳から40歳までの3年間を海外で過ごし、その間、ふたつの長編(『ノルウエイの森』、『ダンス、ダンス、ダンス』)を書いた事情を記述している。
それは、“40歳”という歳(になる)ということについての“考察”と、海外で長編小説を書くことの孤独な時が《深い井戸の底に机を置いて小説を書いているような気分だった》ということである。

さて近年の村上春樹は、《深い井戸の底に机を置いて》小説を書けているのであろうか?

むしろ、(海外暮らしではなく)この東京(日本国でもいいよ)の《深い井戸の底》で、ねばりづよく考え続けている、“彼ら”ではない人々の存在を、ぼくは信じたい。