Don't Let Me Down

日々の雑感、引用。
言葉とイメージと音から喚起されるもの。

ジブラルタルの水夫

2009-03-31 10:51:54 | 日記

ある小説を読み始めることは、ある未知のひとつの世界へ入っていくことである。

書きはじめの光景で、その世界へ入っていけるかどうかが決定する。
それは微妙である。
それは旅に似ている。
その小説の“風景”(自然の、社会的な)が魅惑するだろうか、登場人物の個性であろうか、それともその“会話”の言葉やタイミング(息つぎ)だろうか。


あるフランス人公務員が休暇で、一緒に暮らしているが結婚してない女をともなってイタリアに来ている。
ピサからフィレンツェへ移動しようとしたが汽車が満席で(戦後2年目のことだ)、ピサまでトラックで働きに出ている労働者一行の(帰りの)トラックに同乗させてもらう。
助手席に乗ったこのフランス人公務員の男とトラック運転手の会話;

★ 「それであんたは、どんな職業なんだい?」と彼がたずねた。
「植民地省さ。公務員だよ」
「その仕事は面白いかい?」
「ひでえもんだよ」
「どんなことしてるんだい?」
「出産や死亡の証明書をコピーしてるんさ」
「なるほど。もう長いんか?」
「8年」
「おれには」と彼はしばらくしていった。「とてもできないね」
「そうさ、あんたには無理だね」
「だけどね、石工ってのもつらいよ。冬は寒いし、夏は暑い。それでも、年中コピーするなんて、おれにはできんな」
「ぼくだってできないよ」
「だけどやってるんだろう?」
「やってるよ。最初のうちは死にそうに思ったけど、それでもやってるんだ。きみにはわかるだろう」
「で、いまでもそう思ってるんかい?」
「死にそうだとかい?うん、他の連中を見てるとそうだけど、自分ではもう感じないよ」
「年中コピーするなんて、ひでえことだろうな」と彼はゆっくりいった。


★ 「彼女はどんな女なんだい?」
「ごらんの通りさ。いつも満足して、陽気なんだ。楽天家だよ」
「なるほど」と彼はいって、顔をしかめた。「おれはいつも満足している女はあまり好きじゃないね。そういう女は……」彼は言葉を探していた。
「疲れさせるよ」
「そう、疲れさせるんだ」彼はぼくの方を向いて微笑した。
「ぼくの考えではね、満足するためだけだったら、なにも人生全体にかかわるような重大な理由を持つ必要はないよ。もし三つか四つの小さな条件がそろえば、どんな場合だって……」
彼はぼくの方を向いて、また微笑した。
「たしかに小さな条件は必要だよ」と彼はいった。「だけど人生では、満足するだけでは充分でないんだ。時には、もう少し多くのものが必要なんだよね」
「それは何だい?」
「幸福になることさ。そのためには愛情が役に立つ、そう思わないかい?」
「ぼくにはわからんね」
「いやちがう。あんたは知ってるんだ」
ぼくは返事しなかった。

<以上引用はマルグリット・デュラス『ジブラルタルの水夫』1952>


いま、ここにある、危機

2009-03-31 08:10:46 | 日記
下記ブログに関連して。

ぼくが“現在”について、なによりも“奇怪”だと思うのは、メディアも政治家も学者先生も普通の人々も、“危機”のなかにいると言いながら、彼らにはさっぱり“危機感”が感じれないということ自体である。

ぼくは、それを一種の“感覚マヒ”症状ではないかと診断する。

この“日本”という国全体を、“感覚マヒ症状”が覆っている。
(いったいこの危機に対して“イチローの言葉”がどうしたというのであろうか!、ぼくは別にイチローが嫌いなのではない)
それは、客観的“危機”が増大すればするほど、その危機を認識することができなくなるという、死に至る病である。

そのサンプルを掲げよう;

★望むのは贅沢(ぜいたく)ではなく「尊厳ある老後」である。翻訳すれば「身の納まり」という、つつましい言葉にほかならない。それに応えるきめ細かい助けの網が、この社会にほしい。(昨日天声人語)

★ 〈おまえがた本降りだよと邪魔がられ〉という句もある。「本降りだからあきらめて濡れて行きな」と、軒先を追われる人を詠んでいる。与野党の主役ふたり「おまえがた」の、いずれが先に世論から邪魔がられるのかは知らない。(今日読売・編集手帳)

★ 朝起きて、『グラン・トリノ』の映画評を書き上げて、『AERA』の来週号の600字エッセイを書いて送稿。『中央公論』の時評の原稿を書いて送稿。そこに新潮社のアダチさんから「100字で5万円」という“おいしい”コピー仕事が入ってきたので、3分間で100字さらさらと書いて送稿。
こういう仕事が毎日あると笑いが止まらないのであるが、世の中そういうものではない。
こういうペースで毎日仕事をしているので、日記の更新さえままならぬのである。(3/26内田樹の研究室)


以上のような文章に“危機感がない”ことを説明する必要を感じない。
要するに、こういう文章を書いているひとには、危機感がないのである。
こういう人々は、周りになにが起ころうと(この世界がどうであろうと)自分の人生だけは安泰であると信じていられるのである。

だから、ぼくはこういう人々が、庶民の苦しみを語り、世界の悲惨な人々を語り、わけのわからない(1000年1日の)ヒューマン言説を語ろうと信用しない。
内田樹がレヴィナスについて語っても信用しない(笑)


まさにこの“鈍感”こそが、“言葉の死”である。


“「100字で5万円」という“おいしい”コピー仕事“をしているひとや、毎日”字数“だけを気にして気の効いた文章を書けてしまうひとには、”言葉なんかおぼえるんじゃなかった“という深い覚醒は決して訪れない。


ぼくたちは今、“昭和”という“終わった時代”について語る。
しかし、ぼくたちは、“西暦で考える”べきである。
なぜなら昭和21年と2009年を瞬時に比較できないからである。
昭和64年でもよい。
ぼくたちは、“世界史”のなかで生きている。
(ちなみに昭和21年とはぼくが生まれた年である;笑、あるいは日本国憲法が公布された年である、文句あっか!)


歴史は現在にある。
歴史的なすべての言葉は、この現在に収斂される。
ぼくたちの言葉=言説は、このダイナミズムのなかにある。


ぼくたちは、けっして“鈍感”であることはできない。




<さらに>

いま、“言説を売るものたち”が、“言葉のプロ”として、大量の言葉を撒き散らしている。

ぼくは、そのひとり内田樹氏について、“言葉なんかおぼえるんじゃなかった”という田村隆一氏の言葉を対置した。

内田樹というひとを目の敵にしているのではない。
“内田樹”というのは、現在、“代入可能な”どうでもいい<名>のひとつにすぎない。

ただぼくが、“ブログ”で発信していることの矜持にもとづき、ブログで発信するすべての<無名の>ひとびとに呼びかけたい。

“プロの堕落”を監視せよ。
“多数の言葉”を監視せよ。

不充分であっても、自分の言葉を鍛えよ。
自分の言葉で立て。



”すっぴん”にガッカリ 

2009-03-31 06:01:13 | 日記
昨日、アサヒコムに“全国世論調査”というのが出ている。
リード文以下の通り;

<「昭和」といえば何を思い浮かべますか… 全国世論調査 アサヒコム2009年3月30日17時18分>
「昭和」といえば何を思い浮かべますか? 朝日新聞社が2月~3月中旬に全国3千人を対象に郵送で実施した世論調査(有効回収率79%)で、時代のイメージを聞いてみた。人物なら(1)昭和天皇(2)田中角栄(3)美空ひばり、出来事では(1)高度成長(2)戦争(3)バブル景気が上位に。右肩上がりが当たり前だった昭和時代は、先行き不透明な平成時代に比べて、前向きで明るいイメージが強いようだ。(金光尚)


いま“昭和”のイメージについて調査するのは、この現在=平成との比較をするためだろう。

本文にこうある;

●戦前・戦後の昭和と平成はどういう感じの時代か(8項目から二つ選択)
 上位3位までを見ると、戦後の昭和は「活気のある」「進歩的」「動揺した」と、肯定的なイメージが先行。戦前の昭和は「保守的」「暗い」「動揺」で対照的だ。
 その戦前の昭和より、平成の方がさらに否定的イメージが強い。「動揺」「沈滞」「暗い」が上位に並び、中でも「動揺」「沈滞」は平成の方が多い。平成に入り不景気が長く、世界同時不況で先の見えない現状の反映だろう。
 今回と同じ質問をした1968年の世論調査(面接)では、戦後の昭和は「進歩的」43%、「明るい」32%、「活気のある」23%だった。調査方法が違うため単純な比較はできないが、今回は「活気のある」が57%と2倍以上に増えている。昭和を古き良き時代として懐かしむ気持ちが広まっているのかもしれない。 (引用)


つまり、この“平成”は、“「動揺」「沈滞」”であり、“昭和を古き良き時代として懐かしむ気持ちが広まっているのかもしれない”のである。


さて、現在のヤフー・ニュース・アクセス・ランキング(総合)のベスト5を掲げよう;

1位;アノ暴行“行列弁護士”がバッジ紛失隠し!1年以上も3月30日16時56分配信 夕刊フジ
2位;陣内、ベッド写真流された!浮気相手が暴露3月27日7時52分配信 サンケイスポーツ
3位;男性の4割「すっぴん」にガッカリ 彼氏に見せるタイミングに悩む3月29日17時5分配信 J-CASTニュース
4位;キムタクついに“圏外”に…TVタレントイメージ調査3月28日16時57分配信 夕刊フジ
5位;センバツ出場の球児、ブログで対戦校侮辱3月30日3時5分配信 読売新聞


なるほど(笑)


たしかに、“昭和”時代には、“大衆”が、どんなニュースに関心をもっているかが、刻々わかることなどなかったのである。

“大衆”は、マスメディアがしゃかりきに報道している“お堅いニュース(政治-経済-外交)”などには、トンと関心がないのである。

大衆は“スポーツ・芸能ニュース”にしか関心がないのである。
あとは、“「すっぴん」にガッカリ”するくらいである。

しかしこの“「すっぴん」にガッカリ”というのは、けっこう“象徴的”なことなのだ。

たとえば、あの昭和の“戦後”に、多くの日本人は、“天皇”という存在が“すっぴん”になったのに、がっかりしたのであった。

それで、“アメリカ”という幻想(化粧顔)や“高度成長”という派手な顔を追い続けたのであった。

はてさて、そのなれの果ての平成という現在にわれわれはいる。

新たな“厚化粧”を求めて。
テレビを見ていればいいのである。
テレビは“すっぴん”だけはうつさない、幻想の宝庫であるから。

つまり、われわれは、“「すっぴん」にガッカリ”したいのである。




<追記>

しかし、このぼくは”すっぴん”な言葉がすきである。

たとえばすぐれた”戦後詩人”の言葉である;

言葉なんかおぼえるんじゃなかった
日本語とほんのすこしの外国語をおぼえたおかげで
ぼくはあなたの涙のなかに立ちどまる
ぼくはきみの血のなかにたったひとりで帰ってくる

<田村隆一:”帰途”部分>


この詩の言葉には、むずかしい”日本語”はひとつもない。

なにひとつ”理解しがたい”観念はないのである。

たしかに”最小のレトリック”はある。

しかしこの最小の言葉は、炸裂しているのだ。

つまり、あなたがこの言葉を記憶するなら、その言葉は、あなたの人生の肝心な時に、あなたの内部で静かに炸裂し、閃光を放つであろう。


旅;JEWEL

2009-03-30 08:59:58 | 日記

今回の旅でも飛行機に乗りホテルに泊まった。
ぼくはしょっちゅう旅に出ているのではない。
国内だろうと海外だろうと。

しょっちゅう移動しているひとにとっては、その旅も具体的な日常の旅なのかもしれない。
だが、たまにしかそういうことをしないぼくにとっては、ある混乱があった。
ぼくはホテルから出て、“日本の街路”しかないことが不満だった。
ぼくには、イタリアの小さな街の街路が、待っているような気がしたのだ。

ぼくのようなひとを、どんなに外国かぶれのミーハーと呼んでくれても、かまわない。
なんの理屈もなく、ぼくは“あの街路”が好きだった。

もちろん“そこ”がたまに訪れ(たぶんもう訪れることがない)場所であることが、魅力だった。


歌をうたう;

ぼくの恋人をつかまえた
唇に宝石をもつ娘
ぼくの恋人をつかまえた
唇に宝石をもつ娘
彼女の髪は川のように流れる
すばやくゆっくりと滴る
彼女は雷鳴のなかで湯浴みする
妖精たちが彼女に従う
彼女は風のように歩く
銀色の毛の豹をつれて
彼女の思いは金色
彼女の瞳はエレクトリック・ブルー
彼女の思いは金色
彼女の瞳はエレクトリック・ブルー
彼女は夢見て眠る
ぼくときみの夢を

<T.REX:JEWEL>


人生相談

2009-03-27 08:04:55 | 日記

今日の天声人語のテーマは人生相談であり、読売・編集手帳のテーマは“勝負師”である。

剣豪作家柴田錬三郎とホームレス人生相談誌、将棋の永世棋聖・米長邦雄や“神が降りた”イチローと相撲の話題が登場する。

これを読む前のニュース・チェックでは、“紀香が帰国、DVに土下座強要も明らかに”という記事も読んだ。


いったいマスメディアは、何を報じているのだろうか。
いったい、“ニュース”とは、何だろうか。
毎日、くだらない人々のくだらない言説を読まされ、それを“くだらないなー”と思いながら、それが話題とされ、それが“時代の空気”となり、“それ”が読めないと、仲間はずれにされる“社会”とは、実に暮らしにくい社会なのである。

ぼくはもう、半分“引退”したような生活だからいいようなものの、まだまだこの“世間”で生きるひとは大変ですね(笑)

“人生相談”するっきゃないだろう。
そういえば、ぼくは人生相談したことも、なにか自分の将来を占ってもらったこともない。

この“勝負という人生”で、人生相談しながら生きること自体が、億劫なことなんだ。
なんかそういう風でない人生ってないんだろうか?

もし“お笑い”というものが成立するならば、そういう世界観(世間観)こそを、笑うべきだ。
ぼくには、そんな“余裕”はないけれど、別の世界を“想像する”ことはできそうだ。

ぼくには、“ある種の本”があり、それを手がかりとすること(だけ)は、できる。


ちょっと(数日)旅に出ます。

今朝読み始めたデュラス『ジブラルタルの水夫』を持って。

ハードボイルドな黄昏;真夜中へもう一歩

2009-03-26 22:25:58 | 日記
今日の天声人語が、生意気にもハードボイルドについて書いている(笑)
レイモンド・チャンドラーが没して、きょうで50年だそうだ。
しかし、天声人語氏が知っている“ハードボイルド”は、チャンドラー=マーロウと例のセリフだけである(”タフでなければ生きていけない……“)

ぼくも昔のブログでハードボイルドについて書いたことがあったので再録しようかと思ったが、その必要はない、矢作俊彦を読めばいいのである;


★ 私はベッドにねそべり、部屋の中をながめていた。ときおり、自分がどこにいるのかさえ、忘れてしまいそうだった。
コーヒーの罐は空っぽになっていたし、シャワーはバルブが壊れ、水一滴出ようとしない。おまけに、今日は新聞も来ていない。だから、部屋をながめているのだ。
腕を枕にすると、海岸通りを駆け抜けていった風が、税関の尖塔にまっぷたつにされる鋭い悲鳴に、じっと耳をすました。大桟橋の方から、家族連れのにぎわいが漂って来る。雀が、日本大通りの銀杏の新芽をついばんでいた。四月ともなれば、あのいかつい銀杏だって花をつける。外は上天気なのだ。風にしても、すでに冷たいということはあるまい。
<矢作俊彦1978年、『リンゴォ・キッッドの休日』における二村永爾刑事のデビューである>


★たそがれ鳥の声で目を醒ました。シャワーを浴びてから、いやしくもたそがれ鳥と呼ばれる鳥が朝の7時から鳴くだろうか、と思った。野鳥の中には、他人の声で鳴く奴もいるのだ。人間の中にもそんな奴は大勢いて、警官に、人間に区別をつけるのは血液型と指紋しかないぞ、と教えてくれる。
服を着て、部屋でコーヒーを飲むころには、窓の外は蝉と鳥の声にあふれ、どれが何の声か、さっぱり区別がつかなくなっていた。
コーヒーを2杯飲むと、そのうち半分は自分の頭の中で鳴いていたことに気付いた。頭の芯に音があり、痛みがあった。”
<『真夜中へもう一歩』>


★ 雲は箒で掃いたようにきれいさっぱり吹き消され、台風を予感させる香ばしい空気が海上にはりつめていた。夜はどこまでも遠く、透きとおっていた。
しかし、彼女の唇ほど冷たくはなかった。
<“陽のあたる大通り”>


★ 広い駐車場の中、そこだけが日陰になっていたせいで、諒も礼子も、はじめはそれがいったい何なのか、さっぱり判らなかった。
他のすべてには、夏の日が洪水のようにあふれていたのだ。
ただでさえ遮るものは何もない場所だった。舗装などはもちろん、整地さえしていない。砂利敷きをブロックで仕切ったところがあるかと思えば、むき出しの赤土に石灰で線を引いただけのところもある。そのいたる所で雑草が背比べをしている。鉄条網で囲われたただの空き地だ。雨が降れば水たまりがタイアをすくい、しばらく降らなければ埃で目を開けていられない。
その片隅に、壊れかけた映画の広告塔が建っている。手前には錆だらけの巨大なレッカー車が止まっていて、そのふたつを覆うように、トタン囲いの残骸と、伸びるにまかせたカイヅカイブキの茂みがある。
8月第1週の日差しに炙り出され、その日陰は、コールタールの底無し沼のように黒い。二人が目を細めていると、そこから作業衣姿の男が現われ、こっちへ歩いてくるのが見えた。
<“白昼のジャンク”― 『夏のエンジン』所収>


★彼は、車から降りようとしなかった。またマントをひきよせ、それにくるまってしまった。額には汗がわきだし、それが厭な色に光っていた。
彼女が呼ぶと、運転席に身をかがめ、
「俺はイナフだ」と言った。
「1日に、陽に当たれる量は決まってるんだ。屋根のない車に乗ってたから、もうそれを使い切っちまったよ。俺はしばらくここにいる」
「そんなこと言って、ハワイなんか行ったらどうするのよ。太陽だらけよ、あそこはきっと」
「あそこのは、いいんだ。だって、おまえ、あそこには蛇がいないんだぞ。アフリカから来たやつは何もいないんだ」
礼子はそのとき、すでに階段の裏側で、港の向こう岸の軍用埠頭に錨を降ろした巨大な上陸用舟艇を見ていた。そこから、次々と降りてくる戦車の行列に見とれていた。
だから、大きな水音があたりまで轟くまで、小さなホンダが海に向かってゆっくり走って行ったことには気がつかなかった。
「ハワイへ行こうとしたんです」と、彼女は最初に飛んできた荷役業者に言った。
「本当なのよ、ハワイへ行こうとしただけなの」
どこへ行ったかは別として、そのときはもう、車も彼も泡さえも、海には何も見えなかった。
<“夏のエンジン”>


★ 坂は、タライに立てかけられた洗濯板みたいに港に向かって下っていた。見上げれば、そのうえに空がやたらと巨きく、見おろせば、町がちまちまと息苦しく海に入り混じっていた。
朝、坂は、小学校までの最後の数10メートルを永遠の道のりにして、彼をうんざりさせた。帰りは校門からそこまで一気に走り、立ち止まって息をつくのが新入生の始業式から3ヶ月以上、彼の日課になっていた。
朝、えいやっと気合を入れて格闘しなければならない高い塀のような坂は、午後も同じように彼を押し止めたが、決して通せんぼするわけではなかった。
そこからは、左右の防波堤と、それぞれの端に立つ赤と白の灯台まで見ることができた。ことに天気のよい夕暮れ時は、湾の向こう岸にいくつもの煙突が揺れて見えた。
そんなときは決まって、ランドセルがとても重く感じられ、その場で何度も背負いなおし、しまいにはため息をつくのが習わしだった。
<“ボーイ・ミーツ・ガール”―『夏のエンジン』所収>


★ 「パパとママがこの車を好きになった時の話をしたね」
「うん。何とかいう人が乗ってたんでしょう。それを映画でみつけたんだ」
「みつけたのか」
言って、スズキさんはニュース映画のその一シーンをありありと思い浮かべた。パリの街灯り、夜に浮かびあがったパンテオンのドーム。路上に並べられた椅子、机、卓子。そして人、人、人。笑顔、歓声、拍手、高笑。自治を、と書かれた2CV(ドーシーボー)に赤毛の青年。
★ 映画館の闇の匂い、10代だった妻の甘いローションの匂い、自分自身の匂い。ありようもないリラの花咲く匂いさえ。― その瞬間のありとあらゆるものすべてをいっぺんに洪水のように思い出した。そう!映画とは見るものでなく、見つけるものだったあの頃を。
<『スズキさんの休息と遍歴』>


★ そのとき、匂いが蘇った。新しい紙と印刷インクの匂いだ。それが彼を取り巻いていた。30年暮らした中国の村では、活字はどれも黄ばんだ紙に印刷されていた。
もう一度、思い切りその匂いをかいだ。そのとたん、胸がつかえた。胃が暴れ、何かが喉にこみ上げてきた。歯を食いしばってそれを止めると、涙がわっと溢れでた。
<『ららら科学の子』2003>


★テレビのアトムは、黒点異常のために地球を焼き尽くそうとする太陽に、核融合制御爆弾を抱えて突入し、そのまま還らなかった。
人類はとっくのとうに地球を捨て、ロケットで宇宙の彼方に逃げ去った。アトムが救った地球はロボットの天下だった。しかし、太陽の暴走が収束するやいなや、人類はまた戻って来る。アトム、ありがとう。おまえは人類の恩人だ。そのラストが気に入らなかった。
これでは涙もろい10万馬力のカミカゼ特攻機ではないか。
★最終回のはるか以前、アトムは人類に楯突き、ロボット法を犯していた。海のカモメに、あの向こうにはどんな国があるのかと尋ねたロボット少年は、ガラス瓶に入れられ流れ着いた手紙に誘われるまま、海の彼方を目指した。悪漢に捕えられ、はるか南方の海底で奴隷労働を強いられている少女を救うために。
空を超え、星の彼方へ飛んで行けるジェットエンジンは、そのとき、たったひとりの人間のために法を犯し、海を越えた。
★彼は目をつぶった。
電車は空高く舞い上がり、真っ白い吊り橋を伝い、数十万の街明かり、数百万の窓明かりが瞬く夜の中へ駆け下っていった。星はなく、雲がぼんやり浮かんで見えた。東京タワーが、赤々と燃え立つ蝋燭のように光ってそれを貫いていた。
「そんなものは、ありゃあしないんだ」と、彼は小さくつぶやいた。ヘッドフォンをした若者が身じろぎして、こちらを見た。
<『ららら科学の子』>


★だれもかれも他人の人生を生きているみたいだ。<“THE WRONG GOODBYE”>


認識のスリル

2009-03-25 22:45:59 | 日記
いつも本を読み終えることができないと愚痴ばかりいっているのだが、ここへきて天使がやっと微笑んでくれたのだろうか。

とてもよい本2冊にめぐりあった。

A:黒崎政男『カント「純粋理性批判」入門』(講談社選書メチエ2000)
B:郡司ペギオ-幸夫『生きていることの科学』(講談社現代新書2006)

いずれもまだ読了していないが、Aはここ数日で一気に読み、まもなく読了する。
Bは昨日買ったばかりで、半分にもたっしないが、一気に読めそうである。

Aが(ぼくにとって)なぜよい本であるのかは、この本ではじめて“カント”がわかる可能性が見えたことである。
そのことは(ぼくにとっての)長年の“哲学不信”(=哲学とはどうしようもないことをクドクド論議しているだけではないか?)を解消する可能性が“はじめて”現れたという意味である。
だが、この本については、また気分がのったら書きたい。


ここに今書くのは、『生きていることの科学』からの引用である。
この郡司ペギオ-幸夫という著者についてはなにも知らなかった(黒崎政男氏についてもそうである)
最近の“サイエンスの(自己)レッスン”のためにAmazonで本を探していて、“いい匂い(予感)”がしたので買った。


ぼくのこのブログの“引用”というのは、読まされる方にとっては、なんで“そこ”が引用されているのかわからないような引用であるかもしれないが、普段は結構“意図”があって引用している。

しかしここでは、わざと“ランダム”に引用する。
この本がそういう引用を可能にしていると思うのだ。
いずれにせよ、ぼくがブログで“引用”を多用しているのは、“原文”の断片を提示することによって、ひとりでもいいからその本を読んでほしいからだ。
もし“厳密な”引用をするなら、それは、1冊の本をまるごと引用するほかない。

この本は著者の“自問自答”からなっている。
この方法自体も注目される、ぼくもいつかこのブログで試してみたい方法である。


引用開始;

★ 玉虫の羽みたいに艶やかなプログラム、ざらついたプログラム。こういった表現は普通、比喩以上の意味を持たない。ただのイメージに過ぎない。でも生命や意識、こころの、科学的表現やモデル、理論を追求していくと、プログラムの質感、錆びて動かないプログラムとか、ぼろぼろにちぎれて辛うじてつなぎとめられたプログラムとかが、実質的意味を持つんじゃないかな。いやむしろ、実質的意味を持ちえるように、質感、材料性、モノそれ自体という概念を再構成したり、拡張して、科学を変えていくぐらいのことが必要なんじゃないかな。

★ どうしてかっていうと、現象を計算過程として理解するってことが、科学だからさ。感覚や意識過程も例外じゃない。意識過程は、プログラムとして理解されることになる。でも、そのプログラムが、肉で、タンパク質で、できている。それって物質、モノだよね。そうすると、プログラム自身における、材料としての変質、磨耗なんかが、計算過程に意味を持ってくると思うわけ。意識や感覚も計算過程なら、プログラム自身の物質的状態に応じて、感覚が、影響を受けると思うわけだよ。



★ 体調がいいときは、意識の居場所に、いちいち注意することなんかない。意味は常に、視界の中心にあって周囲しか見てないのに、超越的。それって論理的に変な感じだけど、意識自らの立ち位置、意識と身体との関係をいちいち詮索しないんだよね。健全なときって。意識の自明性を疑わない。意識は、自分が、見て、聴いて、感じているこの世界全体であると同時に、世界を感得する世界の中心である。全体であり点でもあるという二重性が、絶妙に、無自覚にバランスして、意識は世界の中で自由に振る舞うことができる。

★ けど、寝覚めの悪い、体が鉛のように重い朝、いわゆる私の意識は、世界であり、点でもあるという軽やかな両義性を持たない。自明性が失われてしまう。意識のやつが、塊として大きさを持って、まさに、この肉塊の中に封じ込められているって感じられる。肉塊すなわち意識の表面は、波立ち、よどみ、重く膨らみ、ささくれ立つ。それは五感の錯綜を伴うんだよ。豚のレバーを庖丁で切る違和感わかる?あれって表面は艶やかで、滑らかに見えるけど、内部は強靭に結びついていて、切るのにすごい抵抗感がある。切断されがたい、重い肉の塊。その質感、触感が、私の意識そのものって感じられるんだよ。触感それ自体が、私の意識、その認識であると感じられるほど、感覚が混乱する。日常と非日常の感覚は、全然ちがうんだけど、断絶があるわけではない。



★ 体調のおもわしくない意識、不健全な意識。ここから直感されるのは、疲労したプログラムであり、腐蝕したプログラムだった。通常想定される計算過程、プログラムとは、確定された状態や記号の、順序づけられた記号の列だ。純粋に抽象的、理念的存在だから、時間や変化、歴史を超越した存在だ。プログラムそのものは変化し得ない。だから、腐蝕、疲弊、磨耗のような、コントロールできない、どうしようもない変化とは無縁と考えられる。いずれ死ぬ、いずれ壊れる、といった不可逆な時間の流れは、モノそれ自体の性格であり、プログラム概念から排除されるはずだった。

★ でも他方、プログラムが物質で書かれ、物質で構成されている、という観点を導入すると、プログラム疲労・磨耗が視野に入ってくる。生物の形質を決めるプログラム、と言われる遺伝子を思い出せば、物質であるプログラムがとっぴな概念じゃないってのは、わかるよね。その意味するところは簡単じゃないけれど。物質で書かれたプログラムは、確定的な状態や、記号の自明性を失うことになるから、制御可能を前提とする計算という概念と、そりがあわなくなる。


(郡司ペギオ-幸夫氏の自己内対話は、まだまだ続く、ぼくもこれをフォローし、自分の自己内対話を続ける)


たかが野球じゃないか

2009-03-25 10:04:24 | 日記
たかが野球じゃないか。

“WBC連覇 日本を元気づける世界一だ(3月25日付・読売社説見出し)”

とはなにごとであろうか。

“日本チームの活躍に元気をもらった人も多いことだろう”(読売社説)


ぼくには、どうして“日本チームが活躍すると元気をもらう”ことができるかが、不可解であるが、そういうひとがいることは、かまわない。

わからないのは、読売新聞が社説で(まで)“日本を元気づける世界一だ”などと言うこと自体なのだ。

“野球”という競技が、サッカーのように“世界的な”競技ではないという事実問題からそう言うのではなくて、“世界一”だと“元気が出る”という発想が馬鹿げている。

そういう発想でしか考えられない限り、“日本”は永遠に“世界の田舎”でしかない。
もちろん“アメリカ”という国が、“世界一”にこだわるなら、それも“世界の田舎”にすぎない。


《きょうもどこかの空の下で、「へたくそ」の声に傷つき、歯を食いしばって球拾いをする少年がいるだろう。あすの真珠たちに幸あれ》
と言っているのも読売新聞“編集手帳”である。

こういう“嘘”をいつまで堂々と書き続けるのだろうか。

“へたくそで球拾いする少年”がWBCとやらに出られる可能性はほとんどない。
あらゆる“プロ・スポーツ”が、スペシャリストとして育成されたものだけの世界になっていることを、知らないなどとはいわせない。

そういう“プロの世界”が、あるべきかどうかには、議論の余地がある。
けれども、“つまらない幻想”を振りまくのはやめてほしい。


“へたくそで球拾いする少年”が、“世界一”にならなくてもいいのである。

むしろ“世界一”になるために、“野球のことしかわからない”少年が大人になってしまうことこそネガティヴである。

たしかに“スポーツの領域”というのは、プロとアマの技量の差が露骨である世界である。

しかしこの世界は、すべてスポーツの世界としてあるのではない。
そこでは、すべてのひとが本当は“素人(しろうと)”なのである。

ぼくは“すべての素人”が協力して、互いを“レベルアップさせる”ような関係が、“よい世界”なのではないかと考える。

《▼決勝打を放ち、イチローはにこりともしなかった。こちらは仕事師の顔である。敬遠もありえた場面で投手が勝負したのは、打者が「日本代表の代表」だからだろう。シンボルをねじ伏せたいという思いは、センター前にはじき返された▼隣国と好敵手になるのは悪くない。サッカーのブラジルとアルゼンチン、ラグビーの豪州とニュージーランド。意識し合い、互いに強くなった。日韓が戦うたび、伝説と因縁が積み上がる。すべて、共有の財産である。》 (天声人語)


なぜ、すべてのひとが“勝負師”であったり、そういうひとを模範にしなければならないのだろうか(笑)
なぜ“好敵手”を、必要としなければならないのか?
いったい、ぼくたちの“共有の財産”とは、何なんであろうか?

ぼくたちが、“強くなる”ために必要なことは、“野球観戦”ではありえない。


ぼくたちは、”戦後ずっと”野球を観戦してきたのに、”強くなって”いないのである。




<追記;誤解なきように>

自分でこのブログを読み返して、“誤解”が生じるおそれがあるので追記する。
(ぼくのDoblogからの読者なら、誤解の余地はないと思うが)

ぼくが最後に“強くなる”と書いた意味は、“日米軍事同盟を強化する”とか“自力の軍備を強化する”というようなことでは、ありません。

その反対です。

“個人”のそれぞれが、“強くなる”にはどうしたらよいのか?という問題提起です。
あるいは、“強くなる”などということに、“気張らないで”すむ<社会>のことです。

しかし、そういう<社会>へ向かうためには、たしかにまだ(永久に?)“たたかい”が必要かもしれない。

しかしその“たたかい(勝負!)”は、“野球というゲームの比喩”では語りえない。

そういう“比喩”で語って(語られて)しまって、“元気づけられている”この状況自体が、ぼくたちから真の“たたかい=取り組むべき思考”を奪っているのだ。

つまり“戦争”ではない“たたかい”、この閉ざされた個の場所から、外に出ようとして、<他>と関係する思考=行為は、“試行”される。


ぼくたちにいま必要なのは、基礎的な=根底的な=ラディカルな思考なんです。
“批判的な”思考であって、“保守的な”思考ではありません。

哲学や科学は、方法のちがいはあっても、いつの時代にも“この思考”をおこなった人々の思考であり、それはそれまでの認識を“批判”しています。
そして自らの認識を提示しています。
そして、その“認識”もまた“批判”されうるのです。

批判のための批判ではないのです。
考えるならば、それは批判となるのです。
あるいは、“批判”が目的ではなく、いつも“基礎的な(基本的な)”思考-認識-想像-行為だけが必要だと思います。


もしぼくが、“たかが野球の話題”から、オーバーな論議をしていると思うなら、そうではないだろう。

たかが野球である話題から、またもや、“世論操作(”時代の空気”の押しつけ=支配)”を狙っているのは、読売、朝日などのマス・メディア自体である。


“ここから抜け出す道があるはずだ”

2009-03-24 23:32:04 | 日記
“ここから抜け出す道があるはずだ”
ペテン師が泥棒に言った
“あんまりこんがらがっているんで息もつけない、ビジネスマンは俺のワインを飲んじまうし百姓は俺の土地を耕す、そいつらの誰一人その値段を知らない“

“そんなに興奮しなさんな”
泥棒がやさしく言った
“俺たちの仲間の大部分だって生きることはジョークだと思ってる、でもあんたと俺はそんなことは卒業したしそいつは俺たちの運命じゃない、だからアホな話はよそう、夜も更けてきた”

見張り塔からずっと、王子たちは見張っていた
その間、女たちはやって来て去っていった、裸足の召使たちも

遠くの方で山猫がうなった
二人の馬に乗った男が近づいてくる、風が吠え始めた

<BOB DYLAN:All Along The Watchtower>



世界はまるいから
ぼくはうっとりする
世界はまるいから

風は高いところにある
ぼくの心のなかを吹く
風は高いところを吹く

愛、それは古い、愛、それは新しい
愛、すべて、愛、それはあなた

空が青いから
泣ける
空がいつも青いから

<BEATLES:Because>



ぼくは12歳のとき踊った
ぼくは踊った、ああー
ぼくは子宮から躍り出た
そんなにはやく踊れるなんて不思議だね
ぼくは子宮から躍り出た

ぼくは8歳で踊ってた
そんなに遅いなんて不思議じゃない?
ぼくは踊りながら子宮にもぐり込んだ
そんなにはやく踊れるなんて不思議
ぼくは踊りながら子宮にもぐり込んだ
なかなか理解しがたいね
男のなかには恐怖が住んでいるのさ
そのバカみたいなものは何?
風船みたいな

ぼくは子宮から躍り出たんだ
そんなにはやく踊れるのは不思議
ぼくは踊りながら子宮にもぐり込んだ
そしてもういちど
ぼくは子宮から躍り出た
そんなにはやく踊れるのは不思議さ
ぼくは子宮から踊り出た

<T.REX :COSMIC DANCER>


サイエンスのレッスン

2009-03-23 12:22:43 | 日記
ぼくの“読書”というのは、気まぐれである。

それで自分の読書に、なんとか“計画性”をもたせようと、“読書計画”をたてて、システマチックに本を読もうとするのだが、この“計画”が実現されたためしがない。

昨日のブログで“むかしの文学全集に収録されていたようなベーシックな本を読め”と書いたのだが、自分自身は最近さっぱり“文学”を読んでいない。

数年前、“ベーシックな知識が必要だから新書を読め“とブログに書いて、自分でもその頃、かなりの新書を買ったのだが、読了したものはわずかである。

最近の“トレンド”は、“サイエンス”である(笑)

なにしろ“科学”に弱いので、最近のサイエンスについて勉強する必要性はかねがね感じていた。
特に“私的”にも、妻が神経性難病(こういう表現でいいのだろうか?;笑)なので、その方面の知識の欠如も気にかかっていた。
どうもぼくは、自分の身近なことほど関心がないのである。

ぼくが最近読んだ、サイエンス関係の本は、昨年読んだ、『生物と無生物のあいだ』だが、この評判になった本は予想以上に、ぼくにも面白かった。
しかしこの本の“面白さ”は、そこに書かれている“知識”よりも、現在の科学者の研究を中核とする“生活(のフィーリング)”自体だった。
つまり、この本においても、ぼくはサイエンスを“文学的に”読んでしまった。

現代のサイエンスをどこから読んだらいいかについては、ぼくには迷いはなかった。
上記した事情も含め、脳とか神経系をふくむ“生物学”領域から読むことは決まっていた。
実はそういう領域の“入門書”もかなり購入していた、読んでないだけである(笑)

最近読んだハーバートの『ボイド-星の方舟』というSFによって、またまたサイエンスへの関心がめざめた(このgooブログをはじめてから書いた“VOID;虚空”は、最近書いた自分のブログでは気に入っているので、まだ読んでない人は読んでね;笑)

それで過去に買った“生物学関係の本”をひっぱり出し、先日2冊の岩波新書を買った;
① 松原謙一『遺伝子とゲノム』、②永田和宏『タンパク質の一生』である。

ぼくは、本を買うと、‘まえがき’と‘あとがき’を読んでしまう。
この2冊も、‘まえがき’と‘あとがき’を読むと、なんかわくわくしてくるのであった(笑)

ぼくは小学生のころは“科学少年”(“子供の科学”!)であったので、そのころの“感じ”が蘇るようであったのだ。
ぼくは“天体と宇宙”とか“顕微鏡写真”とかが好きだった。
なぜか新聞の“天気図”が好きであり、南極観測船“宗谷”の冒険に心ときめいた、“ゴジラ”にも。

だが今回、最初に読み始めるのは(読みやすそうな)、だいぶ前の本だが、立花隆が利根川進をインタビューした『精神と物質』(文春文庫)にした。
このインタビューは1988年に行われたので、情報として古いのかもしれないが、まあ足馴しと思ったのだ。

そしたら、インタビュー開始から面白いではないか、引用しよう;
(利根川進は1987年度のノーベル生理学賞・医学賞の受賞者であり、学歴は日比谷高校-京都大学理学部である)

★ (質問=立花);理学部の化学科の出身でしたね。もともと生物に対する興味から分子生物学に入っていかれたわけじゃないんですか。

★ (利根川);ぼくは高校で生物をとってないんです。だから生物の知識なんて、はじめは何もなかったですね。たとえばね、この人間の体がみんな細胞でできてるなんてことは、大学に入って一般教養の生物をとるまで知らなかったくらいなんですよ。それを聞いたとき、へえーっと思ってね、すぐ友達にその話したら、お前そんなことも知らなかったのかって、すごくバカにされましたけどね(笑)。こんな話書かないでくださいよ。

★ (立花);いやあ、その話いいですね。ノーベル賞の利根川さんが細胞を知らなかったなんて傑作ですよ。ぜひ書かせてください。

★ (利根川);それを聞いたとき、おお、そうかあ、生物学ではもう相当えらいことまでわかっとんのやなと感心したぐらいでね(笑)。ぼくの生物学の知識というのはそんなものでしたね。


いやー、勇気づけられるではないか。

さらにいい話。
利根川氏が学者(研究者)になったのは、“サラリーマンになりたくなかった”からだというのだ。


★ (立花);どうしてサラリーマンになるのがいやだったんですか。

★ (利根川);あのころはちょうど安保闘争のあとでね、友達のなかに、会社なんかに勤めてサラリーマンになって資本家のために一生働くなんてつまらんじゃないかというのがおってね、それがまあ、真面目でなかなか魅力的な男なんだな。そいつらの影響を受けて、だんだん、そうだな、確かに会社づとめなんてつまらんなと思いだしたわけです。

★ (立花);ぼくも同じ世代だからわかりますけど、確かにあの時代そういう雰囲気がありましたね。安保闘争は大学2年のときですね。

★ (利根川);そう。60年(1960年)はもう授業にもかなりの影響が出始めていた。つまり授業時間を先生に頼んで、クラス討議にふりかえたり、デモにいったりしていた。ぼくは全然ノンポリティカルな学生だったけど、根が真面目なたちだったから、クラス討議なんか一生懸命聞くわけ。そのうちだんだん彼らというか運動やってる連中のいってることももっともだと思うようになって、デモに行くようになりました。みんな集まって、なんかぎゃあぎゃあやるだけでくだらんなという気持もあったけど、やらにゃいかんという気持もあった。そして、東京で樺美智子さんという人が死んだでしょう。

★ (立花)60年6月15日。

★ (利根川)そう。あの衝撃大きかったね。それで、京都からみんな東京へ行った。安保が時間切れで自然成立で通る前の日の晩ね、あのときぼくら東京に行って、国会の前におったわけです。ぼくらの教室40人ぐらいおるうち、30人は行っておったね。


60年安保闘争のあとの“挫折感、虚脱感”のあとで、利根川氏はどう考えたか;

(京大化学科の中に生物化学教室というのがあり、そこで博士課程を終えたばかりで研究室に残っていた山田さんに会い、ニーレンバーグの遺伝子暗号解読の話を聞いた)

★ (利根川);そのとき、へえー、こんな面白いことがあるのかと思った。化学はつまらんと思っていたけど、生物現象を化学的に研究していけば、これはひょっとしたらなんか面白いことがありそうだと思った。それで、生物化学の教室に入ることにした。いまから思うとこれが最初のきっかけですね。ほんとうに分子生物学の世界にひきこまれるのはもう少し先ですけどね。





<追記>

ここでぼくは、“20年前”の利根川氏の発言を読んでいる。

そこでは、“50年前”の“60年安保闘争”のことが語られている。
“安保”とは、“日米安全保障条約”のことである。

この話題は、“もう古い”のであろうか?

しかしぼくがブックマークしている“不破利晴ブログ”の最新記事は、“日米安保条約無効訴訟に注目する[前編]”である。

一市民が提訴した“日米安保条約無効訴訟”は、この2009年において闘われているのだ(不破ブログ参照)

つまり、この現在において、“安保条約”について考え発言することは、ちっとも“古く”などなっていない。


たぶん”サイエンス”がほんとうに機能するためには、それは、新しいことを追いかけることのみには、ない。


みずからの感受性をカクランせよ

2009-03-22 14:07:42 | 日記
うちには子供がいないのでわからないが、卒業式のシーズンらしい。

“内田樹の研究室”ブログが内田教授の卒業生に贈る言葉を書いている。

《あなたの隣人を愛するように、あなた自身を愛しなさい》
という。


この聖書の言葉の“パロディ”の根拠については、氏のブログを参照してください。

まあそれでは不親切なんで、ポイント引用しておこう;

★私たちの生きている時代は「自分を愛すること」がきわめて困難な時代である。
自分を愛することができない人間が「自分を愛するように隣人を愛する」ことができるであろうか。
私は懐疑的である。
マタイ伝の聖句には「主を愛すること」「私を愛すること」「隣人を愛すること」の三つのことが書かれている。
本学(神戸女学院)の学院標語は「愛神愛隣」のみを語り、「愛己」については言及していない。
それは「愛己」が誰にでもできるほど容易なわざであるからではなく、その語の根源的な意味において「自分自身を愛している人間」がこの世界に存在しないことを古代の賢者はすでに察知していたからではないかと私は考えるのである。
(引用)



ぼくは上記の文章を昨日読んで、“ふ~ん”と思った(笑)


今日起きて下記ブログを書き、遅い朝昼兼用食を食べ、食後にヴィヴァルディの‘チェロ協奏曲“のアダージョ楽章を聴いていたら(いつもこういう音楽を聴いているのではない)、上記の内田氏の文章と”文学全集“を結びつけるブログの”構想“(笑)がわきあがってきた。


“文学全集”!
いったい何の話であろうか?

つまりぼくの高校-大学時代と現在を比較して、非常に異なっているのは“文学全集”というものが、ほとんど出版されなくなったことなのである。

これはまず、“出版界(物)の話題”なのではなく、時代状況全体の“問題”として提起したい。

ぼくの高校-大学時代ほど、文学全集のみでなく、あらゆる“全集”が刊行されたことはなかった。
中央公論社は“世界の歴史”、“日本の歴史”、“世界の文学”、“日本の文学”、“世界の名著”などという全集を刊行した。
そういう全集の広告が、新聞の1面全体を使って華々しく広告された。

“世界の名著”(あずき色の表紙)などは、それまで岩波文庫のほぼ独占だった哲学-思想系の古典の新訳を行い、その“遺産”は現在も“中公クラシックス”として発売されている。

しかしここでの話題は“文学全集”である。
文学全集には、“世界”と“日本”の2系統があり、中央公論社だけでなく、大手出版社の大部分がこういう全集を刊行した。

河出書房の“グリーン版世界文学全集”は、何期にもわたって刊行され、その総冊数は何百冊にもたっしたはずだ。

こういう全集を、まるごと全部買ってしまうひともいたようだが、ぼくは決してそのようなことをしたことがない(笑)

つまり、“その全集”や“いろいろな全集”から、選んで買っていたのである。
そういう全集本の1冊も長い時を経て、処分したり、なくなったりして、現在手元にはあんまり残っていない。
中公の歴史全集のように、現在文庫化されているものもある。

ぼくがとっておいて執着がある全集本の代表は中公世界の文学(1期は赤い表紙)のサルトル『嘔吐』とビュトール『時間割』のカップリングである。


さて現在も刊行されている文学全集がある。
池澤夏樹個人編集の“河出・世界文学全集”とちくま文庫の“ちくま日本文学”である。

ぼくはこういう企画も支持するが、このふたつの“全集”はむかしの全集のように“網羅的”ではない。

“河出・世界文学全集”は、“現代の”世界文学から、まさに池澤夏樹が“選択”したものである。
“ちくま日本文学”は、前に刊行された“ちくま日本文学全集”からの“いまの時代に合わせたセレクション”だという。

“いまの時代に合わせたセレクション”! とは何を意味するのだろうか。

このセレクションには、三島由紀夫や開高健や寺山修司はいても、大岡省平や大江健三郎や日野敬三や中上健次がいないのである。
ぼくは三島、開高、寺山が嫌いなのではないし、このセレクションが“死んだ人”ならば、大江ははずしてもいいが(笑)、大岡、日野、中上はどうしたのであろうか(もちろん他の作家の“名”をあげる人もいるだろう)


もちろん、何百冊の“網羅的全集”であっても、そのセレクションには、疑問を呈することはできた。

しかし。
しかしである(笑)ここでぼくが言いたいことは、昔の“網羅的全集”の長所の方である。

つまり“自己批判”であるのだが、ぼくは若い時にこういう“文学全集”を“セレクトせず”全巻読むべきだったと思うのだ。
1期、 2期・・・・・・などと刊行される場合は、少なくとも1期の100冊くらいは、全部読むべきだった。

つまり、最初の段階で、“選択すべき”ではないのである。

現在、こういう文学全集に入っている“古臭い名前”が読まれなくなっていることは知っている。
もう40年以上も前に、ぼく自身が“そういう古臭い名前”ではない作家を“さがして”文学と呼ばれるものを読み始めたのだから。
その当時、そういう“名”は、安倍公房や大江健三郎やサルトルやカミュなどなどであったのだ。

現在、まさに日々新刊書が発刊され、本屋推薦本とかベストセラーとかの話題がかしましく、そういう本に付き合っているだけで、“読書”は成り立ってしまう。

しかし、“いまの時代に合わせたセレクション”だけを読んでいては、ダメなのであることだけは、ぼくの“経験”から言えるのである。

なにを“古典”とするかも意見はわかれるだろう。
いつの時代の本までを古典というかも意見は分かれる。

しかし、“ベーシックな本”というものはある。
あるいは、この“ベーシックな本”に書かれている“世界”だけでも、世界は多様でおどろくほど豊饒である。
その世界をあなたの現在の感受性で“セレクト”すべきではない。
読んだ上で、セレクトすべきである。


そのうえで、真に“現代”である本、真に“アクチュアルである本”をさがしたい。

ぼくにとっても、この戦後60年に書かれた本こそは、貴重である。
なぜなら、ここにこそ“同時代の感受性”がたしかにあるからである。
それは、日本と世界という区分けを突破している。

河出世界文学全集を編集した池澤夏樹の言葉を掲げよう;

《世界はこんなに広いし、人間の思いはこんなに遠くまで飛翔する。それを体験して欲しい》


内田樹の研究室ブログと文学全集の“関係”が述べられていないって?(笑)

それは、自分で考えてください。




<追記>

ぼくたちはこの“古くさい名”のなかから、自分が信仰するひとの名をさがすのではない。

ぼくたちに“現在の(新しい)感性-論理”があるのなら、それによって“批判的に”読むことができる。

また現在の“新しさ”が、なんの新しさでもなく、ただ“時代の流行の空虚”でしかないことも、知ることができる。

ぼくたちの最後の目標が“この時代=現在”の人間を理解する(それによって関係することが可能になる)ことであるならば、現在の言葉を理解するために、過去の言葉の歴史的蓄積に対する感受性がどうしてもいる。

この現在、この現在だけの(ユニークな)感受性などというものは、ない。

まさにこの“歴史”に盲目ならば、どんな“現代的感性-認識”もあり得ない。


ぼくは昨日のブログで<方舟>について書いた。

この方舟に乗せるものが、豪華である必要も、権威づけられたものである必要もないが、それがぼくの目先の趣味で選ばれたものなら、あまりにも貧しいではないか。