Don't Let Me Down

日々の雑感、引用。
言葉とイメージと音から喚起されるもの。

Still 読書!

2010-12-31 19:42:33 | 日記




これ読みながら年を越します。


《さて、あたしも兄さんを谷間に迎えて、心の準備もできたと思うから、もう「赤革のトランク」をお渡しします。》









新年の手紙2011

2010-12-31 14:01:02 | 日記



もう何度も引用した詩であるけれども、2010年の最後の日にあたり、あらためて入力する、田村隆一(1923-1998)の3篇の詩;


<新年の手紙(その一)>

きみに
悪が想像できるなら善なる心の持主だ
悪には悪を想像する力がない
悪は巨大な「数」にすぎない

材木座光明寺の除夜の鐘をきいてから
海岸に出てみたまえ すばらしい干潮!
沖にむかってどこまでも歩いて行くのだ そして
ひたすら少数の者たちのために手紙を書くがいい



<新年の手紙(その二)>

元気ですか
毎年いつも君から「新年の手紙」をもらうので
こんどはぼくが出します
君の「新年の手紙」はW.H.オーデンの長詩の断片を
ガリ版刷にしたもので
いつも愉しい オーデンといえば
「1939年9月1日」という詩がぼくは大好きで
エピローグはこうですね――
 『夜のもとで、防禦もなく
 ぼくらの世界は昏睡して横たわっている。
 だが、光のアイロニックな点は、
 至るところに散在して、
 「正しきものら」がそのメッセージをかわすところを
 照らしだすのだ。
 彼らとおなじくエロスと灰から成っているぼく、
 おなじ否定と絶望に
 悩まされているこのぼくにできることなら、
 見せてあげたいものだ、
 ある肯定の炎を。』
ナチス・ドイツがポーランドに侵入した夜
ニューヨークの52番街の安酒場のバーで
ドライ・マルチニを飲みながら
オーデンがひそかに書いた「手紙」がぼくらの手もとにとどいたときは
ぼくらの国はすっかり灰になってしまっていて
政治的な「正しきものら」のメッセージに占領されてしまったのさ
30年代のヨーロッパの「正しきものら」は深い沈黙のなかにあったのに
ぼくらの国の近代は
おびただしい「メッセージ」の変容の歴史 顔を変えて登場する
自己絶対化の「正しきものら」には事欠かない
ぼくらには散在しているアイロニックな光が見えないものだから
「メッセージ」の真の意味がつかめないのです
大晦日の夜は材木座光明寺の鐘を聞いてから
暗い海岸に出てみるつもりです きっとすばらしい干潮!
どこまでも沖にむかって歩いて行け!
もしかしたら
「ある肯定の炎」がぼくの瞳の光点に
見えるかもしれない
では



<見えない木>

雪のうえに足跡があった
足跡を見て はじめてぼくは
小動物の 小鳥の 森のけものたちの
支配する世界を見た
たとえば一匹のりすである
その足跡は老いたにれの木からおりて
小径を横断し
もみの林のなかに消えている
瞬時のためらいも 不安も 気のきいた疑問符も そこにはなかった
また 一匹の狐である
彼の足跡は村の北側の谷づたいの道を
直線上にどこまでもつづいている
ぼくの知っている飢餓は
このような直線を描くことはけっしてなかった
この足跡のような弾力的な 盲目的な 肯定的リズムは
ぼくの心にはなかった
たとえば一羽の小鳥である
その声よりも透明な足跡
その生よりもするどい爪の跡
雪の斜面にきざまれた彼女の羽
ぼくの知っている恐怖は
このような単一な模様を描くことはけっしてなかった
この羽跡のような肉感的な 異端的な 肯定的なリズムは
ぼくの心にはなかったものだ

突然 浅間山の頂点に大きな日没がくる
なにものかが森をつくり
谷の口をおしひろげ
寒冷な空気をひき裂く
ぼくは小屋にかえる
ぼくはストーブをたく
ぼくは
見えない木
見えない鳥
見えない小動物
ぼくは
見えないリズムのことばかり考える


<田村隆一『詩集1946~1976』(河出書房新社1976)>






BOB DYLAN自伝

2010-12-30 17:51:55 | 日記



★ わたし自身にとっても、歌は軽い娯楽ではなく、もっと重要なものだった。歌とは、異なる現実の認識へ――異なる国、自由で公平な国へ――導いてくれる道標だった。30年後、音楽史家のグリール・マーカスは、それを「見えない共和国」と呼ぶ。ただし、わたしは大衆文化に異をとなえてはいなかったし、騒ぎを起こすつもりもなかった。メインストリームの文化は、ひどく貧弱でペテンのようだと考えていただけだ。それは窓の外を一面におおった雪のようで、その上を歩くにはおかしな履物をはかなくてはならない。自分たちがいま歴史上のどの時代にいるのか、その時代の真実が何なのか。わたしにはそんなことはわからなかった。(略)いまがどの時代であるかというと、それはいつだって太陽の光が射しはじめたばかりのときなのだ。

★ 子どものころわたしは本や作家に夢中になることはなかったが、物語は好きだった。神秘的なアフリカについて書いたエドガー・ライス・バローズ、西部の伝説を書いたルーク・ショート、それにジュール・ヴェルヌ、H.G.ウェルズ。こうした作家が好きだったが、それもフォークシンガーを知るまでのことだった。フォークシンガーの歌は、歌詞を何番かまで歌うだけなのに、一冊の本のようだった。人物やできごとの何がフォークソングとして歌うだけの価値を決定するのかを語るのはむずかしい。おそらくは公平で正直な裏表のない人物であることが関係している。それと広い意味での勇敢さというものが。アル・カポネはギャングの世界でシカゴの地下組織を支配するようになったが、カポネのことを歌にした人はいない。(略)彼はつまらない。一瞬たりともひとりで戦ったことのない小判鮫のような男。

★ きらきらした空気が肌を刺し、夜になると青いかすみが立ちこめる寒い冬だった。緑の草に寝そべり、本物の夏のにおいを嗅いだのが、はるか昔に思えた――湖の上で反射した光が踊り、黒いタールの道に黄色い蝶が舞う夏。朝の早い時間にマンハッタンのセヴンスアヴェニューを歩いていると、車のバックシートで眠る人を見かけることがある。わたしは運よく、眠る場所がある――ニューヨークの住人さえ、眠る場所がないことがある。わたしには持っていないものがたくさんあり、明確な身分さえ定まっていない。「おれは流れ者のギャンブラー、ふるさとを遠く離れて旅をする」。短いことばで言えば、それがわたしだった。

<ボブ・ディラン『ボブ・ディラン自伝』(ソフトバンク パブリッシング2005)>






“根本的の手術を一思ひに遣る”

2010-12-30 10:11:46 | 日記



◆痔といえば、夏目漱石の小説『明暗』はその治療の場面から始まる。医者は主人公に告げた。「治療法を変へて根本的の手術を一思ひに遣るより外に仕方がありませんね」。そのセリフを、いつか有権者がつぶやく日が来ないとも限らない。

上記引用は昨日の読売新聞編集手帳の最後の部分である。

しかし《そのセリフを、いつか有権者がつぶやく日が来ないとも限らない》
というのは、どうゆう<意味>なんだろうか?

少なくとも、そのセリフを“まだ”有権者はつぶやいていない、と読売新聞は判断している。

その<判断>はいかなる根拠からなのだろうか?

そのセリフを“まだ”つぶやいていないのは、読売新聞に勤務するような“悠長な”お金に困っていない人々“だけ”ではないのだろうか?


しかしそもそも、この現在の日本で、《根本的の手術を一思ひに遣る》というのは、どういうことを<やる>ことなのだろうか。

みんなが、毎日おなじことを<やって>いて、どうして、《根本的の手術》は可能なのだろうか?

みんなが、毎日おなじテレビを見ていて、どうして、《根本的の手術》は可能なのだろうか?

この国の人々には(老いも若きも)、《根本的の手術》をみずから行う、<気力>はとっくに失せているのではないだろうか?

かのイチローさんが、“精神力ではない、技術だ”というのを聞いた(見た、テレビで;笑)

しかし、それなら、日本人には、いかなる<技術>があるのだろうか。

イチローの<技術>から、いったいぼくたちは、なにを学べばよいのでしょうか?

おじょうちゃん、おぼっちゃまがた、ぼくに教えてください。

ぼくは風邪の後遺症で、はななだ冴えない年越しを迎えるが、<痔>ではありません(爆)

ただ、自分の寿命が残り少ないことは年々切実である。

ぼくの寿命と同じくらいに<日本国>が滅びてしまわないことを願っている。

日本一のタワーがいくらそびえようとも、こころがカラッポでは、どうしようもない。





Listen - A

2010-12-30 01:19:27 | 日記




紅白だレコード大賞だという季節になると、音楽=BOB DYLANが聴きたくなる。




《ぼくはそれを伝え、それを考え、みんなに見えるように、山の上でそれを反射させよう》(ボブ・ディラン”A Hard Rain's A-Gonna Fall”)

   ―― ポール・ウィリアムス『ボブ・ディラン時の轍』(音楽之友社1992)扉






   

境界線に立って(他者-わたし-あなた)

2010-12-29 15:51:31 | 日記



★アレントにとって公共性は、国家と個人を決して一つの人格・理性として統一しないことを前提としている。ヘーゲル的な統合と全体の観念は、どんな歴史上のテロルも、理性の策略として容認してしまうという点で、それ自体テロルを含んでいる。公共性について語るときアレントは、全体も統合も決して許さず、中心をもたず、対等な個人たちがむき合い、たえず差異を闘わせる場をいつも想定していた。それはあらかじめ共同体にいかなる統一の観念をもち込むこともなく、むしろ分裂を肯定する思想なのだ。



★ そして自己と他者の境界線は、決定的に固定されてしまうわけではない。境界線は振動しつづけ、他者のなかには自己が、自己のなかには他者が、いつも挿入され、反映され、しかもそのことはしばしば知覚されず、意識もされない。

★ 私は幾重にも、他者に取り囲まれている。すでに私の精神にとっては私の身体は他者であり、私を生みだした家族、社会、民族、自然が他者である。あるいは私にとって、しばしば私自身が他者であり、こうして書いている私の手と私の言葉が他者である。

★ ヘーゲルはかぎりなく理性的な自己を拡張し、何重にも否定を通じて、絶対精神の方にのぼりつめていくが、私たちはかぎりなく自己を縮小し、多数の他者のあいだに分散させるようにして思考することができる。

★ それには多かれ少なかれ、分裂(症)の危険がともなうにしても。しかし分裂(症)によって、かつての全体性とは異なる、まったく別のタイプのめざましい構築や連結が生みだされた例も、私たちは数多く知っている。そこには、統一に抵抗し、分裂を肯定する別の理性と別の共同体の兆しも含まれていたのだ。

<宇野邦一『他者論序説』(書肆山田2000)>






あるひとを知らなければならない

2010-12-28 14:03:50 | 日記


たとえば、このぼくのブログには毎日、100人以上、200人以下の“訪問者”がいる。

ぼくには、書かない日もあり、日に数件のブログを出すこともある。
だから“アクセス数”の変動は激しい。
しかし最低100人は、ぼくが書いても書かなくても、“訪問”してくれている。

ありがたいことである。
しかし(率直に言って)、ぼくにはまったく“彼ら”の顔が見えない。
また逆に、“ぼくの訪問者”は固定してしまっているのではないかと恐れる。

極端に言えば、このぼくのブログを、“現役の”女子大学生が読んでいることを、ぼくは想像できない(つまりぼくがいちばん読んでほしい“対象に”だ;笑)

まじめに言えば、ぼくがこのブログをいちばん読んでほしいのは、(前にも書いたが)、中高生である。
しかし、(まさに)、“彼ら”が読んでいるとは、思えない。

もちろんこれは、“ぼく”の力不足なのだ。

これを思うとき、自分がブログを書き続けていることの“無意味”を思う。



タイトルに掲げた<あるひとを知らなければならない>の“あるひと”とは、ぼく=warmgunのことではない。

ぼくはそれほど図々しくはない。

<あるひと>があなたの恋人であっても、配偶者であっても、友人であっても、よい。

だが、ぼくがここで言いたいのは、“ある作家や思想家であなたにひっかかったひとをフォローせよ“、ということだ。

“あるひと”が一人である必要はない。
あなたに余力があるなら、同時に“複数”をフォローせよ。
あるいは、まずひとりをフォローし、次にもうひとりをフォローせよ。

つまりこの過程(プロセス)は、<あなたの生涯>をつらぬく。

たしかに“選択”(誰を選ぶか?)は重要である。
もし“選択を誤った”と思ったら、別の人に変更せよ。
そして、“選択を誤ったと思った人”が、また気にかかったら、戻ればよいのだ。

あなたが、小林秀雄、吉本隆明、見田宗介、柄谷行人、辺見庸のような“旧世代”から始めるのも、よい。
あるいはその弟子たち、宮台真司、大澤真幸、東浩紀からはじめてもよい。
あるいはもっとマイナーひと宇野邦一や立岩真也のようなひとに注目するなら、ぼくはうれしい。

あるいは、そういう評論家や社会学者ではないひと、たとえば“作家”でも、よい。

ぼく自身、こういうことを書く気になったのは、大江健三郎『水死』を読み始めたからである。

『さようなら、私の本よ!』の“文庫版のために”(2008年冬)“で大江が言っているのは、《新しい読者(それは日本人の読者とはかぎらない)のために(とともに)、自分の生涯の”本“を読み返す》ということである。

“自分の本”を持つ人は、自分の本を読み返す。

しかし“自分の本”を持たない多くのわれわれは、<あるひと>の本を読み続けるのである。

上記に“日本人”の名のみをだしたのは、わかりやすくするためである。
“日本人”が、デュラスやル・クレジオを読み続けてもよいのである。


たしかに“マクロな把握”も必要である。
ぼくはそれを<思想史>として提起している。

しかしそういう<思想史>(あらゆる考える人の歴史)を、ささえ、それに血と肉をあたえるのは、<あるひと>の生涯にわたるジグザグの矛盾にみちた行程(プロセス)である。


それは、結局、私の生である。






これからの日本についての基礎的データ

2010-12-27 22:47:56 | 日記



以下にアサヒコムに出たニュースをはりつける。

ぼくはいちおう“ケア関係”(というのかね?)の仕事をしているので、“2030年問題”という言葉は聞いた。

このニュース自体をいろいろなメディアで見た人も多いだろうし、ここに書かれていることなどとっくに知っているというひとも多いかもしらない。

だからぼくがここにこれを再録するのは、いらぬお世話かもしれない。

しかし、あらためて、<この事態>を多くのひとが認識し、考えることが必要だと思う。



<高齢化と単身化が都市を襲う「2020/30年問題」>アサヒコム2010年12月26日18時48分

 人口構成の急激な変化に伴って起きる「2020/30年問題」。元厚生労働事務次官の辻哲夫東大教授は、医療や介護など従来の仕組みを思い切って見直さなければ、「どの国も経験したことのない高齢者の急増が大都市圏を津波のようにのみ込み、お手上げ状態になりかねない」と指摘する。

 「2020年問題」は団塊世代の高齢化と「多死時代」の到来だ。20年代、団塊世代は後期高齢者になる。国立社会保障・人口問題研究所の推計では、毎年の死亡数は150万人台に達し、出生数の2倍になる。高齢化率は30%を超す。

 「2030年問題」は未婚や離別、死別による単身世帯の急増によって起きる。特に単身化が進むのは、その時期に中高年となる団塊ジュニア前後の男性だ。60代で見ると、05年に10%だった一人暮らしの割合は30年に25%に。女性も50、60代で単身化が進む。男女合わせた全世帯で一人暮らしは4割に迫る。

 背景にあるのは未婚率の上昇だ。30年の時点で生涯未婚率は男性は3割に、女性で2割を超えるとされる。1990年生まれの女性の場合、3分の1以上が子を持たず、半数が孫を持たない計算だ。

 地方で先行する少子高齢化問題と異なるのは、団塊・団塊ジュニアという人口の塊が高齢化・単身化することだ。極めて多くの中高年の単身者が、都市部にあふれる時代が来る。人口研の金子隆一・人口動向研究部長は「ぬるま湯がじわじわ熱くなっているのに、目に見えて何かが起きないと危機感が広がらない」と警鐘を鳴らす。(西本秀)

(以上引用)






さようなら、私の本よ!

2010-12-27 14:08:16 | 日記



ぼくは、大江健三郎『さようなら、私の本よ!』という本の文庫本を第12章まで読んだ。

残るは、第11章~終章までの第3部と“文庫版のために”という文章である。
そんなにページ数はないので、今日中にたぶん読み終わるであろう。

『さようなら、私の本よ!』は、“おかしな二人組”3部作の最後であるので、ぼくはこの3部作『取り替え子』-『憂い顔の童子』-『さようなら、私の本よ!』を読み終わる。

しかも『さようなら、私の本よ!』は大江健三郎の最後の小説ではなかった。
その後、『美しいアナベル・リイ』、『水死』が書かれた。


ぼくはこの本の感想を書かない(書けない)
この本を“紹介”したい。


★この本の単行本の帯に掲載された言葉;

絶望から始まる希望
巨大暴力に対抗する、個人単位の暴力装置を作る繁と、世界中から「徴候」を収集・記録する古義人――「おかしな二人組」の、絶望から始まる希望を描く長編小説。


★ この本の文庫本の帯に掲載された言葉;

大江健三郎流テロリズムとは?


★ 高橋源一郎書評(アサヒコム2005/11);

 大江健三郎は、現存する、最大の顰蹙(ひんしゅく)作家である、とぼくは考える。 例えば、戦後民主主義へのナイーヴな信頼や、政治的アクションへの止(や)むことのない参加は、高度資本主義下の日本人の多数にとって、顰蹙ものである。 さらに顰蹙をかうのは、その作品だ。 外国の作家や詩人の引用ばかりじゃないか、自分と自分の家族や友人と自分の過去の作品について書かれても興味持てないんですけど——等々。 だが、真に顰蹙をかうべきなのは、もっと別のことだ、とぼくは考える。 この小説だけではなく、近作全(すべ)てで主人公を務める長江古義人は、ノーベル賞作家で、本ばかり読む人である。要するに、作者の大江健三郎にそっくりの人物だ。その、作者そっくりの人物のもとを訪ねた、幼なじみの、国際的名声を持つ建築家、椿繁は、「老人の最後の一勝負」として9・11同時多発テロに触発された東京の超高層ビル爆破計画を持ちかけ、そのあらましを、新しい小説として書くように要請するのだが——というのが、この小説の「あらすじ」だ。 しかし、そんな「あらすじ」に従って「読まれる」ことを、この小説は拒否している。 作中人物の一人は、主人公にその計画を「本気で受けとっていられたか」と訊(たず)ねる。「本気」があるのか。あるとしたら、それは何なのか、と。それは、作者自身が、読者になりかわって訊ねたことなのだ。この小説の「本気」は何か、と。 この小説は、読者の前で揺れ動く。過激な煽動(せんどう)と真摯(しんし)な問いかけと悲痛な叫びに滑稽(こっけい)さ、そのどれが「本気」なのか、と読者を悩ませる。だが、小説とは、そういうものではないのか? 苦しみつつ、作品の解読を通して、作者さえ知らないものを見つけ出すのが、小説を読む、ということではないのか。だとするなら、小説への信だけは失わぬ大江健三郎は、世界がどのように変わっても、他の作家たちが小説を書かなくなったとしても、ただ一人、小説を書き続けるに違いない(なんと迷惑な!)。それ故に、ぼくは、彼を最大の顰蹙作家と呼ぶのである。
(引用)



高橋源一郎の書評を引用したのは、これがいいと思ったからではない(笑)
これがたまたま検索で引っ掛かったからである。


はっきりって、批評される対象より、批評するひとが“小物”なとき、その“批評”はどのように成り立つのだろうか?!


ぼくは大江健三郎が、ただしい世界認識のもとにただしい主張を持つ小説を書いた、とは思わない。

しかし大江健三郎は、まさにただしい主張の困難をこそ書いている。

この認識は、“世界的”であると同時に、“現在的(アクチュアル)”である。

現在“ただしいことを言う”ひとは、皆、嘘つきである。

あるいは“偽の希望”をいうひとは、皆、絶望を知らぬゆえ、希望に触れることができない。

希望とは、未来にかかわることである以上、“彼ら”に、未来はない。

未来なきひとは、“現在に”埋没し去るか、“来世”に生きるのみである。

“彼ら”は、歴史なき(”リアル”なき)浮遊物(幽霊)である。


まさに『さようなら、私の本よ!』と村上春樹『1Q84』を比較せよ。

それは、<人間>と<幽霊>の比較である。

ぼくが言いたいのは、とりあえず以上である。




『さようなら、私の本よ!』は、希望の本である。







今年(2010)の本と未来(2011)の本

2010-12-25 15:26:25 | 日記



ぼくは買った本と読み終わった本を記録している。
今年買った本はほぼ150冊であり、読了書は40冊程度であった(今年買った本を今年読了したとは限らない)

“読了書”は、思ったより多かった(笑)
ぼくはなかなか読了できない。


その今年の読了書のなかから、“ベスト”を選ぶ。
つまりこれは“ぼくが今年読み終わった本”のベストである。

今年は迷いがなかった、ル・クレジオ『物質的恍惚』と『悪魔祓い』である。
この2冊のオリジナルは、1967年、1971年であるが、この2冊が今年(2010年)に岩波文庫新刊として出た。

その意味で、この2冊は、“日本における”今年の本でもあった。
だがこの2冊は、中上建次『熊野集』+『紀州』の組み合わせのように、現在のぼくの<基準点>となる本である。


さらに<未来の本>を考える場合、ぼくにとっての<未来>は、“来年(2011年)~”というふうに“~”をつけられないと思った。

個人的には、ぼくの生存はもはや、“1年、1年”を区切る必要がある。
つまり2011年に“生きる”ことはほぼ可能となったが、2012年に生きているか否かは不明である。
1年、1年を<現在=過去=未来>として生きていく。


<今年の本>では、思想書では宇野邦一の本を数冊読み感銘を受けた、また十川幸司の2冊の精神分析の本に学んだ、感謝する。

日本の小説では青山真治と平野啓一郎を読んだ(青山氏は彼の書いたものはほぼ全部読んだ、平野氏はまだ数冊)

ビュトールの2冊の“小説”『時間割』と『心変わり』を再読し、最近の講演集『即興演奏』を読めたのも、重要な“読むこと”であった。


そして今年の終りに、大江健三郎“おかしなふたり”3部作に激突した。
そうして、ぼくの<未来=2011年>は拓けた。
ぼくが大江健三郎に出会うのは、生涯で2度目である。
青春の最初と、晩年の最初で出会ったことになる、大江健三郎にはあまりにも多くの“恩義”を感じる。

センチメンタルな言い方をするなら、父と兄がいなかったぼくにとって、大江は、まぼろしの父=兄となった(これは中上建次が精神の“兄弟”であることと同じだ)

しかしこのことは、大江や中上を“神格化”して奉ることとは、まったくちがう。
これからのぼくは、彼らの“批判”に向かう。

そしてこれら二人の日本人の“外”に、ル・クレジオとデュラスがいる。
タルコフスキーとグレン・グールドがいる。
ベンヤミンとドゥルーズとサイードとギュンター・グラスと立岩真也がいる(この5人はまだぼくの“未来”の課題である)






<引用:『物質的恍惚』>

★ ぼくの死はぼくを裸にしてしまい、ぼくはぼろ切れ一つさえも身にまとっていることはできまい。ぼくがやって来たように手ぶらで、ぼくは帰ってゆくのだ、手ぶらで。


★ なぜいつまでも、感情のうちに、個々別々の力、ときには矛盾し合いさえする力があるという見方にこだわるのか?いくつかの感情があるのではない。ただ一つの、生命の形があるだけ、それが多種多様な力にしたがってわれわれに顕示されるのだ。この形をこそ、われわれは再発見せねばならない。この形、無の反対物、眼の輝きの湾、光と火との河、それは絶え間なく、弱さなしに、こうして、人を導き、引っ張ってゆくのだ、死にいたるまで。


★ ぼくが死んでしまうとき、ぼくの知り合いだったあれら物体はぼくを憎むのをやめるだろう。ぼくの生命の火がぼくのうちで消えてしまうとき、ぼくに与えられていたあの統一をぼくがついに四散させてしまうとき、渦動の中心はぼくとはべつのものとなり、世界はみずからの存在に還るだろう。諾(ウイ)と否(ノン)の対立、騒擾、迅速な運動、抑圧などの数々はもはや通用をやめるだろう。眼差しの凍えかつ燃える流れが止まるとき、肯定すると同時に否定していたあの隠された声が語るのをやめるとき、この忌わしく苦痛に充ちた喧騒のすべてが黙してしまうとき、世界はただ単にこの傷口を閉じて、そのやわらかで静かな、新しい皮膚をひろげるだろう。



<引用:『悪魔祓い』>

★ どうしてそんなことがあり得たのかよくわからないのだが、とにかくそういう具合なのだ。つまりわたしはインディオなのである。メキシコやパナマでインディオたちに出会うまで、わたしがインディオであるとは知らなかった。今では、わたしはそれを知っている。たぶん、わたしはあまりよいインディオではない。


★ なにものももはや目をだますことはない。インディオの女たちの目は、黒い入り江のようだ。青銅色の顔のなかで静かにきらめきつつ、見つめている。目は《魂》にいたる扉として見開かれることなど決してない。
わたしたちの目の残忍さと貪欲。
しかしここには、河のほとりに立って動かない若い女の、見つめている目だけがある。
<見つめている目>。


★ 指で描いてもそのままではなにものも現さず、結果を将来に委ねるこの目に見えない透明な染料を、なぜインディオは選んだのだろうか。この延期と無名性をなぜ欲したのだろうか。むろんこのインクは、装飾ではなく、魔術のしるしだからだ。身体や顔に模様を描くということ、それは気晴らしのためではなく、意識の儀式なのである。なぜなら、皮膚を変装させるのは、つまるところ人間の手ではない。そうではなくて、皮膚自身が反応して、みずから自分の模様をつくりだすのである。
★ 皮膚の芸術という驚嘆すべき芸術、生きた芸術!時の移り行きに応じて、ゆっくりと、眠っているあいだに、模様の輪郭が姿を現す。輪、三角、十字、人間の顔、亀やひき蛙や、イグアナや太陽の形、蛇や大豹(ジャガー)の姿を利用した偽装。それらは《目》である。
★ それらは、あたかも霧を通過して来るもののように、ためらいつつ、酩酊しつつ、見えない手で、《内側から》描かれて生じたもののように姿を現す。突然、皮膚は、外的な力の止むところ、物質や、樹木や、河や、生物たちの力の静止点であることを止める。肉体の深部にいる動物たちが、身をよじらせ、咆哮し、獣毛が、黒い不思議なきらめきを放つ。突然、皮膚は透明となった。それまでかつて見られなかった金属的な水の表面だ。ここで、別の風景が、新しい世界が始まるのだ。




<そして“未来”へ>

★ (私の魂)といふことは言へない
その証拠を私は君に語らう

しかも(私の魂)は記憶する
そして私さへ信じない一篇の詩が
私の唇にのぼつて来る
私はそれを君の老年のために
書きとめた

(大江健三郎“火をめぐらす鳥”―『僕が本当に若かった頃』に引用された伊東靜雄の詩の一節)






この空漠;その根から

2010-12-25 00:30:19 | 日記


あなたは踊り、踊らされて、今日も満足か?

この<空間=空漠>。

いちおう、<リアル空間>とテレビ、ネットのなどの<ヴァーチャル空間>がある、とされている。

しかしそれらの空間を“満たす”のは、過剰な言葉-映像-音響の複合体である。

つぶやこうが、主張しようが、批判しようが、共感しようが、同じである。

その膨大な“つぶやき”、膨大な“自己主張”、膨大な“愚痴”、膨大な“ナルシス”。

もはや男なのか女なのかもさだかではない。
人間なのか動物なのかもさだかでない。
希望なのか絶望なのか、実利なのか打算なのか“小股すくい”なのか、軽蔑なのか、同情なのか、強情なのか、たんなる“癖”なのか、ケチな自己宣伝なのかさだかでない。

もちろん憲法を変えるのか、自衛隊を核武装するのか、強大なスパイ組織をつくるのか、“敵国”を先制攻撃するのか、それともあいかわらず紅白を見て、みんな忘れるのかさだかではない。

ばかどもが、“別種のバカ”を、あいつはバカだ、あいつは今日もバカだと罵るのが、ニッポンの<言論>となった。

もっと利巧な人々は、レトリックを駆使して、なにも言わない。
なにも考えず、なにもしなくても、“神の手”とか“自然の運行”によって、世の中は、納まるところに納まるはずだということを、何百篇でも書き続けているだけである。


乳離れできない餓鬼どもが、自分の心の傷とやらからの癒しを、“希望=前向き”ソングとして、散漫に下手なダンスに合わせて<歌う>のが、平成ニッポンの歌となった。

天才美空ひばりがとうに死んでいれば(もちろん彼女はとっくに死んでいる)、美空ひばりの“そっくり”物まねをして、はしゃいでいる。

ああ、堕落にも程度というものがあるのではないだろうか!(坂口安吾さんへ)
堕ちよ、堕ちよと戦後60余年堕ち続けて、もはや底はとっくに見えない。
知らずして、<地獄>も通り過ぎた(だからなんとなく<極楽>の気配も漂っているではないか;笑)

もちろんだれが安吾を知ろう、美空ひばりだって、知っているはずはない。
(ぼくも“ひばり”はしらないが、“ビートルズ”は知っている)

<過去>を自分で体験し、“知っているはず”の爺さん婆さんが、どんどん<認知症>になっていくのみではなく、“現実に”どんどん死んでゆく。
“彼ら”の記憶は、継承されたか?(継承されたはずはない!!!)


情報として、過去を“聞きかじった”餓鬼どもが、エラソーな解説屋となって、まったく理解(認知)したこともない<音楽>や<映画>や<文学>について、恥ずかしげもなく吹聴する。

その<常識>が、“万人の”スタンダードになったら、いったい何が歴史の真実だったのかなど、だれも気にもしない。(司馬遼太郎を読んでいればよい)
ぼくはそれを<テレビ>と呼ぶ(何度でも、死ぬまで=ぼくが死ぬまでか、テレビが死ぬまで、ぼくは言い続ける)

<ネット>も<テレビ>である。

もちろん<ポストモダン>は、この<歴史=大きな物語>自体を拒絶し、自分だけが<新しい>と居直ったのだ。
<自分>が、歴史的に“断絶されて”新しい、と。

結局、<新しい自分>だけを“サイコー!”とするレトリックなのだ。

ある<家族>の系列で見れば、“爺ちゃんや父さんより後に生まれたボクがいちばん新しいから優秀なんだ”という、<新製品は旧製品よりすぐれている>という資本主義理論なのだ!

“親ども”も、<親ばか理論>により、“俺よりお前は新しいからすぐれているはずだ”と、おだてて子育てしているうちに、親子ともども“認識を誤って”しまったのだ(笑)


まったくいくら書いても、気分がおさまらない<世の中>となった。

いくら書いても、気分がおさまる、はずはないのである。

こういう“感想”を日々抱いているこの<私から>根本的な転換をはからなければならない。


問題は、根本的(ラディカル)である。

その<根>から。







Merry Christmas - C

2010-12-24 22:42:45 | 日記



松明のごと、なれの身より火花の飛び散るとき
なれ知らずや、わが身をこがしつつ自由の身となれるを
もてるものは失わるべきさだめにあるを
残るはただ灰と、あらしのごと深遠に落ちゆく混迷のみなるを
永遠の勝利のあかつきに、灰の底ふかく
さんぜんたるダイヤモンドの残らんことを

<アンジェイェフスキ『灰とダイヤモンド』(岩波文庫1998)による>