Don't Let Me Down

日々の雑感、引用。
言葉とイメージと音から喚起されるもの。

ジュネの自己変容

2012-10-30 17:47:48 | 日記

十川幸司『来るべき精神分析のプログラム』の最後に、ジュネの自己形成と自己変容の技術について述べられている。

《 彼(ジュネ)はその生のなかで少なくとも二回、そのような決定的な経験をしている 》

最初の経験は1953年ごろに起こり、第二の経験は1973年ごろに起こった。

それぞれについての十川幸司の記述から引用する;

(1953年;列車の中での啓示)
★ 彼は自らの経験から、「人々の間には『同一性』が循環していて、この『同一性』ゆえに、どんな人間も他の人以上でも以下でもなく、愛されうる」という倫理を引きだしている。

★ ここで誤解してはならないのは、ジュネのこの倫理というものは、この「同一性」ゆえに人を尊重しなくてはならないといった類の道徳ではないということである。この「同一性」は、いわゆるアイデンティティといったこととは対極に位置する事柄である。この「同一性」はアイデンティティといった幻想を破壊し、人間の絶対的孤独を明らかにするのである。

★ 人は他者と根本的に無関係で、共感不可能である。しかしそれゆえにこそ、同じく人と無関係な他者と自分は「同一」なのであり、そこにこそコミュニケーションが始まる根拠がある。


(1973年;イスタンブールの夜)
★ 最初の経験は、彼の自己の作動を別様に変えた。そしてその経験の変容の中で、彼はあの「同一性」を発見した。しかしいつのまにか、彼の自己は新たな領土、つまりはアイデンティティの核となる幻想を中心に作動し始めていた。そしてこの第二の体験がもたらす反芻処理によって、彼は再び自らが作りだした幻想を解体し、また新たな仕方で彼の自己は作動を始めた。

★ 自己システムが強固なアイデンティティを持てば持つほど、その自己の作動の境界は閉ざされたものとなり、その境界が変動していく可能性は少なくなってしまう。そしてこの境界こそが、先に述べた壁を形成するのである。この壁は自己内部の壁であり、また他者(社会)との境界に形成される壁である。この意味において、アイデンティティの問題は自己の問題であり、また政治の問いなのである。ジュネがパレスチナ解放運動に参加したのは、彼の自己を変えるためであり、それはまた彼の内部の壁を破壊することでもあった。最も個人的な経験を、政治的な権力を巡る最も巨大な問いと結びつけて生きること――これは彼独自の、世界と戦う方法である。

★ 『恋する虜』はこのような言葉とその余白の白、また自己と他者の境界を巡る戦いの記録である。書くこと自体、すでに境界を生みだすが、その境界は領土を形成し、他の領土に対して排他的に作用する。この力学から逃れる言語はありうるだろうか。『恋する虜』はその問いに対する応答であり、あの「同一性」に基づくコミュニケーションとおなじものを言語によって可能にしようとする試みだとも言える。そしてこの書物は、「私の本のこの最後のページは透明である」という言葉で終っている。

★ 『恋する虜』は20世紀に人類が抱えた「症状」であるパレスチナ問題に対して、言語と境界という論点から思考された、一つの優れた「治療法」を提示していると言うことができる。

★ ジュネという自己は生涯にわたって、セクシュアリティの発達においては幼児的な倒錯(第2章の議論に倣えば、これは「多形」と呼ぶのが正しい)にとどまり、また一般的な意味での「成熟」とは無関係に生きていた。その彼こそが、今日においても解消困難なままであり続ける、人間同士が作り上げた現実について、誰よりも深い地点から見ることができたのである。

★ この書物の二回目の校正中にジュネはパリの安ホテル風呂場で全裸で、文字通り何も所有せず、いかなるアイデンティティも持たずに死亡する。ジュネの死亡後、パレスチナではさまざまな交渉がなされるが、結局、その15年後にイスラエル当局が取った方法は、パレスチナに分離壁を作ることであった。このように壁を作ることによって問題を処理する振る舞いこそ、ジュネが生涯、拒絶し続けてきたことである。こうした問題の処理の仕方は、巨視的なレベルにおいても、また私たちの日常のレベルでもさまざまに形を変えておこなわれているが、このように生、そして経験を矮小なものに変えてしまう思考にこそ、私たちは徹底的に抗していかなくてはならないのである。

以上引用;<十川幸司『来るべき精神分析のプログラム』(講談社選書メチエ2008)>







日本メディアの惨状

2012-10-17 14:45:30 | 日記

大野 和基(ジャーナリスト)によるニューヨーク・タイムズ東京支局長のマーティン・ファクラー氏インタビューを読んだ、抄録する;


<外国人ジャーナリストが驚いた日本メディアの惨状> 日経ビジネス 2012年10月15日版トップ

――日本のメディアはウォッチドッグ(監視役)としての機能を果たしていると思いますか。

ファクラー:彼らはそういう機能を果たすべきだという理想を持っていると思いますが、情報源とこれほど近い関係になると実行するのはかなり難しいです。 これは記者クラブだけの問題ではありません。もっと大きな問題です。日本の大メディアは、エリートが支配している階級の中に入っているということです。東大、慶応、早稲田出身でみんなが同じバックグラウンドと価値観を持っている。みんな官僚に同情的で、彼らの側に立ってしまうのです。
 3.11の時、この面をはっきり見たと思います。本当に監視役になっていたのなら、「フクシマは大丈夫だ」「メルトダウンはない」という記事は書かなかったのではないでしょうか。もっと厳しい記事が書けたと思います。それができなかったのは、彼らが政府と距離を保っていないからです。
 大メディアは、政府と対峙することなく、国民に対峙する報道をした。私はこの点を痛烈に批判しました。大メディアが報道していたことが間違いだとわかったのは、何カ月も経ってからです。監視役としてみるなら、日本の大メディアは落第だったと思います。でも、メディアを監視役ではなく、システムの一部としてみるなら、起こるべくして起こったことだと言えるでしょう。


――3.11以降、大メディアに対して国民も不信感を持ち始めました。

ファクラー:今、我々は非常に興味深い時期にいます。読者は今まで、メディアの言うことをほとんど信じていました。しかし、放射性物質の問題、SPEEDIデータの隠蔽、食料安全の問題について、国民はメディアに対して不信感を覚えたのです。国民と大メディアの間に溝が生じ始めたのです。「大メディアは国民の側に立っていない」という意識が国民の間に広がったと思います。3.11が変化の始まりでした。これほど強い不信感をみたのは初めてです。


――日本のメディアについて、特に変わってほしいと思うのはどの面ですか。

ファクラー:メディアのスタンスですね。大メディアは、本当の意味で監視役の役割を果たすべき時が来ています。日本にいる人は、もっと正確な情報を知る必要があります。今メディアがやっていることは明治時代から変わっていません。日本社会全体にチャレンジするような、代替メディアも生まれていません。能力はあるのに、とても残念なことです。
 3.11以降、非常に良い仕事をした日本のメディアもあると思います。「東京新聞」です。政府と距離を置いて批判的な記事を書いていました。地方新聞では「河北新報」です。同紙は政府や東電側ではなく被災者の立場から報道しました。震災記録300日にわたるその記録は『悲から生をつむぐ』という本にまとめられています。地方新聞でもネットを使えばグローバルなメディアになります。「地方」というのは関係なくなってきます。


――ジャーナリストの心構えについて、“a good journalist needs a sense of moral outrage”(良いジャーナリストには正義感――悪に対する人間的な怒り――が必要)と主張されています。これが最も重要な要素でしょうか。

ファクラー:個人的なレベルではそう思います。ジャーナリストは社会のためにやる仕事です。銀行家になってお金儲けするのとは違います。社会を良くしたいからする仕事です。ジャーナリストは少し理想主義者であると同時に、シニカルである必要があります。


――そして、取材対象と適切な距離を保つことですね。

ファクラー:これは本当に重要なことです。9.11のあとアメリカでは、メディアが愛国主義的になり、ブッシュ政権を批判しなくなりました。その結果、イラク戦争に関わる政策ついて十分な批判ができませんでした。イラク戦争をとめることができず、戦争の動機についても十分疑問を呈することができませんでした。

(以上引用)







山中教授の発言(共同通信)

2012-10-09 13:21:21 | 日記

一問一答より;

― 患者さんに一言

 「iPS細胞は、万能細胞と言われることもあり、今日明日に病気が治ると誤解を与えてしまっているかもしれない。実際は、まだまだ研究が必要な病気が多い。 世界や日本で日夜、研究者が一歩一歩進んでいる。大変な苦労をしていると思うが、希望を捨てずにいてほしい」


―倫理面でどういう議論が進めばいいと思うか

 「本当に難しい。倫理的な議論を社会全体で準備しないと、科学技術の方が早く進んでしまう。科学者の仕事は一つのピース。倫理面や知的財産、許認可など全てのピースが同時に進んで行かないと、本当の意味で実用化はされない。そういう必要性を感じる」




記事中発言;

「まだこの技術は完成していない。1人の患者さんの命も救っていない」
(いくつかの疾患で、10年以内に臨床試験を始めるのが目標だ)

「研究や人生もマラソンと同じ。勝てなくても最後まで走り抜かなければならない」






“私的所有”批判

2012-10-04 10:27:49 | 日記

* 立岩真也は、『私的所有論』の最初の最初(序)にこう書いた;
《私は誰か、私達はどこから来たのかと問うのではなく、何が私のものとされるか、何を私のものとするのかについて考えてみたい》

* またおなじ“序”でこうも書いた;
《私はできる限り具体的な「答」を探そうとしている。このように言うのは、こうした主題に関して言われていることのほとんどにまったく不満だからである》
(“こうした主題”を立岩は列挙している、たとえば、臓器移植、代理出産、死の自己決定など)

* そして“私的所有(批判)”があらわれる。

* 立岩の“私的所有”の定義は、とてもシンプル(いいかたにいろいろニュアンスがあるが);
《私の作ったものは私のものである》

* 立岩の(社会についての)思考は、ベーシックな“経済的”考察からはじまっている。“観念論(哲学)”ではない。また“具体的な”問題を(から)考える。しかし、そこから“こころ(精神)”の問題が、立ち上がってくることが、スリリングなのだ。



引用;

★ 私は(私のような、あるいは、私のようでない、しかし私の意のままにならない)誰かがいることによって、生きている。それが私の生体としての生存の必要条件であるわけではない。ただ単に、他者があること、他者があることによって生きているという感覚があるのではないだろうか。私が作れないものを失う時に、私達はその不在を最も悲しむ。私はそれが好きだったり嫌いだったりするのだが、それに近づく時に、そうした属性は剥ぎ取られ、他者は在ってしまう。他者は、私が届かないものとして経験されてしまう。

★ 私の選択と私の価値を信用しない感覚は確かにあるのだと思う。私がやったことが私を指し示し、私の価値を表示するという、全てが自らに還ってくるように作られているこの社会の仕掛けを信用しない感覚がある。そして、その人が「在る」ことを受け取る。私ではない者としてその人が在るということ自体が、苦痛であるとともに、苦痛をもたらしながら、快楽なのである。確かなのは、他者を意のままにすることを欲望しながらも、他者性の破壊を抑制しようとする感覚があることである。この欲望を消すことは無理だと思いながら、しかし抑制しようとする時、ここに述べた感覚があり価値がある。

★ その他者とは、自分に対する他人のことだけではなく、自分の精神に、あるいは身体に訪れるものであってもよい。私の身体も私にとって他者でありうる。私が思いのままに操れるものが私にとって大切なものではなく、私が操らないもの、私に在るもの、私に訪れるものの中に、私にとって大切なものがあるのではないか。そしてそれゆえに、それを奪われることに私達は抵抗するのではないか。

<『私的所有論』(勁草書房1997)第4章 他者>