Don't Let Me Down

日々の雑感、引用。
言葉とイメージと音から喚起されるもの。

スペイン

2010-03-31 00:20:14 | 日記


スペインは、ぼくが行ったことがある数少ない国のひとつである。
しかもスペインは、はじめての海外旅行の地だった。

いま堀田善衛の『ゴヤ』を読み始めて、この本を旅行の前に読んでおけばよかったと思う。
だが、いまさらしょうもない。
余計なお世話だが、“みなさま”が行けるなら、スペインに行ってみることをお薦めする。

スペインとイスラム。
ああ、だからスペインの少女たちは、あのように美しかったのだ。
しかも彼女たちは、美しいだけではなかった。

引用しよう;

★ ある記録によれば、1471年に、カスティーリアのイサベラ女王とアラゴン王フェルナンドの手によって設立された異端審問所は、1781年までの310年間に、年間平均100人を焼き殺し、900人を投獄した。合計のところで言えば、この3世紀の間に3万2000人が焚殺され、1万7000人が絞首刑に処せられた。そうして29万1000人が投獄された。これらの被処刑者たちの、残された家族や縁者たちが安穏に暮らしえたということはありえない。

★ しかも、フェルナンド王、イサベラ女王の治世に、約1200万いたスペインの人口は、18世紀半ばに即位したカルロス3世の時代には、半分の600万人以下に減っていた。人々は、新たに“発見”された植民地へ逃げ出してしまったのである。とりわけて、若く強壮な青年たちが出て行ってしまい、女ばかりがのこった。それにつけ加えて、社会のあらゆる層において有能な社会的指導者となるべき人々の多くが、聖職者として独身を強いられ、子孫をなすことがなかった。

★ 神の栄光のみが、あたかもスペインの荒地をいっそう荒廃の地たらしめる、あの光り輝く、残酷な太陽のようにこの国を支配していた。

★ また別の見方をすれば、スペインは15世紀に、南下してイスラム王朝を地中海に追い落して、スペイン全土を一気に植民地化し、まったく同時に、その勢いを駆って、コロンブスとともに新大陸の植民地化に出て行ってしまって、出て行ったものの大部分は戻らなかったのである。そうして戻って来たものは、掠奪された金銀財宝のみであった。

★ そうして、この“黄金の時代”をかたちづくった黄金、新大陸からの金銀財宝は、帝国の栄光を保ち、神聖なるカトリック・ヨーロッパを保守するために、湯水の如くに使われた。それが湯水の如く使われ、産業は衰え、しかもなお金銀財宝だけを抱えていたが故に、スペインは致命的なインフレーション現象を経験した史上最初の国となった。黄金の時代は、同時に衰退の時代のはじまりであった。

★ もっとも、イスラム教徒にとっても黄金の時代、すなわちグラナダに、世にもっとも甘美で繊細巧緻な建築であるアルハンブラ宮殿が完成したその瞬間に、彼らイスラムの王侯貴族たちは、あたかも平家の公達のように、壇ノ浦ではなく地中海へ追い落されたのであった。

★ 一国民が、わずか3世紀の間に人口が半分になるまで外に出て行ってしまい、もともとごろた石だらけの荒廃した土地は、神の栄光によってよりいっそう荒廃し、しかもなお冷たい金銀財宝だけを抱えていたという、こういう異様な民族がほかにいたものであろうか。

★ しかもなお、17世紀は絶頂の“黄金の時代”であった。トレドには、エル・グレコがい、セビーリァにはベラスケスがいた。

<堀田善衛;『ゴヤⅠ-スペイン・光と影』(朝日文庫1994)>




* 写真は、“アルハンブラのねずみ男”




<追記>

これまた余計なお世話であろうが、この堀田善衛『ゴヤⅠ-Ⅳ』(朝日文庫)は現在品切れである。
この『ゴヤ』はもともと“朝日ジャーナル”に連載された。
大仏次郎『天皇の世紀』は朝日新聞に連載され、朝日文庫に入っていたのが品切れとなり、現在文春文庫で刊行中である。

すなわち、朝日新聞社というのは、自社の“過去の財産”にさえ優しくないのである。
この朝日新聞社の“変節”について、どう考えればよいのでしょうか?

まさか大仏次郎や堀田善衛は、<古い>んじゃないですよね。

ぼくはこの両者の良き読者ではなく、“いま”読んでいるわけだが、“歴史学者”が書いている退屈な“歴史”とは、まったくちがった、ぴりぴりした手触りを彼らの歴史記述に感じるよ。
もちろん大岡昇平の『レイテ戦記』にも(これは‘中央公論’連載だけどね)

つまり、言葉のリアルを。
こういう手触りこそ、現在のジャーナリズムの“退屈文体”から喪われたものなんだ。

感受性の鋭さとおおらかさ。
広く複合した視野とあくまで個人として述べうること。

昔は日本にも、そういうひとがいた。

ほんとうにそうかどうか知らないが、海外旅行にも歴史にも関心がない若者が増えていると聞く。

もしそうなら、この日本という“閉域”(閉鎖された場所)の外への好奇心=想像力を喚起する言葉が、あまりにも乏しいからではないだろうか。

すなわち“あらゆる世界を見せる”はずのマスメディアが、この想像力を決定的に奪っているのだ。

この閉域で、“テレビで”なにもかも見ていると無意識に信じている人々こそ、なにひとつ見ることをまなばないのだ。

自分の日常への“微細で柔軟な視線”に自信たっぷりなものたちは、たんなる盲目へとおちいるのみだ。

もちろん逆に、世界中を駆け回り、”あれも見た、これも見た”というひとが、なにひとつ見ていないこともありそうだ。

つまり、旅も歴史も、言葉を道連れにしなければ、無意味だ。




現在の歴史としての<文学>

2010-03-30 13:28:31 | 日記


ここに3冊の本がある。
菅野昭正氏による“文芸時評1982-2004”である。
『変容する文学のなかで 上、下、完』(集英社2002、2007)

1982年から2004年までに、いかなる“文学”が書かれたか?

しかしぼくの関心は、上記のことではない。
そうではなく、“1982年から2004年”という20年は、“どういう時代だったか”を思い出したいのである。

この“作業”のために、ひとは、いろんな<方法>を試みることができる(できよう)
端的に“年表”を見たり、新聞縮刷版に当るひともいよう。
自分の“個人史”を、あれこれ思い出しながら記述することもできる。
入学したり卒業したり、就職したり、結婚したり、出産したり、子育てしたりした“時期”であるひとも、いよう。
どこに住んでいたかを考える(思い出す)、引越し貧乏なひと(ぼくのヨーなひと)もいるだろう。
自分が“社会のどこに”所属し、自分の“家族での位置”がドーだったかを、思い出すひともいるだろう。

しかし(笑)、それら<事実>のみが、人生ではない。
“私はなにを読んだか?”
“私はなにを読まなかったか?”

こういう“問い”もあるのである。

また“1982年から2004年”に生産された“小説”(とはかぎらないが)を、“その時点では読まず”、遅れて読んだり、なによりも<いま>読むことも可能である。

もはや残り時間が少なくなった年齢である者にとっては、最後の“たたかい”というものが、やはり<ある>のではないだろうか。

ぼくにとって<それ>は、自分が生きた時代と状況を“知る”ことである。

どぎつく言えば、“このまま、騙されたままで死にたくない”とでもいえるか?
もちろん、ぼくは、最終的な<認識>があり得ると信じて、そうするのではない。

どこまでも未完のプロセスの最後でよい。
しかし、放棄しない。

あるいは、どのように“放棄”すればよいのかが、わからない。
ぼくは、決して“人生の達人”では、あり得ない。

最後まで、不器用に無様に考えることだけが、ぼくの“生きよう”なのだ。

<文学>だけがあるのでもない、文学は、この人生の<すべて>(その混沌・カオス)への手がかりなのだ。




21グラム

2010-03-30 11:47:05 | 日記


毎日のように“映画”をテレビで見ているが、ロクな映画が生産されていないことがわかるだけである。

もちろん、“これらの(テレビで放映される)映画には、近年のものも昔のものもある(つまり”最新作“はまだ放映されない)。
つまり映画館に行かずテレビだけで映画を見ているひと(ぼく)は、数年遅れで映画を見る。
また“テレビで放映される”のが、公開された“すべての映画”でもないし、そもそも世界中で作られた映画すべてが日本で公開されているわけでもないはずである。

“テレビで放映される”映画では、やたらに何度も放映される映画と、一回コッキリでまた見たいのにさっぱり放映されない映画がある。
たぶん“視聴率”(その映画に人気があるか否かの、テレビ局の“判断”)が関与している。

昨夜見た「21グラム」は、ぼくにとってはじめて知る映画であった。

ぼくはこの映画に出ている、“ベニチオ・デル・トロ”という俳優を近年知り、好きになった。
けれども、最近のぼくは映画とか俳優に“うとい”ので、このひとがどういう経歴のひとかを(どんな映画にでてきたか)を知らず、だいいち“ファースト・ネーム”さえ記憶することができなかった。
“なんとか……トロ”とかいう俳優としか認識していなかった。
昨夜「21グラム」のテレビ番組案内で、“ベニチオ・デル”であることを認識した。

さらにWik.で検索したら、“ゲバラ”になったひとなんですね(笑)
ぼくは“ゲバラ映画”にまったく関心がなかった。
「トラフィック」でこのひとを認識したひとが多いだろうね。
このひとが出た映画で、テレビで1回だけ見た「メルキアデス・エストラーダの3度の埋葬」は傑作だと思ったが、まさにその後放映されない(また見たい)

さて“ベニチオ・デル・トロ”ではなくこの映画=「21グラム」はどーだったか。
Wik.から引用する;
1つの心臓をめぐり、交差するはずのなかった3人の男女の人間ドラマが描かれる。時間軸が細かく交差する構成になっている。人がいつか失う重さとは、いったい何の重さなのかを問う作品である。
ヴェネチア国際映画祭男優賞(ショーン・ペン)を受賞。
タイトルの「21グラム」とは、20世紀初期のアメリカの医師ダンカン・マクドゥーガルが行った、魂の重量を計測しようとした実験に由来する。
(以上引用)

この映画が“良い映画”であるか否かは、ここで論じない。
ぼくにとって興味深かったのは、この<人が死んだとき失う重さ=21グラム>であった。

上記の引用にある、この重さを“魂の重さ”と言ってしまっては、つまらない。
映画では、“魂の重さ”という言葉は出てこなかったはずだ。
“チョコ・バー1本の重さ”である。

つまり、映画とは、“魂の重さ”というようなことを言わないから映画なのである。

そういうことを“誤解”している、“説明的な映画”ばかりがつくられるなら、つまらない。

映画とは、そこに登場する<人物たち>のリアルである。
その<関係>が、ある<風景>のなかで展開される<映像>のリアルである。

だから、その“人物たち”を“演じる”俳優がリアルでなければならない。
“監督”は素材としての“俳優”と“風景”を音と映像として現出させなければならない。

映画とは、何かを“説明”するものではない。
その点滅する、滅びやすい<映像>に、血と肉と“魂”を出現させる<事件>でなければならない。




<注記>
ぼくが<魂>という言葉を使用するとき、そこにはいかなる“宗教的ニュアンス”もない。
あるいは<日本民族の魂>というようなことにも、無縁である。
近年、ぼくが<魂>という“言葉”に感動したのは、大江健三郎の短篇「火をめぐらす鳥」における伊東靜雄の詩の一節の引用であった。
この「火をめぐらす鳥」という短編が、<この魂>についての記述となっている;

<私の魂>といふことは言へない
その証拠を私は君に語らう

しかも<私の魂>は記憶する
そして私さへ信じない一篇の詩が
私の唇にのぼつて来る
私はそれを老年のために
書きとめた

<私の魂>といふことは言へない
しかも<私の魂>は記憶する




“私はレプリカントである”;私は本当に人間であるのか?

2010-03-29 10:13:33 | 日記


★ 『ブレードランナー』はこのようにして、人間とアンドロイドの常識的な区別に対して二重の捩れを加える。人間とは自分がレプリカントであることを知らないレプリカントである。しかし、これですべてなら、この映画は、自由な「人間的」行為者としてのわれわれの自己経験は、われわれの生を制御している因果的な連結に対するわれわれの無知に基づく錯覚であるという、単純極まりない還元主義的な考え方をしているだけだということになるだろう。それだから、われわれは先ほどの言明をこう補う必要がある。言表の内容のレヴェルにおいて、私のレプリカントの地位を引き受けるそのときにかぎり、言表行為のレヴェルにおいて、私は真に人間的主体となるのだ、と。「私はレプリカントである」は、主体の、その最も純粋な言明である(あるいは、そのスピノザ版はこうである、何ものも必然性の手から逃れられないということに気づくことが、われわれが真に自由であるための唯一の道である)。

★ 要するに『ブレードランナー』の暗黙のテーゼは、レプリカントは、そのすべての実体的な内容が、そのもっとも内密な無意識的幻想さえもが「自分自身のもの」ではなく、すでに移植されたものであると自分で検証するかぎりにおいて、純粋な主体なのである。正確にこの意味で、主体はノスタルジーによって定義される。主体とは喪失の主体である。『ブレードランナー』のなかで、デッカードがレイチェルに、彼女がレプリカントであることを証明したとき、レイチェルがどんなふうに、静かに、声もなく、叫びはじめたのかを思い出そう。彼女の「人間性」の喪失に対する沈黙の嘆き、人間であること、あるいは、再び人間になることへの無限の憧憬、そうなることはけっしてありえないと彼女は知っているにもかかわらず。あるいは、裏返していうなら、私は本当に人間であるのか、それとも、ただのアンドロイドなのかという永遠に私を責め苛む懐疑――こういった決定されず中間的な状態にあること、それが私を人間にする。

<スラヴォイ・ジジェク:『否定的なもののもとへの滞留』(ちくま学芸文庫2006)>





★ 力なき美は悟性を憎む。なぜなら、悟性は、美にそれがなし得ないことを要求するからである。だが、死を前にしてしりごみし、破滅から完璧に身を守ろうとするような生ではなく、死を耐え抜き、そのなかに留まる生こそが精神の生なのである。精神が己の真理を勝ちとるのは、ただ、自分自身を絶対的分裂のうちに見出すときにのみなのである。この否定的なもののもとへの滞留こそは、それを存在へと転回させる魔法の力なのである。

<ヘーゲル:『精神現象学』序論―ジジェク:『否定的なもののもとへの滞留』扉の引用>




Snapshot;昨日

2010-03-29 08:26:34 | 日記


日曜なのに仕事に行った、寒かった。

昨日について、これだけ書けば充分のような気もする。

なのに、ぼくはなぜ毎日ブログを書いているのか。

自分の人生の一日を、記録するとは、どういうことか?

その日が、他の日と異なることを“記録する”のだろうか。

《日曜なのに仕事に行った、寒かった》
と書いただけでは、その日の特異性がわからないからだろうか。

数年前まで仕事に通った小田急線に乗り、2時間近くかかる駅へ行き、坂の多い街を歩いた。
同じ東京都都下であっても、ぼくが住んでいる地域とはまったくことなった、風景と空気なのだ。

帰りに、わざわざ前に通っていた仕事場のあった駅で降りて、当時昼食を食べていた店で焼き鳥と日本酒、‘とり重’を食べ、さらに当時行っていた喫茶店で好きなコーヒーを飲んだ。
そして新宿(現在の仕事場がある)に“もどり”、agnis bで綿のニットキャップの紺色が出ていたので買った、元さくらやがユニクロに変わった店を見ると“UJ”ブランドの夥しいジーパンがあったが、買わない。

ある日というのは、結局、なにを食べ、飲み、何を買った、ということなのだろうか。
ほぼそうである。

そういうふうに1日をおわらせるひとがいるのは、かまわない。
ぼくの知ったことではないのだ。

しかしぼくは、そういう1日に、なんとか本を読む時間をもちたい。
そうでなければ、ブログが書けない(笑)

もちろんこれは“冗談”である。
“本を読むこと”だけが、この日々の、ある1日をちがった日にするからである。




大きな夢の集約

2010-03-26 17:53:20 | 日記


★ しかし『レイテ戦記』はある一点において、いわゆる戦史の枠をはるかに超えている。戦史と称するものが戦争を集団的行為として捉え、戦場で起こった苛酷な事態を統計的に処理する立場で書かれるのとちがって、『レイテ戦記』では、戦争は普通の人間がたずさわる悲惨事として描きだされるのである。戦場で戦うのは兵士という身分の人間であるという明確な事実認識が、『レイテ戦記』の叙述の基本的な立場を支えている。人間を抜きにした集団的な、あるいは統計的な事態の結果を綴ることに終始する通常の戦史と、そこで決定的な一線が劃される。たとえば、「山本五十六提督が真珠湾を攻撃したとか、山下将軍がレイテ島を防衛した、という文章はナンセンスである」という一節に出会うとき、われわれ読者は、『レイテ戦記』がどういう立場で書かれた記録であるかを、あらためて思い知らされずにはいない。戦争とは司令官や少数の軍神の事績ではなく、戦争という巨大な動きに翻弄される人間ひとりひとりの血と肉を塗りつけた史実であることが、そこには言外に物語られている。普通の人間が戦い、普通の人間が死んでいったというこの事実認識は、具体的に記述される戦闘の事実のすべての底に滲みわたっている。『レイテ戦記』は、こうして、戦記でありながら戦記をはるかに超えた文学作品としての質を獲得することになる。

★ 『レイテ戦記』を書くことをうながした「著者の内的衝動」は、したがって、すべての兵士の頭上を通過したはずの巨大な全体の圧力の様相を突きとめて、それを死んだ兵士たちに告げたいという衝動である、と言いかえることも可能であろう。(略)個の背景にそびえたつ見えない全体が、深く隠れたまま個を吸収する力学的な関係の劇を大規模にくりひろげ、それぞれの個が全体のなかで占める位置を、大岡氏は確定しようとするのである。

★ 見えない全体と個との力学的関係の劇――そう考えるとき、この作品は「結局小説家である著者が見た大きな夢の集約である」という「あとがき」の一節は、いっそう鮮烈な響を鳴らすように私には思われる。たしかに存在し、個を確実に拘束する力として作用はしたけれども、しかし誰にも直接に認知することのできないものであるという意味で、この巨大な全体は虚構に似ているし、「夢の集約」として捕捉されるしかないものなのであろう。すくなくとも、それが事実と虚構の微妙な接点に立っていることは確かである。

★ 虚構の性質を帯びた巨大な全体。『レイテ戦記』が、ひとつひとつ、著者の鎮魂の志を宿しつつ客観的に記述されてゆく無数の正確な事実を、互いに交響させたがいに劇的に結びつける方法で書かれているのは、それこそがそういう質の全体に到達することを保証する唯一の方法だからである。無数の具体的な事実の射しかわす光のなかから、虚構に似た全体は虚焦点のように浮かびあがり、作品の基層をかたちづくっている。具体的な個々の事実の積みかさねは、虚構に似た全体、夢に似た全体の開示という方向を示している。第2次大戦後、世界的に記録文学の深化はいちじるしいと言われるが、『レイテ戦記』は、とくに全体の開示という一点において、通例の記録文学とはあきらかに一線を劃しながら、しかも記録文学のひとつの頂点を極めると同時に、大きな夢を集約する小説の性質をも帯びた他に類例のない作品である。

<菅野昭正:大岡昇平『レイテ戦記』解説(中公文庫1974)>





Snapshot;私と社会

2010-03-25 09:32:46 | 日記


昨日から今日にかけてこのブログに“引用”した二つの文章で、“同じ問題”が扱われている。

ぼくは“意図的に”引用したのではない。
ぼくの引用は、(ほぼ)その日に読んだ文章から、いちばん印象に残った部分をピックアップしている。

もっと細かく書くと、本を読みながら、そういう個所に傍線をボールペンで引くか、かぎカッコで囲む。
そのなかから、引用個所を選ぶ。
おわかりのように、この作業は、ブログに引用することを含めて、なによりも“自分のための”作業である。

だれが読まなくても、“自分とって”意味がある。
しかし、もちろん、<ブログ>に書いているのは、この引用文を“誰かが読む”ことを期待しているからである(さらにこの引用を読んだ人が、“その本”の読書に向かってくれることを期待する)
だがそれは、ぼくの“主張”へ誰かを誘導しているのではない。
そもそも、ぼくが引用している様々な文章の“主張”が、<矛盾>していることがある。

というより、そもそも、<読む>ということは、自分が“知らないことを”読むのである。
あるいは、“そこに書かれていること”が一義的(ただひとつの意味をもつ)であるわけではない。

私が、“今読んで”受け取った<意味>が、いつまでも“同じ”でもない。

しかしたしかに、引用以前に、“何を読むか”(読むものをどう選ぶか)ということがある。
いままでに刊行された本のすべてを読むことはできないし、本は日々刊行されている。
だから、<選択>は、いかに選んだところで、<偶然>でもある。

昨日の読書で、“同じ問題”に遭遇したのも偶然である。

方や、ドストエフスキーの創作の“原理”を述べ、もう一方は、“独我論”についての新たな定義を提出している。

“モノローグ”と“ポリフォニー”の対比があり、“「教える-学ぶ」関係”の提起がある。

“ポリフォニー”とか“独我論”というような<用語>になじみのないひとは、こういう言葉を見るだけで、“むずかしい”と恐れをなし、ぼくの引用ブログを読むことをやめるだろうか?(笑)

しかしこのぼくも、<哲学的用語>に習熟してなど、いない。

これらの<問題>は、“私と他者=社会(の関係)”という、古くて新しい問題、だれにとっても関係のある問題、について語られているのだ;


★しかしドストエフスキーは自らの創作において、個人的経験に直接的・モノローグ的な表現を与えたわけではない。そのような経験は彼が矛盾の認識を深めることを助けただけに過ぎない。その矛盾とは単一の意識の中における様々なイデエの間にではなく、人間同士の間に強度に展開された形で同時存在している諸矛盾であった。<バフチン>

★私は、ここで、独我論とは、自分一人しかいないという思考ではなく、自分にあてはまることが万人にあてはまるという考えのことであるといおう。なぜなら、後者においては、結局他者は自己の中に内面化されてしまうのだから。同時に、私は、対話とは、規則を共有しない他者との対話、あるいは非対称的な関係にとどまるような対話であると定義したい。そして、他者とはそのような者である、と。<柄谷行人>




他者

2010-03-25 00:38:50 | 日記


★ 外国人や子供とコミュニケートするということは、いいかえれば、共通の規則(コード)をもたない者に教えるということである。しかし、相手側にとっても、事情は同じである。すなわち、共通の規則をもたない他者とのコミュニケーションは、必ず「教える-学ぶ」関係になるだろう。通例のコミュニケーション論では、共通の規則が前提されている。だが、外国人や子供、あるいは精神病者との対話においては、そのような規則はさしあたって成立していないか、または成立することが困難である。これは特異なケースではない。
われわれは誰でも子供として生まれ、親から言語を習得してきている。その結果として、規則を共有するのである。また、われわれは他者との対話において、いつもどこかで通じ合わない領域をもつはずである。その場合、コミュニケーションは、相互に教えるというかたちをとるだろう。もし共通の規則があるとしたら、それは「教える-学ぶ」関係のあとにしかない。したがって、「教える-学ぶ」という非対称的な関係が、コミュニケーションの基礎的事態である。これはけっしてアブノーマルではない。ノーマル(規範的)なケース、すなわち同一の規則をもつような対話の方が例外的なのである。ウィトゲンシュタインが「他者」を導入したということは、非対称的な関係を導入したということである。

★ ウィトゲンシュタインは私的言語あるいは独我論に対して、社会的な言語の先行性を主張したといわれる。だが、そのようにいうことは、彼の「懐疑」をほとんど無効にしてしまうだろう。彼が否定したのは、「証明」というかたちをとる共同主観性あるいは対話それ自体の独我論性なのだ。私は、ここで、独我論とは、自分一人しかいないという思考ではなく、自分にあてはまることが万人にあてはまるという考えのことであるといおう。なぜなら、後者においては、結局他者は自己の中に内面化されてしまうのだから。同時に、私は、対話とは、規則を共有しない他者との対話、あるいは非対称的な関係にとどまるような対話であると定義したい。そして、他者とはそのような者である、と。

★ しかし、「教える」ことは存在する。先にいったように、ソクラテスとの対話によって幾何学の定理を証明してしまう少年は、「すでに」規則を教えられていたのだ。他方では、プラトンがいうように「教える」ことは存在しない。なぜなら、教える者は規則を明示できないから。規則を教える-学ぶということには、それ以上「合理的に」解明できないような何かがある。プラトンは、このパラドックスを「想起」説によって解決しようとした。それが神話であることは彼自身がよく知っていたのである。この「想起説」は、各人に根本的に同一的なものがあるという考えである。カントがア・プリオリな形式やカテゴリーいうとき、それは「想起」の言い換えのように見える。だが、彼が数学をア・プリオリな綜合的判断と見なしたのは、数学を分析的判断、つまり有無をいわさぬ「証明」として見る見方そのものを批判するためである。綜合的判断とは、その間に亀裂の生じている感性と悟性を綜合することである。だが、この亀裂をもたらしているのは、むしろ「他者」の存在であり、言い換えれば複数のシステムの存在である。カントが「物自体」として語ろうとしたのは、そのことである。

<柄谷行人:『トランスクリティーク-カントとマルクス-』(岩波書店・定本柄谷行人集3 2004)>





多声;ポリフォニー

2010-03-24 15:36:33 | 日記


★ カウスによればドストエフスキーの世界は、資本主義の精神の純粋で完璧な表現である。
(……)
生の原子の一つ一つの中で、資本主義世界および資本主義的意識の、矛盾を含んだ単一性の原理が振動しており、何ものも孤立の内に安らぐことを許さず、同時に何事も解決しないのである。この形成途上の世界の精神こそが、ドストエフスキーの創作の中にきわめて完全な表現を見出したのだ。

★ かりにポリフォニー小説の構築を可能ならしめている芸術外の原因や要因を問題とするとしても、主観的な要因は、それがいかに深刻なものであれ、検討の対象とするにはもっともふさわしくないものである。もしドストエフスキーにとって多次元性や矛盾性が単なる個人の生活の事実として、すなわち自分のであれ他人のであれ精神の多次元性や矛盾性として与えられ、解釈されていたのだとしたら、ドストエフスキーはロマン主義者であって、実際にヘーゲル的な考えに見合った人間精神の矛盾した形成に関するモノローグ的小説を書いたことであろう。しかし実際は、ドストエフスキーが多次元性や矛盾性を発見し、理解することができたのは、精神においてではなく、客観的で社会的な世界においてなのである。この社会的な世界においては、複数のレベルとはそれぞれ何らかの段階を示すのではなく、対立し合う複数の人間集団を示すのであり、それぞれの間の矛盾した関係とは、人格がたどる上昇・下降の道程ではなく、社会の状況を表しているのである。つまり社会的現実の多次元性と矛盾性が、時代の客観的な事実として提示されているのだ。

★ 時代そのものがポリフォニー小説を可能にしたのである。ドストエフスキー個人も、自らの時代の矛盾をはらんだ多元的世界に、主観的に関与していた。彼は次々と所属集団を変えていったが、その意味で一つの客観的社会生活の中に併存する複数のレベルとは、彼個人にとってみればその人生の道程の、そしてその精神の成長の各段階ではあった。こうした個人的経験の意味は深いが、しかしドストエフスキーは自らの創作において、個人的経験に直接的・モノローグ的な表現を与えたわけではない。そのような経験は彼が矛盾の認識を深めることを助けただけに過ぎない。その矛盾とは単一の意識の中における様々なイデエの間にではなく、人間同士の間に強度に展開された形で同時存在している諸矛盾であった。結局時代の客観的な諸矛盾は、ドストエフスキーの精神史における個人的体験の平面においてではなく、同時的に共存する諸力間の矛盾葛藤に対する客観的なヴィジョン(確かにそれは個人的経験によって深められたヴィジョンであるが)の平面において、彼の創作を規定したのである。

<バフチン:『ドストエフスキーの詩学』(ちくま学芸文庫1995)>





漱石と柄谷行人

2010-03-24 12:41:37 | 日記


たぶん現在では、柄谷行人より内田樹の方が有名である(笑)

もちろん、誰が有名であるかは、重要ではない。
重要なのは、そのひとが何を言ったか(その人が著述家なら“なにを書いたか”)のみである。

だから、<戦後60年>を考えるとき、誰を読もうか?とずっと考えている。
もちろんその60年を、同時進行的に生きてきたぼくにとっては、その時々に読んだ人がいた。

しかし読んでない人、読んだことがあっても読んでない“そのひと”の本もあるのである。

読んだことがないひとを、読んでみるという試みも必要である。
だが、読んだことがあるひとが、結局、どういう人だったかを、あらためて考えてみることへの欲求が生まれることもある。

ぼくにとって、そういう書き手、とりあえず日本の書き手は、大江健三郎-柄谷行人-中上健次である。
また、大江より上の世代、戦争体験を持つひととしての大岡昇平。
さらに、ぼくより下の世代として、大澤真幸と立岩真也。


柄谷行人は、“漱石論”でデビューした。
1969年5月「<意識>と<自然>-漱石試論」が、第12回群像新人賞<評論部門>の受賞作として『群像』6月号に掲載、柄谷28歳。

この「意識と自然」を現在、平凡社ライブラリー版『増補 漱石論集成』(2001)の最初で読むことができる(全面改稿とある)

この最初のほうに夏目漱石の「断片」(明治38-39年)引用がある;

★ 2個の者がsame spaceヲoccupyスル訳には行かぬ。甲が乙を追い払うか、乙が甲をはき除ける2法あるのみぢや。甲でも乙でも構はぬ強い方が勝つのぢや。理も非も入らぬ。えらい方が勝つのぢや。上品も下品も入らぬ図々敷方が勝つのぢや。賢も不肖も入らぬ。人を馬鹿にする方が勝つのぢや。礼も無礼も入らぬ。鉄面皮なのが勝つのじや。人情も冷酷もない動かぬのが勝つのぢや。文明の道具は皆己を節する器械ぢや。自らを抑える道具ぢや、我を縮める工夫ぢや。人を傷つけぬ為め自己の体に油を塗りつける[の]ぢや。凡て消極的ぢや。此文明的な消極な道によつては人に勝てる訳はない。― 夫だから善人は必ず負ける。君子は必ず負ける。醜を忌み悪を避ける者は必ず負ける。礼儀作法、人倫五常を重んずるものは必ず負ける。勝つと勝たぬとは善悪の問題ではない ―powerデある ―willである。


こういう<断片>を漱石が、どういう状況で書いたのかはわからないが、これは要するに<リアリズム>(柄谷は“これはほぼホッブスの「自然」概念に近い”と書いている)である。

もちろん、この“リアルな認識”が、その時の漱石にとって“どういうもの”であり、その認識によって、漱石がどう生きて書いたかが問題である。
こういう認識を断片にせよ“わざわざ書く”とき、そこには<くやしさ>があったはずである。

しかし、この“くやしさ”の認識を持ったものが、<その後>どう生きて書くかが、それこそが<書く>ことなのである。

またそういう漱石の認識から“はじめた”柄谷行人というのは、たしかにぼくのようにボンクラではなかった。

すなわち、上記のような<漱石の認識>がほんとうにリアルになったのは、ぼくにとっては、近年のことである。

これは、ぼく個人の“資質や育ち”でもあろうが、“戦後民主主義”もこの事態に関与している。

すなわち、<リアル>を誤魔化すことに関与した。





*写真はフェリーニ「アマルコルド」

 夏目漱石にも柄谷行人にも関係ありません。





灰とダイヤモンド

2010-03-22 19:43:43 | 日記


ぼくの3連休も終わりである。

今日は、Amazonから本が届く。
このミハイル・バフチン『小説の言葉』の(まず例によって)訳者解説を読んでいたら、突如、ドストエフスキー『罪と罰』が読みたくなって、納戸をかきまわすことになった。

そうしたら、『罪と罰』新潮文庫版は見つかったが、“さらに”気になる文庫が出てきた;
☆ アンジェイェフスキ:『灰とダイヤモンド』上(岩波文庫)
☆ 堀田善衛:『ゴヤ』Ⅱ~Ⅳ(朝日文庫)
☆ ジョン・トーランド:『アドルフ・ヒトラー』1~4(集英社文庫)!

『灰とダイヤモンド』は、もちろん“あの”映画が好きなのである。
それでこの翻訳が出たとき上巻を買ったのに、ろくに読まず、下巻は買ってない。
最近、書店で見かけないと思ったら、あんのじょう“品切れ”である(検索した)
堀田善衛『ゴヤ』はなぜか、“Ⅰ”が欠けている(買ったとき、“Ⅰ”がなかったのだ)
さっそくマーケット・プレイスに、この“ダイヤモンド下”と“ゴヤⅠ”の古本を注文。


それで<引用>である;

★松明(たいまつ)のごと、なれの身より火花の飛び散るとき
なれ知らずや、わが身をこがしつつ自由の身となれるを
もてるものは失わるべきさだめにあるを
残るはただ灰と、あらしのごと深淵に落ちゆく混迷のみなるを
永遠の勝利のあかつきに、灰の底ふかく
さんぜんたるダイヤモンドの残らんことを
<アンジェイェフスキ:『灰とダイヤモンド』の最初に引用されているノルヴィト作『舞台裏にて』>


★ 文体論は多くの場合、室内工芸的技術の文体論として立ち現れ、工房の外、広場や街、村や町、社会集団や諸世代諸時代の空間で営まれている言葉の社会生活を無視している。
<バフチン:『小説の言葉』序>

★ バフチンが指摘するように、小説における描写の対象は物ではなく、もっぱら言葉であり、言葉はたとえ描写されようとも、それが言葉である限り、常に主体としての弾力性を保ち、主体としての抵抗を示す。言葉は常に「声」を持つのであり、そこに必然的に描き出す言葉と描き出される言葉の、対話的な関係が生ずるのである。こうして小説の言語論は他者の言葉の伝達、描写の問題、引用、話法の問題を避けてとおることはできなくなる。それは小説の言語を作者自身の言語に一致するものと捉えるモノローグ的な視点に立つ限り、言葉の対話的関係としては見えてこない現象であったろう。
<バフチン:『小説の言葉』―訳者(伊東一郎)解説>


★ 《フム……そうだ……すべては人間の手の中にあるのだ、それをみすみす逃がしてしまうのは、ひとえに臆病のせいなのだ……これはもうわかりきったことだ……ところで、人間がもっともおそれているのは何だろう?彼らがもっともおそれているのは、新しい一歩、新しい自分の言葉だ。だからおれはしゃべるだけで、何もしないのだ。いや、もしかしたら、何もしないから、しゃべってばかりいるのかもしれぬ。……》
<ドストエフスキー:『罪と罰』>




いま“政局”について何を言うのか

2010-03-22 13:51:06 | 日記


まあこのぼくのブログをDoblog以来読んでくださっている方が、何人いるか存じません。

そういうひとがいると仮定して、ぼくのブログが繰返しが多い(爆)にも“かかわらず”変わってきたことを感じてくださる<ひと>がひとりでもいてほしいと思う。

その(わかりやすい)ひとつの例は、その時々の“政局”に対する発言が減ったことだ。
具体的には、ぼくはDoblogの時の、ある選挙の朝に、“投票に行こう”と呼びかけた(たぶん2度)

ぼくは“そういうこと”をしないことにした。

“世慣れた読者”(がいるとして)は、ぼくの“そういう変化”が、民主党政権とかで、ぼくの<立場>が、不明瞭になっているからだと思うかもしれない。

しかし、そんなことはまったくない。
ぼくは民主党政権などに、なんの幻想ももったことはないし、現在日本のいかなる政党も支持していない。
というか、日本で“政治”が機能しているとは、まったく考えられない。

しかしこのことは、ぼくに“政治とはなにか?”という本質的問題を提起した。
“デモクラシーとは何か?”
“国民主権”とは何か?
“議会制民主主義”とは何か?
“多数決”とは何か?
“政党政治”とは何か?
“人権”とは何か?
“平等”とは何か?
“所有”とは何か?
“戦争”とは何か?
“防衛”とは何か?
“暴力”とは何か?
“死刑”とは何か?
“法”とは何か?
“憲法”とは何か?
“国家”とは何か?
“ナショナリズム”とは何か?
“社会”とは何か?
“会社”とは何か?
“経済”とは何か?
“社会的地位(肩書き)”とは何か?
“家族あるいは家系”とは何か?
“個人”とは何か?
“セックス”とは何か?
etc.


まあ、きわめて“当たり前の”問いである。

しかし、そういう問いに対して、テレビや大新聞や有名ブログ(ネット言説)は、ぼくの目配りが不充分であるせいか(謙遜)、何も応えてくれない。

どーでもいいことを、日々、べちゃくっているだけである。

ひさしぶりに(笑)“天木直人ブログ”を引用する(“鳩山首相への訣別宣言”);

《これを読んだ読者の中から声が聞こえてきそうだ。
まだ半年しかたっていないではないか、大目に見てやれ、と。
 自民党に戻る事だけは許せない。民主党に代わる政党がないではないか、と。
とんでもない。
半年たって何も出来なければ何年たっても出来ないということだ。
自民党に戻る事などありえない。自民党の復活よりも警戒すべきは保守政党、政治家たちの政界再編だ。
 一億総保守化である。 社民党は党是よりも権力のうまみを優先させてその役割を終えた。
日本共産党は、組織の存続を最優先にして国民からますます愛想をつかされつつある。
代わる政党がなければ、私のように既存の政治を全否定すればいいのだ。
政治家や官僚の数を減らし、彼らが食いものにする税金を取り戻せばいいだけの話だ。
政治家や官僚などいなくてもこの国は国民がいるかぎり存続する。
立派に動いていく。
国民はもっと自分に自信を持つべきだ。
政治家や官僚に卑屈になる必要はまったくない。
良くも悪くも主役は国民である、という意識を持つべきだ。》
(引用)


ぼくは前にも書いたが、天木直人というひと(もちろんこのひとを、ぼくは、このブログでしか知らないが)、けっして嫌いではない。
“しかし”(笑)、このひとは今どき、何を言っているのか。

なぜ今頃、“鳩山首相への訣別宣言”などと言っているのか!

ほんとうに、ワカラナイ。

《半年たって何も出来なければ何年たっても出来ないということだ》
というのは、その通りである。
しかし、民主党政権が“なにもできない”ことは、民主党政権ができる前から分かっていたことである。

上記を引用したのは、そういうことを(ぼくが)言いたいがためではない。

問題は、<一億総保守化>である。

しかし天木氏の言う<一億層保守化>は、<政党>のことを言っている。
社民党や共産党が、“保守政党である”ことも、とっくに分かっていたことである。

《代わる政党がなければ、私のように既存の政治を全否定すればいいのだ》

!!!

すくなくともぼくは、とっくに“既存の政治を全否定”している。
天木氏のこの文はまちがっているのではないのか。
天木氏の立場は、“既成の<政治>を全否定”するのではなく、“既成の<政党>を全否定している”と書くべきではないのか。

《政治家や官僚の数を減らし、彼らが食いものにする税金を取り戻せばいい》
というのには、賛成である(笑)

さて問題は、その後である;

《政治家や官僚などいなくてもこの国は国民がいるかぎり存続する。
立派に動いていく。
国民はもっと自分に自信を持つべきだ。
政治家や官僚に卑屈になる必要はまったくない。
良くも悪くも主役は国民である、という意識を持つべきだ。》
(引用)


たしかに<国民>は、<卑屈>になるべきでないし、“主役である意識”を持つべきだ。

しかしそれは“現在ある国民”では無理である。

<国民>というのは、自然性において(もともと)存在しているのでは、ない。

どうやって“卑屈でない国民”に、<成る>のか?

これがぼくの<疑問>である。

もちろんぼくも<人民>のひとりとして、この問題の解答を天木氏に求めるのでは、ない。

人民=peopleのひとりとして、人民とともに、考えていきたい。





*写真は“atom(atomic)bomb”

どうも最近、“核密約”とか“非核3原則”というような言葉(抽象語)が飛び交っているわりに、<核>について具体的な感性をお持ちでない方々や、そういうことを“忘れた”方々が多いようなので、念のため。





Snapshot;意見を言う=書く

2010-03-22 11:50:19 | 日記


☆ なんにせよ、“意見を言う=書く”というのは、<情報>の<認識>によっている(かかっている)

☆ このとき、<情報>が、すでに、“いいかげん”なら、ぼくらはなにを<認識>し、<意見>を言う(書く)のか?

☆ 当然、いま、たとえば、“政局”について発言するなら、その政局についての<情報>を、ぼくたちは自ら“取材”してきたのではない。
これら情報は、“メディア”による、“非直接(間接)”情報のみである。
もし“取材”したひとが、自ら言う場合も、彼らも“すべてを”直接取材できるわけではないので、ぼくがここで述べていることは成り立つ。

☆ 次に、“情報を認識する”という場合の、<認識>ということも、当然、問題である。

☆ あることを、直接目撃したとしても、まったく客観的で公正な、<認識>などというものは、ありえないのである。

☆ つまりある<事件(事実)>というのは、客観的・公正に認識すれば、<ひとつ>であるなどということは、ありえないではないか。

☆ すなわち、<ひとつの事実>として、<背景(状況・歴史)>から切り出せる、<事実>などというものは存在しない。
すべての事実=事態は、錯綜しているのだ。

☆ むしろぼくたちが“信じ込まされる事実”というのは、いつもある先入見によって、単純化された<事実=言説>である。
この<単純化>(切捨て)を行う操作を<イデオロギー>と呼んでも、<常識(惰性態)>と呼んでもよい。

☆ もし事実を、“ありのままに見る”ことを望むなら、そういうことの<不可能性>について意識的であって、しかも、<認識>を放棄しない、思考の運動が求められる。

☆ ただ自分の目が見、手が触れたものを、信じていればよいのではないはずである。
ただ自分の脳内に点滅する信号(意識!)を、信じていればよいのではないはずである。

☆ だから、異なった<他者>の、ことなった<言説>を聞く必要がある。

☆ 実際に“会って聞く”ことができないなら、<本>を読む。



<当面の目標図書>

★テリー・イーグルトン:『イデオロギーとは何か』(平凡社ライブラリー1999)
★大岡昇平;『レイテ戦記』(中公文庫1974)
★ 内田隆三:『国土論』(筑摩書房2002)
★ ザフランスキー:『ニーチェ その思考の伝記』(法政大学出版局・叢書ウニベルシタス2001)




*写真は、ナンニ・モレッティ「エイプリル」




Nobody knows my name

2010-03-21 14:40:06 | 日記


さて下記ブログに取り上げた鬼界彰夫『ウィゲンシュタインはこう考えた-哲学的思考の全軌跡1912-1951』(講談社新書2003)からさらに引用しよう。

テーマは、<名を知る>である;

★ 子供はまず自分の名前を呼ばれることに対する適切な反応を習得し、ついで様々な人物や対象に対して名を呼びかけることを習得する。これが名の運用能力の習得である。こうした能力しか持っていない段階で、子供に音声信号への適切な反応の体系以上のものを積極的に認める理由は何もない。簡単に言えば、この段階で子供と犬の間に決定的な違いを認めることはできないのである。

★ では一体いつ、ある存在が単に音声に反応しているだけでなく、名を知っているのだ、と言えるようになるのだろうか。それはその存在が、単に名を使うだけでなく、人や物には名があるのだということを知るに至ったときである。そしてそれは、この存在が「名」という概念を持つようになるときである。そして「名」という概念を持つとは、単に様々な名を使うばかりでなく、「名」という言葉を用いて「あの子の名はルーだ」等と名に言及できることである。そしてこうした名の概念の存在を決定的に示すのが「“私は”あの子の名を知っている」のような自らの名の知識を表明する言明なのである。子供がこのように単に知を持つのみならず、自らの知を言葉を用いて表明するとき、人はそれを反応の体系とはもはや呼ばない。自己の知を言葉で表明する子供は、自らが言うとおり名を知っているのである。

★ このような自らの知を言葉によって表明しうる知を“反省知”と呼ぼう。それに対して語の運用能力のような単なる使用能力を“前反省知”と呼ぼう。名前の知は反省知でなければならない。反省知として名を知るもののみが、本当に名を知っているのである。言語の知は名前の知を前提とするから、全く同じことが言語についても言える。すなわち、言語の知は本質的に反省知であり、言語を知り、しかも自分が言語を知っていると言葉で表明できる者のみが本当の意味で言語を知っているのである。

★ 言語の根源である「私は知っている」という知の言明は、同時に「私」の根源でもある。というのも、この言明をなしうるために子供は「私」と「知る」を自由に使い、「私」と「知る」という概念を持たなければならないのであるが、これまでそれができなかったがために子供は前反省的な名前知しか持っていなかったのである。言いかえるなら「私は知っている」というという言明においてはじめて子供は「私」という概念を持ち、「私」を生き、「私」として存在するのである。それによって子供は言語を知る存在としての自分にはじめて言及するのであり、言語を知る存在としての「私」という概念を持つ。本当の意味での「私」の言語ゲームを行うのである。

★ 人間的な意味で何物かの概念を持つとは、それの名の使用に習熟するのみならず、それについてそれとして語りうることなのである。それまで前反省的な言語運用能力しか持たなかった存在がはじめて「私は知っている」という知の言明を行うとき、その言明において言語と「私」が同時に生まれる。「私は知っている」という知の言明は、言語と「私」の等根源なのである。


(このウィゲンシュタイン最後の思考は、“さらに”展開する)

そして、
★ それゆえ他人に譲ることのできない言葉を持たない「私」は、いかに自分が他者から独立した存在であると言おうとも、それが存在すること(「私」で在りつづけること)と存在しないこと(「私」で在るのをやめること)の間に何の違いもないがために、「私」としては存在しない。「私」で在るとは、自分が譲れない言葉を持つということをあらゆる他者に向かって言明することである。「私」とは絶対的「私」であることによってのみ存在しうるのである。

★ この譲れない言葉を「私」の魂と呼ぶことができるだろう。「私」の魂とは私的論理に内容を与える言葉である。超越言明、あるいはムーア言明とは、自分に魂が有ることの宣言である。私的論理の宣言である。ムーアの言明においてウィゲンシュタインを深く動かしたもの、それはムーアによるこうした魂の宣言であったのだと考えられる。

★ 人は魂を持つことによってのみ語る存在となることができる。



*写真はタルコフスキー「ストーカー」