Don't Let Me Down

日々の雑感、引用。
言葉とイメージと音から喚起されるもの。

黄昏(たそがれ)

2013-08-30 23:22:14 | 日記

★ 終った。
ピリオッドをうちこむと、吐息をついて椅子の背にもたれた。朝から働きつづけてきた肩が痛み、胃がむかむかした。私は吸いすぎ、飲みすぎた。部屋いっぱいにタバコの濃霧がたちこめ、ゆるやかにうごいている。散乱した原稿用紙を一枚一枚拾って番号順に整理した。ボーイを呼んで中央電報局へ持ってやらさねばならない。

★ 濃霧を追うため、窓ぎわへいって鎧扉のハンドルをまわした。鎧扉は鉄製なので、ひどく重い。いつ街路から手榴弾を投げこまれるかわからないのでどの窓にも鎧扉がついている。この都のホテルでいちばん必要なのはルーム・クーラーよりも鎧扉であろう。窓外には私のもっとも愛する時刻が開花していた。テーブルからコニャックのコップをとりあげると、窓ぎわに立ち、膨れあがって毛虫のようになった舌で一滴ずつ舐めながら空を見た。黄昏の空がこの都の宝石である。毎日、奇跡が起こるのだ。巨大で、異様で、華麗、すさまじい無言の劇がのしかかってきている。

★ 川の対岸の椰子と蘇鉄の原野に太陽がおち、紫いろに輝く血が空にみなぎっている。鋭く暗鬱な、浪費を惜しむことを知らない激情が蘇鉄の原野、小さな船工場、『キャプスタン』タバコの看板、灰褐色の泥岸、みじめなニッパ椰子の小屋、黄濁した速い川などを浸しているのだ。おろされたばかりの深紅のフランス・ビロードの緞帳や、感動をとげた瞬後の膣や、数トンの出孔圧のライフル銃弾を至近距離から浴びせられた傷口といったものをきまって私は想像させられる。昨日の黄昏、ジャングルのなかの葦の泥沼をこけつまろびつ敗走しているとき、サブ・マシンガンの銃弾にかすめられて泥水へ顔をつっこんだ瞬間にもおなじ夕焼けを私は見た。それを文字に変えようとしていままでタイプライターをたたきつづけてきたのだったが、みじめな失敗であった。コニャックが舌にヤスリをかけるようなぐあいはタバコや疲労のせいだけではない。

★ 窓を見ると、もう黄昏の絶頂の光輝はすぎていた。燦爛として暗鬱な血は空から消えて、川と波止場には薄青い静謐な、水のような夜が漂っていた。部屋の床にもその水のようなものがしみだし、広がりつつあった。私は浴室に入って、電燈をつけ、ヒゲを剃った。陽焼けして、ひきしまった、眼の鋭い顔を鏡のなかに見た。アエロ・メントを頬と顎になすり、剃ったあと、ランヴァンのオー・ド・コローニュをすりこんだ。化粧タイルの床に汗と泥にまみれたオリーヴ・グリーンの野戦服がうずくまっていた。わき腹と背に大きなジャングル・ダニがしがみついていた。しっかりと食いついているので、ひっぱると腹の皮がついてきて、血がにじんだ。タバコの火で焼いた。Dゾーンをうろつく虎や象とまちがっているのだ。ジャングルのなかで枯葉に伏せて何時間も黄昏のしみるのを待っていたあいだにもぐりこんできたのにちがいない。

★ ヒゲを剃っても眼の鋭さは消えなかった。醜悪なまでに太った贅肉のだぶつきのなかで眼だけはつきつめるようにキラキラ輝いているので、かろうじて満足することとした。ほかに誇ってよいものは何もない。東京に送った従軍記事は、いまごろ、中央電報局のせっかちでまちがいだらけのキーでたたかれ、暗い夜空を走っているであろう。東京はそれを漢字とひらがなとカタカナに変えることに二時間腐心するであろう。しかし、まなざしのごとくすばやくうつろな、飽きっぽい日本人は、もう戦場報告に食傷しているだろうと思う。最前線に住みついて生死を賭けたのは私だけではないのだ。

★ 私は葦の沼地の泥水にとびこむ一瞬の眼に映った亜熱帯の黄昏の美しさ、戦闘直後に鳴きかわす名も知れぬ鳥類のざわめき、頭上をかすめる銃弾のしぶきの鉄兜のかげで見た賢いアリたちの営為などを語りたかったのだが、タイプライターをたたいているうちに思いがけぬ、つまらない、ほかのことばかり語ってしまった。

★ ジャングルのなかでは銃弾が木の幹に乱反射してとびまわるから、いま私が生きのこったのも、ただの偶然にすぎないのだということも、いいおとしてしまった。それは、ただの偶然にすぎなかった。誰も私を防衛してくれなかった。サイコロの目が右へころぶか左へころぶか、ただ一ミリの差の偶然で私は生きているにすぎなかった。

<開高健“兵士の報酬”―『歩く影たち』(新潮文庫1982)>







出会い

2013-08-28 10:15:15 | 日記

★ 幸いにもサルトルがいた。サルトルは私たちの《外》であった。彼は本当に裏庭の空気の流れだった(…)。ソルボンヌで起こり得るありとあらゆることの中で、彼こそが新たな秩序の回復に耐える力を私たちに与えてくれる唯一の組み合わせだった。そしてサルトルは絶えずそうであり続けたのである。彼はモデルでもなければ、方法でも事例でもなく、少しばかり清澄な空気であり、カフェ・フロールからやって来るときには空気の流れそのものであり、知識人の状況を単独で変えた知識人だった。

★ ともあれ私は、まだ哲学史が課せられていたときに、その一部から始めた。私としても、そこから身を引き離す手段がわかっていなかったのである。わたしは《コギト》の二元論であるデカルトにも、否定的なものの労働であるヘーゲルにも我慢がならなかった。それに対し、哲学史の一部をなしているように見えるが、一面であるいはあらゆる部分でそこから逃れている著者たちが私は好きだった。ルクレティウス、スピノザ、ヒューム、ニーチェ、ベルクソンだ。

★ ヒュームには何かとても風変わりなものがあって、それが経験論の位置を完全にずらし、経験論に新しい力能、実践、諸関係の理論、《と》の理論を与えているのである。

★ ベルクソンはフランス流の哲学として哲学史の中で取り上げられてきた。しかしながら、ベルクソンにはそれに同定し得ない何かがあり、その何かによってすべての敵対者を動揺させ、結集させ、あれほどの憎しみの対象となったのである。彼をそのようにした何かとは、持続のテーマというよりもあらゆる種類の生成および共存する多様体に関する理論と実践である。

★ 次ぎにスピノザだが、デカルト主義の系列の中で彼に最大の場所を与えることさえ難しくない。ただ単に彼はあらゆる側面でその場所から逸脱するというだけのことであり、彼ほど力強く墓石をもち上げ、「私はあなたたちには属さない」と力強く言うような生ける死者はいない。私が哲学史の規範に従って最も真剣に研究したのはスピノザについてであるが、読むたびに背中を押されるような気流の効果や、跨ぐことのできるような魔女の箒の効果を私に最も与えたのはスピノザである。スピノザを理解することはまだ始まってさえいない。それは他の人たちと同じように、私にとっても変わらない。

★ これらの思想家たちは押し並べて脆弱な体質の持主でありながらも、乗り越え難い生に貫かれている。彼らは積極的な力能と肯定という仕方によってのみ事を進める。彼らには生に対する一種の崇拝がある。

★ これらの思想家たちは相互にほとんど関係がない――スピノザとニーチェを除く――が、そうはいっても彼らには関係があるのだ。まるで何かが、様々な速度と強度をもって、彼らの間で起こっているようである。その何かとは、彼らの一方でも他方でもなく、まさに、もはや歴史の一部をなさない理念的空間の中にあり、とはいえ死者たちの対話ではいささかもなく、きわめて不揃いな星々の間の、星間的な対話なのである。それらの星々による様々な生成は、その捕獲が問題となるようなひとつの動的なブロックを形成し、数光年に渡る、星々の間の飛翔を形成する。

★ 次いで、私は借りを返した。ニーチェとスピノザが私を放免してくれたのである。私は以前にも増して自分のために本を書くようになった。いずれにせよ私の関心を惹いていたもの、それはある著者においてであれ、その著者自身代わってであれ、こうした思考の訓練を叙述することであったと思っている。もっともそれは、哲学が思考を従わせるために、そして思考が機能しないようにするために思考の中に投企し、仕立て上げた伝統的なイメージに対立する限りにおいてのことであったが。

★ フェリックス・ガタリとの出会いが多くのことを変えた。フェリックスは政治、そして精神医学の仕事で長い経歴をすでにもっていた。彼は「教育制度上の哲学者」ではなかったが、それだけにいっそう哲学への生成、そしてそれ以外の多くの生成が彼にはあった。彼は止まることがなかった。いつ何時でも動いているという印象を、変わるのではなく、そのつど新しい組み合わせを引き出す万華鏡のように、彼がしていた挙措、彼が言っていた言葉、音声によってまるごと動いているという印象を彼ほど私に与えてくれた人は少ない。つねに同じフェリックスなのだが、その固有名は起こっている何かを指し示していたのであって、ひとつの主体を指し示していたのではない。フェリックスはあるグループの、諸々の徒党の、諸々の種族の一員でありながらも、一人きりの人であり、それらすべてのグループと彼のすべての友人、彼のすべての生成が群生する砂漠だったのである。

<ジル・ドゥルーズ『ディアローグ』(河出文庫2011)>







かつて考えたひとがいたことを、読む

2013-08-25 11:39:27 | 日記

★ ドゥルーズの二冊からなる映画論『運動イメージ』と『時間イメージ』では、このようなベルクソニスムの基本的要素が何一つ看過されることなく、大きく複雑な展開をえることになる。そこでドゥルーズは、映像を「結晶体」のように機能させ、その結晶体を振り分けるという課題を自分に課したというのだが、「結晶体」とはまさに、ベルクソンが考えぬいた、記憶における過去と現在の同時性のことであり、潜在性としての時間(持続)のことであり、刻々新たな差異を作り出していく肯定性のことでもある。

★ 現在とは、やがて過去になってしまう点のようなものではない。私たちはしばしば、過去から現在にいたる時間を、そのような点をならべた直線のように思い浮かべる。ほんとうは、どんな現在も過去とともにあり、過去と同時であって、現在は単に現在として生きられるのではない。現在とはすでに、いつでも、現在と過去の複合体であり、結晶体である。

★ あるいはまた、ベルクソンの持続の概念に、ドゥルーズは全体をどこまでも「開かれたもの」としてとらえる発想を見ている。
《 一つの全体、あるいは「複数の全体」を、集合と混同してはならない。集合は閉じており、閉じているものはすべて、人工的に閉じている。集合とはいつも諸部分の集合なのである。しかし全体は閉じているのではなく開かれている。全体が部分をもつとしても、それはまったく特別な意味で部分をもつにすぎない。全体は、分割のそれぞれの段階で、本性を変えることなく分割されはしないからである。「現実の全体は、まさに分割不可能な連続体であろう」。全体は閉じた集合ではなく、反対に全体のせいで集合は決して絶対に閉じることがなく、決して完全に孤立することがなく、どこかで開いたままになっている。細い糸で、それ以外の宇宙に結ばれているかのように。 》(ドゥルーズ『シネマⅠ』)

★ 生命とは、まさにこのように開かれた全体であり、単にミクロ・コスモスではなく、コスモスにむけて自己を開いていくものであり、時間(持続)もまたこのような開かれた全体として、決して等質な部分に分割されないまま自己を差異化していく潜在性である。時間と一体の差異、不確定性のなかで創造する働きとしての潜在性、分割不可能な開かれた全体。ベルクソンのこのような論理のうえに立つ「自然主義」と「唯物論」を、ドゥルーズは最後まで手放さず、彼独特の仕方で、様々な方向に発展させるだろう。

★ 要するにベルクソニスムを欠いたドゥルーズ哲学は考えられないが、やがてドゥルーズの思想そのものは、ベルクソニスムの新たな展開である以上に、複雑で激しい振幅をもつことになる。たとえばニーチェの継承者としてのドゥルーズは、はるかに闘争的で演劇的に、力の戯れをめぐる思索に分け入っていき、悪や倒錯や病にも分け入っていく。

<宇野邦一『ドゥルーズ 流動の哲学』(講談社選書メチエ2001)>







歴史的瞬間と泥の海

2013-08-25 09:30:23 | 日記

★ あなたはいま総毛だたないか?鳥肌がたたないか。わたしは総毛だつ。鳥肌がたつ。歴史がガラガラと音たてて崩れている。にもかかわらず、「よく注意しなさい、これは歴史的瞬間です!」と指さして言う者がじつにすくない。このところ毎日毎日が歴史的瞬間である。しかしながら、「よく注意しなさい、これは歴史的瞬間です!」と叫ぶひとびとの声は、マスメディアのサボタージュと無知と無恥の泥の海に沈められている。「よく注意しなさい、これは歴史的瞬間です!」。いま大声で叫ぶべきはこの言葉である。

★ あまりにも愚かなことどもが歴史の曲がり角にはかならず、あきれるほどたくさん用意されている。<これは国民の責務であり、強制ではない>。かつてファシストとその同調者たちが、主客すり替えのこの語法をいくたびもちいたことか。「よく注意しなさい、これは歴史的瞬間です!」。1919年、ハンナ・アレントの母マルタは娘にむかってそう叫んだという。スパルタクス団蜂起のころだから、文脈はことなる。しかし、1919年は、たしかに歴史の重大な曲がり角であった。いま、2013年夏、歴史の大転換が、まったく大転換ではないかのように、阿呆どもによってすすめられ、演じられている。よくよく注意せよ、これが歴史的瞬間である!

★ 「国旗掲揚と国歌斉唱は教職員の責務であり、強制にはあたらない」という神奈川県教委の言いぐさは、言語学的に分類すれば、昨今またぞろ流行している「新言語」(ニュースピーク)に属するだろう。「責務」とはほんらい<じぶんの責任として果たさねばならないことがら>なのであり、すぐれて主体の内心にかかわる言葉である。戦争協力や外国人排斥の誘導、うたいたくない歌の斉唱、歴史のねじ曲げ、これらの指導をアプリオリに「責務」として課すことそのものが、不自由の「強制」すなわち<力によって他人をしたがわせること。むりじい>になるのは言うまでもない。ヒノマル・キミガヨにかかわる身体的行動が、生得的にあたえられた義務であるかのように公言してはばからないのは、神奈川県教委および一部極右紙の(おそらくは今上天皇も眉をひそめるであろう)全般的無知とバックラッシュ(反動)のあかしである。

★ かつてニッポン軍国主義をたたえた教科書と新聞は例外なく、貧弱で情緒的な語彙と平易な構文を基本とし、自由で批判的、客観的な思考に轡をはめようとしたものであった。けふもエベレストにのぼった。わたしは総毛だつ。鳥肌がたつ。歴史がガラガラと音たてて崩れている。にもかかわらず、崩壊の実感がなにものかにうばわれている。総毛だち、鳥肌がたつのにさえもう慣れてきている。

<辺見庸ブログ“私事片々”2013/08/21>







美しい日本

2013-08-24 13:29:59 | 日記

丸山健二ブログ“一刀両断”から;

★ 2013-07-29  19:12:56
美しい日本などという腹黒い言い回しを駆使して、安っぽい自尊心を煽り、さんざんおだてあげ、誤った誇りを抱かせることで、民俗意識を過剰に高め、国家のためとあればいかなる命令にも従い、あげくに命まで捧げてしまうような国民の数を増やそうともくろむ悪党どもは、いつの時代においても絶えることがありません。
 その結果としての悲惨な敗戦を迎えてしまった直後は、さすがに地下に潜伏して鳴りをひそめているのですが、反省と後悔の数十年をやり過ごし、その戦争の後遺症がかなり薄れかけた頃になると、性懲りもなくふたたび台頭し、その手始めとして「美しい日本」という耳に響きのいい言葉を駆使して洗脳を始めてゆきます。まあ、これはかれらの常套手段なのでしょうが、しかし、幼稚な手口として侮ってはいけません。タイミングさえ合えば、これがけっこう大きな効果をもたらすのです。
 だから、常に心していなければなりません。つまり、かれらがさかんに言うところの美しさの意味をしっかりと読み解く必要があるのです。もし自然が美しいという意味で言っているのなら、正しくはありません。百歩譲っても、せいぜい世界の平均クラスといったところでしょう。それに今では、見かけはともかく、国中が隅々まで放射能で汚染されているのです。
 また、人間が美しいというのも、これまた真っ赤な嘘です。外見にしても、内面にしても、自分を持っていない、持とうとしない、横着で狡猾で小心な性根がまともに反映されており、ただ単にそれを誤魔化し、その場を取り繕うためだけの優しさや親切にいくら焦点を絞ってみたところで、その醜い本質はまる見えなのです。

★ 2013-08-13  21:28:11
 軍隊という国家公認の異様な暴力組織にとって、その集団を常に統制のとれたものにしておくためには、性の処理の問題は必要不可欠であり、だから、慰安婦は存在して当然であったのだなどというたぐいの発言を、公の立場にある者が、いくら人気が落ち目になり、それを挽回するために、ここらで世間の注目を浴びるようなことをしてやろうという魂胆が見え見えの理由でもって繰り返すのは、いよいよまたしてもあの狂気の時代がすぐそこまで迫ってきているという何よりの証拠であり、円安のみが頼りの株価の上昇に明るい復活の未来を夢見ている場合などではありません。
 軍隊と性欲は切っても切り離せないものだからなどと、いけしゃあしゃあとのたまい、現実としてはそんなものだという理由で、軍事という暴力を肯定し、だからこそ自国もそのための力を付けなくては世界からコケにされるという、時代遅れも甚だしい、そして北朝鮮のことなど笑えたものではない、異様な国家を再現させようとしている、どこまでも知恵の浅い、目先の欲に振り回されすぎている、子ども染みた自己顕示欲に毒された、その危険千万な輩は、今のうちに排除する必要があります。
 さもないと、国家をさらに私物化したいとひそかに願っている、特定少数の影の支配者たちは、かれらをおだてあげ、資金的な援助も惜しまずに支援し、良識をまだ失っていない国民の予想を裏切って、もっとずっと早くに、国民の意志などまったく反映しない、ただもう屈従を強いられるばかりのとんでもない国家に成り果ててしまうでしょう。よもやそんな国家を望んでいるとは思えませんが、事大主義が抜けきれない日本は、果たして……。

★ 2013-08-14  23:10:33
ある戦争映画において、印象に残っている台詞があります。主人公の兵士が、戦場において、ひと言、ぼそっとこう呟きます。「敵の兵士をひとり殺すたびに故郷が遠のいてゆくように思えてならない」と。
 国家を救うため、勇気を示すため、名誉のため、手柄を立てるためなどという大義名分をいくら目の前にぶら下げてみたところで、所詮は人殺しです。戦場から帰ることができたとしても、また、その戦争が勝利に終わったとしても、あるいは、悪辣な敵国を粉砕してやったという自負が残ったとしても、郷里に戻り、平和な暮らしを送れるようになった時点で、兵士になる前の自分に戻り、何事もなかったかのような静かな暮らしを送ることができると思いますか。
 理由はどうあれ、人を殺したという自覚は、魂に深い傷痕を残し、事あるたびにその記憶に責め苛まれ、悪夢となって甦り、次第に良心の呵責が募り、ついには自暴自棄の淵に投げ込まれ、廃人同様に成り果ててしまうのです。
 そしてその責任を国家が負ってくれると思いますか。勲章のたぐいが癒してくれると思いますか。兵士を唆し、兵士を将棋の駒のように操り、兵士の魂を奪い去った将軍や政治家たちは、自分の手をまったく汚すことなく、ひとりも殺さずして英雄の地位に就き、歴史に名を残し、救国の士などと敬われるのです。そのことに理不尽さや不条理を感じませんか。
 それとも、国家公認で大っぴらにやってのけられる殺人行為そのものに魅せられて兵士を志望するのですか。もしそうなら、あなたは精神科医の治療が必要な、単なる異常者であって、愛国者とはおよそかけ離れた、反社会的な存在にすぎません。

★ 2013-08-14  23:20:11
 選挙なる愚行が終わってみれば、案の定このざまで、結局この国は新たなる破滅と破局へ向かってさらに一歩踏み出しただけのことで、それ以上ではないのです。単なる願望と夢のまた夢を羅列してみせただけの、現実化するにはどうするのかという具体性などかけらも見当たらない政策なるものを振りかざし、あとはムードだけでどうにかしよう、握手と笑顔と愛嬌で乗り切ってしまおうという、あまりにもくだらない手法が堂々と罷り通ってしまい、本当はとても有能で、図抜けた実行力を具え、かつ見上げた潔癖さをもっていなければならない人物に預けなければいけない国政を、相も変わらずの、こんなふざけた連中に委ねたのです。
 現実と真実に目をつぶることに著しく長けている、つまりは、愚劣にして卑劣な国民性が差し招く未来が明るいわけがなく、希望が弾ける将来を期待できるはずもなく、明日に目を向けるとき、どうしても悲しみが滲んでしまい、先史時代の悪の起源を思い起こさずにはいられないのです。
 本当に候補者をよくよく吟味した上で一票を投じたのでしょうか。政策的にも人間的にも精査して決めたことなのでしょうか。その顔に無能と強欲と怠慢と狡猾がすべてまる出しになっており、子どもでも見抜けるような魂胆が隠しようもなく滲み出ている、こんなお粗末な、そして国家を任せたりしては一番いけない輩を承知で選んだとすれば、もはや言うべき言葉もないのですが、しかし、そうではなく、心の底から支持したいと思って、あるいは、悪いもののなかから良さそうなものを選ぶような気持ちで選んだとすれば、これはもう民主主義をどうこう語るレベルではないということになるでしょう。

★ 2013-08-15  13:40:15
 かのヒットラーにしても、かのムッソリーニにしても、あれほど無茶苦茶な独裁者が多くの国民に支持されたのは、ひとえに疲弊しきっていた経済を立ち直したからであり、もしそのことがなければ、あれほど矛盾に満ちた、あれほど破滅的な国家体制に魅せられてしまうことはなかったのです。
 つまり、裏を返せば、国民は経済的に潤ってくれれば、それがいかに狂気の政府であろうと盲従するということで、これは、いかなる国家、いかなる時代においても共通する悪しき真理なのかもしれません。
 しかも、かの国家主義者たちはいずれも口癖のようにして弱者のためというお馴染みの言い回しを連発していたのです。それが結果的にはあのざまです。
 そして今、わが国の民はどうやらその轍を踏もうとしているかのようです。経済さえ復活させてもらえるならば、ほかのことにはすべて目をつぶると、そう考えているように見受けられます。いや、景気を改善してくれた者が良き為政者という短絡的な発想しかできなくなっているのかもしれません。恐るべき単純な精神構造です。
 しかし、ヒットラーにしてもムッソリーニにしても本当に経済力を盛り返してみせたのですが、戦前の日本をめざしてやまないわが国のかの人は、結局そこまでの能力をひとかけも持ち合わせていないために、せいぜい小手先でそれらしく見せているだけのせいで、まもなく馬脚をあらわすことになり、経済はむしろ前よりも悪化してしまい、ゆえに、彼が求めてやまない国家の実現には至らないでしょう。
 そして国民は、毎度お馴染みの、事大主義に裏打ちされた、落胆と嘆きのため息を漏らすことになるのです。

★ 2013-08-15  14:05:28
 これは何千回、何万回となく繰り返し言っておきたいことなのですが、それが民主主義国家であれ、共産主義国家であれ、国民のための国家などというものは地球上のどこにも存在しません。絶対に。
 そして、国民のためを真剣に考えて、本気で理念を実行に移そうなどと思っている為政者も皆無です。かれらはただ単にそれらしく振る舞ってみせているだけのことで、つまり、臭い小芝居を恥ずかしげもなく演じることができるという、その程度の腐りきった人間の集団であって、けっしてそれ以上ではありません。その証拠は、もしそうでなければ、どの国家もすでにして素晴らしい段階に入っているはずで、すなわち、戦争も、犯罪も、経済的格差も、人種問題も、差別問題も、人権問題も、自殺の問題も、交通事故の問題もかなりのレベルで解決へと向かっているに違いないのに、未だ堂々巡りのありさまという厳然たる事実です。ましてや原発など一基たりとも存在するわけがないのです。
 どの国家も、その国家を支配する少数特定の連中のために尽くすばかりで、国民という名のもとに、実際には奴隷同然の扱いを受けている不特定多数の人々には、結局、自分が国民であるという大いなる錯覚の上に安住し、正当な怒りを軸にしたおのれの素直な感情を自ら偽り、諦め、曇りなき真実を探そうともせず、恐るべき冷酷な実態を包み隠している国家に自分のほうから擦り寄って、幻の帰属意識を一方的に募らせているだけのことでしかありません。
 そのことをよくよく肝に銘じておく必要があるという、この社会を生き抜く上では最も重要な、基本中の基本をもう一度認識し、片時も忘れてはならないのです。







女=映画;ゴダール

2013-08-24 11:36:05 | 日記

★ 私が思うに、男を光の波とすれば、女性は光の粒子の集まりなのです。少女のフィルムをスローモーションで見てみると、互いに異なった百個の世界が見えてきます。少女が笑ったと思っていると、その十二コマ先では完全な悲劇が展開されるのです。

<“ゴダール全てを語る”―宇野邦一『風のアポカリプス』(青土社1985)から引用>







ユリイカ;出来事;渦中

2013-08-23 00:51:12 | 日記

★ 青山真治の映画『ユリイカ』を見、次いで小説『ユリイカ』を読んで、私はまだ何かの渦中にあるという感じがしている。二つは、ほぼ同じ物語から構成されている。バスジャック事件という一つの出来事と、それに巻きこまれた人物たちのそれぞれの生きざまが主題である。二つの作品が、それぞれの深さに浸透しあって、見えない霧のようなものを発生させている。私はいったい何の渦中にあるのだろうか。

★ 一つの事件が起きたとしよう。一つの事件が私に起きる。それは私が起こした事件ではない。一つの事件がいきなり私をおそう。私は変化する。事件そのものが、すでに一つの変化であった。その変化が私を変化させる。私は「傷を受ける」という形で変化をこうむる。あるいは肉体には何も眼に見える変化をこうむらなかったが、内面に深い変化をこうむる。私は一つの暴力に遭遇する。世界のいたるところに、そのような暴力が荒れ狂っていることを聞いてはいた。その暴力が突然すぐ近くに姿を現した。誰かが殺された。誰かが目の前で死体になっていた。そのとき私が死んでも不思議ではなかった。

★ 一つの事件が起きる。世界の秩序や均衡や自動性が突然、破られる。世界が変化する。私も変化する。変化の後、私はその変化を少しずつ忘れていく。立ちなおっていく。しかし、もうもとには戻れない。その変化は、私を変化させた。もうもとには戻らない。世界そのものも変化した。もう何も、もとには戻らない。しかし、いったい私の中の何が、世界の何が変化したのだろう。

★ 見たところ、私は何も変わっていない。世界も、やっぱり見かけはもとのままだ。いったい何が起きたのだろう。私も世界も、もとのままではないか。しかし、何かが変わった。私は、人間があれほどの無秩序に、暴力に身を委ねるのを見た。世界が、そのような異様な出来事から少しも人間を守ってはくれないのを見た。私はこの世界にひとりで、無防備で見棄てられていることに気づいた。人と人との距離、伝達、共感、やさしさ、冷たさ、憎しみ、生きる力が、まったく異なるものに変質するのを見た。この世界が、荒れ狂う暴力の場であるのを見た。何も私をそれから守ってはくれず、それぞれがたったひとりで、そのような世界に投げだされているのに気づいた。

★ 私は事件を起こした男のことを思う。人を殺し、最後に自分も殺されてしまった男のことを思う。私と男の間の違いは何だったのかと思う。男をおそった変化は何だったのか。男には何が起きたのか。その変化がどんな変化だったか確かめる間もなく、男は死んでしまったが、その変化を、どんな変化として生きたのかと思う。その男も、世界にひとりで投げ出され、見棄てられていた。見棄てられている状態から、さらに決定的に見棄てられようとした。男もまた、事件を起こす前から、世界の中の何も、誰も自分を守ってはくれないと知っていた。男の中にはすでに変化が起きていた。その変化がさらに変化した。その変化に気づく間もなかった。ほんとうは事件に遭遇した私と、事件を起こした男の間に、あまりちがいはなかった。

★ 体験は不可能なのだろうか。体験によって、私たちは何かに気づく、目覚める、あるいは認識する。それがまったく不快な、あるいは残酷な事態であっても。
いや、体験によって、私たちは何も認識しない。私たちは忘れようとする。忘れられない場合は、憎しみや後悔や傷のような形で、無意識と意識の境界に体験を沈殿させる。それもまた体験を失ってしまうことではないか。
体験は奪われる。たくさんの注釈や報道や分析やおしゃべりによって、体験は既視感の中に解消される。体験はもう擬似体験にすぎない。
体験したものの中で、ひっそりと孤独に、言葉なしに体験が沈殿するときは、ただ世界の毒や暴力を記憶にきざまれた病者のように、体験者は体験の中にみずからを監禁する。体験はそこでも失われる。既知の、既視の、同じ体験だけが、執拗にいすわる。

★ いや、こうもいえる。体験は何一つ、私の外から、偶然やってくるのではない。私そのものが、偶然生まれ、偶然に囲まれて生きている。だから、私が体験することを、ことさら「偶然」と定義することはできない。逆にすべてを必然と考えることができる。まったく馬鹿げた暴力でさえも、私の運命として、私の責任において、やってくるべくしてやってきたと考えることができる。それなら、それは体験でさえない。私は、そのような出来事が起きる世界をあらかじめ選んだかのように、この世界に存在している。存在していることは、そういう出来事とともに存在していることだ。それは体験でさえない。私が誕生したこと、私がいつか死んでいくことが、「体験」ではないように。

<宇野邦一“二つの「ユリイカ」”―『破局と渦の考察』(岩波書店2004)>







“夏、感じること”

2013-08-22 13:13:39 | 日記

★ ときどき私は思考する。つまり、私はときどきしか考えないのである。

★ これは恐ろしいことではないだろうか。私はときどき思考へと戻ってくる。思考へと戻ってくることは、決して私自身へ戻ってくることではない。思考する私と、思考しない私があり、思考する私にもさまざまな私があり、思考しない私にもさまざまな私がある。さまざまな私がいて、思考から思考に移り、たえず中断し、中絶している。

★ 私はときどきしか考えない。これはたぶん、ひっきりなしに考えているよりはよいことなのだ。いつも中断なく考えつづけているようなら、その方が恐ろしいことではないか。

★ 考えようと思わないで、考えていることがある。考えようとして、考えられないことがある。思考と意志との関係は、いまだによくわからないことの一つだ。「尻の穴から油が流れる」のはそのことにかかわっているような気がしている。

★ 思考がとぎれることは何か忌ま忌ましいようなことだけれども、その間こそ生きていた。思想する者として私は思考がとぎれることを、いつも不本意に思うけれど、思考そのものが最終目的であってはならないと思っている。歴史に残るような強固な思想の体系には、そのような堂々とした建築の中には、もう住めないと感じている。

★ さまざまな思想は、生の側にあるのか、死の側にあるのか。私の思考は、生と死のどちらを向いているのか。ときどき私は問うてみる。もちろん、答を出そうとしても、たちまち問いは何重にもぶり返してくる。問いを錯綜させて思考すればするほど、思考は生から遠く離れていくではないか。けれども、確かにある種の錯綜の中にしか現れない生の相貌というものもあるのではないか。私たちの生はあまりにも多くの生の否定にとり囲まれているので、この否定に抵抗して生をすくいあげるには、あえて錯綜の中に思考を潜らせてみるしかないのではないか。

★ 私はときどきしか考えないが、感じることに関してはどうだろうか。

★ 快と不快、高揚と停滞、悲しみと喜び、充実と空虚、ざわめきと静けさ、強さと弱さ、それらの混淆し交替する状態をたえず感じながら生きている私にとって、思考は断続的であっても、感覚または感情においては中断がないのではないか。たとえ何も感じない場合にも、さまざまな感覚の層を静かに重ねたまま、ある種の静けさとして感じたことの集積を受けとっているのではないか。静かといっても、それは凪いだ海のようにこまかい無数の波をたたえている。私はたえず感じている。弱く、強く感じている。混淆し、たえず浸透しあい、滑り、溶け、編成を変えるさまざまな流れの間で、感じている。

<宇野邦一“夏、感じること”―『破局と渦の考察』(岩波書店2004)>







確率ゼロ

2013-08-18 08:42:39 | 日記

★ 自分の命がこの地上に生み出される確率はいったいどれくらいか、考えてみたことがあるだろうか。偶然出会った二人の男女を両親に自分が生まれたことを、私たちはあたりまえのことと思いがちだが、二人の男女の間にこの<私>が生まれる確率はきわめて低いのである。同様に私の両親が祖父母たちから生まれる確率もそれ以上に低いのである。このようにニ、三世代さかのぼってみるだけでも、自分の命が地上に生み出される確率はほとんどゼロに近く、生まれたことの方がむしろ不思議に思えるほどなのである。さらに起源をたどると、ゼロの行進が気の遠くなるほど続き、可能性は無の中に溶けこんでしまう。

★ だが、ひとたび命が結ばれると、無の深淵から、突如生が浮かび上がる。無から有へのこの奇跡の出現が命なのである。私たちにとってその生が唯一の生なのである。どんな両親の下に、どんな時代に、どんな場所に生まれてきたかったと、どれほど強く願ってみたところで、それを選択することはできない。それが、この世に生を受けることの意味である。

★ 私たち人間は遠い昔から、いろいろなところで、一日一日と生きてきた。実にたくさんの人間が生きてきた。一人ひとりが別個の身体を持ち、みな違った生き方をしてきた。この私も、また例外ではない。私は、両親や祖父母に似ているけれども、彼らと同じではない。彼らには彼らの生があったのだ。ひとりの人間が生きてゆく道には多くの山があり、またたくさんの谷がある。昨日と今日とは似ているが、同じではない。そして、明日はいつも新しい。生きてゆく一日一日の手ざわりをひとつひとつ確かめるとき、個々の生は陰影の鮮やかな相貌を見せるのである。与えられた命をただ一度きりのものとしていとおしみ、自分自身の生として引き受ける姿勢から、人間だけが持つ主体性が生まれてくる。

<“手帖5 命をいとおしむ”―梅田・清水・服部・松川編『高校生のための批評入門』(ちくま学芸文庫2012)>






規律社会→管理社会→???

2013-08-17 16:09:50 | 日記

★ フーコーは規律社会を18世紀と19世紀に位置づけた。規律社会は20世紀初頭にその頂点に達する。規律社会は大々的に監禁の環境を組織する。個人は閉じられた環境から別の閉じられた環境へと移行をくりかえすわけだが、そうした環境にはそれぞれ独自の法則がある。まず家族があって、つぎに学校がある(「ここはもう自分の家ではないぞ」)。そのつぎが兵舎(「ここはもう学校ではないぞ」、それから工場。ときどき病院に入ることもあるし、場合によっては監獄に入る。監獄は監禁環境そのものだ。類比的なモデルとなるのは、この監獄だ。

★ しかしフーコーは、規律社会のモデルが短命だということも、やはり知りつくしていた。規律社会のモデルは、目的と機能がまったく違った(つまり生産を組織化するというよりも生産の一部を徴収し、生を管理するというよりも死の決定をくだす)君主制社会の後を受けたものである。両者のあいだの移り変わりは段階的におこなわれ、一方の社会からもう一方の社会への重大な転換はナポレオンによって実行されたように思われる。しかし規律もやがて危機をむかえ、その結果、新たな諸力がゆっくりと時間をかけて整えられていく。しかし、新たな諸力もまた、第二次世界大戦後に壊滅の時代をむかえる。つまり規律社会とは、すでに私たちの姿を映すこともなく、もはや私たちとは無縁になりつつあった社会なのである。

★ 私たちは、監獄、病院、工場、学校、家族など、あらゆる監禁の環境に危機が蔓延した時代を生きている。家族とはひとつの「内部」であり、これが学校や職場など、他のあらゆる内部と同様、ひとつの危機に瀕しているのだ。当該部門の大臣は、改革が必要だという前提に立って、改革の実施を予告するのが常だった。学校改革をおこない、産業を、病院を、軍隊を、そして監獄を改革しようというのだ。しかし、ある程度長期的な展望で見ると、それらの制度にはもはや見込みがないということは、誰にでもわかっている。したがって、改革の名のもとに問題となっているのは、死に瀕した諸制度に管理の手をさしのべ、人びとに暇つぶしの仕事を与え、目前にせまった新たな諸力がしっかりと根をおろすのを待つことにすぎないのだ。こうして規律社会にとってかわろうとしているのが管理社会にほかならないのである。

★ 規律社会と管理社会の区別をもっとも的確にあらわしているのは、たぶん金銭だろう。規律というものは、本位数となる金を含んだ鋳造貨幣と関連づけられるのが常だったのにたいし、管理のほうは変動相場制を参照項としてもち、しかもその変動がさまざまな通貨の比率を数字のかたちで前面に出してくるのだ。旧来の通貨がモグラであり、このモグラが監禁環境の動物だとしたら、管理社会の動物はヘビだろう。私たちは前者から後者へ、モグラからヘビへと移行したわけだが、これは私たちが暮らす体制だけでなく、私たちの生き方や私たちと他者との関係にも当てはまることなのである。規律型人間がエネルギーを産む非連続の生産者だったのにたいし、管理型人間は波状運動をする傾向が強く、軌道を描き、連続性の束の上に身を置いている。いたるところで、サーフィンが従来のスポーツにとってかわったからである。

★ 昨今の状況を見ると、資本主義の目標は生産ではないことがわかる。現在の資本主義は生産を第三世界の周縁部に追いやっている。(……)いまの資本主義が売ろうとしているのはサービスであり、買おうとしているのは株式なのだ。これはもはや生産をめざす資本主義ではなく、製品を、つまり販売や市場をめざす資本主義なのである。だから現在の資本主義は本質的に分散的であり、またそうであればこそ、工場が企業に席をあけわたしたのである。

★ 私たちは、企業には魂があると聞かされているが、これほど恐ろしいニュースはほかにない。いまやマーケティングが社会管理の道具となり、破廉恥な支配者層を産み出す。規律が長期間持続し、無限で、非連続のものだったのにたいして、管理は短期の展望しかもたず、回転が速いと同時に、もう一方では連続的で際限のないものになっている。人間は監禁される人間であることをやめ、借金を背負う人間となった。しかし資本主義が、人類の四分の三は極度の貧困にあるという状態を、みずからの常数として保存しておいたということも、やはり否定しようのない事実なのである。借金をさせるには貧しすぎ、監禁するには人数が多すぎる貧民。管理が直面せざるをえない問題は、境界線の消散ばかりではない。スラム街とゲットーの人口爆発もまた、切迫した問題なのである。

★ 不思議なことに大勢の若者が「動機づけてもらう」ことを強くもとめている。もっと研修や生涯教育を受けたいという。自分たちが何に奉仕させられているのか、それを発見するつとめを負っているのは、若者たち自身だ。彼らの先輩が苦労して規律の目的性をあばいたのと同じように。とぐろを巻くヘビの輪はモグラの巣穴よりもはるかに複雑にできているのである。

<ジル・ドゥルーズ“追伸―管理社会について”;『記号と事件』(河出文庫2007)>






“障がい者(障害者)”とフーコー

2013-08-16 17:24:48 | 日記

★ 父親の職業が養護学校教員であったことから(いまはもう養護学校という呼称は存在せず、特別支援学校に代ってしまったようだ)、私が幼いころの家には、そこの学生さんたち(高校生と卒業生)がよくやってきた。私は障がい学について疎く、また父親が関係者であった事情もあり、その方面の勉強やボランティアを意図的に遠ざけていた部分があるので、彼ら/彼女らがいかなる障がいをもっていたのか、いまもってよくわからない。

★ ときおり家にやってくる、肩から手の生えているお兄さん、顔が半分潰れているようにみえるお姉さん、大人のようなのに背丈が自分よりちょっと高いだけの年齢不詳のひと、総じて顔をくしゃくしゃにして何かをうめいているこうした学生さんたちを前にして、幼少時の私が感じたのは、人間にはいろいろな種類があるのだな、世の中には実に多種多様なひとがいるのだなということ、ただそれだけであった。彼ら/彼女らがこの世界に存在することに、何の不思議さも感じず、何の違和感もなかった。

★ もちろん幼かったために偏見がなかっただけだ、といってしまえばそれまでのことだろう。だがフーコーを読むたびに、私は、そういえば自分が子供のころには、いろいろな種類のひとたちが家にきていたな、ということをおもいおこす。そしてフーコーが書いていたものは、直接的にではなくとも、彼ら/彼女らに向けてであり、そして彼ら/彼女らと一緒にいる自分たちに向けてでもあるのではないかと考えてしまう。フーコーが人間の分類学を試みたということは、そして人間の彼方を構想したということは、そういう部分を含んでいるのではないか。

★ さらにいえばフーコーは、彼ら/彼女らは、正常とされる人間たちと、連続的で同じひとびとであるということを、近代個人主義的平等概念に「逆らい」ながら、あるいはそれのもつヨーロッパ中心主義を「相対化」しながら試み、彼ら/彼女らの肯定されるべきモンスター性をひきたてたのではないか。それは、社会的な正常性において「こちら側」と考えがちな「われわれ」なるものが、いつも彼ら/彼女らとともに成りたっていることを明らかにする作業以外の何ものでもないだろう。

<檜垣立哉『フーコー講義』“あとがき”(河出ブックス2010)>







みなさん!暑いですね!

2013-08-16 16:28:22 | 日記

はてさて“このブログ”も、(なんとなく)長の年月を重ねてきたのである。

この“ぼく”も(“ぼく”はこのブログの書き手を“ぼく”と表記してきたわけだが、ほんとは國分功一郎ツィートみたいに、“俺”と表記するほうが自然であるが)、この間、50代をはるかに過ぎて、もはや60代後半のジジイへと変身したのだ。

さて、先ほど、いつもの<引用>ブログを書こうとして、ミシェル・フーコーというひとの画像をGoogleで画像検索していたところ、そのなかになぜか“ジュリー・デルピーの画像があるので、クリックしたら”このブログ“が出てくるではないか!

そのブログ、2010年7月20日の“ぼくの好きなひと”を再掲載してみよう。
もちろん、自分でもこのような文章を書いたことは忘れているのである(なにせやたら書いた)
このころ、ぼくは<引用>だけをしていなかったし、やたら笑ったりして、不気味である(笑);


<ぼくの好きなひと>

たとえば、“ぼくはミシェル・フーコーが好きだ”というのと、“ミシェル・フーコーは偉大な現代思想家である”と言うことは、ちがう。
“ぼくはビートルズが好きだ”ということと、“ビートルズは最高の音楽を生み出した”ということは、ちがう。

すでに勘のよい“読者”は、ぼくが言いたいことが、“わかる”。
なに、わからない?!
ここから、“言葉”は、はじまる(爆)

ついでに言っておくと、フーコーというひとは、ぼくにとって、好きか嫌いか、わからないひとである。
こういうこともある。

まあ、あるブログ(このブログの“名”を出してもいいのだが、なんとなく、やめておく)で中学校の国語の先生が書いている;

《まず教材がよかった。まど・みちおの「イナゴ」。教育出版の6年生の教材だそうだが、さすがにまど・みちおといった感じの素晴らしい詩。平易な表現で哲学的。構造主義的な分析にも、実存主義的な鑑賞にも堪えうる、見事な言葉の芸術。戦後の詩人としてはまさしくナンバーワンである。ぼくは「谷川俊太郎よりも5万倍すごい詩人」とよく言う(笑)》(引用)

上記の“ような文章”をどのように“読めば”よいのだろうか?
いちばん“正常な”反応は、“ふ~ん”と思うことである(笑)
ひとの書いた文章に、“いちいち反応して”いては、身がもたない(つまり、疲れる)
しかも<いちいちひとの文章に反応しているひとの文章を読まされるのは、もっと疲れるかもしれない>(この“文章”は自分でも満足がゆく“表現”である;笑)

ぼくは(前のブログ)Doblogのとき、谷川俊太郎の詩をしばしば引用した。
谷川の詩集を何人かのひとに、プレゼントしたこともある。
数年前、辺見庸の講演会で、辺見は谷川を激しく非難した。
当時、谷川の詩が使われていた生命保険会社のCMを非難したのだ。
それ以来、ぼくは谷川俊太郎の詩を“引用”していない。
しかし、“それ”は、辺見の怒りに深く共感したというわけではない(つまり辺見の言っていることは“ただしい”と思ったけれど)

“なんとなく”引用しなくなったのである。
しかし、谷川の“いくつかの詩”が好きであることは、まったく変わらない。
反対に、ぼくは“まど・みちお”の名を知っていても、その詩を“読んだことがない”。
だから、《戦後の詩人としてはまさしくナンバーワンである。ぼくは「谷川俊太郎よりも5万倍すごい詩人」とよく言う》と言われても、わからない。
しかも、谷川より‘まど’が、《5万倍すごい詩人》かどうかを“検証する”ために、‘まど’を読んでみようとも思わない。
まったく、困ったこと、である(笑)

そもそもこの“中学先生”のブログとは、Doblogの時に係わりがあった、このgooになってからも、一度コメントをもらったと思う。
それで、ときどき、彼のブログを見るのである。
そして、“ぼくの偏見”によると、このひとは“まじめで熱心な先生”ではあるが、このひとの<趣味>(おもに“音楽”)というのは、ぼくにはまったく“感傷的”に思えるのである。
“だから”ぼくには、彼の“詩の評価”も信頼できない。
けれども‘まど・みちお’の詩が、‘谷川俊太郎’の詩より“感傷的でない”可能性もあるのである。

けっきょく、自分が好きなものは、たんに好きなのである。
だれがなんと言おうと、好きなのである(笑)
ただこの場合、“問題”なのは、まず、そのことを知っているか(自覚しているか)である。
つぎに、“多くの人が好なものを、私は好きである”という“好き方”である(笑)
つぎに、“私が好きなものは、多くの人が好きになるはずだ”という予断である。

さて、“ひさしぶりに”、谷川の詩を引用しようではないか!;

あなたは二匹の
うずくまる猫を憶えていて
私はすり減った石の
階段を憶えている

もう決して戻ってこないという
その事でその日は永遠へ近づき
それが私たちを傷つける
夢よりももっととらえ難い一日

その日と同じように今日
雲が動き陽がかげる
どんなに愛しても
足りなかった

<谷川俊太郎 “時”― 『手紙』(集英社1984)の最初にある)







リゾーム;千のプラトー

2013-08-14 14:21:56 | 日記

★ ドゥルーズとガタリの出会いから生まれた「リゾーム」という概念の不穏な印象はいまもなお新しく、刺激的、挑発的であり続けている。しかし、だからこそ実に多くの問題を含んでいる。

★ それは一般に、<秩序>として思い描かれるあらゆる特徴に相反する状態である。まず中心から周縁へ、頂点から下部へという階層性を欠いている。幹から枝へ、枝からさらに細い枝へと分岐していく対称的構造も、末端にいたるまで反復され複製される幹-枝のパターンも受けつけない。けれども決してそれは<無秩序>ではない。もともとそれは「根茎」と訳されることもある植物学の用語で、地下を水平に伸びて広がる茎であり、当の植物を無性生殖により、あらゆる方向に増殖させる。蓮、竹、生姜、蕗、茗荷、カンナなどがこれに類する。中心に狙いを定めて切断することができないので、一度繁殖したリゾームを根絶することはきわめて難しいのだ。

★ そして『リゾーム』というテクストは『千のプラトー』の序文となる前に、一冊の小さな書物として出現し(1976年)、豊崎光一により日本語にも訳されて(1977年)、一部の読書人にかなりのインパクトを与えた。それより前に書かれた『アンチ・オイディプス』がまだ翻訳されていない時代のことだ。リゾームの概念は、ドゥルーズ=ガタリの編み出した新たな哲学的文体、語り口、声とともに提案された。その衝撃は素早く日本語の思考にも注ぎこみ、いくつかの新たな思想や批評の出現をうながした。そのかたわらでは、きらびやかでエキセントリックに見えるその思考法に対して、警戒や批判や抵抗もむけられた。ある種の知的免疫のようなものも働いた。

★ ドゥルーズとガタリにとって、「リゾーム」が敵対する「樹木」とは、何よりもまずヨーロッパの歴史が古代から培ってきた文明と思想の強固な体制そのものにちがいなかった。しかし「樹木」をただちにヨーロッパ近代と言い換え、それに対する「ポスト近代」としてリゾームを提唱するといった性急な図式は、決してドゥルーズのものでもガタリのものでもない。ポストモダンというような仰々しい用語を、二人とも決して口にしたことがないのだ。

★ そもそも近代とは何か、いまだ自明ではない。近代の周到な批判でもあったにちがいないミシェル・フーコーの哲学とは、むしろ新たな歴史学を試みるようにして、近代といわれる体制と近代的合理性の構築を、その外部から精緻にたどり直すことだった。近代を批判するためには、近代的な意識から距離をとって、近代を構築する要素を、あらためてひとつひとつ点検する必要があった。「言説の秩序」や、諸学の根底に横たわる「エピステーメ」といわれるような認識の布置に光をあて、精神医学、監獄など、西欧の知的体制の暗部に隠れた次元を、批判のための特異点として彼はえぐりだした。

★ リゾームは、世界史というような包括的な観念を寄せ付けないように思えるが、それでもあえてリゾームを世界史に照らし、世界史をリゾームを通じて考えてみよう。ドゥルーズは、とりわけガタリとの共著では、独自の世界史と歴史哲学を実践し、実験している。

★ たとえば柄谷行人は、氏族的互酬的社会(A)から帝国的社会(B)へ、帝国的社会(B)から資本主義社会(C)へと展開する世界史の果てで、あたかも抑圧されたものが回帰するように、Aの交換様式が「高次元」で回復し、新たな歴史的段階として「アソシエーショニズム」または「世界共和国」へと進行することを説いた(『世界史の構造』)。『アンチ・オイディプス』の歴史哲学は、ほぼこれに対応して「大地の機械」(A)、「帝国の機械」(B)、「資本主義の機械」(C)の順に進行していたが、いたるところでこの三つは相互浸透しながら突然変異をとげ、領土化、再領土化、脱領土化を繰り返し、やがて未知の歴史的次元を暗示するのだ。

★ 柄谷の指摘は、おそらく的を外してはいない。「生産様式」ではなく、「交換様式」の観点から歴史をみなおし、マルクスを読み替えるという試みも納得できる。しかし、矢は的に当たっても、的を貫くまでにいたらなかった。その図式的な歴史はあくまで静的であり、操作的、俯瞰的であり、いわばテクノクラート的であり、そのためヘーゲル的に映る。「アソシエーショニズム」は存在するとしたら、まさにリゾーム的な集合体であるはずだが、その歴史記述にはリゾームに似たものが少しも見られないのだ。「大地の機械」と「資本主義の機械」との出会い、衝突、抱擁の歴史はすでに数世紀に及び、錯綜したドラマを展開している。むしろ世界史を、そのようなドラマを、ただ俯瞰するのではなく、生きる<主体>の受苦や喜びの場面で思考する哲学を私たちは必要とするのではないか。高い塔の上から歴史を睥睨するヘーゲルの「理性の世界史」ではなく、ニーチェの書いた抗争的で情動的な世界史のほうに私たちは傾くのだ。

<宇野邦一『ドゥルーズ 群と結晶』(河出ブックス2012)>