20世紀が終わってから10年たった。
“戦争(世界戦争)”が終わってから60数年が経った。
“原爆が人類史上はじめて使用されてから”でもよい。
ぼくは“たまたま”、この“人類史上はじめての惨事を経験した国”に産まれた、”新しい憲法“と同じ歳で。
しかしこのブログはそうした“歴史”、あるいは“政治-経済-社会”を論じるものでは、ない。
ぼくはあくまで“ブンガク”について語る。
忘れられた人々について。
現在、この国の大部分の人々にとっては、“ブンガクを書く人”はただ一人である;“村上春樹”という。
すなわち、“他の作家たち”は、忘れ去られた。
気楽に読める“無数の作家と駄本”は、日々量産されていても。
“戦後の”作家たち。
だれが、大岡昇平を大江健三郎を開高健を中上健次を日野啓三を知っているのか?
だれが、デュラスをビュトールをル・クレジオをギュンター・グラスを、知っているのか。
ぼくは、近日、ル・クレジオの引用を続けている。
しかし、昨年ノーベル文学賞を取るまで、誰がル・クレジオを覚えていたのか。
(ぼくはもちろんよく知らないが、これは、日本だけでなく、フランスでも同じだったのではないか?)
なんども言ってきたが、ル・クレジオを翻訳刊行した新潮社は、ずっとル・クレジオを絶版とし、ノーベル賞を取ったので、『調書』を復刊した。
岩波書店は、ノーベル賞を取ったので、今年岩波文庫に2冊のル・クレジオを入れたのである。
しかし、ル・クレジオの価値は、“ノーベル賞を貰うまで”証明されなかったのでは、なかった。
ル・クレジオの価値は、彼が1963年に23歳で『調書』でデビューしたときから、<明白>だった。
その『調書』を、新潮社は、新潮文庫にも入れず、何十年もほったらかしていたのである。
しかし、いまぼくが書きたいのは、もうひとりの作家、“アメリカ人”、ノーマン・メイラーのことである。
これまた、現在、“アメリカ作家”は、サリンジャーとカポーテとケルアックとせいぜいポール・オースターしかいないと思っている方々も多いようである(笑)
もちろん、ヘミングウェイやフォークナーがいるのである。
だが、“戦後作家”としてのノーマン・メイラーは忘れ去られた。
ぼくがメイラーを知ったのは、ぼくの読書師匠であった大江健三郎によってであり、最初の遭遇は、メイラーのエッセイ集(であろうか?)『ぼく自身のための広告』上下2冊本であった(これまた“新潮社”が出したはずだ)
その後、代表作『裸者と死者』や『鹿の園』、『アメリカの夢』を読んだ。
そして、メイラーはある時期から、“ノン・フィクション”(ドキュメント)を書き始めた。
しかし、これらのメイラーの本は、いつの間にか、ぼくの蔵書からも消えてしまった、手元に残ったのは、“ノーマン・メイラー選集”(これは早川書房!)の1冊、『月にともる火』(1972発行)一冊である(ぼくはこの本を読み終えていない)
今日、むかし読んで感銘を受けた1冊『夜の軍隊』をAmazonマーケットで再入手した。
『夜の軍隊』は1967年、ヴェトナム戦争抗議のための国防総省(ペンタゴン)への行進の前後4日間のドキュメントである。
すなわち、1967年、ペンタゴンへ抗議のために行進した“人々”(多くはアメリカ人)が、いたのである。
ノーマン・メイラーは、その人々のひとりにすぎないが、彼は“それ”を記録したのだ。
最初の数ページを読むだけで、あの“メイラー節”がよみがえる(笑)
彼は、まず最初に、当時のタイム誌から引用して、“猥褻な言葉を吐き、酔っ払ってひょろひょろ歩く”、メディアの“メイラー像”の呈示からはじめている。
しかし“メイラー”が、アル中、ヤク中であり、“猥褻な言葉を吐き散らすだけ”の人間でないことは、この『夜の軍隊』1冊によって証明される。
ぼくは、なんとも残念である。
このことを、何度言っても、気がおさまらない。
“良い本”を、新刊書店からなくすな。
<本>が、現在のような“紙が接着された”形態であろうと、電子ブックであろうと、まったくどうでもよい。
どうでもよくないことは、<良い本>が消え、忘れられること、だけ、である。
たしかに、現在、“マーケット・プレイス”や“古書店”で、これらの良書は入手可能である(しかも安く!)
しかし、楽観は許されない。
“書店”が消えてなくなることもあり得るし、“大型書店”(街の、ネット上の)が威容を誇っていても、その中身が、膨大な屑の山になることも、おおいに“あり得る”のである。
ブラッドベリ『華氏451』のように、1冊の本を記憶し続ける<人間>、(そしてそれをリレーすること)、が必用な時が迫っている。
* 残念ながら、このブログに掲げた写真は、ぼくが撮ったものではありません。
Googleで画像検索したもの。
この2冊は、現在ぼくの手元にありません。
“戦争(世界戦争)”が終わってから60数年が経った。
“原爆が人類史上はじめて使用されてから”でもよい。
ぼくは“たまたま”、この“人類史上はじめての惨事を経験した国”に産まれた、”新しい憲法“と同じ歳で。
しかしこのブログはそうした“歴史”、あるいは“政治-経済-社会”を論じるものでは、ない。
ぼくはあくまで“ブンガク”について語る。
忘れられた人々について。
現在、この国の大部分の人々にとっては、“ブンガクを書く人”はただ一人である;“村上春樹”という。
すなわち、“他の作家たち”は、忘れ去られた。
気楽に読める“無数の作家と駄本”は、日々量産されていても。
“戦後の”作家たち。
だれが、大岡昇平を大江健三郎を開高健を中上健次を日野啓三を知っているのか?
だれが、デュラスをビュトールをル・クレジオをギュンター・グラスを、知っているのか。
ぼくは、近日、ル・クレジオの引用を続けている。
しかし、昨年ノーベル文学賞を取るまで、誰がル・クレジオを覚えていたのか。
(ぼくはもちろんよく知らないが、これは、日本だけでなく、フランスでも同じだったのではないか?)
なんども言ってきたが、ル・クレジオを翻訳刊行した新潮社は、ずっとル・クレジオを絶版とし、ノーベル賞を取ったので、『調書』を復刊した。
岩波書店は、ノーベル賞を取ったので、今年岩波文庫に2冊のル・クレジオを入れたのである。
しかし、ル・クレジオの価値は、“ノーベル賞を貰うまで”証明されなかったのでは、なかった。
ル・クレジオの価値は、彼が1963年に23歳で『調書』でデビューしたときから、<明白>だった。
その『調書』を、新潮社は、新潮文庫にも入れず、何十年もほったらかしていたのである。
しかし、いまぼくが書きたいのは、もうひとりの作家、“アメリカ人”、ノーマン・メイラーのことである。
これまた、現在、“アメリカ作家”は、サリンジャーとカポーテとケルアックとせいぜいポール・オースターしかいないと思っている方々も多いようである(笑)
もちろん、ヘミングウェイやフォークナーがいるのである。
だが、“戦後作家”としてのノーマン・メイラーは忘れ去られた。
ぼくがメイラーを知ったのは、ぼくの読書師匠であった大江健三郎によってであり、最初の遭遇は、メイラーのエッセイ集(であろうか?)『ぼく自身のための広告』上下2冊本であった(これまた“新潮社”が出したはずだ)
その後、代表作『裸者と死者』や『鹿の園』、『アメリカの夢』を読んだ。
そして、メイラーはある時期から、“ノン・フィクション”(ドキュメント)を書き始めた。
しかし、これらのメイラーの本は、いつの間にか、ぼくの蔵書からも消えてしまった、手元に残ったのは、“ノーマン・メイラー選集”(これは早川書房!)の1冊、『月にともる火』(1972発行)一冊である(ぼくはこの本を読み終えていない)
今日、むかし読んで感銘を受けた1冊『夜の軍隊』をAmazonマーケットで再入手した。
『夜の軍隊』は1967年、ヴェトナム戦争抗議のための国防総省(ペンタゴン)への行進の前後4日間のドキュメントである。
すなわち、1967年、ペンタゴンへ抗議のために行進した“人々”(多くはアメリカ人)が、いたのである。
ノーマン・メイラーは、その人々のひとりにすぎないが、彼は“それ”を記録したのだ。
最初の数ページを読むだけで、あの“メイラー節”がよみがえる(笑)
彼は、まず最初に、当時のタイム誌から引用して、“猥褻な言葉を吐き、酔っ払ってひょろひょろ歩く”、メディアの“メイラー像”の呈示からはじめている。
しかし“メイラー”が、アル中、ヤク中であり、“猥褻な言葉を吐き散らすだけ”の人間でないことは、この『夜の軍隊』1冊によって証明される。
ぼくは、なんとも残念である。
このことを、何度言っても、気がおさまらない。
“良い本”を、新刊書店からなくすな。
<本>が、現在のような“紙が接着された”形態であろうと、電子ブックであろうと、まったくどうでもよい。
どうでもよくないことは、<良い本>が消え、忘れられること、だけ、である。
たしかに、現在、“マーケット・プレイス”や“古書店”で、これらの良書は入手可能である(しかも安く!)
しかし、楽観は許されない。
“書店”が消えてなくなることもあり得るし、“大型書店”(街の、ネット上の)が威容を誇っていても、その中身が、膨大な屑の山になることも、おおいに“あり得る”のである。
ブラッドベリ『華氏451』のように、1冊の本を記憶し続ける<人間>、(そしてそれをリレーすること)、が必用な時が迫っている。
* 残念ながら、このブログに掲げた写真は、ぼくが撮ったものではありません。
Googleで画像検索したもの。
この2冊は、現在ぼくの手元にありません。
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