Don't Let Me Down

日々の雑感、引用。
言葉とイメージと音から喚起されるもの。

美しい夏、美しかった女たち

2010-05-31 14:56:16 | 日記


★ あのころはいつもお祭だった。家を出て通りを横切れば、もう夢中になれたし、何もかも美しくて、とくに夜にはそうだったから、死ぬほど疲れて帰ってきてもまだ何か起こらないかしら、火事にでもならないかしら、家に赤ん坊でも生まれないかしらと願っていた、あるいはいっそのこといきなり夜が明けて人びとがみな通りに出てくればよいのに、そしてそのまま歩きに歩き続けて牧場まで、丘のむこうにまで、行ければよいのに。「あなたたちは元気だから、若いから」と人には言われた、「まだ結婚していないから、苦労がないから、無理もないわ」でも娘たちのひとりの、片足を引きずって病院から出てきて、家にはろくに食べ物もなかったあのティーナ、彼女でさえわけもなく笑った、そしてある晩などは、小走りにみなのあとをついてきたのが、急に立ち止まって泣き出してしまった、だって眠るのはつまらないし楽しい時間を奪われてしまうから。
<パヴェーゼ;『美しい夏』(岩波文庫2006)、オリジナル1940)



★ 「愚かさゆえに滅ぶのは、《唯我論者国家》のめざすところではないでしょう?そうやって自分の体をばらばらにして、それで自分が不死身だとでも証明した気なの?遠近法を狂わせた記憶を自分に植えつけて、永遠に生きてきたつもりになっているわけ?わたしは、安っぽいまやかしの不死なんて願いさげよ。ほんものがほしいの」
<グレッグ・イーガン;『順列都市』(ハヤカワ文庫1999)、オリジナル1994)



★サン・マルタン・ヴェジュビ 1943年夏
水の音が聞えてくると、冬が終わったことを、彼女は知った。冬のあいだ、雪は村を蔽い、家々の屋根や牧草地は真白だった。軒端に氷がつららをつくった。やがて太陽が熱く燃えだし、雪が融け、軒端という軒端、梁という梁、また木々のすべての枝から、水が一滴々々滴り始め、水滴が集まって小さな流れとなり、流れは小川となり、水は、村の道という道を楽しげに、滝のように流れ下っていった。
いちばん古い思い出は、たぶんその水の音だろう。
<ル・クレジオ;『さまよえる星』(新潮社1994)、オリジナル1992>





さまよえる星
束の間の恋人よ
おまえの道をたどってゆけ
海を渡り大地をこえ
おまえの鎖を打ち壊せ
  ――ペルー民謡






本を読むロックロール・ニガー

2010-05-31 12:09:38 | 日記


<われわれは混血種である>というメッセージは、<国>を横断する。
<時代>を横断する。
<場所と時間>を“横切って”行くのだ。

“われわれ”には、<文化>の蓄積がある。
それが<日本>だろうと、<世界>だろうとかまわない。
イスラームだろうと仏教だろうとキリスト教だろうと、“かまわない”。
科学だろうと哲学だろうと文学だろうとかまわない。

カントだろうとへーゲルだろうとマルクスだろうとニーチェだろうとフッサールだろうとフロイトだろうとベンヤミンだろうとフーコーだろうとドゥルーズだろうとサイードだろうと柄谷行人だろうと宇野邦一だろうと立岩真也だろうと、かまわない。
シェクスピア、ダンテ、ゲーテ、バルザック、ドストエフスキー、カフカ、プルースト、ジョイス、フォークナー、デュラス、ビュトール、ギュンター・グラス、ル・クレジオ、大江健三郎、中上健次を、“読むべき”である。

ミステリをサイエンス・フィクションをハードボイルドを“時代劇”を“純文学”を“ノン・フィクション”を“ドキュメンタリー”を“伝記”を“日記”を“手紙”を横断すべきである。

“宇宙を科学し”、“世界を科学し”、“社会を科学し”、“生きて在ること”を探究すべきである。

今日も<メディア>は言う;
▼ 日本通のジョン・ダワー米MIT教授(71)が教職を退く。占領期を描いた著「敗北を抱きしめて」について「戦争直後、多くの日本人が様々なレベルで粘り強さと明るさを発揮し、軍事に頼らない平和をつくろうとした姿を描きたかった」。粘りと明るさ。今求められる二つである(天声人語)

しかしこの“粘りと明るさ”とは何か?

“粘りと明るさ”が、現在の<メディア>には、“ありえない”ことが問題なのである。
“メディアの言葉”こそ、敵の言葉であり、とっくに死を宣告された言葉である。

メディアの言葉は、徹頭徹尾、“われわれ”を痴呆化し、われわれの“なけなしの自由のイメージ”を奪う。
われわれの、“最後の場所”を奪いにくる。

メディアは、<事実>も<公共>も<正義>も<真実>も、気の抜けた“まがいもの”にする。
メディアは、<悪>に直面し<悪>について語ることを、いつも誤魔化し続けることによって、<悪>に加担している。

“すべて”を、既成事実の予定調和による“落としどころ”へと誘導する。

だれのために?
みずからの<利益>のために。

みずからの利益の<予定調和>のために“のみ”。

もしまだ人間に<魂>というようなものがあるならば、われわれは、“魂をまだ失っていないひと”の言葉を聞くべきである。

どこからも、<横断>を開始することはできる。

ぼくはこのところ読んでいなかった<小説>を読もうとしている(新しく読むもの、読みかけの本を継続するもの)、たとえば;

☆ グレッグ・イーガン『順列都市』(ハヤカワ文庫)
☆ ジョン・アーヴィング『ホテル・ニューハンプシャー』(新潮文庫)、『サイダーハウス・ルール』(文春文庫)
☆ ギュンター・グラス『ブリキの太鼓』(集英社文庫)第3部→『玉ねぎの皮をむきながら』(集英社)
☆ 大江健三郎『作家自身を語る』(新潮社)→『僕が本当に若かった頃』(講談社学芸文庫)、『水死』(講談社)
☆ ジョン・ル・カレ『サラマンダーは炎のなかに』(光文社文庫)
☆ ウンベルト・エーコ『フーコーの振り子』(文春文庫)
☆ ル・クレジオ『さまよえる星』(新潮社)、『黄金探索者』(河出書房新社)、『はじまりの時』(原書房)
☆ 三島由紀夫『春の雪』
☆ 中上健次『化粧』(講談社文芸文庫)
☆ 青山真治『帰り道が消えた』(講談社)
☆ フォークナー『アブサロム、アブサロム!』(講談社文芸文庫)
☆ ジョイス『ダブリナーズ』(新潮文庫)、『ユリシーズ』(集英社文庫)
☆ ヴァージニア・ウルフ『ダロウェイ夫人』(光文社古典新訳文庫)
☆ デュラス『北の愛人』(河出文庫)→『戦争ノート』(河出書房新社)
☆ ビュトール『心変わり』(岩波文庫)、『時間割』(河出文庫)―再読




再録;ロックンロール・ニガー

2010-05-31 12:06:12 | 日記


ここに再録するブログをぼくは今年2月に書いた。

けれども、ぼくは毎日、Jimi Hendrixを聴いているのでは、ない。

このところの、ぼくの“テーマ”は、ニーノ・ロータによる、「太陽がいっぱい」のあるシーン(とても印象的なシーン)に使われていた“カンツォーネ”的なメロディーである。

<われわれは混血種である>というメッセージは、<国>を横断する。
<時代>を横断する。
<場所と時間>を“横切って”行くのだ;



“Jimi Hendrix , Rock’n’roll Nigger
Nigger, nigger,,nigger ,nigger , Rock’n’roll Nigger“

と、パティ・スミスは歌った。


ジミは純粋な“ニガー”ではない、チェロキー・インディアンの血をひく。
昨日ぼくが“知性がなければロックじゃない”と書いた時、そこに掲げる<写真>で考えた。
たとえば“知的なロッカー”の肖像なら、ボブ・ディランやジョン・レノンやブライアン・ウィルソンやジム・モリソンでもよかった。
ジミ・ヘンドリックスは“知的な”イメージではなかった。

彼の<詞>はこうだ;
《紫の煙がぼくのブレインにたちこめる》
《彼女はフォクシー・レディだ》
《次は火だ》(ギターに火を放つ)

彼のパフォーマンスは、“野蛮”であった。
彼のブルースには、“黒人の悲しみの屈折”が欠如していた(笑)

彼のギター、まさに彼のギターこそ、うねった、叫んだ。
彼の大観衆の前での最後のステージだったと思われるウッドストックにおいて、ヒット曲の演奏(そのなかには、あの星条旗をギターで引き裂く曲もあったが)の最後に彼が弾いたのはインディアンの旋律を彷彿とさせる曲だった。
(ウッドストック映画のエンドタイトルバックに流れ、ジミ・ヘン“ウッドストック”CDの最後で聴ける)

かつてボブ・ディランは、“All along the watchtower”のジミ・ヘンドリックスによるカヴァーを、“自分が表出したかったことを実現した演奏”と絶賛した。
ディランは、“ロック・オブ・ザ・フェイム”選出記念ライヴで、3人のギタリストによる“All along the watchtower”の演奏によって、ジミ・ヘンドリックスに“応えた”(すなわち3対1である、この演奏も素晴しかったが)
マイルス・デイヴィスが、“俺はその気になれば世界最高のロック・バンドを実現してみせる”と豪語したとき、かれが招くべきリード・ギタリストはジミ・ヘンドリックスであった。
ジミの死で、この夢はついえた。

<ロックン・ロール・ニガー>とは何か。

それは“黒人であること”でも“インディアンであること”でも”差別民であること“でもない。
ぼくらは“虐げられた人々”や“差別されるひと”や“ハンディを持ったひと”に同情したり、彼らを“差別しない”のでは、ない。
ぼくたち自身が、“そういうひとの一人”だからである。
それは他人の問題ではなく、自分の問題だからである。

ロックには、さまざまな<叫び>があった。

原始時代の人々は、動物のように叫んだだろうか。
その叫びのなかから、音楽や言葉が生まれたのだろうか。
ジミ・ヘンドリックスのギターは叫んでいた。
だが、バッハは叫ばなかっただろうか。
彼は、若い妻への“練習曲”として、あの鍵盤楽器曲を書いたのだろうか。

このメディアによる拡散とグローバル商業主義がすべてを<商品>にするとき、人間を<商品>とするとき、あらゆる亡霊のような叫び声が、よびかける。

“Jimi Hendrix , Rock’n’roll Nigger
Nigger, nigger,,nigger ,nigger , Rock’n’roll Nigger“


ニーチェが狂気とのたたかいのなかで夢見た<超人>は、“ナチス=純血種”においてではなく、<わたしたち=ロックンロール・ニガー=真理の犬=混血種>において実現する。

ぼくが考える<超人>とは、ミュータント的突然変異種ではなく、<人間の記憶=歴史>を保持したまま“人間を超えるもの”である。

<哲学>と<科学>は、生きるための<道具>であり、ジーンズのように履きつぶせばいい。

<文学(読むこと-書くこと)>は、生きていることの証し=ドキュメントである。

ぼくたちは、すでに、混血種である。


“Jimi Hendrix , Rock’n’roll Nigger
Nigger, nigger,,nigger ,nigger , Rock’n’roll Nigger“





映画には何ができるか?

2010-05-30 12:37:55 | 日記


タイトルに掲げた“映画に何ができるか?”というのは疑問文です。

つまりこういう“疑問”が、ぼくという人間に生じるということです。

つまり、“映画に”、いま何ができるかは、明瞭でないということです。

つまり、“映画に何ができるか?”という疑問をもたず、映画には何かができる“と信じている方々とは、ぼくは”意見がちがう“ということです。

このぼくの疑問は、ほとんど毎日、テレビで映画を見ている(古いのも比較的新しいのも)ことからやってきます。
ぼくは“映画館”では近年ほとんど映画を見ていない。
昨日、映画館でない場所で、映画を見ました。

「ただいま それぞれの居場所」という映画。
この映画のパンフレットから引用します;

★新しい介護のかたち。理想とジレンマ。働きはじめた若いひとたち――
2000年4月1日の介護保険制度開始以降、介護サービスの数は急激に増えました。しかしその一方で、介護を必要としながらも、制度の枠組から漏れてしまう人々も多くいる現状があります。そうした中、現在の画一的な介護サービスの在り方にジレンマを感じ、自ら理想とする介護を実現させようと施設・事業所を立ち上げた人たちがいます。
ドキュメンタリー映画『ただいま それぞれの居場所』では、設立から23年になる民間福祉施設と、新たに、若者によって設立された三つの施設を取材。人手不足や低賃金などの問題ばかりが取り上げられがちな介護の現場ですが、映画は、利用者やその家族と深くかかわることを望み、日夜奮闘する施設のスタッフたちの姿を映しだしていきます。そして、いくつもの人生の最後の季節、生と死のあわいに向き合い続ける日々が、スタッフそれぞれの哲学を育んでいきます
(以上引用)

この映画はドキュメンタリーです。
記録された施設・事業所は以下の所です;
☆ NPO法人“優人”(ゆうと)<京都府城陽市>
☆ 民間福祉施設“元気な亀さん”<埼玉県坂戸市>
☆ 有限会社オールフォアワン“宅老所 いしいさん家(ち)”<千葉県千葉市>
☆ NPO法人井戸端介護“宅老所 井戸端げんき”<千葉県木更津市>


ぼくはこの映画についての感想は(今日は)書きません。
つまり、“難病者”と何十年も生活してきた“ぼく”にとっては、こういう“直接的な話題”を書かなくても、ぼくが日々書いている(一見無関係な)“このブログ”に<それ>は係わっているから。

この映画は、東京では“ポレポレ東中野”で公開されましたが、もう終わっています。
大阪での公開に続き主要都市での公開はあるようです。
こういう映画を“見る機会”というのが、なかなかないわけですが、チャンスがあれば、見てください。


ただ、“この映画を見て”ぼくが、“映画には何ができるか?”という問いを発していることに留意ねがいます。

たとえば映画によって“日本を考える”なら、この映画と“ともに”たとえば以下の映画を見る必要がある;

☆ 青山真治「ユリイカ」2000
☆ 岩井俊二「リリイ・シュシュのすべて」2001
☆ 是枝裕和「DISTANCE」2001
☆ 押井守「スカイクロラ」2008

これらの映画をぼくが“選択”したのは、もちろんぼくの独断と偏見です。
“日本映画”だけでもぼくが見ていない映画は無数にあるから。

しかし、ひとは、自分が見たもののなかから、なにかを“選ぶ”のです。


以上は“映画”について書いてきたわけですが、これは“音楽”や“小説”についても同じです。

政治的-社会的<立場>についても同じです。

すなわち、誰にでも妥当する“公共的”(万人共通の)<落としどころ>など、どこにもありません。

それと、“現在的な(アクチュアルな)問題”ということを言うのなら、それは、<老化>です。

それをもっと普遍的に言うなら、立岩真也氏が言っているように、<生存(生きて在ること)>だと思います。





移動祝祭日;A Moveable Fest

2010-05-27 12:52:06 | 日記


★ それから、天気が悪くなった。秋もすぎたある日に変化は訪れる。夜になると窓を閉めて雨に備えねばならず、コントルカルプ広場の木々の葉は冷たい風に剥ぎとられる。落ちた葉は雨でぐっしょり濡れ、終点に止っている緑色の大型バスのボディに雨が風で叩きつけられた。カフェ・デ・マザトゥールは客で込み合い、店内の熱気やタバコの煙で窓がくもっていた。そこはその界隈の酔っ払いたちのたまり場になっている、うらぶれた、手入れのお粗末なカフェだった。


今朝ブログを書いていて、突如読みかけで放置した『ホテル・ニューハンプシャー』が読みたくなった。

『サイダー・ハウス・ルール』は持ってない、文春文庫版も品切れなので、Amazonマーケットに古書を注文した。
『ホテル・ニューハンプシャー』文庫本を、机の後に床から積み上げてある文庫本の山から探していると、ヘミングウエイ『移動祝祭日』があった。

この『移動祝祭日』の翻訳は、前に岩波書店版を読んだが、その翻訳にどうしても違和感がつのり、途中放棄した。
この新潮文庫版は昨年出た高見浩による新訳である。

その冒頭が、上記引用個所である。

★ ここに描かれているのは、1921年から1926年にかけて彼がパリですごした日々の思い出です。(ヘミングウェイ最後の妻のこの本への“覚書”)

このヘミングウェイの“4番目の妻”が彼と結婚したのは、ぼくが生まれた年であった。
この豪奢な生涯(とわれわれに思われている)男の、パリでの作家修業時代の“思い出”を、なぜいまさら、ぼくが読む必要があるか?

もうすっかり“この男”は、過去の伝説となり、忘れられつつある。
しかし“戦後”、この男をふくむアメリカ作家を評価し、その“文体”に影響を受けたのが、サルトルであり、さらにその影響を受けて、作家大江健三郎が誕生したことは、自明の理であろうか?

逆に、若いヘミングウェイは、フランスへ行き、パリで“暮らした”のである。

たしかに、時代も、国籍もちがう。
ぼくら、“日本人”のなかでも、海外留学やなんらかの“修業”で、海外に滞在するひとは増えた。
しかし(ぼく自身ももちろんそうだが)誰もが、そのように“贅沢な時間”を持てるわけではない。

けれども、ここに“この本”がある。
この本のタイトルには“Fest”という言葉がある。

移動する祭り(祝祭)、である。

なぜ、いま、ここで、この“移動する祭り”を、心に抱いてはいけないのか。

この男は(ぼくが思うに)、くだらない物語も書いた。
“この男”が、自殺した男、であることも忘れることはできない。

★ もし幸運にも、若者の頃、パリで暮らすことができたなら、その後の人生をどこですごそうとも、パリはついてくる。パリは移動祝祭日だからだ。
(ある友へ、アーネスト・ヘミングウェイ1950年)


つまり、この本を書いた<男>が、アーネスト・ヘミングウェイであることを知ることは、いちばん重要なことでは、ない。

まさに、いま、この本に書かれた言葉を(そのつらなりを)、読むべきである。

それが、<祭り>でないことが、どうしてあろうか?





* 写真は“パリ”でなく、(たぶん)、“バルセロナ”です。
下のブログ写真でマギー・チャンの背景になっているのがパリです(笑)





嘘みたいな話 (注記;ゲッセマネの夜)

2010-05-27 09:55:21 | 日記


内田樹と高橋源一郎が、「物語を求めています。」、「本当にあった『嘘みたい』な話」と言っている。

1000字以内の“お話”を募集して、内田+高橋が審査して、パスしたものをAmazonの“matogrosso”サイトに発表するという。

この企画は、内田+高橋のアイデアではなく、アメリカのポール・オースターの『ナショナル・ストーリー・プロジェクト』の「日本版」であるという。

ぼくにとって、ポール・オースターというのは、苦手な作家である。
“むかし”、村上春樹や柴田元幸の“影響”により、彼らが推薦する“現代アメリカ作家”を数人読んで見たことがあったが、みな“苦手”だった(笑)
そのなかでは、スティーヴ・エリクソンが、わりと好きだった。

けれども最近、ジョン・アーヴィングの『ホテル・ニューハンプシャー』や『サイダーハウス・ルール』の“映画”を見て好きだったので、“原作”を読もうと思った(『ホテル・ニューハンプシャー』映画は最初見たときから好きだった)
だから、ある時期読んで“苦手”でも、別の時期に“良くなる”こともあるのである。

ポール・オースターはこう言っているという;

★ 私が何より惹かれるのは、世界とはこういうものだという私たちの予想をくつがえす物語であり、私たちの家族の歴史のなか、私たちの心や体、私たちの魂のなかで働いている神秘にしてはかりがたいさまざまな力を明かしてくれる逸話なのです。言いかえれば、作り話のように聞こえる実話。大きな事柄でもいいし小さな事柄でもいいし、悲劇的な話、喜劇的な話、とにかく紙に書きつけたいという気になるほど大切に思えた体験なら何でもいいのです。いままで物語なんか一度も書いたことがなくても心配は要りません。人はみな、面白い話をいくつか知っているものなのですから。


これに対して内田樹はこう言っている;

★ ポール・オースターは「人はみな、面白い話をいくつか知っているものなのですから」と書いていますけれど、これは日本人の場合はどうかな~とぼくは実は思っているのです。(略)
「とっておきの話」の二つ三つはいつでも出せるという人はあまりいないんじゃないでしょうか。
パーティジョークとか、日本人やらないでしょ。
妙に器用にそういうジョークを連発する人って、日本だと「怪しい人」だと思われません?
でも、ぼくはそれはそういう感覚でいいんじゃないかと思ってもいるんです。
もしかすると日本人が得意なのは「オチのない話」じゃないって思うんですよ。
ぜんぜんパーティジョーク向きじゃない話。
「は?その話のどこが面白いの・・・」というような話を妙にたいせつに抱え込んでいるというところがむしろ「にほんじん的」ということはないのでしょうか。
というようなことを考えています。(引用)<注>


ぼくはこの企画を“すんごくいい企画だ”とは思わないが、こういうことが“あっても”いいんじゃないでしょうか。
たぶんこの企画は、けっこう“うける”と思うよ。
でもぼくは、こういう“話”が、ネットで“読めても”たぶん読まないな。


ぼくには、もっと“読みたい話”があるんだ。

それにしても“時流に乗っているひと”というのは、次々に、“時流に乗る”企画を“実現”するねー(ぜんぶアメリカのマネである;笑)

“読書会”という古典的企画を提言しているwarmgunは、嫌われたり(笑)、“ただ消えゆくのみ”なんだね。






<注>

この“ジョークがわからない(日本人)”というのは、“カント的に言う”と<超越論的次元がない(わからない)>ということである。

上記は、ぼくのジョークである(笑)

ぼくは“このブログ”で、そうとう“ジョークを言っている”つもりであるが、それが“わかってもらえない”ことをヒシヒシと感じる。

しかし、さすがのぼくも、最近はジョークを言ってる余裕がなくなってきた(笑)

ぼくらは、各自“それぞれに”、<そーとー悲惨な人生>を歩んでいるわけだが、いつも“ゲッセマネの夜”にいるよーに悩むわけにもいかないのである。

上記の““ゲッセマネの夜”という言葉は、“たまたま”浮かんだので、自分でも“意味不明”である(爆)





現在

2010-05-26 00:26:03 | 日記


★ 歴史の連続的な「時間」性もこの都市においては崩れつつある。過去からの連続性や伝統を要求した想像力はその基盤を失っているからである。この都市を大きく貫いているのは、資本の過剰な力であり、資本が要求している時間は「現在」だけである。それは未来の時間も現在のために資本化し、結局のところは未来自体を消去しようとしているからである。

★ この消費の文化のなかである種の「やるせなさ」が醸成され、その感覚の水位が慢性的に高まっていく。消費の文化は「家」の道徳を基盤とする健全な道義とは明らかに異なった次元にある。また「家」の幻想に代位し、消費の文化の主体となったはずの標準的な「家庭」も、資本の準拠点としての地位を相対化され、その規範的な価値を見失いつつある。消費の文化は今や個人の私的な身体と直接に結びつこうとしている。

<内田隆三;『国土論』>





そしてみんな、“おなじひと”になった

2010-05-25 14:02:21 | 日記


★ 高度成長がもたらした社会はこうして全面的に自己を肯定する<同一者>となり、この社会をトータルに批判するような人間も言説も出現しなくなる。

★ バブルと消費文化のなかで、社会はその<同一性>を人びとに享受し、確認するように迫るが、そこで注目すべきは精神と身体の比率が書き替えられることである。快楽にせよ異変にせよ、「身体性」の次元がもっとも確かな審級――その意味は不明なままだが――になり、精神は身体という現実が残すあいまいな痕跡や恣意的なずれとなったのである。

★ 1980年代にこの社会は身体にかかわる欲望や想像力の可能性を一気に膨張させる。

★ ハイテクノロジーであれ、宗教的な幻想であれ、性的な欲望であれ、身体はそれらの技術や幻想や欲望が徒に(いたずらに)もてあそぶ対象となったのである。社会はわれわれの生を肯定し、享受することを強いるが、その生の内実はこの玩具のような身体をベースにして消費の文化の主体となることである。

★ オウム真理教の教祖たちの犯罪も、連続幼女誘拐殺人事件の犯人もその例外ではなかった。彼らの欲望はこの社会が可能にする生の<同一性>の延長線上にその欲望を膨らませ、その<同一性>の暗澹たる模造を描いてみせた。

★ 彼らの物語と社会の現実は競合しあう異形の双子として、たがいの夢のなかに棲みつくのである。

★ 彼らの修業や犯行は身体に固執する欲望をそのまま生を肯定する形式につないでいるが、それはこの社会の想像力や文化の<同一性>に同調するものでしかない。彼らはこの社会の<同一性>の破局を見せたのではなく、その同一性がどのように無残なものかを展開して見せたのである。

★ すでに否定性や、欠如や、外部、あるいは危機や悪の要素は次々に枯渇し、漂泊させられ、社会はその明るい生の全面的な自己肯定によって<同一者>となっている。そこに存在しているのは、欠如を克服し、他者を払い除け、自己充足のうちにある社会だが、見方を変えれば、この社会には欠如が欠如している。たえず欠如や他者の模擬をつくりだし、それを何とか処理することもその一つの現れである。そこでは特定の何かが欠如しているのではなく、社会の全面にわたって何物でもない何かが欠如している状態であり、生の根底は「やるせない同一性」に支配されている。

★ 社会の<同一性>はここで何か危機的状況にあるのではなく、カタストロフィの状態に入りこんでいる。それは切実な破綻――堕落すること、死滅すること、罪を犯すこと――の意識もなく実現するカタストロフィであり、これという理由もなく、空洞を生きる生の断片があちこちに分節されていく。

★ 一人のOLの「イツ 死ンダッテ 構ワナイ」というやるせない性の売買、一人の少年の「アレハ ボクノ ツクリバナシ デス」という殺人の動機、それ自身の死を象徴する「絵記号」の上に成立する風景。社会の<同一性>の先端にはそうした小さな生の廃墟が抱えこまれている。

<内田隆三;“廃墟”-『国土論』(筑摩書房2002)>






<注記>

上記内田隆三『国土論』の引用部分は、“第4部廃墟”の‘はじめに’からの引用である。
この“第4部”はこの本の“最後の部分”である。

上記引用個所には直接出てこないが、ここでは、“1997年の春のごく短い期間に起こった”三つの事件が取り上げられている;

① 長崎県諫早湾の干潟が有明海から切断された(“海の死と記号の国土”)
② 神戸市郊外ニュータウンでの児童殺傷事件(“異神と少年”)
③ 東京渋谷ホテル街周辺アパートでのOL殺害事件(“都市と「私」のカタストロフィ”)






<補足>

上記引用部分だけでは、この『国土論』の魅力が伝わらないことをおそれる(笑)ので、“諫早湾の干潟”に関する記述も引用しよう;

★ 乾いた土の上に点在する大きな石ころにも、この白い貝殻が隈なく層をなしてこびりついていた。支えを失った貝殻は必死になって別の貝殻の背中にすがりついている。白い貝殻が次々に重なって伸びていく姿は、石塊に咲く奇花のように見えた。すでに海の生き物は見えなかった。生暖かい風が吹くなかで、土手の向こうの水田からやってきたと思われる昆虫や蜘蛛と、それを狙う獰猛な蛙が素早く足もとを掠めていくだけだった。白い死の花の広がりに足を踏み入れ、自分の方向感覚が狂うたびに、ここはどこなのかと、妙な目眩がした。

★ 西の諫早からみれば、有明の海を挟んで東側に筑後柳川の町がある。立花氏の城下町であった、この水郷を想像の舞台にして福永武彦は『廃市』という小説を書いている。いつか時間が滞り、ひそかな腐敗を続ける美しい町に、ある夏休みを過ごした学生の思い出が遠い追憶として記されている。後に大林宣彦がこの作品を映画化するのだが、そのなかに主人公の姉妹の一人、夏目傘をもって家を出た安子さんが、自転車に乗ってやってきた魚売りからメカジャやクツゾコを買うシーンがあった。それは悲劇の寸前、夏の日のまだ平和な一ときのことであった。

(柳川の南半里ほどにある沖ノ端で北原白秋は生まれた)
★ このような観点から興味深いのは、習俗の地層と文学表現のねじれのなかに身を置いた北原白秋自身の「海」の記憶であり、その海の記憶をよぎる「恐怖」の感覚である。幼い白秋は干潟の海の濁った土壌の匂いに身を浸しながら育った。白秋にとって最初の海の印象は彼が乳呑み子のころ、自分を抱いて船から降りた人の「真っ白な蝙蝠傘の輝き」であり、その「痛いほど眼に沁んだ白色」をその後も忘れることができなかったという。そして第二の印象は乳母の背中から見た干潟の海である。(略)そのとき彼が乳母の背中から見ていた海は、濁った黄色い象の皮膚のようであったという。



★ にくいあん畜生は紺屋(こうや)のおろく、猫を擁えて(かかえて)夕日の浜を
     知らぬ顔して、しやなしやなと。
  にくいあん畜生は筑前しぼり、華奢な(きゃしゃな)指さき濃青(こあお)に染めて、
     金の指輪をちらちらと。
  にくいあん畜生が薄情な眼つき、黒の前掛け、毛繻子(けじゅす)か、セルか、
     博多帯しめ、からころと。
  にくいあん畜生と、擁えた猫と、赤い入日にふとつまされて
     潟に陥つて(はまって)死ねばよい。ホンニ、ホンニ……
   (北原白秋;“紺屋のおろく”)

<内田隆三;“海の死と記号の国土”-『国土論』>







ルーシーちゃんは、お空の、ダイヤモンド

2010-05-25 10:54:40 | 日記


☆ 今朝起きて、下の長いブログを、けっこう時間をかけて書いてから、朝食の支度をしていたら、“ルーシー・イン・ザ・スカイ・ウイズ・ダイヤモンド”という例のリフを突然口ずさんでいた。

☆ つまり“あの時代”に瞬間移動した。

☆ “ビートルズ”を、現在聴くのと、“あの時”、ビートルズが現役で存在し、“その曲”を新譜として、“その時”に聴くのとでは、まったくちがう。

☆ もちろん、“その時代”のぼくは、“若かった”。

☆ “若かった”というのは、愚かだったということでもあるが、心身ともに“まだ”フレッシュだった(笑)というよーなことでもある。

☆ すなわち、“空気がうまかった”り、なんとなく希望があったり、ようするに“胃の調子が良い”よーな状態だった。

☆ Doblog(古代の遺物)のときに、“ルーシー・イン・ザ・スカイ・ウイズ・ダイヤモンド”についてのブログを書いたことを思い出し、その下書きをみつけた;

☆ 今日は“サージャント・ペパーズ”アルバムを久しぶりに聴いた。
このアルバムではラリッているジョンをポールが懸命に“起きて仕事(音楽)をしよう”と言っているアルバムである。
天才(狂人に近い!)ジョンをフツーのひとであるポールが起こしたり、励ましたりしているのだ。
ぼくはジョン・レノン・フリークでありポールには冷たかった(笑)
けれども先日“オブラディ・オブラダ”を聴いていて、見直した。
そもそもポールはすぐれたベーシストであり、ホワイトアルバムでも最初の
“Back in the USSR”が終わり“Dear Prudence”のベースが出てくると胸がときめくのである。
この“サージャント・ペパーズ”アルバムのポールもいい。
“Getting Better””や“Fixing Hole”はいい。
彼の曲は人生のさりげないお話である。
自分のささやかな(ビートルズ以前の)体験や、空想(想像)や小耳に挟んだような物語がノスタルジックに語られる(家出する少女やマッケンジー神父や64歳になった時やお母さんが必ず知っていることなどである、後期の気張ったポールはいただけない)
彼のボーカルは彼の性格のように軽い。
機敏で実際的で内省的ではないキャラなのだ(そういうひとも空想するときはある)
(略)
けれども、このサージャント・ペパーズで最高の曲が最後のジョンの“A day in the life”であることを認めないひとはいるだろうか(笑)
この曲がジョンの最高の曲のひとつであること、こういう曲においてビートルズはその後のROCK-POPSシーンにおいても乗り越えられていないことが明らかである。
この曲にもポールはサージャント・ペパーズのテーマと共に登場しているではないか。
“さあ、ジョン、ラリッてないで仕事をしようぜ”と言っているのだ。
これぞ男の友情ではないか。
ジョンとポール、この対極的な個性の惹かれあいと反発の力関係とこれまた異質のジョージ、リンゴのわずか4人の力の引き合いのテンションのなかから、ビートルズは生まれた、ひとつの暗黒星雲のように。
それは自由を感じさせた、この定義しがたい自由をである。
よい音楽はたくさんある。
けれどもこの星雲の不滅の運動は今日においても驚きである。
(以上旧ブログ引用、段落はカットした)

☆上記でぼくは何を書いているか?男の友情である。

☆ 今朝“あるブログ”で以下の文章を読んだ;
《三十代も半ばをすぎているというのに、いくら睡眠をむさぼっても、「幼稚園のときのあの日の遠足の疲れがまだ取れていない」ような気がしてくるし、「これからも取れることはないのではないか・・・?」、そんな絶望的な疑いも湧いてくる。だが、ゲーテのように、一度の人生で何度もの青春時代を経験したひともいる。「もう一度二十歳に戻れたら」、とか、「肉体的に若返りたい」、とは思わない。年齢も、肉体も、境遇も、今のままでいいから、私にももう一度、青春を生きる力があったらな、と思う。》(“疲労について”)

☆ なかなか素直なよい文章だと思うが、これを書いているひとは、“三十代も半ばをすぎている”に“すぎない”のである(爆)

☆ “60代も半ばにさしかかる”ぼくは、ドーしたらよいのであろうか?!

☆ だいいちこの文章を書いた人は、自分の“現在の疲労”について、《幼稚園のときのあの日の遠足の疲れがまだ取れていない》という“比喩”を使っているのである。

☆ ぼくは《幼稚園のときのあの日の遠足の疲れ》などを、もはや覚えていないのである。

☆ ただし、このひとが、ここで“いわんとしたこと”はわかる(ヨーな気がする)

☆ ぼくの“言葉”でいえば、“幼児期のみの、世界に包まれている自由感”からの<疎外>である。

☆ たしかに“幼児期”と“青春時代”も、ちがう。

☆ しかし、“幼児期~青春時代”とちがうのが、“大人”であり、“大人”ともちがう<未知>として、ぼくは“老年”に直面している。

☆ “だから”、いま“幼児期~青春時代~大人”の方々が、<ぼくのブログ>を理解し得ないのは、“やむをえない”。

☆ ぼくはここに引用したブログの“書き手”から面識があるのに(笑)、《嫌いな人物》と認定された(よー)だからである。

☆ ”She's so heavy”と歌ったのは、ジョン・レノンだった(これも過去のブログに自分で書いた文章)

☆ へヴィ!

☆ この場合の、“She”とは、誰のことだろうか?(“オノ・ヨーコ”は、模範解答とはならない)

☆ “She”とは、誰のことだろうか?

☆ ブログを書く、とはどういうことだろうか?

☆ 他人に向かって書いているのか、自分に向かって書いているのか?

☆ もし自分に向かって書いているなら、
① それは“ひとりごと(独語)”なのか
② “魂のインストール”なのか(近日のブログで書いた、参照せよ)

☆ ぼくは、“仲間内のおしゃべり”は、拒否したい。

☆ たとえ“ひとりごと”であっても、それは、世界へと発信されている。

☆ “神があなたを見ている”のではない。

☆ “世界”が“あなた”を見ている。

☆ ああまた、ぼくは“メッセージ”を発信してしまった(笑)

☆ ぼくがここに“書きたかった”のは、《ルーシーちゃんは、お空の、ダイヤモンド》という曲の(そのリズムと旋律と声の)<自由>のリアルであった。





人生の“奥行き”

2010-05-25 08:42:42 | 日記


まずタイトルにかかげた<奥行き(おくゆき)>という言葉を電子辞書広辞苑で引いてみる;

① 家屋や地面などの、表から奥までの距離
② 比喩的に、人柄や思慮の奥深さ

すなわち①は、物理的な意味である、それは“ある距離”を意味する。
それは、“客観的に”測れる距離である。

問題は、②である。
すなわち②の“意味”では、その“距離”は、“比喩”として、“奥深さ”となる。

それは、客観的に測れない。

“あのひとは<奥行き>のある話をする”と誰かが言ったところで、その“奥行き”を客観的に“測定する”規準はないからである。

すなわち、あるひとにとって“奥行きのある話”も、別のひとにとっては、たんなる“主観性”でしかない。

あるいは、ちっとも“奥行きのない話”を、“奥行きのある話だなー”と感心してみせることもできる。

この②の“比喩としての奥行き”というのは、ある“距離”のことであるだけでなく、“単純ではないこと”でもあるようである。

たとえば、《日米同盟は抑止力である》という言明は、単純である。

もし“現実に” 、《日米同盟が抑止力である》という命題が、<事実>であっても。

これに対して、《日米同盟は抑止力ではない》という“論証”もありえる。

あるいは、“抑止力”となっているか否かの論議以前に(と共に)、<日米同盟>は“正しいのか?”という論議も可能である。

その場合は、その<日米同盟>の歴史的経緯と、その“同盟の”具体的<事実>と、その“同盟の”正しさが問われる。

しかし<現実>に行われている“論議”は次ぎのよーなことではないか。

①“実は”日米同盟の“不正義”は分っている、“しかし、現実に”、北朝鮮や“テロ”の脅威から日本国を“守る”必用がある。
② “日本国を守る”ということの“意味”は、必ずしも北朝鮮や中国etc.が日本国を“現実に”攻めてくることを意味しない(そういう“可能性”もあるが)
そうではなく、北朝鮮らが“武力によって恫喝する”ことを、国際政治の“かけひき”としているのだから、<日米同盟も>その“かけひき”への対抗策である。
③ また<日米同盟>は、たんなる“軍事同盟”ではなく、それは、米国との“経済同盟”であるのであって、ようするに、米国と“なかよく”していなければ、日本国の経済が立ち行かない。

以上である(笑)

すなわち、現在<日米同盟>を支持する方々にも、ごたいそうな根拠は、あるのである。

たぶん彼らはこれを、“現実的”という。

ゆえに、ここで問題になるのは、<何が現実的であるのか?>ということ<自体>である。

ぼくが“奥行き”という言葉からこのブログを始めたことを想起してほしい。

ぼくは、その“奥行き”という言葉の“反対”として、“単純”ということを提起した。

しかし、この“単純でない奥行き”というのは、なにかわけのわからない“複雑さ”とか、人生のキャリアによって蓄積される“洞察力”のよーなものでは、ない。

逆である(笑)

それは、“基礎baseから考える力”である。

それを<哲学>という必要は、ない。

もし哲学が、この人生の<現実>に無関係の“形而上学”・“観念論”でしかないなら。

これまでの<哲学>とその<解釈>に、おおいにこの“傾向”があるのは、“事実”である。

これに対して、<自然科学>や<社会科学>に、“実証的方法”があるのなら、おおいに“これ”を使用すべきだ。

ただ<哲学>を“使う”ことは、現在でも可能なのだ。

たとえば“カント”である。
なんども書いているように、ぼくは、(自慢ではないが)、カントの著書の“翻訳書”さえ読み得ていない、“解説書”や柄谷行人による“応用”を読んでいるだけだ。

しかし、そして、<超越論的>というような<概念>がやっとわかりかけてきた。

<超越論的>というのは、ある認識や考え方の“態度”であり、“方法”である。

だから“カントから学ぶ”ことがあるなら、それは“カントが述べたことの結論”ではないのである。

カントがいかに考えたかの“思考の過程”としての、<方法>である。

もちろん“これ”は、カントに限らない。
“ヘーゲル”にも、“マルクス”にも、“ニーチェ”にも、“フロイト”にも、“ベンヤミン”にも、“フーコー”にも、“ドゥルーズ”にも、“サイード”にも、“アガンベン”にも、学ぶことはあるのである。
(“ビュトール”にも、 “デュラス”にも、“ル・クレジオ”にも、“ギュンター・グラス”にも、“大江健三郎”にも、“中上健次”にもある)

もちろんぼくは、これら思想家(感じ・考える人)の“解説書すら”読み得ていない。

ある解説書を読み、“やっとわかった”とおもったことも、時間がたつと、もはや定かではない。

前にブログにも引用・コメントした“解説書”(黒崎政男“カント『純粋理性批判』入門”)で、自分が“感心した所”を“探す”(笑)

たとえば;

★ つまり、素朴にありのままを認識しようとすれば、それは主観的なものとなり、逆に、世界は主観による構成物だと考えることで、初めて客観的認識が成立する、というパラドキシカルな主張こそ、『純粋理性批判』の根源的テーマなのである、と。





ファンタジスタ

2010-05-24 20:27:41 | 日記


ぼくはこのブログでスポーツの話題を書いたことがほとんどないが、いくつかのスポーツ観戦に熱中したことはあった。

最近テレビで偶然、サッカー史上有名なあるシーンを見た;

《このとき、腰に手をあててうなだれるバッジョの後姿が撮影された。この一枚は、これまでの数多あるスポーツに関する写真の中でも最も美しく、最も儚い写真であると評する声が多い》(Wik.)

ぼくが好きだった“スポーツするひと”は、たくさんいるが、すぐ思い浮かべるのは、マッケンロー、セナ、バッジョである(最近テレビドラマに出たマッケンローを見た;笑)


Wikipediaの“ロベルト・バッジョ”にある“語録”を引用する;


<語録 >

バッジョの名言

· 「今を戦えない者に、次や未来を語る資格はない」
· 「思いついたプレーの中で最も難しいものを選択している」
· 「PKを外すことができるのは、PKを蹴る勇気を持った者だけだ」
· 「PKを決めても誰も覚えていないが、外したら誰もが忘れない」
· 「私はサッカーに恋をした」
· 「諦めるより夢を見る方が性に合っている」 ―2002年W杯の代表入りが絶望視された際に発したコメント。
· 「サッカーをプレイできるなら、寿命が縮んだっていい」
· 「忘れないで欲しい。君達の足元には永遠にサッカーボールがあることを…」
· 「自らを愛してくれたファンの前でPKを蹴ることはできない」 ―フィオレンティーナ相手にPKを与えられた際の心情に触れて。
· 「僕の知っているドーピングはただ1つ、努力だ」

バッジョを評する言葉

· 「94年米国W杯で僕らを決勝まで連れて行ってくれたのはロビーだった。彼はフットボールそのものさ」 アレッサンドロ・コスタクルタ
· 「彼はコンコルドみたいなものさ。ただ自由に飛ばせてあげればいいんだ」 ロナウド
· 「彼は生まれながらの優雅さを持っている」 パベル・ネドベド
· 「偉大なフットボーラーのリストにバッジョを加えるつもりはないよ、何故なら彼は別の惑星からやって来た宇宙人だから」 エンリコ・キエーザ
· 「10番というより、9.5番」 ミシェル・プラティニ
· 「彼のようなフットボーラーと出会うには、少なくともあと20年はかかる」 ガブリエル・バティストゥータ
· 「それでも貴方は偉大だ」 クラウディオ・タファレル
1994年アメリカW杯の決勝のPK戦でPKを外したバッジョに対してかけた言葉。
· 「世界でイタリアだけが唯一、彼をNo.1だと認めなかった」 ジネディーヌ・ジダン
· 「彼はフィールドの中で出来ない事など何もない」 ジーコ
· 「私が現役のとき、悪夢のような選手が3人いた。マラドーナ、ファン・バステン、そしてバッジョ」 ジュゼッペ・ベルゴミ
· 「僕がイタリアに来てから、いつもバッジョとサッカーをすることを夢見ていた」 イバン・サモラーノ
· 「将来引退したら、皆に自慢するのさ。僕はバッジョとプレーしていたとね」 スティーヴン・アッピアー
· 「生まれながらのファンタジスタにして最後の本物のファンタジスタよ、あなたは永遠に私達の中で輝き続けるであろう」
バッジョの引退試合でファンが掲げたフラッグ。
(以上引用)



ファンタジスタ。

《私はサッカーに恋をした》

《今を戦えない者に、次や未来を語る資格はない》



<色気>のない男には、興味がない。




“孤独”について

2010-05-24 00:22:19 | 日記


どうも、warmgunです(笑)
みなさんいかがおすごしでしょうか?(爆)

日曜日も、あと10数分で終わり、明日からはまた、“楽しい職場”が待ってます!
ぼくは、“常勤者”でないので、普段は月曜は休みなんです(休みにしているんです)。
そして月曜日に出勤する人々を、“ひそかに”(ざまーみろ)と思っているんです。
しかしこのぼくも30年以上、月曜にも出勤していたので、そこんとこは、大目にみてね。

ところが、明日の月曜はぼくも出勤よ、風邪ははかばかしくないし(ひょっとして“例の”さぼり病でしょうか?)明日からの週はぼくの現在の仕事場も“総会”とかあって、このぼくでさえ、忙しさを強いられる(分担する)かもしれません。

ところで、もう“すでに書いた”このブログのタイトルは“孤独について”でした(笑)
つい最近もぼくは、“孤独について”書いたよーな気がするが、いよいよ認知症気味で、もう定かでは、ありません(書き過ぎだからだよ― 影の声)


さてクイズ。
次に引用する文章は誰の文章でしょう?
(ヒント;日本人、現役、男性、今年52歳くらい、この引用文は1989年に発表された)

★ 存在者の存在を体験することは、身体に絶対の孤独を迫る。ここで、身体とは、体験や行為といった選択性が現成するとき、その選択性が帰属する場所として、不可避に現れざるをえないような存在者のことである。ところで、いかなる体験も、存在する存在者への志向としてあるだろうから、この孤独は、体験にとって免れえない根本的な条件である。

★ 絶対の孤独とは、次のことを言う。存在者の存在の体験は、――いかに些細な体験であろうとも――、体験の可能性の総体によって定義されるような宇宙を、その体験にとっての地平として規定することを含んでいる。かかる宇宙は、一個の身体に帰属するものとして存在するしかない。……
(以上引用)


れれれ、ハイデガーでもサルトルでもレヴィナスでもメルロ=ポンティでもラカンでも、ないんだよ!

“日本人”です!

しかも“哲学者”でもないんだよ。
“社会学者”です。


さて、日付が変わりました、2010年5月24日、月曜日です。

今日は夕方長く寝たので、ぼくはまだしばらく起きているでしょう。

上記引用の“難解な”(しかし魅力的な)文章を読み続けるかは、不明です。
いまぼくの机の上には、読みかけの“このひと”の別の本(『<自由>の条件』)もあります(笑)

“みなさん”は、(いらぬお世話ですが)、今日の活躍に備えて、はやく寝たほうがいいですよ。
そうだ、“このブログ”につける写真を、“選ばねば”なりません。

おやすみなさい。







★ 江夏は、どの瞬間に、スクイズを直知したのか?江夏の証言によれば、彼は、プロ野球入団3年目に金田正一の教示で、腕を投げ下ろす瞬間に打者を見る技術を習得していた。このときも、腕を投げ下ろしつつ石渡を見ると、彼がスクイズすべくバットを動かしたのが眼に入ったという。だが、この瞬間からボールが手を離れるまでは、1秒をはるかに下回る短い時間なので、複雑な推論が介在する余裕はない。ここで作動しているものこそ、まさに身体の遠心化なのである。江夏の身体は、かすかに動く石渡茂の身体の視覚像に触発されてまさに石渡の身体の位置へと遠心化し、スクイズをしようとする彼の身体に共鳴したがゆえに、逆に自らはそれをはずすべくほとんど反射的に反応したのだ。

<大澤真幸;『<自由>の条件』(講談社2008)>




電子メディア・コミュニケーション

2010-05-23 17:50:13 | 日記


★ われわれは電子メディア型のn対nのコミュニケーションが、権力の近代的様態と齟齬をきたすということを確認してきた。そこでは、権力を可能にする超越的視点の単一性が破壊されてしまうのだ。神や父性によって象徴される超越的な他者は、一般には、遠さ――隔絶されていること――を、つまり経験に対する抽象性を(必用)条件として、人々を捉える。極限的な近みにおいて現れる他者は、このような超越的な他者の対極にある。

★ だがしかし、オウムは、このように通常の超越性を否定する直接的で内的な他者が、おそらくはまさにこの否定性のゆえに、再び超越性として現れる反転が起こりうることを示唆している。通常とは反対側に超越的他者が現れるのだ。たとえば麻原彰晃は最終解脱者であるとされていた。それは、目の前にいるこの人間が既に神(超越者)である、ということである。

★ 電子メディアによるコミュニケーションは、その触覚性(マッサージ性)のゆえに、現代人にとっての癒しの道具となりうる。しかし、同じ理由から、超越性についての新たな体験の触媒にもなるのだ。オウムをはじめとする多くの新興宗教が、パソコン通信の世界を有利な活動の場としていたのは、このためである。

★ 権力の新しい形式がありうるとすれば、それは、このような反転した超越性を基盤とするものであろう。それは、均質的で普遍的な全域を支配する統一的な権力ではありえない。n対nのコミュニケーション環境で生じうるのは、局域に対する過剰なまでに直接的な権力であるに違いない。このような権力への密かな欲望が穏健なかたちで現れた場合には、「代表」(representation)をどこまでも「表現」(同)に漸近させようとする要求として、つまり直接民主制への要求として現れることになる。

★ カール・シュミットによれば、権力の最も重要な働きは、友/敵を分離し、見分けることである。しがって、新たな権力の形式が立ち上げられたとして、ここで生じうることとして予想されるのは、十分に友でありえた者をときに敵として分類するような、共同性の領域の恣意的な境界づけである。このような友と敵の恣意的な分割は終わることなく反復されよう。友と敵はほとんど見分けがつかないほどに近接しているのだから。

<大澤真幸;“コミュニケーションに未来はあるか”-『恋愛の不可能性について』(ちくま学芸文庫2005)>





いったい誰が“悪い”のか?

2010-05-23 15:36:32 | 日記


没落過程にあるとはいえ、今日も日本でいちばん売れている新聞は、こう言っている;

〈イスパニアがルソンを征服したように、西洋諸国が我が国を占領しようとする動きにどう対処すべきか〉。幕府の昌平坂学問所が幕臣子弟に対して行った試験「学問吟味」は、幕末になると、かなり実践的な時事問題が出たらしい◆設問は張り出され、受験生に限らず、誰でも意見を記して提出することが出来たという。恐らくは学問所の試験に名を借りて、ともかく知恵を募りたかったのだろう◆当時の国際情勢を考えればうなずけるし、江戸幕府が意外に聞く耳を持っていたことに感心もする。だが、やっぱり少々心許ない◆〈北朝鮮が韓国艦船を撃沈するような、東アジアの不安定な現状にどう対処すべきか〉。現代に昌平坂学問所があって、そんな設問が掲げられたらどうだろうか。政府がその答えを持ち合わせぬまま、聞く耳だけは広げ、右往左往しているとしたら◆鳩山首相が、来日したクリントン米国務長官と普天間問題などの懸案を協議した。抑止力について最近ようやく学んだ鳩山さんはさて、学問吟味の出題者か、あるいはまだ受験生レベルか。いずれにせよ、頼りないことに変わりはない。
(2010年5月23日01時17分 読売新聞・編集手帳)

ここには何が“書いてある”か?

① 幕府が幕臣子弟に対して行った試験「学問吟味」は、幕末になると、かなり実践的な時事問題が出たらしい
② 恐らくは学問所の試験に名を借りて、ともかく知恵を募りたかったのだろう
③ 江戸幕府が意外に聞く耳を持っていたことに感心もする。だが、やっぱり少々心許ない
④ <北朝鮮が韓国艦船を撃沈するような、東アジアの不安定な現状にどう対処すべきか>。現代に昌平坂学問所があって、そんな設問が掲げられたらどうだろうか
⑤ 政府がその答えを持ち合わせぬまま、聞く耳だけは広げ、右往左往しているとしたら
⑥ 抑止力について最近ようやく学んだ鳩山さんはさて、学問吟味の出題者か、あるいはまだ受験生レベルか。いずれにせよ、頼りないことに変わりはない。


以上のエッセンスを“しぼりだす”;
① 出たらしい(推測)
⑦ 知恵を募りたかったのだろう(推測)
② 感心もする(だが、やっぱり少々心許ない)→ “感心する”のか、“心許ない”のか、いったいどっちだ(笑)
③ そんな設問が掲げられたらどうだろうか(“形式的疑問文”、すなわちなんの“問題意識”もないのにレトリックでごまかす)
④ 答えを持ち合わせぬまま、聞く耳だけは広げ、右往左往しているとしたら(推測と仮定)
⑤ 鳩山さんはさて、学問吟味の出題者か、あるいはまだ受験生レベルか(これは“疑問文”か、この筆者の“判断”か)
⑥ いずれにせよ、頼りないことに変わりはない(この筆者の感想、のようだ)


ようするに今日も、読売新聞が“主張してる”のは、
“鳩山さんは頼りない”
ということのみである。
それらはすべて、この書き手の、仕事部屋(デスク!)での“推測(幻覚;笑)”である。

なんで、こんなわかりきったことを、毎日読まされるのであろうか。
つまらぬ男の(たぶん男だよね)“机上の幻覚”を!

鳩山がバカであることや、民主党が自民党と同じぐらい、“馬鹿げた党”であることが、“わかって”、なにがそんなに面白いのだろうか。

なぜこの読売編集手帳の書き手は、毎日、こんな文章を書いて、給料を(たぶん安くない;笑)もらうことを恥じないほど、“びっくりするほど厚い面の皮”(昨日読売編集手帳参照)なのだろうか。

だいいち、<現在>は、“幕末”ではないのである(爆)

たぶん“幕末”とは、“世界情勢が”、ちょっとは“変わっている”のではないだろうか?(疑問文)

この書き手の<世界認識>は、<幕末>で止っているのであろうか?(疑問文)

この読売編集手帳の書き手は、“学問吟味の出題者か、あるいはまだ受験生レベルか”?(疑問文)

この読売編集手帳の書き手は、“答えを持ち合わせて”いるのか?(疑問文)


“抑止力について最近ようやく学んだ鳩山さん”だって?

いったい誰が(読売新聞社の誰が)、抑止力についての答を持ち合わせているのでしょう?(疑問文)

もちろん、“答えを持ち合わせていない”のは、読売新聞社とかに雇用されているバカどもだけではない。

鳩山バカ首相を選んだのは、“日本国民”である。

アメリカに頼りきった、アメリカなしでは、なにひとつできない“国家”を出現させたのも、日本国民の“総意”である。

そもそもこのブログのテーマである“今日の読売編集手帳”は、幕末における<学問>を話題にしている。

ならば、現在においても、<学問>すればいいだけである。

だれも<学問>しない国は、滅びるだけである。