Don't Let Me Down

日々の雑感、引用。
言葉とイメージと音から喚起されるもの。

長い夏休み;“サッド・ヴァケイション”

2010-02-28 16:37:16 | 日記


青山真治『サッド・ヴァケイション』読了。

これで、昨日書いた『EUREKA(ユリイカ)』にはじまる“3部作”を読み終えることができた。

ぼくは小説以外の本を、読んだり、読み終わったとき、呆然とすることは、あまりない。

だが“小説”の場合は、そういうことが多い。
“呆然とする”というのは、“感動した”ということとは、ちがう。

ある意味では、“割り切れなさ”という感じである。

この小説を読んでいるとき、なぜかドストエフスキーという名前が頭に点滅した、それから村上春樹が。
それは、この小説が、“ドストエフスキー的である”とか“春樹的”であるわけでは、ない。
そういうことをいうなら、この小説は“中上健次的である”というより、はっきりと“中上健次に依拠”している。

だいいいち、主人公の名が<健次>である(笑)

実は昨日、この青山真治3部作についてブログを書くとき、(ぼくにはめずらしく)この3部作の登場人物の“相関図”をメモ書きしてみた。

ほんとうは、青山真治の<映画>と<小説>の関係について考えなければならないが、ぼくは映画は「EUREKA」しか見ていない。
青山氏の“映画デビュー”は、1996年の「Helpless」である、“そのあとで”映画「EUREKA」(2000)を撮っている。

しかし<小説>は、映画の後に、「EUREKA」は2000年に、「Helpless」は2002年に書かれている。
この“順番”も興味深い。
なぜ青山真治は、映画の“あとに”小説を書く“必要”があったのだろうか?
しかしこれは映画を見ないと、考えられない。<注>

ここでは、小説を手がかりに考えている。
すなわち、青山氏の“最初のモチーフ”は、<Helpless>だったということ。
この短篇の主人公は、<秋彦>と<健次>である。
またここでの事件は、“ドライブイン殺傷事件”である。

<Helpless>の次ぎの<EUREKA>に登場するのは、<秋彦>のみであり、ここでの主役は、“バスジャック事件”に巻き込まれた<沢井>と<直樹&梢>の兄妹である。

さらに3作目の<サッド・ヴァケイション>の主役は<健次>であり、さらに最初と最後に<秋彦>があらわれる。
そして、<梢>がいて、3作を貫徹する人物としての<ユリ>がいる。

『サッド・ヴァケイション』は、“家族の血の絆”の否定性を描いた小説であろうか?
それを体現するのは、“健次を捨てた母(千代子)”である(だろうか?)

ここにおいて、中上健次3部作における<父殺し>(その代行としての“タネのちがう”弟殺し)は、<母殺し>へと反転したのだろうか。
もちろん、<母殺し>は失敗するのである(笑)

ならば、この青山真治3部作における“肯定的人物”とは誰か?

いちおう、沢井(『EUREKA』バス運転手)-間宮(『サッド・ヴァケイション』における健次を捨てた母の再婚相手であり、社会のはぐれものを雇用する間宮運送社長)である。

『サッド・ヴァケイション』のラスト近くにおいての、秋彦の問いに答える間宮の言葉は、ひとつの回答を示している。

秋彦は思う;
★間宮の考えは首尾一貫していた。少なくとも間宮に神などない。正義などない。それがわかって秋彦はなにかちがうもの、生きていく上で必要な、新しい何かを見つけたように思えた。
★秋彦はじっとしていられないような興奮を覚えた。そして、それがよいことだと断じるのではなく、いまそれをすべて受け容れる必要がある、と悟った。いま受け容れなければ、もうこのような考えに出会うことは二度とないだろう。
(引用)


だがしかし、『サッド・ヴァケイション』のラストは、なにを意味するのか。
最後にあらわれるのは、間宮運送の“過去を持つ男のひとり”を奪いに来た“ヤクザたち”とその男を護る間宮社長とその“風采の上らない”従業員たちの<あいだ>をただよう、“ユリが吹いた”シャボン玉である。

<ユリ>は痴呆の少女である。

<千代子>(健次を捨てた母)にとって、<男>は、“ホント、男の人らは好きにしたらええのよ、こっちは痛くも痒くもない。子供がおるけんね》である。
またその<人生観>は、“ひとり減ればひとり増える、ようできとるねえ”である。(笑)

<男たち>は、気づかない。

千代子という<母>の女の原理に気づかないだけではない。
この<シャボン玉>にも、気づかない(と、青山真治は書いている)

中上健次3部作の第2部(『枯木灘』)で刑務所に入った<秋幸>は、第3部『地の果て至上の時』の巻頭で、出所し、<路地>に帰ってくる。

青山真治における<健次>が帰ってくる小説は書かれるであろうか、<秋彦>との再会と、ユリや梢(や直樹)の運命の展開は、ありえるのだろうか?






<注>

そもそもぼくは、青山真治の<映画>を評価できる(肯定評価できる)か否かもわからないということである。

Amazonで見ると、出たばかりの青山氏の『シネマ21 青山真治映画論+α集成2001-2010』の紹介文にはこうある;

《ゴダール、イーストウッド、スピルバーグ--21世紀の映画は、ここから始まらなければならない。3人の映画作家が織りなす三つ巴の関係によって刻印されたシネマの10年=新たな映画史を一望する、映画論+書評&エッセイ集。蓮實重彦氏絶賛!》

ぼくはこの本を読んでないのでわからないが、この紹介文通りだとすると、青山氏の“映画の趣味”は、ぼくとはまったく異なっていることになる。
すなわち、ぼくは“イーストウッド、スピルバーグ”をまったく認めないからである(笑)

もっと大きな問題であるが、ぼくにとっては<映画>と<小説>(の趣味)は、まったく異なっている。





高見の見物

2010-02-28 10:45:13 | 日記


引用A;
◆週末に「読売福祉文化賞」の贈賞式に立ち会った。受賞者は横浜市で路上生活者を支援している「NPO法人・さなぎ達」、習慣の違いや偏見に悩む在日外国人の生活相談にあたる「京都YWCA・APT」、福岡市を拠点に年50回ものコンサートを開く知的障害者のプロ楽団を旗揚げした「JOY倶楽部プラザ」の3団体◆活動の詳細は23日朝刊に紹介されている。福祉に携わる人たちの並大抵でない苦労には頭が下がるばかりだが、同時に、幸いを分かち合っているという充実感も見えてうらやましい◆心の酒樽を熟成させている人たちを、ささやかな賞で応援できる機会を得たというのもまた、幸せなことである(読売編集手帳)


引用B;
▼ 本紙俳壇の選者金子兜太(とうた)さん(90)が毎日芸術賞の特別賞を受けた。贈呈式の挨拶(あいさつ)で「講評にある句〈男根は落鮎(おちあゆ)のごと垂れにけり〉は自分のことを書いたのであります」。「私のにはまだ落ち鮎程度の実体感がある、と。そのことを申し添えたい」に会場は大笑いとなった。九十翁の悠々たる貫禄(かんろく)である▼その金子さんが先ごろの本紙俳壇で選んだ一席に、足立威宏さんの〈里芋といふ極上の土食らふ〉。生かされてある実感は尊い。芋ばかりでなく人も味わいを増す(天声人語)


引用した上記二つの文章は、ちがうことを書いている。

しかし、“ちがうことを言っている”だろうか?

ある文章には、その文章が伝えている<意味>がある。
その<意味>というのは、たんなる<事実>ではない。

たしかに<ある事実>は、述べられているが、<どの事実>を選び、<その事実>をどのような順番で並べ、どのような<結論>に導くかによって、その文章の<主体>は現れる。

すなわち、事実の選択をまちがい、事実を記述する順番をまちがう(あるいは飛躍する)ことは、ただしい結論を導かず、ゆえに、その文章には<主体>がない。

<例1> はたんなる“宣伝文”ではないのだろうか?

《福祉に携わる人たちの並大抵でない苦労には頭が下がるばかりだが、同時に、幸いを分かち合っているという充実感も見えてうらやましい》

というのが、読売新聞の立場(主体)なのだろうか?
読売新聞は“うらやましい”ひとに、賞をあげて“罪滅ぼし”をするのだろうか。
《ささやかな賞》で(ご謙遜を!;笑)

“うらやましいひとに、”ささやかな賞“を与えることが、<しあわせ>であるような<主体>は、信頼できるであろうか!

むしろこのような<態度>(思想)は、無責任ではないのだろうか(主体がないのではないか)


<例2> は、どうであろうか?(笑)

これも“本誌俳壇”の宣伝文ではないのだろうか。

《九十翁の悠々たる貫禄(かんろく)》で、“大笑いする会場”とは何か?

《落鮎のように垂れた男根》 とは何か?

どうしてそこから“里芋”の話しになり、《生かされてある実感は尊い。芋ばかりでなく人も味わいを増す》という<結論>が導きだされるのか。

この<論理展開>は、“ロジカル”であろうか?

たしかにぼくも、《落鮎のように垂れた男根》という“表現”は好きである。

しかしその<表現(表出)>は、《生かされてある実感は尊い。芋ばかりでなく人も味わいを増す》というような結論を、導かない。

導かない。

むしろここで、《落鮎のように垂れた男根》という表出にインパクトがあるのは、そのことばの前で立ち止まることが“できる”からである。

“立ち止まる”というのは、<そこで>自分の情念が動き、だからこそ<そこで>考え始めることが<できる>からである。

つまり<自分の男根>について考えることを、触発されるからである。

ぼくは、“言葉の使用”について、考えている。

すなわち、ぼくらが、言葉を使用すること、言葉を組み合わせて“文章”を出現させること、そのものを。

すなわち“聞くこと-読むこと(他人の言葉)”と“自ら言葉を発すること(しゃべること、書くこと)”の<関係>をである。

ここにおいて、私はいかに私であるのか、と、その私はいかに他者と関係<できるか>が、つねに問われる。

そうでなければ(そう問い続けなければ)、<私>はない。

ただ、“見物するひと”と“見物されるひとが”、<群集>としているだけである。

“見物するひと”と“見物されるひと”が、入れ替わることがあるにせよ。





“EUREKA/2000”―“Helpless/2003”-“Sad Vacation/2006”

2010-02-27 14:25:52 | 日記


タイトルに掲げた青山真治の3冊(ここでは映画ではなく“小説”について述べるが)は、<関係している>。

すなわち、ぼくは最初の2冊を読了し、現在『Sad Vacation』に取り掛かったが、まさにこの<関連>によって、最初の2冊の世界が変容することを体験するのだ。

すでに『Helpless』を読むことによって、『EUREKA』の世界は、まったくちがった姿を見せていたのだ。

こういうことは、青山真治の作品だけに限らないだろうが、やはり、これらの小説が、“いま、ここで(日本の作家によって)書かれたことは、刺激的である。
(『Sad Vacation』を読み終わらないとわからないが、この連作はまだ増殖する可能性がある)

『Helpless』に収められた三つの中・短篇自体が“秋彦”をめぐる連作であったが、その真ん中にある“わがとうそう”から引用する;

★ 終点の河口湖駅には肌寒い風が吹いていたが、空は底抜けに青く晴れ渡っていた。改札を出ると、急に頭がくらくらして、立っていられなくなり、待合室のベンチに座り込んだ。埃っぽい駅前ロータリーにまだ低い陽光が射して、そこだけくっきり輝いているのが寝不足の目に痛かった。観光バスが入って来て、またみすぼらしい砂塵を舞い上げた。立ち上がって待合室を出た。見まわすと、左手奥にプレハブのバスの切符売場があった。中に入り、時刻表を見ると西湖へ向かう路線バスの出発は1時間半もあとだったが、理由もなく拘ってここまで来た「西」という字がそこにあるのが気になって、バスが来るまで眠って、それから乗ればよい、と考え、西湖行きの切符を買い求めた。もっと西へ。見知らぬ場所へ。

★ 穏やかに射す陽光がその樹木の下に濃い影を落とすなか、湖畔までまっすぐ歩いた。左側に古びたキャンピングカーを置いただけのバンガローやバンガロー代わりの払い下げの廃バスなどが整然と並んでいるが、人の気配というものが一切なく、まるで死者たちのための場所のように静まり返っていた。すぐ湖畔に辿り着き、そこに立って湖の全体を眺め渡した。

★ だが秋彦が探したのは、目を奪われるそんな美しい景色とは別のものだった。動くものは風の吹くたびにささくれ立つ湖水と、やはり風に煽られて靡く木の葉ばかりだった。目を閉じた。生命の気配を感じさせない、死そのもののような、それでいてすべてがはっきりとした輪郭に収まって鮮明に頭に思い描ける巨大な自然に包まれながら、闇の中で耳を澄ますが、冷たい風の音以外、他に聞えてくるものはない。すると不意に、今度こそ、自分一人がその中にいるとはっきりわかるように、これまで世界と自分を遮断し続けた距離が消えて、秋彦は世界にぴったりと一致した。疎外も吸収も膨張も収縮もなく、秋彦はいま、世界そのものだった。そこではじめて、この上も下も前も後ろもない闇こそが「自分の生まれ来たところ」だ、と思い至った。これを発見するために、何の縁もない一切の記憶と切れたこの場所に来た、とわかった。

★ 秋彦は涙を流した。夢から醒めてもなお、涙は流れ続けた。何もかもやりたくてやったことではない、と自身に取り繕いながら、ただ声を上げて後悔の涙を流し続けた。あらゆるものに等しく降り注ぐ陽光を湖面が反射し、その光が半開きの瞼をこじ開けるように瞳を刺した。その痛みを受け容れながら、これから先、あらゆる記憶をきれいさっぱり忘れてしまうのではなく、その逆にすべてを記憶してその重みに撓みながら生きていく、と漠然と悟った。

★ 涙が乾ききったのを認めてから、秋彦は立ち上がった。そうして踵を返すと、東京へ帰るために下りてきたスロープを戻り始めた。柳のような樹木は相変わらず穏やかな風にそよぎながら、瑞々しい濃い影を地面に落としていた。その木立の向こうに停まったオートキャンプの車が、点けていたラジオのヴォリュームを上げた。ラジオのアナウンサーが普段とはどこか違う切迫した響きのある声で何かを読みあげているのが、近づくにつれて徐々に鮮明になって秋彦の耳に届いた。声が読んでいるのは、ほとんどが東京都区内の地名と氏名のリストだった。それが終わりのないように続く。東京で何かあった、と秋彦は咄嗟に予感した。何か大変な、飛行機事故かビル火災か地震か、それらに類する何か。リストはその被害者に違いない。立ち止まって聞き入った。ふと恵がその事故だか事件だかに巻き込まれた可能性を考え、読み上げられる住所と名前を残らず聞き逃すまいと、さらに全身を緊張させて耳を澄ませた。
はじめは地面を見つめながら。
次いで顔を上げ、電波の降り注ぐ底抜けの青空を睨みながら。

<青山真治“わがとうそう”―『Helpless』(新潮社2003)>





ああ! “オー・マイ・ゴッド!”

2010-02-27 09:02:15 | 日記


このブログは、“ある話題”をめぐる<引用>のみで構成されます。

これらの引用に、ウンザリする<感性>をおもちの読者は、下にある“ロックンロール・ニガー”ブログをお読みください;


☆得点のアナウンスを聞いた瞬間、金妍児(キム・ヨナ)(韓国)は「オー・マイ・ゴッド!」。隣に座るブライアン・オーサー・コーチに英語で驚きを表し、右手で口を押さえた(アサヒコム)

☆ 身近な国とフェアに競い、学び合う中でアジア全体のレベルが上がり、その結果、世界でのアジアの存在感が増していく。スポーツから学び取るべきことは、実に深い(朝日社説)

☆ 政府は、12年のロンドン五輪でのメダル増に向け、有望競技への支援策に10年度のスポーツ関連予算を手厚く配分している。冬季競技に対しても、こうした国のサポートは欠かせまい(読売社説)

☆ 頂点を目ざしてきた真央さんには悔しさもあろうが、相手が完璧(かんぺき)に演じたのだから仕方がない。試練から逃げず、ライバル物語に花を添えた二人に拍手を送りたい▼タラソワコーチは、真央さんのことを「神様からの贈り物」という。逸材は、日本女性のたおやかさを存分に見せてくれた。鮮烈、良質なドラマを残し、時差17時間の氷上にも春一番が吹き抜けた(天声人語)

☆ ◆思い出した歌がある。〈はたちの日よきライバルを君に得て自ら当てし鞭いたかりき〉。詩人、堀口大学が西条八十の霊前に捧げた一首という。「十九の日」ならば、氷上の二人だろう。自分の演技に納得していない――浅田選手は涙で途切れとぎれに語り、自責の痛い鞭をわが身に当てた。金選手もまた、好敵手の顔を脳裏に浮かべて猛練習を積んだだろうことを思うとき、金銀のメダルはともに両者の美しい共作と言えなくもない◆あなたには、今日の「クライ」を明日の「キス」に変えられる若さがある。時間がある(読売編集手帳)

☆「銅(メダル)を取って狂喜する、こんな馬鹿な国はないよ」。東京都の石原慎太郎知事は25日、バンクーバー五輪の日本選手の活躍に対する国内の反応について、報道陣にこう述べた。
 同日あった東京マラソン(28日開催)の関連式典のあいさつでも同五輪に触れ、「国家という重いものを背負わない人間が速く走れるわけがない、高く跳べるわけない。いい成績を出せるわけがない」と話した(アサヒコム)

☆ 東京都の石原慎太郎知事は26日の定例会見で、苦戦が続く日本選手の戦いぶりついて、「かわいそうで見てられない」などと感想を述べた。会見詳報は以下の通り。
 --バンクーバー五輪での日本選手の戦いぶりについて
 「もうかわいそうで見てられないよ。あれが日本の実力なんだよ」(産経新聞)


(番外;カンケーないかな?)
☆ ロックバンド・X JAPANのYOSHIKIが26日、都内で自身プロデュースのジュエリーブランド『YOSHIKI Jewelry』の新作発表会を開き、今後のX JAPANの活動に言及。「ロスのライブハウスでやろうかなって思ってます」とアメリカでの初ライブハウス公演開催を示唆して、バンドの拠点を「10何年ぶりにアメリカに移動する」と発表した。
  新作ジュエリーは、独創性、激しさと強さ、静寂、美しさといったYOSHIKIから引き出されたイメージを融合したデザインテーマで2008年秋にデビュー。新コレクションは、全国展開に先駆けて3月6日(土)から専用サイトで販売するほか、同日から25日(木)まで東京・新宿マルイワン1Fの特設ブースで展示販売される(オリコン)





”オー・マイ・ゴッド!”と言う人にぼくは言いたい;

キッス・マイ・アス!

《今日の「クライ」を明日の「キス」に変えられる若さがある》―ひとにさ(爆)


今日は休み、つまらないことは忘れて、本を(気持ちのよい言葉を)読もう。

今日は『カント哲学』(ジャン・ラクロワ;文庫クセジュ)かな?(笑)

それとも青山真治『サッド・ヴァケイション』の続きを読むか?





ロックンロール・ニガー

2010-02-26 21:27:34 | 日記


“Jimi Hendrix , Rock’n’roll Nigger
Nigger, nigger,,nigger ,nigger , Rock’n’roll Nigger“

と、パティ・スミスは歌った。

ジミ・ヘンドリクッスとパティを知らないひとには、なんの話かわからない。
だから“知”は必要なのだ(笑)

ジミは純粋な“ニガー”ではない、チェロキー・インディアンの血をひく。
昨日ぼくが“知性がなければロックじゃない”と書いた時、そこに掲げる<写真>で考えた。
たとえば“知的なロッカー”の肖像なら、ボブ・ディランやジョン・レノンやブライアン・ウィルソンやジム・モリソンでもよかった。
ジミ・ヘンドリックスは“知的な”イメージではなかった。

彼の<詞>はこうだ;
《紫の煙がぼくのブレインにたちこめる》
《彼女はフォクシー・レディだ》
《次は火だ》(ギターに火を放つ)

彼のパフォーマンスは、“野蛮”であった。
彼のブルースには、“黒人の悲しみの屈折”が欠如していた(笑)

彼のギター、まさに彼のギターこそ、うねった、叫んだ。
彼の大観衆の前での最後のステージだったと思われるウッドストックにおいて、ヒット曲の演奏(そのなかには、あの星条旗をギターで引き裂く曲もあったが)の最後に彼が弾いたのはインディアンの旋律を彷彿とさせる曲だった。
(ウッドストック映画のエンドタイトルバックに流れ、ジミ・ヘン“ウッドストック”CDの最後で聴ける)

かつてボブ・ディランは、“All along the watchtower”のジミ・ヘンドリックスによるカヴァーを、“自分が表出したかったことを実現した演奏”と絶賛した。
ディランは、“ロック・オブ・ザ・フェイム”選出記念ライヴで、3人のギタリストによる“All along the watchtower”の演奏によって、ジミ・ヘンドリックスに“応えた”(すなわち3対1である、この演奏も素晴しかったが)
マイルス・デイヴィスが、“俺はその気になれば世界最高のロック・バンドを実現してみせる”と豪語したとき、かれが招くべきリード・ギタリストはジミ・ヘンドリックスであった。
ジミの死で、この夢はついえた。

<ロックン・ロール・ニガー>とは何か。

それは“黒人であること”でも“インディアンであること”でも”差別民であること“でもない。
ぼくらは“虐げられた人々”や“差別されるひと”や“ハンディを持ったひと”に同情したり、彼らを“差別しない”のでは、ない。
ぼくたち自身が、“そういうひとの一人”だからである。
それは他人の問題ではなく、自分の問題だからである。

ロックには、さまざまな<叫び>があった。
現在のアメリカ・テレビ・ドラマの“テーマ”として、ロジャー・ダルトリー(ザ・フー)の叫びを聴くことができる、その瞬間のみ、ぼくらは目覚める。
ロバート・プラントは叫んだ。
しかしその叫びは、ジョン・レノンの“well,well,well”の叫びととても異なっていた。

原始時代の人々は、動物のように叫んだだろうか。
その叫びのなかから、音楽や言葉が生まれたのだろうか。
ジミ・ヘンドリックスのギターは叫んでいた。
だが、バッハは叫ばなかっただろうか。
彼は、若い妻への“練習曲”として、あの鍵盤楽器曲を書いたのだろうか。

このメディアによる拡散とグローバル商業主義がすべてを<商品>にするとき、人間を<商品>とするとき、あらゆる亡霊たちの叫び声が、よびかける。

“Jimi Hendrix , Rock’n’roll Nigger
Nigger, nigger,,nigger ,nigger , Rock’n’roll Nigger“


ニーチェが狂気とのたたかいのなかで夢見た<超人>は、“ナチス=純血種”においてではなく、<わたしたち=ロックンロール・ニガー=真理の犬=混血種>において実現する。

ぼくが考える<超人>とは、ミュータント的突然変異種ではなく、<人間の記憶=歴史>を保持したまま“人間を超えるもの”である。

<哲学>と<科学>は、生きるための<道具>であり、ジーンズのように履きつぶせばいい。

<文学(読むこと-書くこと)>は、生きていることの証し=ドキュメントである。

ぼくたちは、すでに、混血種である。


“Jimi Hendrix , Rock’n’roll Nigger
Nigger, nigger,,nigger ,nigger , Rock’n’roll Nigger“





“知性”がなければ、ロックじゃない(笑)

2010-02-25 13:10:36 | 日記


まずおことわりしておくが、ぼくはかねがね“テレビを見ない”と言明している。

これは“地上波テレビは見ない”という意味(すなわちBSとケーブルテレビ・チャンネルは見ることがある;主に映画と海外ドラマ)

さらに例外がある。
① ぼくが見る気がなくとも、“そこに写っている”場合(たとえば仕事の日にランチに行った食堂での“笑っていいとも”)
② 重要なニュースや国会中継があった場合(ごくたまに)
③ BSやケーブルテレビ・チャンネルで見る番組がまったくなく、“おもわず”地上波チャンネルを“見てしまう”場合(笑)


さて昨夜は③のケースで、なんと“NHKテレビ”を見てしまった!
佐野元春というひとが、ゲストを招いて、会場の“大学生?”と質疑応答するシーン。
昨夜のゲストは“ドラゴン・アッシュ”の降谷建志というひと?であった。

なにを隠そう(こういう表現をレトリックという)、ぼくは佐野元春も“ドラゴン・アッシュ”も1曲も聴いたことがない(街を歩いていて“聴こえた”ことがあったかもしれないが、それは“聴いた”ことにはならない)

ぼくが見ている間は、ほとんど降谷建志と会場大学生?の質疑応答であった。

それでぼくは、愕然としたのだ;
①“ドラゴン・アッシュ”の<音楽性>は聴いたことがないので知らないが、降谷建志というひとの“発言”には、ひとかけらの<ロック>もない。
②実は(怠惰なぼくであっても)このブログを書くためにWik.で、“ドラゴン・アッシュ”を検索したのである。
そこには、“ドラゴン・アッシュ”のジャンルとして、“ミクスチャー・ロック”という分類がされていた。
“ミクスチャー・ロック”???とはなんじゃいな?
“ごたまぜロック”?

知ったことではないが、Wik.から引用する;

Dragon Ash(ドラゴン・アッシュ)は、日本のミクスチャーロックバンド。ビクターエンタテインメント内のレーベル、MOB SQUADに所属する。
オルタナティブ、パンクロック、ハードコアパンク、ヒップホップ、エレクトロニカやラテンなど、様々なジャンルの音楽を取り入れたミクスチャー・ロックを構築する。 ヒップホップMCZEEBRAとの共演で日本語ヒップホップをメジャーシーンに知らしめ、2000年以降のJ-POPシーンにおけるラップ・ミュージック、ヒップホップの人気に大きく影響したバンドである。(引用)

《オルタナティブ、パンクロック、ハードコアパンク、ヒップホップ、エレクトロニカやラテンなど、様々なジャンルの音楽を取り入れたミクスチャー・ロックを構築する》
なんじゃこれ(笑)

<ロック>もオヤジがしらん間に、ずいぶんゴタイソーなモンになったのね。

こういう風に“分類を細分化”したことが、<音楽>が複雑になったことを、“意味しない”ワケ。

<ロック>は<ロック>だぜ。

なんかこのNHKの番組では、<歌詞>が問題になってるようなワケ。

すなわち<歌詞>というのは、<詩>であり、なによりも<言葉>でしょうが。
しかし<音楽>における<詩=歌詞>というのは、文字で書かれた<詩>とは、ちがうワケ。

すなわち、それは<声>なワケ。

“だから”、<音楽>について“考えることがあるなら”(レトリック!)、<ロック>とグールドのバッハ演奏(キース・ジャレットの“トリオ”でもよい)の<比較>においてしか、考えられない、ワケ。<注>

つまり《オルタナティブ、パンクロック、ハードコアパンク、ヒップホップ、エレクトロニカやラテン》だけじゃ、ダメなんよ。

<ヒップポップ>の真似して、“日本語で”ヒップポップしててもダメなんよ。


というよーなことを考えるまでもなかった。

この降谷建志というひとの昨夜のNHK番組での“発言”の、“内容”と“言葉”と“話し方”と“表情”と“声”とで、それがわかってしまった。

これは(このひとは)、ロックではない。
もちろん、これは、<音楽>ではない。

会場の“大学生?”の降谷建志への“質問”というのにも、あきれ果てた。
そこには、なんの<質問>もないからである。
つまり彼らには“他者に聞きたいこと”がないのである。
“ミュージシャンとファン”のうるわしき予定調和(ああ愚劣の花園、ニッポン)

それにしても“現在の大学生?”というのは、どうしてこうも知性が欠如していて平気なのか!

知性のないひとには、<ロック>をやることも“鑑賞する”ことも不可能である。

この番組を(あきれて呆然と見ているとき)、寝ていた妻が起きてきたので、自分の神経が正常か否かを判断するために、この番組を妻にも見てもらった。

“妻の感想”もぼくと同じであった(信じられないほど愚劣!)
しかし、このことは、ぼくの感性の正統性を証明しはしない。

すなわち、夫婦揃って(仲良く)気が狂っていることもありうるからである。



この番組の主催者である、佐野元春とは何ものであろうか?

とても”古い”ひとなので、ぼくもその<名>知っているが、いちども”聴きたい”と思ったことがない。

昨夜の番組でも、このひとは、大学教授のように坐っている。

”大学教授のように坐っている”ひとは、<ロック>ではない(笑)

ならば、<POP>であろうか?

いやいや、<音楽>では、ないのである。

願わくは、みなさん、音楽を聴こう!






<注>

不破利晴ブログがブックマークしているので読んだ、“中村の考え”というブログから引用したい。
この中村というひとがどういうひとか知らないし、このブログは最近更新されていない。
だが、このひとがミュージシャンでありジャズ・ピアノを教えているひとであり、<音楽>について考えているひとであることは、ブログを読めばわかる。

なによりも以下の引用部分を読めば;

《曲を知る、ということはどういうことなのか???
曲のコード進行を覚えることなのか???メロディーを覚えることなのか???
歌詞を覚えることなのか??
勿論それら全て、曲を知る、ことの一つだ。
だが、本当にそれで知ったことになるのか??
コード進行など、楽曲の本質ではなく、表面の一部分であり、場合によっては音楽を奏でる上において何の意味も持たない場合も数多い。
少なくとも、僕のトリオに、コードを覚えているだけでは参加することは出来ない。
キースジャレットのトリオにおいては、メンバーみんな「知っている」曲を演奏しているのだが、ゲーリーピーコックとキースジャレットは「しばしば」全く違うコードを弾いている。
知るということと、覚える、ということは少し違うのだ。》
(以上引用)


《キース・ジャレットのトリオにおいては、メンバーみんな「知っている」曲を演奏しているのだが、ゲーリー・ピーコックとキース・ジャレットは「しばしば」全く違うコードを弾いている》





いったいなにがいいたいの?

2010-02-25 12:06:55 | 日記

みなさん!

毎日、毎日、わけのわからない言葉がとびかっている。

いったい大新聞コラムというのは、愚劣な言葉の“見本”を掲げるために存在しているのか。

いったいいつから、“メディア”は、気のきいたふうな引用とレトリックで、まったく無意味なことやデタラメだけを作文するだけのひとたちで占拠されてしまったのか。

新聞社には、デタラメな文章を書くテクニックを伝授する“文章読本(マニュアル)”が備え付けてあるらしい。

はなはだ残念なことだが、<ある時代の言葉>は、それを読まなくても、見なくても、“メディア”にリードされていくのだ。

もちろん、“いつの時代でも”、大衆に受け入れられやすい言葉は、“通俗”であった。
歴史を潜り抜け、現在まで生き延びた言葉は、すべてそのような多数の蒙昧を切り裂く言葉である。

ぼくは、そのような言葉だけを読んでいればいいのだが、ぼくは自分の人生で“考えること”に気づいた端緒に、サルトルというひとの<状況(シチュアシオン)>という概念=態度に触れたのだ。
また吉本隆明は、<情況>と言った。

すなわち<言葉>は、状況=情況の“なかでしか”発せられない。

さて、今日の状況はいかなるものか。
もちろん話題は、“オリンピック”である。

昨日ぼくが“感想”を書いた“カーリング”女子日本チームについて、読売新聞は、ぼくとは対極的な“感想”を掲げている、引用する;

起承転結の例として、よく引かれる俗謡がある。〈大坂本町糸屋の娘/姉は十六、妹は十四/諸国大名は弓矢で殺す/糸屋の娘は目で殺す〉◆思わず引き寄せられるようなまなざしの魅力を「目で殺す」と言い表している。カーリングというスポーツの醍醐味は、一つにはこの競技者の眼光だろう◆石の滑る軌道を測る設計技師の目、微妙な回転を加えて手を離す熟練職人の目、祈る人の目――バンクーバー冬季五輪・カーリング女子の日本代表は惜しくも8位に終わったが、多くの人が作戦と技術の精緻を競う「目」の光を堪能したに違いない◆氷上の小さなごみに軌道が狂い、痛恨の失点をする場面もあった。〈美しく、冷酷で、無情〉とは『高い窓』のなかで探偵フィリップ・マーロウがチェスを評して語る言葉だが、“氷上のチェス”といわれるカーリングにも通じよう。眼光の消えた目から最後は悔し涙がこぼれた◆ときに呼吸をとめて石の行方を追いながら、初めて競技の面白さを知った子供たちもいたはずである。眼光に心を射抜かれたその子がいつか、日の丸を身につけて氷上に立つ日もあるだろう(引用)

いったいこの文章はなにを言っているのか;
① ここでの、《目で殺す》という比喩は適切か?
② もし“《目で殺す》という比喩”が適切でなければ、この文章はなりたたない
③ もし、カーリング女子日本代表の<目>で“殺す”ことができたなら、なぜ彼女等は“負けた”のであろうか?
④ 《氷上の小さなごみに軌道が狂う》のは、“日本”だけではなかった
⑤ なぜ“探偵フィリップ・マーロウ”がここで、出てくるのか?(爆)
⑥ 《眼光に心を射抜かれたその子》とは、いったい“どこの子”のことであろうか!
⑦ どうして《日の丸を身につけて氷上に立つ》ということが、そんなにも重要なことであろうか?


Next(笑)、天声人語;

▼先に滑った真央さんの曲は「仮面舞踏会」。ポーズをとって、曲が始まる前に4回まばたいた。仮面も緊張までは隠せない。しかし、勝負のトリプルアクセルが成功すると、社交界にデビューする少女の生気が戻った▼続いて登場した妍児さんは「007」。少し背伸びをしてボンドガールになりきり、妖(あや)しく、なまめかしく舞い切った。この競技、スポーツであり芸術であり、何よりショーなのだと得心した▼二人は、誕生日が20日違うだけの19歳で、国際大会での成績は伯仲している。両親と姉1人の家族構成も同じ、背格好までそっくりだ。妍児さんは、真央さんのことを「もう一人の私」と表現してもいる▼できすぎた背景と展開に彩られて、めったにないライバル物語がいよいよ佳境を迎える。その結末は期待の真綿にくるまれ、あすのフリー演技へと大切に運ばれた。フィクションでは再現しえない熱狂と鼓動が二人を待つだろう。だから、「4年に1度」はたまらない(引用)


ぼくは上記の演技を見ていない。
ここではじめて彼女らの“選曲”を知った;「仮面舞踏会」と「007」である(笑)
なんか古くありませんか?
《社交界にデビューする少女の生気》というのは、何のことだろう?(ぼくには分かりません、日本国に“社交界”があるんですか?)
《ボンドガール》???(知ってる? ぼくは知ってるが;笑)

さて奇怪な言葉がつづく;
《この競技、スポーツであり芸術であり、何よりショーなのだと得心した》
《できすぎた背景と展開に彩られて、めったにないライバル物語がいよいよ佳境を迎える》
《その結末は期待の真綿にくるまれ、あすのフリー演技へと大切に運ばれた》
《フィクションでは再現しえない熱狂と鼓動が二人を待つだろう。だから、「4年に1度」はたまらない》
(以上引用)


ぼくの“日本語感覚”では、
① スポーツと芸術とショーは、まったくちがう概念である(だからぜんぜん“得心”しない)
② 《できすぎた背景と展開》という言葉は、普通、否定的な場面に使用される(すなわち、そういうものに“彩られる”ことはない)
③ 《その結末は期待の真綿にくるまれ》の場合も、《真綿にくるまれ》という表現はネガティヴである
④ 《フィクションでは再現しえない熱狂と鼓動》というものは在りえる、が、これは<フィクション>というものを、“あなどる”表現である、天声人語氏は“フィクション”に感動したことがないのであろうか?
⑤ 《だから、「4年に1度」はたまらない》(爆)
この“だから”というのは、誤用(まちがった用い方)ではないだろうか。
“だから”というのは、それまでの文章の展開が正当である場合に、結論を導くために使用される。
すなわち“それまでの文章の展開が正当でない”場合には、使用できない。


こんなデタラメな文章を読まされては、《たまらない》。

しかも「4年に1度」ではないのである。

<毎日>である!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!





ハードボイルドな探究者;今日の読書から-2冊の本からの引用

2010-02-24 19:56:33 | 日記


★ それでは『ブレードランナー』と『エンゼル・ハート』には、一体何が共通しているというのだろうか。どちらの映画も、記憶と、撹乱された人格の同一性(アイデンティティ)を扱っている。主人公であるハードボイルドな探究者が、あることを追及するために派遣されるのだが、その探索の結果は、彼自身が、その探究の対象に、そもそものはじめから含み込まれていたということが明らかになるのである。

★ 『エンゼル・ハート』では、彼が探しもとめていた死んだ歌手は、彼自身にほかならないことを突きとめる。『ブレードランナー』では、彼は、2012年のLAを逃げ回るレプリカントの一団を追いかけている。彼が任務を遂げようというときに、彼は自分自身がレプリカントであることを告げられる。どちらの場合も、探究の結果は、神秘的で、全能の機関(エージェンシー)によって支配されていた自己同一性が、根本から掘り崩されることに終わるのである。そのエージェンシーとは、前者では、悪魔それ自身であり、後者では、自分がレプリカントであることを知らない、自分のことを人間であると誤認したレプリカントの製作に成功するタイレル・コーポレーションである。

★ これらの映画が共通して描いている世界では、企業体<資本>がわれわれの存在の最も内密な幻想の核にまで入り込み、それを支配している。われわれの持っている特徴の何ひとつとしてわれわれのものではない。われわれの記憶や幻想さえも、人工的に植えつけられたものである。(略)<資本>と<知>のこのような融合は、新しいタイプのプロレタリアートを生む。それは、いってみれば、私的な抵抗のための最後のポケットさえ奪われた絶対的プロレタリアートである。

★ デッカードがレイチェル(ショーン・ヤング)に対して、彼女の最も内密な、誰とも共有していないはずの子供のころの思い出を引用することで、彼女がレプリカントであると証明したあとで、キャメラは、彼の個人的な神話的要素(ピアノのうえの古い子供時代の写真、一角獣の夢の記憶)をしばらく眺め渡す。それは、これらのものも作られたものであって、「真の」記憶や夢ではないことを、明らかに含意している。それだから、レイチェルが、彼に、レプリカント検査を受けたのかを尋ねるとき、その問いは不吉な予感のする響を伴っていたのだ。

★ 『ブレードランナー』や『エンゼル・ハート』の宇宙では、思い出すことは比較を絶するほどに根底的な何ものかを指し示してしまう。それは、主人公の象徴的同一性のまったき喪失である。彼は自分がそうであると考えていたものではなくて、別の何か-誰かであると想定せざるをえなくなる。この理由から、『ブレードランナー』の「ディレクターズ・カット」で、デッカードの画面にかぶせる声なしで済ませたことは、十分に正当化できる。なぜなら、ノワールの宇宙では、画面にかぶさるナレーションは、主体の経験の大文字の<他者>への、間主観的な象徴的伝統の領野への統合の実現を表わすものであるからだ。

<スラヴォイ・ジジェク;『否定的なもののもとへの滞留-カント、ヘーゲル、イデオロギー批判』(ちくま学芸文庫2006)>



★ 1800年に作成されたフランスの旅券は、ヘーゲルの容姿をつぎのように記述している。「年齢・30歳。身長・5ピエ2プース(約167センチメートル)。頭髪および眉毛・褐色。目・灰色。鼻の高さ・並み。口の大きさ・並み。顎・丸味を帯びている。額の大きさ・中ぐらい。顔の形・卵型」。彼の門弟たち自身が認めているところからしても、彼の風貌にはなんら魅力的なところも、堂々としたところもなく、ホートーの言によれば、「顔色は蒼ざめ、目鼻立ちは生気がなく、だらりとしていて、まるでしびれてしまったとでもいうような印象を与えた」。また、椅子に坐ったときの姿勢は締りがなく、腰かけるときも、疲れたような様子でどかりと倒れるように坐った。顔はうつむきかげんで、話す言葉はいつも淀みがちなうえに、たえず軽い咳払いで中断され、声は籠った感じで、ひどいシュワーベン訛であった。講義のとき以外は、自分の学説のいろいろな点について質問されるのを好まず、漠然とした身振りでしか答えないか、自分の著書を参照するようにと指示するだけであった。しばしば彼は学問的な話題よりも、教養のないブルジョワ連中とのつきあいを選び、彼らとホイストに興ずるのを好んだ。他方、講義の草稿を準備したり著書を書いたりするときには、幾晩も幾晩もぶっ通しで石油ランプの明かりのもとで過ごすのであった。

<ルネ・セロー;『ヘーゲル哲学』(白水社・文庫クセジュ1973)>





“かったるい”ひと;あるいは《風を追うがごとし》

2010-02-24 14:53:09 | 日記


このオリンピックでは、“カーリング”を見ていた。
今朝は明け方まで、対スェーデン戦につきあったが、“日本”が負けた。

なんかがっかりして寝たのである(今日は休みなのでソウユーことが可能だった)

だが、そもそもぼくらは、オリンピックで何を見いているのであろうか、何が見たいのであろうか?

端的に言って、日本選手にメダルを取ってほしいと思っているのである。
きわめて“シンプル”である(笑)

そういうこと(気持)から、自分もまぬがれていないことを“反省”するには、よい機会である。

さらにぼくが日本のカーリング・チームを観察していて(彼女らの“顔(表情)”が観察できるだけでなく、彼女らの声や、“話し声”まで聞けた)得た結論はつぎの通り;

どんな“競技”でも、負けるのは、“人間ができてないから”である(笑)

さて、こう定義した上で、あわてて補足したい。

つまり、まず、“負けてもよい”のである(爆)

おなじくらいの<人間度>(人間の出来上がり度)であっても、そのときの<運>で勝ったり、負けたりするからである。

しかしもし<運>でない、<実力>の差というものがあるなら、それは、その選手の(個人であればそのひとの、団体競技であればその人自身と、その人と他の選手の関係の)“成熟度”(ぼくはこの言葉ではなく<リアリティ>という言葉を使いたいが)が問題である。

つまりカーリング日本女子団は、“カワイイ”(顔や話し方や声が)のであるが、ずっと彼女等を見ていると(聴いていると)、飽きるのである。

すなわち彼女等は、<単調>(ワンパターン)である(笑)

すなわち<単調でないこと>が、人間としての成熟度であり、その多様性(複雑さの深度)が、“個性の魅力”なのである。

“カワイイだけじゃ、ダメかしら?”
ダメである(爆)


とつぜん話題が転換する。

ツナミンという人が“諸々日記”というブログに引用している“鏡響子”というひとである。
このひとは、前にブログで自分を“ブスであるかのように”書いているが、お会いすると、決してそのヨーなことはないのであった(ぼくの“タイプ”であるかどうかは別である;笑)

しかしぼくは彼女に“ブロガー”として会ったので、あくまで彼女の<言説>を問題にしたい。

ツナミン引用の文章を再引用して、“批判”したい;

☆ このような「生存を脅かされることへの恐怖・嫌悪感」から戦争に反対しても、9条を守り抜くことはできない、と私は思う。なぜなら、もし「自分の生存が脅かされることへの恐怖・嫌悪」が、戦争反対の第一義的な理由なら、「生存を脅かされないために自衛の武器」を持つことは、いとも簡単に許されてしまうのではないか、と思うからである。そして、生存を脅かされたくない、という人間のエゴは、武器を持つ喜びと、底のところでつながっていると私は思うのである。そして、ゲバ棒が必要最低限の自衛の道具だったのに、警官を殴る攻撃用の武器にすぐに変わったことを思うと、「最低限の自衛のための自衛隊」などというものが本当に自衛のためにだけ存在しうるものなのか、その不確かさを思わずにいられないのである。
☆ だが、「やられてもやりかえさない」という「非暴力」を貫くのに、「どうしてもやりかえしたくなる」自分の欲望を捨てさせうる思想・価値なくして、その態度を貫くことが可能なのかどうかは謎である。いうまでもなく、現代の日本には、自我の欲望を捨てさせるような価値・思想は不在である。だが、「自分の生存権を脅かされないこと」にのみ、平和の主眼を見出す限り、人間はゲバ棒をもたずにはいられない。今の日本の平和は、そういうゲバ棒を持たざるを得ないタイプの平和である。自衛隊が生まれてきたのは憲法違反だったかもしれないが、国民のほうに、9条を支える思想・価値がなかったことを思えば当然の帰結とも思える。あれから60年経った今、9条の価値を守り、貫くこと、の矛盾と困難さを思うのである。
(以上、鏡響子言説から引用)


さて、ここではどうやら“憲法第9条”が論じられている。
あるいは、さらに、“武器を持つこと”とか“非暴力の謎”!が論じられている。

ぼくの感想は、ひとこと、“かったるい”というものである。

この女(ひと)は、“カワイク”ないのだが(カワイクしたくないのだが)、それは結構なことなのだが(笑)、“かったるい”のである。

なぜ“かったるく”(ぼくには)感じられるのだろうか?(しばし熟考)

結局、このひとは、何を“言いたい”のであろうか!(爆3乗!)

いやいや、ぼくは自分のブログもそうだが、“何事も結論を述べなければならない”という<立場>ではありません。

人間、“みんな迷って大きくなった”のである、から。

しかしまず、なんで“ゲバ棒”なんですか?

なんか“ゲバ棒世代”に偏見がおありでは?
ぼくの“世代”には、たしかに“ゲバ棒を振り回した”方々もおられるが(ぼくが知っていたひとは、高校生で振り回したのでぼくより10歳くらい年下でも可能だったようだが)、ぼく自身はゲバ棒を手に取ったことさえ、ない。

しかし、それは、“反権力や反戦である自分が、ゲバ棒をもつことは、暴力に加担することであるのか?”などという自省によったわけではない。

たんに、そういうことをすると、怪我をしたり、就職ができなくなる、からである。
(怪我をするというのは、主に自分が怪我をすることであるが、相手も怪我をする可能性もある、またゲバ棒は“警官”に対してのみ用いられたのではなく“仲間”に対しても用いられた)

だから、“ゲバ棒”についての“一般論”とか、それを“暴力の比喩”とするような思考は(それが“思考”と呼べるか否かはほっといて)バカげているし、“かったるい”。

たしかにぼく自身も、なにかを<比喩>としたり、“一般論で語ってしまう”ことがある。
そのことは反省しよう。

また<暴力と非暴力>については、なにひとつ“明らか”ではないので、この問題が考えられ、論じられることは、良いことだと考える。

またこの暴力の問題のみではなく、なにかを語る(書く)ときに、そこに、どこまで“自分があるか”(<主体>はあるか)という、古典的な問題は、確固として<ある>のだ。

もちろん、もっと観念的でなく言うならば、
鏡響子よ、君は、君の<友人>が、ゲバ棒を持ったとき、なんと“言える”のか?
また“ぼくの隣の叔父さんがぼくの家族を殺しに来た”(旧ユーゴでの事態)時、君はどうするのか(このことを昔ぼくはDoblogに書いた、鏡響子はそれをどう読んだか?)

あるいは、自分の生まれた土地を家ごと家族ごと奪われて、見知らぬ土地のバラックに隔離さたら、君は、どうするのか?

《あれから60年経った今、9条の価値を守り、貫くこと、の矛盾と困難さを思うのである》(引用)

たしかに、ぼくらは、いま、このような言葉しか発し得ない。

しかしこの<思う>ことにも、複雑さと深度(深さ)が必用である。

鏡響子の言説をぼくが、“疑う”のは、彼女の“不徹底さ”についてではない。

彼女の“言葉と裏腹な奇妙な確信”を疑う。

彼女は、何かを“思い込んでいる”。

ぼくが鏡響子に問いたいのは、<彼女自身の欲望>についてである。

これは、すべての<言説>について、ぼくが<問う>ことである。
(ブログであろうと、ツイッターであろうと、秘密の絵日記であろうと、ラヴレターbyケータイであろうと)

ぼくはここで、鏡響子を引用している“ツナミン”については、ひとことも述べない。

述べる必用がないからである(笑)





<補足>

昨日、臨時収入があったので、マルグリット・デュラス『戦争ノート』(河出書房新社2008)を買った。

このタイトルをみると、デュラスが“戦争について”書いたもののように思うが、そうではなくこの本は、デュラス死後に刊行された、彼女の作家デビュー前の“ノート”4冊を収録したものである。

すなわち、“その後”、彼女の小説へと発展する“草稿”的文章が収められている。
(最初に『太平洋の防波堤』“草稿”がある)

この4冊のノートの表紙や手書きの(当然!)ページ写真もある(彼女の“イラスト”もある)

あっさり言って、ぼくにとってデュラスは(あまり読んでないが)、あらゆる女性の書き手(小説家であろうとそうでなかろうと、“日本人”であろうとそうでなかろうと)、いまのところいちばん好きな<女性>である。

しかし、あまり彼女の小説を系統だって読んできたのではないし、彼女のつくった映画も見ていないし、彼女の人生の具体性についても知らないので、ぼくの愛が誤解である可能性もある(彼女は“ユダヤ人好き”なので、“反パレスチナ”ではなかったか?)

この本の訳者解説や、本文の始めを読んで、彼女が旧約聖書を生涯愛していたことを知った。

彼女の葬儀の最後には彼女がことに好きだった「集会の書」の一節が読みあげられたという;

《空の(くうの)空なるかな、万事(みな)空にして風を追うがごとし》


こういう<言葉>ひとつでも、いかようにも解釈可能である。
この<言葉>が好きな人自身にとってさえ、その解釈は“多義的”であり、生涯の時期によって変わりうる。

ぼくは、《風を追うがごとし》という言葉が好きだ。





死ぬほどくだらない音楽

2010-02-24 12:21:07 | 日記


いったいいつのころからか忘れたが、テレビで“番組のテーマ曲”がつくようになった。

たとえば、このオリンピックのNHK-BSでのテーマ曲である。

ぼくはこういう“音楽”を、“死ぬほどくだらない音楽”と認定する。
だれが歌っているかしらないが、曲、歌詞、歌唱ともに、死ぬほどくだらないと感じる。

これらの曲は、ようするに、みな同じである。

なぜ“白い恋人たち”を流さないのか。

昔の冬季オリンピックの曲を流したら、2010年のオリンピックであることが、証明できないのであろうか。

たしかに、現在連日、ぼくらは、2010年のバンクーバー・オリンピックを見ているらしいが、すぐに、そのオリンピックが、“いつ・どこで”あったのかを、忘れるのである。

もちろんこのような“認知症”は、オリンピックに限らない。

ぼくらには、それぞれ、自分が経験したこととしなかったことがあり、しかも、自分が経験したことを忘れ果てるのである。

“死ぬほどくだらない音楽”の対極にある音楽は、けっこうたくさんあるが、たとえば<ビートルズ>という。

今日の天声人語は、なぜか今日、ビートルズについて書いている、引用する;

ビートルズの解散から40年になる。メンバー個々の活動が目立ち始めたのは1968年だった。別れを意識した4人は69年夏、有終の美を飾るべく最後のアルバム録音に臨む。「アビーロード」だ▼広報担当の著作によると、プロデューサーのジョージ・マーティンはこの傑作をこう評した。「A面はジョン、B面はポールと僕が望むようになった」。それは、ジョン・レノンに始まりポール・マッカートニーで終わった、とも語られるバンドの歴史に重なる▼先ごろ、アルバムが制作されたロンドン北部のスタジオが売りに出ると報じられた。ところが「売らないで」の声がわき起こり、所有者のEMIグループは売却を断念したと伝えられる▼ビートルズの曲の9割がここで録音された。4人が横断歩道を渡ってスタジオを去る有名なジャケット写真は、解散を暗示するものと話題になった。周りにはファンの姿が絶えない観光地である。資金難の会社は巨万のブランド価値に注目したが、「史跡」とあっては換金しづらい▼希代の感性が生み出した自在の曲想は、この場で形を整え、人類が永久に楽しめる「音の世界遺産」になった。4人の活動は実質7年。彼らの才能、友情、不和のすべてを見届けて、スタジオはなおそこにある▼ゆかりの地にも染みわたる伝説の重さ。最後のシングルにどうにか間に合ったビートルズ世代の端くれとしても、感慨深い。「どれだけ大切な資産なのか痛感した」という関係者の言を信じよう。願わくはレット・イット・ビー、あるがままに。(引用終わり)


この文章は、《最後のシングルにどうにか間に合ったビートルズ世代の端くれ》さんが書いたのである。

では、<ビートルズをリアルタイムで(その新曲をまちかねて)聴いてきた世代の端くれ>であるぼくは、上記に対してなにを言えばよいのか。

いや“その新曲をまちかねて”いたわけではなかった。
ひとつには、ビートルズの新曲は“やつぎばやに”出た。
もうひとつは、当時、ビートルズ以外の“新曲”に聴くべきものが、たくさんあった。

つまり、音楽が“リアルタイムで”たくさんあったのである。

それは、<現在>において、“それらの音楽が全部”ダウンロードできるとか、CDで買えることとは、まったく意味がちがう。

またそれは、音楽が“量的にたくさんある”ということとは、ちがう。

“同じでない音楽”が、たくさんあったからである。

上記引用文について、まず抗議する;

《それは、ジョン・レノンに始まりポール・マッカートニーで終わった、とも語られるバンドの歴史に重なる》

とは、何事であろうか?

ビートルズには、ジョージ・ハリスンもリンゴ・スターもいたのであり、その<音楽>の創出・演奏・録音には、その他のミュージシャンが係わっている。

だがそれだけではない、ビートルズとは、最後までジョン・レノンのバンドであった。
これは、ぼくのレノン贔屓で言っているのではない。

もし、ビートルズがポール・マッカートニーの<センス>だけのバンドだったら、あのビートルズは、存在し得ない。

それは、消えていった凡百のバンドと同じように、忘れ去られただろう。

すなわち、もしビートルズが、“現在において聴きうる”音楽であるなら、それは、ジョン・レノンという<感性>のリアリティにあり、そのリアリティにしかない。

「アビー・ロード」は、“ビートルズのアルバム”の中では、傑作ではない。
まずこのことを確認したい。

“レット・イット・ビー”という<世界観>は、けっしてすぐれた認識ではない。

それは、天声人語のように、<音楽>に没入したこと(狂ったこと)ことがない、たんなる鑑賞者(享受者)の世界観である。

自分の生活や人生の<かたわらに>、バックグラウンドとして音楽があればよい。

そういうひとの<世界認識>なのだ。

“アビーロード”がどうなろうと、どうでもよい。
ビートルズは“世界遺産”などでは、ない。

すべてのモノ、すべての音楽を、世界遺産にしてしまうような、感性が狂っているのだ。

すべてをランクづけ、“世界遺産”に登録して、安心している<精神=肉体>が、歴史を忘却させ、味噌と糞をゴタマゼにし、すべてを忘れさせる(すべてをなかったことの虚無に陥らせる)のだ。

<伝説>はいらない。

もしビートルズが、現在に生きるなら、いま、その曲とその楽器のリズムと彼らの声を聴け。

<音楽>は、今聴くことの、現在において<現前する>のだ。

そのほかに音楽は、どこにもない。

ビートルズとは、ぼくにとっては、ジョン・レノンの声である。




Snapshot;ことわざと詩

2010-02-23 10:40:15 | 日記

新聞コラムは、“ことわざと詩”が好きである。

これは、これらコラムを書く人々が“ことわざと詩”を愛好しているとか、それに詳しいことを意味しないだろう。

“ことわざと詩”が、<短い>ことが、コラムに引用するのに便利だからだ。

たとえばこのように;

《吉野弘さんに、「『目』の見方」と題する詩がある。「目」を含む漢字がいくつか出てくる。その一節。〈民の目は眠くて/罠の中〉(『続・吉野弘詩集』、思潮社)。民と目で「眠」、目が横になって熟睡すれば「罠」になる、と》
《◆吉野さんの詩から。〈目の中に、日と月がいて、明るい/口もいくつかあって、うるさい〉。首相は12億円、幹事長は4億円、「いのちを守りたい」と心優しい子守歌を聴かせてもらっても、そう簡単に目をつむれる額ではない。口を閉じられる額ではない》
(読売編集手帳引用)


これでは<詩>がかわいそうではないだろうか。

ぼくはここに引用された吉野弘の<詩>を知らないが、吉野弘はこのように<引用>されることが、うれしいであろうか。


天声人語は“ことわざ”である;

《〈江戸の敵(かたき)を長崎で討つ〉の例えは、本来は「長崎が討つ」だという説がある。江戸での見せ物興行で大阪の竹細工が大評判を呼び、地元勢は面目をつぶされる。ところが長崎からのガラス細工がさらなる人気を博し、江戸の職人たちも留飲を下げた、との由来である》
《▼冒頭の「長崎が」説を付した小学館の「ことわざ大辞典」に、〈長崎の怖い雑魚〉という古語があった。遠隔地の不案内と、イワシなどの「小合(こあい)雑魚」をかけた言い回しで、何ともいえぬ恐ろしいことの意味だという▼自民はイヤ、民主もダメの政治不信。そのうち選挙も納税もばからしくなって、日本社会から活力がますます失われていく。そんな展開こそ、いま一番の「怖い雑魚」である》


<国民>は、“怖い雑魚”であろうか。

「ことわざ大辞典」によって、われわれは何を“学ぶ”のであろうか。

ようするに、“言葉の機能”は、大丈夫であろうか?

ある漢字をじっと見つめていると、<言葉>が分解していく。
ここで<言葉>を変換していると、奇怪な言葉が、出現する。

<詩>とは、新しい言葉であった。

すなわち、まったく新たに、ぼくらを、言葉に対面させ、そのことによって、惰性的な言葉の使用を<疑う>ものであった。

言葉を使用することは、便利な手段のみではなかった。

それは、惰性的な生をくつがえすことであった。


仕事に行きます!





日本に精神分析は必要ない

2010-02-22 23:54:46 | 日記


★ もっと重要なことは、訓読みによって、漢字は日本語の内部に吸収されながら、同時につねに外部的なものにとどまるということである。たとえば、漢字で書かれたものは、外来的で抽象的なものだと見なされる。そのことは、明治以降の日本のエクリチュールにおいてより複雑になる。最初、西洋概念は漢字に翻訳された(略)が、同時に、カタカナで表記するという方法が用いられたのである。カタカナは仏典など漢文を読むための補助として用いられてきたので、外国語を表示するのに向いていたといえる。

★ 現在では、西洋概念が翻訳されることはめったになく、ほとんどがカタカナで表示される。外来語は、話されているときには外来的であることはさほど意識されないが、書かれるときはカタカナによってその外来性が明示される。(略)つまり、漢字やカタカナで表記されるかぎり、外来的なものの外来性が、どこまでいっても保存されるのである。先に述べたように、和辻哲郎は、日本においてかくも深く浸透した仏教がいつまでたっても「外来思想」のままであることに注目したが、その理由は簡単である。日本では、仏教は漢字とカタカナとして存在しているからである。

(ラカンが日本に関して述べたことをふまえて)
★ そこで、ラカンが提出したのは、抑圧と区別されるものとしての「排除」という概念である。それは原抑圧の排除、言い換えれば、去勢の排除である。去勢は、抑圧によって主体を作るが、同時に神経症的なものがそれにつきまとう。他方、去勢の排除は、主体を充分に構成せず、精神症(分裂病)的なものをもたらす。

★ いうまでもなく、ラカンがいう「去勢」とは、象徴界、つまり言語的世界(文化)に参入することである。ところが、そこに入りながら、同時に入らない方法が、訓読みなのである。日本で生じたのはそのような去勢の排除である。おそらく「日本的」ということがあるとしたら、ここにしかない。多くの日本人論が、肯定的であれ否定的であれ、指摘するのは、そこに確固たる主体がなく原理的な機軸がないということである。それは神経症的ではないが、ほとんど分裂病的である。

★ 漢字・仮名・片仮名の3種のエクリチュールは、現在の日本で存在し機能している。それは「日本的なもの」を考えるにあたって最も核心的なものである。私が斥けるのは、文字使用という歴史的な形態を見ずに、心や思想や文化なるものを本質的に想定してしまう、さらに、外国との関係を捨象して自己同一性を想定してしまう観念論である。

(芥川龍之介『神々の微笑』と河合隼雄『母性社会日本の病理』を引用して)
★ それは、日本には抑圧がないということである。だが、それはこの社会が自由であることをいささかも意味しない。ラカンはそれについて述べているわけではない。しかし、われわれはむしろ、「抑圧」がもたらすエディプス的な権力とは違った、いわば「排除」がもたらす権力について考えなければならない。

(1959年に日本を訪問したヘーゲル学者コジェーヴを引用して)
★ コジェーヴは、アメリカの大衆社会から日本の江戸時代に眼差しを向き変えた。一見すると、それは現代日本を無視しているように見えるのだが、彼の見通しは予見的であった。というのは、それから20年後に日本のバブル経済において顕在化したのは、江戸時代の三百年の平和の中で知性と道徳性とを嘲笑しつつ洗練してきたスノビズムの再現だったからである。明治以来の日本の近代文学や思想はそれを否定し、いわば自律的な「主体」を確立することに努めてきたといってよい。ところが、1980年代に顕著になってきたのは、逆に「主体」や「意味」を嘲笑し、形式的な言語遊戯に耽ることである。近代小説に変わって、マンガやアニメ、コンピュータ・ゲーム、デザイン、あるいはそれと連動するような文学や美術が支配的となった。それはアメリカで始まった大衆文化をいっそう空虚に、しかしいっそう美的に洗練することであった。日本のバブル経済はまもなく壊れたが、むしろそれ以後にこのような大衆文化がグローバルに普及しはじめたのである。その意味で、世界はまさに「日本化」しはじめたように見える。

★だが、それは、グローバルな資本主義が、旧来の伝統志向と内部志向を根こそぎ一掃し、グローバルな他人志向(注;他人に承認されたいという欲望)をもたらしていることを意味するにすぎない。そこでは、「抑圧」にもとづく集権的な権力、あるいは知識人の権力は衰微している。だが、それは権力の消滅なのではない。「排除」による権力がグローバルになりつつあるということを意味するだけである。それに対抗することは容易ではない。そもそもそのような権力があるということに気づくことが難しいのである。だが、日本の事例はその手がかりを与えると、私は考える。そして、それは日本を手がかりにして「歴史の終焉」(注;フランシス・フクヤマ)を考えるのとは、まったく逆のことである。

<柄谷行人;“文字の地政学―日本精神分析”-『岩波・定本柄谷行人集4ネーションと美学』2004>



物はどこにあるのか;人はどこにいるのか

2010-02-21 21:38:07 | 日記


★ われわれが玩具とみなしているものは、もともとは、あの世の生活で死者のお供をするために墓に埋葬されなければならないほど深刻な品々だったのである。墓に埋葬された遺品の多くが、現実の物にくらべて縮小された物であるという事実は、その置き換えが決して「経済的な」動機によるわけではないことを物語っている。

★ 幼児と外界との最初の関係についての研究において、ウィニコットは、ある種の対象を同定し、それを「移行対象」と命名した。つまり、幼児が外的現実の中から分離させ、自らに同化させる最初の物(シーツや布地の端のたぐい)であり、その場所は、「親指とテディ・ベア間に、口唇性欲と真の対象関係の間にある経験の領域に」位置している。それゆえ、これらの「移行対象」は、文字どおり内なる主観性の領域に属しているのでも、外の客観の領域に属しているのでもなく、ウィニコットが「イリュージョンの領域」と呼ぶものに属しているのである。その「潜在的空間」の中に、遊戯ばかりでなく、文化的経験すらもまた据えられることになる。文化や遊戯の位置づけは、それゆえ、人間の内でも外でもなく、「第三の領域」、つまり「内なる心理的現実からも、個人の生きる実際の生活からも」区別される領域の中にあるのである。

★ 心理学の言語が手さぐりでとらえたこのトポグラフィーは、実はフェティシストや幼児、「未開人」や詩人がずっと昔から気づいていたものなのである。19世紀のあらゆる偏見から真に解放された人間の科学が、その探究の先を向けなければならないのは、この「第三の領域」に対してであろう。物は、使用と交換の中立的な対象、「前に置かれたもの」(ob-jecta)として、われわれの外、つまり計量できる外の空間にあるのではなくて、それ自身が、われわれに原初的な「場」を開示しているのである。そして、この「場」から出発してはじめて、計量できる外の空間の経験は可能となる。つまり物それ自体は、最初から、世界内存在としてのわれわれの経験が据えられる「場なき場」の中でとらえられ、理解されるのである。

★ 「物はどこにあるのか」という問いは、「人はどこにいるのか」という問いと切り離すことはできない。物神として、玩具として、物は本来いずこにもない。なぜなら、それらの場は、対象の此岸でしかも人間の彼岸に、つまり客観的でも主観的でもない、人称的でも非人称的でもない、さらに物質的でも非物質的でもない領域に位置しているからである。が、その領域の中で、われわれは突然、一見したところは非常に単純に見える未知数x、つまり人間と物に直面するのである。

<ジョルジョ・アガンベン;“マダム・パンクーク、あるいは玩具の妖精”―『スタンツェ』>





ラジオのように '2010

2010-02-21 12:20:34 | 日記


昨日。
妻の母の具合が悪いというので、実家に行くことになった。
ぼくの住んでいる東京郊外から武蔵野市まででも、それなりの距離がある。
往きは親切な“薬剤師”(最近はうちのゴミ整理まで協力してくれる―感謝!)が車で送ってくれた。
帰りは、タクシーだった。

そのタクシーのラジオで“みうらじゅん”というひとが、DJをやっており、“京都”に関する曲がテーマだった。
(みうらじゅん氏は京都の出身者であるらしいが、ぼくの偏見であるが、どうも京都出身の男性というのは信用できない;笑、しかしぼくは誰が”京都出身”かをよく知らない;爆)

ぼくはこの何十年も、こういう機会がなければ、<ラジオ>を聞いていない。
この番組を聞いていて(タクシー内で聞かないわけにはいかない、妻は寝ていたが;笑)、“ぼくの天職はDJだった!”ことに気づいた。
すなわち<ブログ>ではないのである(爆)

自分の好きな曲、もしくは、“テーマ”に沿った選曲をし、その曲をかけ、その合間にしゃべる。
なんと“ぼく向き”ではないだろうか。

当然、ぼくの好きな曲だけを、延々とかけつづけることもできるが、それが“職業”であるなら、嫌いなジャパン・ポップスや演歌からだって(新たに聴いて)、ぼくの好きな曲を発掘することもいとわない(当然、“そういう曲”はある)

すなわち、<音楽>(自分の選んだ音楽を“押し付ける”)だけではなく、“その合間に”勝手なことを言えるのである。
今日のお天気でもいいし、今日のニュースからのセレクションでもいいし、“得意の”引用でもよい。

“罵倒語”の探究を深め、あらゆる“アクチュアルな話題”を罵倒できる;ファック、シット、ブル・シット、マザー・ファッカー、コック・サッカー、ビッチ、俺のケツを舐めろ、などなど。

かと思えば、“格調高い”引用もしちゃう;

★ からまつの変わらない実直と
しらかばの若い思想と
浅間の美しいわがままと
そしてそれらすべての歌の中を
僕の感傷が跳ねてゆく
(その時突然の驟雨だ)
なつかしい道は遠く牧場から雲へ続き
積乱雲は世界を内蔵している
(変わらないものはなかつた
そして
変わつてしまつたものもなかつた)
<谷川俊太郎“山荘だより3”-この詩を昔”ラジオ“で寺山修司の朗読で聞いた)


★ 不安な季節が秋になる
そうしてきみのもうひとりのきみはけつしてかえつてこない
きみははやく錯覚からさめよ
きみはまだきみが女の愛をうしなつたのだとおもつている

おう きみの喪失の感覚は
全世界的なものだ
<吉本隆明“分裂病者”>


★ 人は沈む
深い眠りのトンネルを
花びらのように
乱れて流れて

ああ でもわたしはひとつの島
太陽が貝の森に差しこむとき
わたしは透明な環礁になる
泡だつ愛の紋章になる
<大岡信“環礁”>


★ 「なぜ小鳥はなくか」
ふかい闇のなかでぼくは夢からさめた
非常に高いところから落ちてくるものに
感動したのだ
そしてまた夢のなかへ「次ぎの行」へ
ぼくは入っていった
<田村隆一“星野君のヒント”>


★ たとえば一羽の小鳥である
その声よりも透明な足跡
その生よりもするどい爪の跡
雪の斜面にきざまれた彼女の羽
ぼくの知っている恐怖は
このような単一な模様を描くことはけっしてなかった
<田村隆一“見えない木”>


★ 或る時わたしは帰ってくるだろう
やせて雨にぬれた犬をつれて
他の人にもしその犬の烈しい存在
深い精神が見えなかったら
その犬の口をのぞけ
狂気の歯と凍る涎の輝く
<吉岡実“犬の肖像”>


★ 近代芸術が、解放の理論家たちよりもいっそう革命的なものを含んでいるとすれば、それは、「自然でない欲求」や「倒錯」を極限にまで推し進めることによってしか、人は自分自身を見いだし、抑圧に打ち勝つことはできないということを、近代芸術が最初から理解していたという点である。
<アガンベン;『スタンツェ-西洋文化における言葉とイメージ』>




<注記>

このブログでは、ぼくの好きな曲をかけるわけには、いかない。

ゆえに、上記の引用を、あなたの好きな曲をかけながら、読んでください(笑)

ご親切なら(あなたが、よ)、ぼくが選びたかった曲を、<想像>してください。





Snapshot;世界ではいろんなことがおこっている

2010-02-21 10:08:14 | 日記


☆<全長3.4メートル 巨大イカ、深海から漂着>アサヒコム2010年2月21日3時13分


☆<直木賞選考委員、五木寛之さん辞意 「選評にミス」>アサヒコム2010年2月20日6時55分

 直木賞選考委員の五木寛之さんが、同賞の選評でミスがあったとして、選考委員を辞める意向を文芸春秋に伝えた。文芸春秋は強く慰留している。同賞は日本文学振興会が主催し、文芸春秋が実質的に運営している。
 選評は22日発売の「オール読物」3月号に掲載される。佐々木譲さんの今期の受賞作「廃墟(はいきょ)に乞(こ)う」を論評するなかで、「破顔した」という表現について論じているが、その表現は作品中にはなかった。五木さんが出稿後に勘違いに気付き、訂正を求めたが間に合わなかったという。
 18日に五木さんに会った文芸春秋の役員と編集者によれば「ミスを見過ごしたのは編集部の責任と伝えたが、五木さんからは選考の厳しさを知らせるためにも、1行の過ちで身を引くこともいいのではないかと言われた」と話している。
 五木さんは1978年から選考委員を務め、現役最長。


☆<ウッズ、婚前契約で離婚回避 高い慰謝料、復縁の武器に>アサヒコム2010年2月20日13時46分

 【ニューヨーク=山中季広】浮気の数々を妻やファンに謝罪することで、タイガー・ウッズ(34)が再起に向けて動き出した。結婚生活が破綻(はたん)しなかったのは「プレナップ(prenup)」と呼ばれる婚前契約制度のおかげだと評判だ。慰謝料や遺産目当ての結婚を防ぐための制度だが、復縁にも有効な手立てとして脚光を浴びている。
 10人を超す浮気相手捜しが一段落すると、米国内の関心は、スウェーデン出身の妻エリンさんがウッズと離婚するかどうかに向かった。注目を集めたのは、夫妻が交わした「婚前契約書」の存在だ。
 5年ほど前に結婚した2人は「婚姻が10年続いたら、それ以降に万一別れる際、ウッズ氏はエリンさんに2千万ドル(約18億円)を支払う」との契約に署名していたという。財産分与や慰謝料目当てのかりそめの結婚ではないことを確かめるためだった。
 米メディアによると、昨年11月に浮気がばれると、この条項は「婚姻が7年を超えたら、エリンさんは5500万ドル(約49億5千万円)を受け取ることができる」と変更された。「エリンは相当怒ったようだ」「それでもウッズは別れたくないらしい」という見方が広まった。
 離婚訴訟に詳しいマーリン・ブラウン弁護士によると、こうした婚前契約が米国で結ばれるようになったのは30年ほど前から。離婚や死別に備えて、財産の区分けをあらかじめ決めておくのが狙い。富豪や有名人が、それほど資産を持たない結婚相手との間で結ぶのが典型的だ。
 近年は、資産家でも著名人でもない一般の夫婦に広がっているという。「預貯金や不動産の分配を決める例が多いが、持つべき子どもの数、配偶者のウエストの太さの上限、月々の性交渉の頻度まで明文化する夫婦もいる」
 急増した理由としては(1)若いうちに身ひとつで結婚するカップルが減り、年齢が上がって守るべき資産を抱えてから結婚する男女が増えたことや、(2)離婚で財産をめぐるトラブルに懲りた男女が、再婚時には財産のドンブリ勘定を避けるようになったことが大きいという。
 愛情で結ばれるはずの夫婦が計算ずくで資産の線引きをすることに抵抗はないのか。「互いの損得勘定があからさまに出るので、婚前契約は恋愛感情を白けさせる。それでも10年前に比べたら、米市民の抵抗感は減った」と話すのは、婚前契約を研究している米マルケット大学のジョセフ・ヒルトン教授。「驚いたのは、ウッズがよりを戻すための武器に使ったこと。従来はもっぱら、短い結婚で財産を奪われないための防御策だった。これで婚前契約が一段と普及するだろう」
     ◇
「婚前契約」を結んだとされる主な著名人(敬称略)
芸能 ブリトニー・スピアーズ、キャサリン・ゼタ・ジョーンズ
   トム・クルーズ、ブラッド・ピット
球界 バリー・ボンズ
財界 ジャック・ウェルチ(ゼネラル・エレクトリック社元会長)
政界 ジョン・マケイン、ジョン・ケリー(いずれも上院議員)


☆ 〈人は、起こしたことで非難されるのではなく、起こしたことにどう対応したかによって非難される〉。10年前に東京商工会議所が作った、企業向け危機管理マニュアルの書き出しにある◆言葉の主は「青春とは人生のある期間ではなく心の持ち方を言う――」の詩で知られるサミュエル・ウルマンとの説もあるが定かでない。ともかく冒頭の至言は企業の間で少なからぬ共感を呼び、手帳に書き留めて胸に忍ばせる広報マンもいた◆当然、人は「起こしたこと」についても相応の非難を受ける。しかしその後の対応如何で非難の度合いは100倍にもなれば、逆に100分の1にもなる◆つまるところ、危機に際しては情報公開を徹底し、認めるべき落ち度は迅速に認めるのが最善、ということだ。ただしこれが極めて難しい◆米国でトヨタ自動車に対する風が、ますます強く、冷たくなっている。原因の一つが、後手後手の対応にあることは間違いない。豊田章男社長が今週、米議会の公聴会に臨む。正念場をどう乗り切るか。経団連の会長を2代輩出したトヨタが、「人は――」の至言を知らぬはずはなかろう。(読売編集手帳)


☆ 子どもは宝探しが大好きだ。繰り返し遊ぶうち、そこが庭なら庭を、森なら森を知ることになる。小道を抜けたら杉木立、桜並木の裏手には小さな池というように▼年初から続く本紙の「しつもん! ドラえもん」が50回を迎えた。1面にあるクイズの答えをその日の紙面から探し、「情報の森」に遊んでもらう試み、幸い好評と聞いた。丸っこいのが跳んだり転げたりする姿に、横の当方も和んでいる▼東京の「ひととき」欄で、埼玉県の主婦がドラえもんの効能に触れていた。教室での態度が乱れ、学校から脳波検査を勧められた小学4年生の息子さんが、新聞を熱心にめくり始めたという。「その横顔を見るたび、私の心にかすみ草ほどの小さな花が咲く。大丈夫。この子は大丈夫……」▼興味の対象を見つけた子を、祈るように見守る親心である。多くの読者から、親子の会話が増えた、子どもが朝刊を取りに行くようになったと、うれしいお便りが届いている。新聞が喜ばれ、併せて小さな読者を育むのなら言うことはない。小欄も見習いたい▼22世紀からやって来たドラえもんは、腹のポケットから色んな道具を取り出し、のび太を助ける。ご近所のよしみで質問。のぞけば文章が浮かんでくる「すぐ書けるーぺ」なんてものは……ないよねえ▼ドラえもんのせりふに〈未来(みらい)なんて、ちょっとしたはずみでどんどん変(か)わるから〉がある。作中では楽観を戒める言葉だが、何事もあまり悲観することはないとも取れる。毎朝の問答で、一つでも多くの未来が輝きますように。(天声人語)


☆<シンリンオオカミ「最後の母」ナナ、糖尿病死>(2010年2月21日08時49分 読売新聞)

 富山市ファミリーパーク(富山市古沢)の雌のシンリンオオカミ「ナナ」(9歳)が19日、糖尿病による多臓器不全で死んだ。
 ナナが2005年に6頭の子を産んで以来、シンリンオオカミの国内繁殖例はなく、いわば「最後の母」。同園は後継者を出来るだけ早く見つけ、再び繁殖につなげたい考えだ。
 シンリンオオカミは北米大陸の森林地帯に生息する。保護すべき動物としてワシントン条約の付属書にも記載され、国内で飼育する動物園は10か所もない。
 ナナはカナダ・オンタリオ州の野生動物センターで生まれ、04年1月に同園にやってきた。一緒に来園した雄のサスケ(6歳)と夫婦になり、05年に雄3頭、雌3頭の六つ子を出産した。子どもたちはいずれも北海道や秋田、群馬県など県外の動物園に譲られ、最近は夫婦2頭暮らしだった。
 オオカミの寿命は15年程度。9歳のナナは人間だと50~60歳に相当する。しかし、1か月ほど前から座り込んで起きあがらなくなり、調べたところ、尿中の糖の値が高くなっていた。食事制限と投薬で治療したが回復せず、19日午前8時に死んだ。
 エサは馬肉や鶏の頭などオオカミの飼育では一般的なもの。ナナの歯の減り具合が年齢以上に進んでいたことから、実際にはかなり高齢だった可能性もあるという。
 野生のシンリンオオカミは4、5頭の母系集団で生活している。同園の村井仁志飼育展示係長は「2、3歳の若い雌を後継者にしてサスケとの繁殖に取り組み、親子の群れで暮らすオオカミの姿をお見せしたい」と話している。