Don't Let Me Down

日々の雑感、引用。
言葉とイメージと音から喚起されるもの。

わからない

2010-11-30 21:20:07 | 日記


内田樹ブログが毎日新聞“心のページ”に載ったインタビューを再録している;

記者の質問:レヴィナスから見たユダヤ教とは。

内田樹回答:
第二次大戦中のホロコースト(ユダヤ人大虐殺)後、多くのユダヤ人は「神に見捨てられた」という思いをひきずっていました。なぜ神は天上から介入して我々を救わなかったのか。若いユダヤ人の中には信仰を棄てる人たちも出てきました。その時、レヴィナスは不思議な護教論を説いたのです。
「人間が人間に対して行った罪の償いを神に求めてはならない。社会的正義の実現は人間の仕事である。神が真にその名にふさわしい威徳を備えたものならば、『神の救援なしに地上に正義を実現できるもの』を創造したはずである。わが身の不幸ゆえに神を信じることを止めるものは宗教的には幼児にすぎない。成人の信仰は、神の支援抜きで、地上に公正な社会を作り上げるというかたちをとるはずである。」
成熟した人間とは、神の不在に耐えてなお信仰を保ちうるもののことであるというレヴィナスの人間観は私には前代未聞のものでした。
(以上引用)


この文章を読んでぼくには、疑問が生じた。

もし、《神が真にその名にふさわしい威徳を備えたものならば、『神の救援なしに地上に正義を実現できるもの』を創造したはずである》ならば、

神は、人間の創造にしか関与していないことになる。

“創造されたあとの”人間は、なぜ神を必要とし、いかに神と関係するのだろうか?

すなわち“信仰”は、なぜ必要なのか?

なぜ、神なしでやっていってはいけないのだろうか?

ぼくは、人間が、『神の救援なしに地上に正義を実現できるもの』であるか否かを言っているのではない(それは、わからない)

なぜ、信仰が必要であり、神がいなければならないか、わからない、と言っている。

この内田ブログの結論は以下のようである;

《まず他者の思考や感情に敬意を示すところから始めて、「おっしゃることはいちいちもっともだが・・・」と交渉も始められるわけです。他者との対話はまず「聴く」というところからしか始まらない。それがレヴィナスの教えていることだと私は思います。》(引用)

たいへんけっこうなことが言われている。

しかし、《他者との対話はまず「聴く」というところからしか始まらない》ということにも、神や信仰がどう関与するか(神や信仰がなければ他者を聴くことがどうしてできないか)は、この内田氏のブログではぼくには了解不可能である。


だれか(信仰のある方)、ぼくに説明してくれませんか。






デュラス

2010-11-28 14:47:19 | 日記


今月新刊の文庫本にデュラス『アガタ』とコクトー『声』のふたつの戯曲のカップリングがある(光文社古典新訳文庫2010)

この翻訳者渡辺守章の解題“『アガタ』あるいは創られるべき記憶”にあった;

★しかしデュラスという人は、自分の個人的体験を、虚構の枠組みの中で一種の普遍的経験に読み直す、とでも言ったらよい操作をするから、(略)虚構の「種」を探すことを、19世紀的実証主義の残滓と言って、退けてばかりもいられない。


《創られるべき記憶》とか、《個人的な体験》とか、《虚構の枠組みの中で一種の普遍的経験に読み直す》とか、《19世紀的実証主義の残滓》ということがあるのである。


このことは、デュラスに限らない。

まさに現在ぼくが読んでいる大江健三郎『取り替え子』は、そういう問題群を喚起する。
そして大江には、『個人的な体験』というタイトルの“小説”もあった。

ぼくが中上建次の“小説”『熊野集』と“ドキュメント”『紀州』を同時に読んで、衝撃を受けたのも、その“問題群”に係わる。


しかしこのブログは、マルグリット・デュラスに係わる。

前にも引用したデュラス自身の発言がある(自分のことが書かれた本に寄せた序文“彼女はわたしについて書いた”);

★ 彼女がわたしに、わたしがシャムの森でエクリチュールに出会ったと言うのは、驚異的だ。そして彼女がそれを言うとき、わたしはそれを信じるのだ。死の、悲惨の、わたしのこども時代の森……


《シャムの森でエクリチュールに出会った》

という指摘に、デュラス自身が、驚いた、のである(たしかにそれは、レトリックでもあろう)


そして“ぼく”にとって(“ぼくら”にとって)問題なのは、<どこで>エクリチュールに出会ったか、あるいは、出会えなかったか、という問題である。


その<場所>は、デュラスにとっては“シャムの森”であった。
大江健三郎にとっては、“森のなかの谷間の村”であった。
中上建次にとっては、“路地”であった。

そして、村上春樹にとっては?




このブログの最後に、デュラスの“シャムの森”についての、圧倒的な記述を引用する;

★ 夜のことは覚えている。青い色が空よりもっと遠くに、あらゆる厚みの彼方にあって、世界の奥底を覆いつくしていた。空とはわたしにとって青い色をつらぬくあの純粋な輝きの帯、あらゆる色の彼方にある冷たい溶解だった。ときどきヴィンロンでのことだが、母は気持ちが沈んでくると、小さな二輪馬車に馬をつながせて、みんなで乾季の夜を眺めに野原に出た。あれらの夜を知るために、わたしには運よくあのような母がいたことになる。空から光が一面の透明な滝となって、沈黙と不動の竜巻となって落ちてきた。空気は青く、手につかめた。青。空は光の輝きのあの持続的な脈動だった。夜はすべてを、見はるかすかぎり河の両岸の野原のすべてを照らしていた。毎晩毎晩が独自で、それぞれがみずからの持続の時と名づけうるものであった。夜の音は野犬の音だった。野犬は神秘に向かって吠えていた。村から村へとたがいに吠え交わし、ついには夜の空間と時間を完全に喰らいつくすのだった。
<デュラス『愛人(ラマン)』>


★ 子供たちがとても幼かったころ、母親は、ときどき、子供たちを乾季の夜景を眺めに連れだした。彼女は子供たちにこう言う、この空を、まるで真っ昼間のように青いこの空を、見渡すかぎり大地が明るく照らされているのをよく見てごらん。それからまた、耳を澄ませてよく聴いてごらん、夜のざわめきを、人びとの呼び声、笑い声、歌、それからまた、死にとり憑かれた犬の遠吠えを、あれらの呼び声はみんな、孤独の地獄を語り、同時にまたそういう孤独を語る歌の美しさを語っている。そういうことも、耳を澄ましてちゃんと聴かなければ。普通は子供たちには隠しておくことなのだけど、やっぱり逆に、子供たちにはっきりとそれを語らなければいけない、労働、戦争、別離、不正、孤独、死を。そう、人生のそういう面、地獄のようであり、同時にまた手の打ちようもない面、それもまた子供たちに知らせなければいけない、それは、夜空を、世界の夜の美しさを眺めることを教えるのと同じことだった。この母の子供たちは、しばしば、母の語る言葉がどういう意味なのか説明してくれと求めた。すると母はいつも、子供たちに、自分にはわからない、それはだれにもわからないことなんだと答えた。そして、そういうことも知らなければいけない、と。何にもわからないんだいうこと、何よりも、それを知ること。子供たちに向かって何でも知っているよと言う母たちでさえ、知らないんだ、と。
<デュラス『北の愛人』>






“読む”ことと“経験”

2010-11-28 13:32:17 | 日記


ブログにおいても、自分の意見を“主張”するひとがいるし、自分の体験-経験を“語る”ひとがいる。

この“ふたつのこと”は、どう関連(関係)するのだろうか?

極端な場合、自分の日々の体験は語るが、だからといって、なにも“主張しない”ひとがおり、このような“態度”(ディスクール)は、結構、感じよいと思われるようだ。

すなわち、そのような態度は、謙虚で控え目であり、“日本的美徳”に添うものであると。

あるいは、たんに、自分の日々の体験は、“語れる”けれども、そこから、なんらかの“主張”を見出せないひともいるだろう。
あるいは、自分の日々の体験を語ることに“よって”、おのずから、なんらかの主張をする(意図的に、無-意図的に)ひともいる。


昨日、ぼくは妻の高齢の父の火葬に立ち会った。
ぼくが、人の死や葬儀に立ち会ったのは、歳相応に何度もある。
まだ小学生の時に、祖母の臨終を枕元でみとった。
母の死はほぼ10年前になり、父の死(葬儀)には事情があって立ち会っていない。

この1ヶ月間に、昨日の義父の死だけでなく、大学以来の友人の妻の死に顔も見た。
そういう“体験”を語ることも、そういう“体験から”語ることもあるだろう。

もう“そういうふうに”書いてしまったのだが、ぼくはこういう体験を直接的語ることを望まない。
ぼくは最近のブログで“人の死と自分の死”について、“間接的に”語っていると思う。

そして“人の死と自分の死”-<から>語ることは、ぼくの今後の課題でもあろう。
“理念的に”取り出せば、それは、立岩真也等が展開している<生老病死>の課題に連なることである。

そしてその<理念的課題>は、まさに<現実=リアル>な課題であり“生存(生きること)”の見直しである。


昨日引用したサイードの文章の翻訳で気になることがあった、もう一度引用する;

★ けれども、こう語ったからといって、故国喪失者だけが、追憶の痛ましさを感じることができ、適切な(そしてたいていはなじみのない)表現を求めるしばしば絶望的なあがき――コンラッド的な作家に特有なあがき――を、感ずることができるということではない。そうではなくてコンラッドやナボコフやジョイスやイシグロたちは、彼らの独自の言語使用によって読者を刺激し、言語が経験によって語っていること、言語は自己参照的にみずからの特性のみを語るのでないことを、読者に知らせているのだ。


この文章の後半の文;

《そうではなくてコンラッドやナボコフやジョイスやイシグロたちは、彼らの独自の言語使用によって読者を刺激し、言語が経験によって語っていること、言語は自己参照的にみずからの特性のみを語るのでないことを、読者に知らせているのだ。》


この“翻訳”は、2種類の解釈が可能である;

コンラッドやナボコフやジョイスやイシグロたちのような“エグザイル”の独自の言語使用は、

A:《経験によって語っていること》と《自己参照的にみずからの特性のみを語る》ことをを“両方”否定する

B:《自己参照的にみずからの特性のみを語る》ことを否定し、《経験によって語っていること》を肯定する


ぼくの理解では、サイードが言っていること(言いたいこと)は、“B”である。

原文自体が錯綜しているのだろうが(ぼくは原文を読んでいない)、この翻訳は誤解を招くのではないか。

すなわち、言語が、
A:《自己参照的にみずからの特性のみを語る》
B:《経験によって語る》

ことは、ちがう、のである。

まさにここでサイードが、《経験によって語る》という言語使用こそ、“歴史のなかの私が語り”、“世界のなかの私が語る”という態度表明を記している。






エグザイル;EXILE;エグザイル・マシーン

2010-11-27 12:34:45 | 日記


“エグザイル”という英語がある。

ウィキペディアで引いてみる;

エグザイル (Exile)は、流罪または亡命の意。もしくはそれを受けた人物。
· 日本のヴォーカル&ダンスユニット。→EXILEを参照。
· 60年代~70年代末にかけて活躍したアメリカのロック/カントリーミュージックバンド。→エグザイル (アメリカ)を参照。
· 衣谷遊の漫画作品『聖戦士ダンバイン異伝 エグザイル・サーガ』に登場する架空の兵器、オーラバトラーの一つ。→オーラマシン一覧#オーラバトラーを参照。
· 映画『マトリックス』に登場する人間型プログラム。
· MYST III EXILEはコンピュータゲームの一種。
· 日本テレネットから発売されたコンピュータゲーム。→エグザイル (ゲーム)を参照。
(以上引用)


すなわち“エグザイル”は、現在、なんとなくカッコいい言葉のひとつである。

しかし、あらゆる言葉には、“本来の意味”がある。

たとえば、エドワード・W・サイードの『故郷喪失についての省察』というエッセイ集があり(みすず書房から上下2冊本で翻訳刊行2006、2009)、その原題は<REFLECTION ON EXILE>である。

サイードが、その実人生においても、その思想においても、<EXILE>であることを、サイードの“反対者”であっても認めないわけにはいかない。

サイードは、“故郷喪失者”として、パレスチナ問題を語った。

その“証言”は重要である。
しかし同時に、それは、文学の問題であり、言語の問題であった。


『故郷喪失についての省察』の“序”においてもサイードは語る;

★ (故郷喪失者や亡命者である)作家たちのヴィジョンには、不安感は言うまでもなく、ある種の切迫感までが生ずることになったし、何かを語るときにも、ゆるぎない確信とは無縁のゆらぎがついてまわり、これが言語使用を、通常の作家たちの場合よりもはるかに興味深くまた暫定的な脆いものに変えたのである。

★ けれども、こう語ったからといって、故国喪失者だけが、追憶の痛ましさを感じることができ、適切な(そしてたいていはなじみのない)表現を求めるしばしば絶望的なあがき――コンラッド的な作家に特有なあがき――を、感ずることができるということではない。そうではなくてコンラッドやナボコフやジョイスやイシグロたちは、彼らの独自の言語使用によって読者を刺激し、言語が経験によって語っていること、言語は自己参照的にみずからの特性のみを語るのでないことを、読者に知らせているのだ。


上記引用文を熟読せよ!

しかも同時に、“日本人”である、“ぼくら”には考えることがある。

“ぼくにとっては、以下のような”モチーフ“がある;

A:中上建次の<路地>から<アジア>へ
B:大江健三郎の<森のなかの谷間の村>から世界へ
C:<路地>なく<谷間の村>もない、都市<郊外>から、<都市>の生活者の体験から、<何処>へ?

D:そして宇野邦一等“海外留学生”の<境界の思考>


なぜ上記のようなモチーフが、“ぼくにある”のか?

“ぼく”には、<路地>はなく、<谷間の村>もなく、<海外留学経験>もない。

ぼくはいつもこの場所で(郊外から都会へ、都会の中で―の引越しを繰り返し)、いつもその<閉域>から、“ここより他の場所”を夢見てきたからだ。


しかし<エグザイル>は、ここにある。

時間を越える機械が、“タイム・マシーン”であるなら、<エグザイル・マシーン>をつくれ。

たしかに、この<マシーン>は、“文学”とか“言葉”とか呼ばれるものに関与する。

現在の、日本。

この限りなく“内閉”する場所において、その内閉が、限りなく“アメリカという父”に依存する“精神病者”たちを発生させるこの群れのただなかにあって、<エグザイル・マシーン>を稼動せよ。

この<マシーン>は、“文学”とか”映画”とか“言葉”とか呼ばれるものに関与する。





楽しい読書;罪と罰

2010-11-27 10:04:44 | 日記


昨日も仕事で疲れて帰って、なにもする気がしないので、すぐ寝るか、テレビの前に座り込みそうになったが、本の整理をした。

“整理”というのは、ぼくの現在の課題である。

ぼくの周辺の“モノ”について、本当に必要なモノだけを残し、すべて捨ててしまいたい。

そうとう捨てられるはずである。
“ほとんど”捨てられる、はずである。
あまりにも“捨てられる”モノが多いので、なかなか実現が困難である、ということなのである。

昨夜の本の整理は、この決定ではなく、“配置を変える”程度であり、根本的ではない。
ぼくは本を読むとき、カバーをはずしてしまうのだが、はずしたカバーが納戸に溜まってしまったので、そのカバーを、いちおう全部元の本に戻した。

そうしていると、(買って)、忘れていた本もあるのである。
ぼくは2003年にサラリーマンを辞めたとき、大量に本を処分したが、その後、また、ずいぶん本を買ってしまった。
本棚、納戸の収容能力を突破し、本は床に積み上げられている。

いつも“生きている間にこれらの本を全部読み終われない”と思う。
しかし、また買う(笑)

しかも、“読み返したい”本がある。夏の終りに書き出しを“読み返した”本がある;

《七月のはじめの酷暑のころのある日の夕暮れ近く、一人の青年が、小部屋を借りているS横丁のある建物の門をふらりと出て、思いまようらしく、のろのろと、K橋のほうへ歩き出した。》


この本は実に有名な本であり、誰もが読んだ“はず”の本である。
そしてこの小説の主人公は“若い”ので、一種の“青春の本”でもあった。

ぼくも“青春”において、この“読むべき本”を読んだはずなのだが、当時、特に感銘を受けなかった。
この本だけでなく、ぼくは“世界名作”を読もうとして、さっぱり“感銘”を受けることができなかった。

その本を60代になって、また“読む”ことは可能か。
可能である、と思った、“青春”よりは、深く。

罪と罰。
たしかにこの“テーマ”を考えることはできる。
しかし、現在のぼくにとって魅力的なのは、<かれ>がさまようロシアの都市の光景であった。

その時、その場所の、光と影の錯綜であった。

そして、その場所で、<かれの息遣い>とぼくの鼓動は、錯綜しながら、共鳴することが可能と思えた。

たぶん、この歳になって、この時代のこの場所において、ぼくは、“世界名作”の登場人物との<共感>の手がかりを“はじめて”得るのである。

そうなると、<読書>は無限である。
とうてい“読みきれる”ものではない。

当然、“つまらない文章”を読んでいる暇はない。

つまり、“つまらない文章”が、<現在>をいかに支配しているかも、わかるのである。

みなさん、楽しい読書に励もう(笑)






<追記:idiot>

近日あるブログで、“ぼくの世代”を批判する文を読んだ;

《だって…サルトルとか…そういうのが流行りだったのだからさ》

たしかに、菅とか仙石とかいうひとは、ぼくと“同世代”である。

彼らを“idiot”と呼ぶのは、かまわない。
ぼくも“なさけない”と思う。

しかしそのブログを書いた人は、<サルトル>を読んだことがあるのか?

しかもサルトルが、“idiot”でなかったとも思わない。

しかしこの場合、“誰が” idiotではないのか?idiotでない人間など“歴史上”ひとりも存在しない、というテーゼも浮上する。

ぼくが世界に目を開いたとき、たしかにそこにはサルトルやノーマン・メイラーがいた。

この二人は、フランスとアメリカにおいて、スキャンダラスな存在でもあった。
もちろん、“この二人”も、ちがっていた。

しかも、たしかに、大江健三郎の紹介によって、“この二人”から世界を読み始めたぼくにとって、この二人と決着をつける必要もあるのである。

すなわち、サルトルとメイラーという“テーマ”もある。

そしてディランは、“idiot wind”と歌った。

その風は、いま世界を、吹きまくっている。





楽しい読書;大江健三郎と村上春樹

2010-11-26 10:35:18 | 日記


なにを読むか?

これが問題である(笑)

“読む”ものは、紙の本の形態をしていなくてもよい。
たとえば、いま話しているひと(ぼくの面前で)の“顔を読む(表情を読む)”こともできる。
電話で話しているひとの“声を読む”こともできる。
ブログやツイッターなら、そのひとの更新のタイミングを読む(笑)

毎日、同じ事を“言う”ひとがいる。
日々の“事件”に即座に反応するひとと、たまに“正しいこと”(と本人が思っていることを)を言って、安心したのか(爆)ちっとも更新しないひともいる。
何ヶ月も自分のブログを放置して、突然、“神について”語るひともいる。

しかし“言説”は、義務ではないし、仕事でもないのである。

自分の仕事を、<本>の形態で物質化する人々もいる。

その<物質>は、“身銭を切って”購入されたり、図書館で無料で読める。

読める、のである。
紙の上の活字、点滅する文字。


生涯に何冊の本が“読める”だろうか?

もちろん“何冊”であるかという“数”は、まったくどうでもよい。
“いま”において、ぼくの記憶に残る本があるなら、幸福である。

そういう<本>は、ジャンルに関係ない。
が、ぼくの場合、ほぼ小説である。

たとえば、大江健三郎と村上春樹。
ある時期、ずっと読み続けたひと。
そして電撃のように襲った中上建次。

しかしぼくは中上建次の本を全部読もうという気にはならない。
もうすでに、『熊野集』と『紀州』の2冊によって、そして“秋幸3部作”において、彼のメッセージはぼくに届いた。

加藤典洋という評論家が、大江健三郎と村上春樹を、“両方とも”読むべき、と言っているらしい。

ならば、ぼくは“両方”読んだ。
しかし、その“時期”は、ちがっている。

まさに大江を読めなくなったとき、ぼくは村上春樹を読んでいた。
そして、村上春樹を読めなくなったとき(読む必要がなくなったとき)、大江健三郎に“もどった”。

ぼくは、大江と村上を同時に読むべきでない、と主張しない。
そういう“器用なこと”ができる器用な人なら、結構なことである。

ただぼくにとっては、村上春樹を読むことは快適であった。
大江健三郎を読むことは、快適でない(笑)

ボルヘスという人は、“楽しくない読書はしない”と言って、たくさんの本が“読めた”ひとだったらしい。

しかしそういう人は、“天才”である。

天才でないぼくにとって、“読むこと”は、やはり、努力である。

すなわち、読むことの現在進行形において、苦痛や違和感や齟齬感を持つことも、その本を記憶することになるだろう。

“人生”のように、このような“違和”も、ある種の<幸福>ではないのだろうか。



上記は大江健三郎『取り替え子(チェンジリング)』を264ページまで読んだ<感想>である。





<追記>

もちろん、”小説でないもの”も記憶に残る。
たとえばラピエール&コリンズの『おおエルサレム!』は、”ノン・フィクション”と呼ばれる。

そして、大江-中上-村上の<外部>が必要である。

ぼくにとっては、ル・クレジオやデュラスや『イギリス人の患者』である。

もちろん、ドストエフスキーを”読み直す”こともできる。





とても重要な指摘

2010-11-25 20:57:34 | 日記


立岩真也『人間の条件 そんなものない』の60ページの以下の文章で立ち止まった。
レトリックではなく、この“部分”をぼくは何回も読んだ。

その部分を<引用>するが、その部分の重要さは、その部分のみを読んでもわからない。

その部分の“前後”を読む必要がある。

しかもこの本には、そういう<部分>がたくさんあるようだ(“ようだ”と書いたのは、まだ78ページまでしか読んでないから;笑)

しかし、とにかくこの“部分”を引用しよう。
ここには、“ふたつの態度(言い方)”が書かれている。
“ふたつの態度(思考)”の、どちらかが良い、ということを立岩氏は言っていない(と思う);


★引用;

なにかがよい、とする場合、大きくは、おおざっぱには、二つの言い方がある。一つは、そのなにかそのもののよしあしを言う。その場合、これはよいことだと思える「原理」を立てて、それを認めるなら、よしあしが問題となっているこれも認めることになるとか、これは禁ずることになるか言う。たとえば、「人は生きているのがよい」、だから、人の命を奪う可能性のあるしかじかのことはしてはならない。こんな具合になる。もう一つは、そのもののよしあしは判断しないかできないかだが、それが引き起こす「結果」がよいからよいとか、わるいからわるいとか言う。



上記の引用文は、北朝鮮問題とか普天間基地問題とか日米軍事同盟について述べられたものでは、ありません(笑)




戦争と人権

2010-11-25 13:07:37 | 日記


今日の読売編集手帳を引用する;

ソ連の駐米大使が言う。〈サーベルで威嚇するときはガチャガチャと音が出るが、抜くときには音がしないものだ〉。冷戦下を舞台にした海洋冒険小説、トム・クランシー『レッド・オクトーバーを追え』(文春文庫)の一節である◆有事というものを、よく言い当てている。脅し文句の語調が次第に強まり、やがて極限に達し、潮が満ちるように有事は訪れない。韓国の島、延坪島(ヨンピョンド)を突然砲撃した北朝鮮の暴挙は、〈抜くときには…〉の実例だろう◆米国の反応はすばやい。韓国の防衛に断固として関与する旨の声明を出し、米韓合同軍事演習によって北朝鮮のこれ以上の暴発を牽制するという。サーベルに対する「盾」の自覚だろう◆顧みれば政権交代の後、「米国だけが友人ではない」とばかりに中国に秋波を送り、普天間問題などで盾にヒビを入れたのは誰だったか。「命を守りたい」と言いながら国民の生命を累卵の危うきに置く“友愛外交”が続いていたら――背筋に冷たいものが走る。菅首相は外交戦略の立て直しを急ぐべきである◆次に邪悪なサーベルの向かう先が、日本でないとは誰も言えない。(引用)


さらにあるブログから引用する;

基本的人権は「自然権」だから当然保護されるものだけど、保障してくれるのは「所属している国」しかない。オイラの基本的人権は中国やミャンマーやコンゴでは誰も保障してくれない。だから、国民は税金を払っているわけだ。簡単に言えば。そういうものを侵す存在がなければ基本国なんて必要ないのだ。(もちろん、集団の利益の最大公約数を守るためには国は必要になるが)



たしかに“戦争”についても“基本的人権”についても、いろいろなことが考えられる、言える。

けれども“基本的人権”の基礎の基礎は、殺されたり殺したりしないことである。

ゆえに、“あらゆる”暴力、あらゆる戦闘行為、あらゆる戦争は否定される。

“国家”の大義名分による暴力も、“テロリスト”の権力に対抗する暴力も否定される。

そう言ったとたんに、“あらゆる”現実的矛盾は露呈し、そう言った者に押し寄せる。

すなわち、解答なき“矛盾”は押し寄せる。

だから、ここで、考えることは、ある。

しかし、“現実には”、なにも考えないで、いきなり<解答>を言ってしまう方々が存在する。

それは、“思い込み”であり、“思考-停止”である。

現在、このような<停止>状態にある言説が根拠としているのは、<日米同盟>という偽手形である。

あるいは、“自分の属している国の人民の命だけを守ればよい”という、幼児的エゴイズムである。<追記>

もし<日米同盟>によって、“日本国人民の命さえ守れればよい”という言説と行為が、<正義>であるなら、ぼくらには、<人権>について考えることなど、まったく必要ない。

まさに、考えること(あるいは生き抜くこと)の<人権>に無感覚かつ徹底的に怠惰な人々が、今日も“きたらなしい”自己満足にふけっているのだ。

ぼくは、<解答>など持ち合わせていない。

なによりも、ぼくには、“世界情勢”を判断する<情報>がない。

しかしメディアや専門家やCIAやペンタゴンにも、“確実な情報”などあるわけはない。

そもそも“敵国”や“同盟国”も一枚岩ではない。
その<国家>の内部において、あらゆる“組織”では、権力闘争が渦巻いているのだ。

共通の利害?(爆)

さらにどの<国家>も、機械のような“見取り図”に基づいて“行動”しているのではない。

まさに、現実の錯綜する、矛盾と偶然に満ちた<過程>を、機械のように単純な<図式>にあてはめるのが、大メディアとそこに巣食う“専門家”のお仕事である。

またあらゆる“番犬(太鼓もち)”を動員して、<単純な(わかりやすい!)国家理性>のキャンペーンを繰り出すのも、<国家>の歴史的常套手段である。

あなたが、<人間>であり、<人権>を持つなら、<人権>を希求するなら、国家の番犬になるな。

国家の戦争に加担するな。

ギリギリ、<日本国>も<同盟国>もあなたの<人権>を守りはしない。

しかし、それは、現在<国家>と呼ばれるものにおいてである。

もし<国家>が、人権を持つ人々が、真に関係して生きる場所であるなら、それを<国家>と呼ぶ必要もない。




<追記>

“言うまでもない”が、沖縄の“日本人”に、<日米同盟>の負債をすべて押し付けていられる“内地の日本人”が、同じ日本人を“守っている”などと、どうして言えるのだろうか。





無傷なこころ

2010-11-24 21:49:47 | 日記


あゝ、季節よ、城よ、
無疵な魂(こころ)が何処にある
―アルチュール・ランボー、小林秀雄訳



★ 哲学者はたしかに、「詩人がことばのうちに身を置くように」、ことばのうちに身を置こうとするわけではない。けれども、「哲学が表現へとみちびこうとするのは、ものそれ自身であり、しかも、ものが沈黙している奥底からなのである」(『見えるものと見えないもの』)。メルロ=ポンティにとっては、科学的な知のかたちを超えた、哲学的思考の課題がここにあることになるだろう。「科学はものを操作するけれども、ものに棲みつくことは、断念している」(『眼と精神』)もののうちに住みこみ、ものそれ自体の奥底からことばを紡ぎだすことが、メルロ=ポンティの課題なのである。


★ 世界との関係は、反省されるまえに、すでに生きられてしまっている。生きられている関係に目を向けるために、世界との密接なかかわりからいったん身をしりぞけなければならない。その結果、あらためてひとは、世界を見ること、もういちど見なおすことを学ぶことになるだろう。だから、「真の哲学とは世界を見ることを学びなおすこと」(『知覚の現象学』序文)なのである。

★ 世界に意味が生まれる、その状態をとらえようとすることで、哲学者は、詩人たちの努力と合流することになるだろう。すでにでき上がった意味に、ではなく、意味が分泌される現場に立ちあうことはすぐれて詩人の仕事である。哲学的思考は、世界を見つめなおそうとするその不断の努力において、詩人の辛苦をも引きうけることになる。メルロ=ポンティが考える哲学の課題は、そのかぎりで、詩人の課題をふくんでいるのである。

★ 問題は、経験を語りだすいくつもの常套句がほんとうは失効していることを見とどけて、あらためて世界をめぐる経験に密着しなおすみちゆきにあることになるだろう。

<熊野純彦『メルロ=ポンティ―哲学者は詩人でありうるか?』(NHK出版2005)>






民衆;子供;映画-境界の経験

2010-11-22 23:20:03 | 日記


★ 民衆は、自発的、自律的な生の微粒子、単なる生の様態、しばしば形式化をまぬがれた力の状態であり、たとえ奪われた貧しい状態であっても、固定や停滞の外にある。民衆は、誰でもなく、誰にも還元されない特異性である。そのような生の様態こそが世界の生産を担っているのに、その様態はしばしば目に見えず、表出されることもない。静かに、素朴に、ほとんど闘うこともなく生きるキアロスタミの民衆は、それでも演じ、語り、交渉し、単なる生の微粒子を強靭に表現している。民衆は階級ではなく、誰かではなく、ただそのような表現とともに、そこに出現するだけである。キアロスタミ自身も、そのようにして<民衆>になるのではないか。

★ 子供が「なぜ」と問うとき、「なぜ空は青いの」「誰が地震を起こすの」と問うとき、子供は大人以上に無知であるわけではない。子供は何かを感じているが、ただ感覚に満たされたまま言葉の外にいて、しかも質問するための言葉をもっている。たとえ大人の答えが納得のいかないものでも、問いに答えるという行為さえしてくれるなら、それで十分なのだ。子供はしだいに感覚ではなく、言葉で満たされていく。子供は、言葉と感覚の境界にいる。映画は、この境界の経験に降りていくことが“できるかもしれない”。

★ それゆえ<子供>と<民衆>は、もはやふたつの別々のテーマなのではない。
映画が探求すべき大きな問いがそこにはあり、それこそが映画の可能性そのものだといっても誇張したことにはならない。

<宇野邦一“キアロスタミ讃”―『映像身体論』(みすず書房2008)>






失われた時;翻訳比較ゲーム

2010-11-20 15:23:05 | 日記


プルースト『失われた時を求めて』の新訳2種(文庫本)での刊行が開始されている。

ぼくは、先日光文社古典新訳文庫での高遠弘美の訳を買い、昨日岩波文庫での吉川一義訳を買った。

これで昔からある井上究一郎訳(ちくま文庫)と鈴木道彦訳(集英社文庫)とあわせて、四種類の翻訳が手元にある(現在のところ、第1巻「スワン家のほうへ」であるが)

そこで任意の部分を引用し、この四種類の翻訳を比較してみたい。

ぼくはフランス語で『失われた時を求めて』を読んだわけではない。
だからこの比較は、あくまで“日本語の”比較である。


A:井上究一郎訳

私は彼女を愛していた、あのとき彼女の感情を害するか、彼女を不快にして、むりにも私のことを彼女に思いださせようとするそんな余裕も妙案もなかったことが残念に思われた。彼女はいかにも美しく見えたので、あともどりして、両肩をそびやかしながら、こういってやればよかったのだ、「なんてきみはみにくくて、グロテスクなんだ、ぞっとするぜ!」そう思いながらも私は遠ざかっていった、――シャベルを手に、ずるそうな、何をあらわそうとしているかわからない視線を、長く私の上に走らせながら笑っていた、皮膚にそばかすがちらばっている、赤茶けた髪の少女の映像を、犯しがたい自然の法則によって、私のような種類の子供には近づくことの不可能な一つの幸福の最初の典型として、永久にはこびさりながら。



B:鈴木道彦訳

私は彼女を愛していた。彼女を侮辱し、いためつけ、こうしてむりやり自分のことを記憶にとどめさせたかったが、それをする時間の余裕もなく、またうまい方法も浮かばないのが残念だった。彼女はとても美しく見えたので、私は引き返して肩をそびやかしながらこう叫んでやりたかった、「なんて醜い、グロテスクな女だろう。きみを見るとぞっとするよ!」しかし私はその場から遠ざかった。赤褐色の髪の毛をしてバラ色のそばかすが皮膚に点々とついていた少女。シャベルを手に持ち、陰険で無表情な視線をずっと私の上に走らせながら笑っていた少女の面影を、背くことのできない自然の法則の名において、私のような子供には近づけない幸福の最初の典型として、永久に胸にたたんで持ち去りながら。



C:高遠弘美

私はジルベルトに恋していた。彼女を侮辱し、痛めつけ、むりやり私のことを記憶に刻みつけさせる余裕も、それにそもそもその発想もなかったことが残念でならなかった。ジルベルトはなんてきれいなんだ。そう感じていただけに、すぐに取って返し、肩をすくめて大きな声で、どれだけ叫びたいと思ったことだろうか。「なんてあなたは不細工なんでしょうね。笑ってしまいますよ。まったく厭になるほどです!」。しかし、実際は私はその場所から離れて行った。犯しがたい自然界の掟によって私ごとき子どもには近づくことが許されぬ幸福の最初の現れとして、薔薇色の雀斑をあちこちにこしらえた赤みがかったブロンドの少女、スコップをもち、笑いながら、陰険で何を訴えているかわからない眼差しを長い間私に注いでいた少女の面影を永遠に胸にしまいながら。



D:吉川一義

私はジルベルトを愛しており、相手を侮辱し、辛い想いをさせ、無理やり私のことを覚えているように仕向ける暇も発想もなかったことが悔やまれた。なんてきれいな娘だと思ったからこそ、できることなら引き返して肩をそびやかし、「なんて不細工で、滑稽な女だ。お前にはぞっとする」と叫んでやりたい気持ちだった。こうして遠ざかりながら私が永遠に心に刻みつけたのは、背けない自然の掟から私のような子供には近づけない幸福の原型として、赤毛で、バラ色のそばかすの肌をした少女が、スコップを手に笑いながら、陰険な表情のないまなざしで私をじっと見つめているイメージである。






いま、ネット内で話される言葉

2010-11-20 11:09:28 | 日記


ぼくはいつも思う。

“いま”とは、なんだろうか?

それで“いま”、ネット内で話される言葉のサンプル(引用)をいくつかかかげる;



例1:

わたしはくだらない/何をしていても /うれしいか悲しいかしかない

虚無まで行けば/楽になれるのだろうか

だから/映画を観る/本を読む/音楽を聴く

心も病んで/体も病んで

理性もなく/知性もなく

あるのは/この拙い思いだけ

自分勝手の/それでも切実な一秒を思うことだけ


例2:
(上記に対するコメント)
きっと僕も、
そしてみんなも嬉しいか、
悲しいって感情しかないような気がします。


例3:
(太った女性の写真を掲載して)
デスクトップをこの写真にしてみた。
ロックだ。

オイラも35にしてもロックってものがなかなか分かってきている。
無駄に生きてなかったな。
センスだけで35年生きてきた一つの証だな。


例4:
いじめというのは、人間のかなり淫靡な欲望を満たすものだと思います。やはりいじめは面白いし、残酷な喜びがあるからこそなくならないのだと思います。
そういう意味で、いじめを批判するのって難しいですよね。マスコミが学校側の責任者を追及して、教頭などの当惑した表情を映し出し、それを私が好奇の眼で眺めるとき、私は明らかに、いじめと同じような快楽を味わっているように思うんですよね。


例5:
今回の事件で、「中国は日本をバカにしている」と憤る日本人は多いが、米国の言いなりになって「虎の威」ならぬ「米国の核の傘の威」を借りてアジア諸国に威張りたがるような日本の外交を尊敬してくれる国は、中国に限らず世界中探しても見つからないだろう。


例6:
只、今はお金があまりないので、グッズの買占めは出来そうにはないですが、今度こそ生トロ&生クロたちに会えるといいなと思っています。
問題は…子供達を押しのけてくる、いい歳したおっさん&おばはんたちですね。
好きなのはわかるけど、楽しみにしている子供達には譲って欲しいです。


例7:
穏やかな町の穏やかな人たち。というか、路地で子供がたくさん遊ぶ町はいいなあ。#nhk


例8:
ぼくも若い頃、16万8千円勝った次の日に、13万2千円負けたことがある(笑)。忘れもしない。1994年9月27日のことである。なぜ覚えているかというと、この日をもって、ぼくはパチンコから足を洗ったからだ。いわば記念日なのである。


例9:
なぜならば政治家と検察と大手メディアが長年にわたって裏でつながっているからだ。
弱体な菅・仙谷民主党政権では真の検察改革はとてもできない。
ましてや自ら司法・検察にまったく無知だと認めている柳田法相に検察改革などできるはずはない・・・


例10:
私の神戸女学院大学の在任期間も、あと5ヶ月を切りました。
つきましては、1月22日(土)に最終講義と引き続き茶話会とパーティを予定しております。
お時間のあるかた、ぜひおいでくださいませ。


例11:
アルカーイダの仕業とされる 2001年9月11日の米国同時多発テロだが、米政府調査委員会の公式発表については国内外でいまも多くの疑問が指摘されつづけている。
事件から 9年。はたして、911 は本当にテロだったのか。
ZERO は、原版(イタリア語)の制作(2007年)以来、ローマ国際映画祭(2007年10月)、ブリュッセルEU議会場(2008年 2月)、ロシア国営放送(2008年9月)で上映された、対テロ戦争の原点を鋭くえぐる長編ドキュメンタリー。
事件から9年後の2010年9月、待望の日本語版、大好評上映中です。


例12:
僕のブログは”ブログアドバンス”であるため、毎月わずかながら料金を支払う、有料ブログとなっている。このサービスを使うといくつかの特典があるわけだが、その中でも「アクセス解析」はなかなか興味深い。前日の「閲覧数」「訪問者数」「検索キーワード」「ページごとの閲覧数」「閲覧元URL」などが時間軸できめ細やかに確認することができる。一頃、保坂展人氏や植草一秀氏にもよく訪問してもらっており、非常に感激したりもした。もちろん、誰が最も多く訪問しているかも一目瞭然だ(それはwarmgun氏!)



さて、上記引用は面白かっただろうか?

もし“あなたが”面白いと思ったなら、それは“ぼく”(warmgun)の編集能力による。

もし面白くないなら、warmgunに、編集能力がない。



けれども“率直に言って”ぼくは、ネット内言説に対する関心を急速に失ってしまった。

上記引用文のなかには、共感できるものとそうでないものがある、と言えるだろうか。

そういうこと自体が、無-意味に思えるのだ。



たとえば、“ぼく”も、
《みんなも嬉しいか、悲しいって感情しかない》ような気がする。

しかしその<感情>は、<みんな>と同じだろうか?

断じてそうではない。
断じてそうではない。


“ぼく”も、
《64にしてもロックってものがなかなか分かってきている。
無駄に生きてなかったな。
センスだけで64年生きてきた》
のである(笑)


“ぼく”も、
《人間のかなり淫靡な欲望》を快楽としてきたのだろうか!
“ネット言説”も、この<隠微な欲望>の発露ではないのだろうか!



《穏やかな町の穏やかな人たち。というか、路地で子供がたくさん遊ぶ町はいいなあ》
という感想は、かなりいい。


しかし、《路地で子供がたくさん遊ぶ町》は、どこにあるのだろうか?

それは<NHKテレヴィ>のなかにしかないのではないか?

ガザの子供たちは、路地で遊んでいないのだろうか?


しかしまさに、この現在(“いま”)の日本においてこそ、《路地で遊ぶ子供》は失われたのではないのか。





<結論>

《路地》を見るためには、中上建次やサイードを参照せよ。

ぼくが“言いたい”のは、そのことだけである。

《テレビ》では、ダメである。

あなたは、テレビが、いかに自分から<世界>を遮断しているかを知るべきである。

けれどもぼくは<中上建次やサイード>を絶対化しているのではない。
(ぼくも、中上建次やサイードを“読み始めた”ばかりである)

またほかにも“読むべき人”はいる。

すなわち、そのレベル(位置-場)でのみ、<言説>には、何か果たすべきことがあるというのが、ぼくの最後の<希望>である。







<追記>

上記の“ぼくのブログ”につきあってくださった“寛容かつ根気強い”読者の方々に申し上げる。

ぼくの現状について。

“このぼくのブログ”は、正直さこそが命であるから(笑)

ぼくは現在、パートタイム労働者であるが、仕事に出る日がこのところ多い。
しかも、ぼくの“処理能力”は、年齢により劣化した。

ゆえに、能率上がらず、本人は疲労する。
仕事の日は家に帰ってからも、読書意欲わかず、<テレビ>の前に座り込んでしまう(何時間も見ていられる!)

ぼくは<テレビ>を見るのが得意である(なにせ日本のテレビ創設期からテレビを見てきたし、ぼくの最後の“サラリーマン仕事”は、ケーブルテレビ施工会社だった)

要するに“本を読め!”と言っているぼくが、空前の本を読めない状態にある。

“読むべき本”の山を抱え、あっちこっち手を出して、さっぱり読み進められないのである。

まさに“ブログ”を読んだり、書いたりしている場合ではない。

“本を読むべき”なのは、ぼく自身である。




過去の破壊;永遠の現在

2010-11-18 16:16:40 | 日記


最近の日本社会に起こっていること。

そのすべてをぼくは知っているわけではないけれど。

その“ほんの微細な一部”をぼくは体験し、自分が直接体験しえないことを、ニュースや情報として、誰かのお話として(間接的に)“知る”のみである。

だからぼくにたいした根拠はないし、ぼくがなにかを感じても、それはぼくの個人的条件による偏見(主観性)にすぎないのだけれど。


現在日本社会の“まずいこと”を表わす適切な表現(文章)を見つけた。

イギリスの歴史家ホブズボームが、20世紀の終り(1994年)に出した本『20世紀の歴史』(三省堂1996)の最初にあった;

★ 過去の破壊、というか個々人の現在の体験を何世代か前の人々の体験と結びつけていく社会的な仕組みの破壊は、20世紀末のもっとも象徴的でかつ不気味な現象の一つである。今世紀末の若い男女の大部分は、彼らの生きている時代の誰もが背負っている公的な過去にたいする有機的な関連を見失って、いわば永遠の現在の中で育っている。


ホブズボームは1917年生まれの“お爺さん”である。
“だから”20世紀の歴史は、彼の自伝でもある。

ならば、1946年生まれのぼくにとっては、この日本戦後史は、ぼくの自伝である。

あるいはホブズボームが言う《短い20世紀=1914-1991》の半分以上をぼくは生きた。
もちろん、<21世紀>という名付けようもない世紀をも、ぼくは生きている。

先のホブズボームの文章は、こう続く;

★ そのため、他人が忘れたことを覚えているのを業としている歴史家の存在意義は、西暦2000年目の終りにあってかつてなく重要になった。記録し記憶し編集することは歴史家の当然の役割であるが、まさに右にあげた理由からして、歴史家はたんにそのような役割にとどまってはいないのである。


もちろん、ぼくやあなたも(たぶん)“歴史家”ではない。
そういう職業ではない。

しかし、自分の自伝だけは、《記録し記憶し編集する》ことができよう。

しかも、私は、《たんにそのような役割にとどまってはいない》。



読み始めたル・クレジオ『はじまりの時』(原題:レボルシオン)は、フィクションであるが、主人公少年の“先祖”の手記を掲載している。

この主人公少年と同じ名を持つ18世紀の少年は、フランスの田舎から志願してフランス革命軍に従軍した。


ぼくには残念ながら、そういう“先祖”の逸話はない。
しかしなぜ、(たとえば)明治維新の体験を語る祖先を持つ、日本の少年は現れないのか。
(あるいは彼らの声が、ぼくに届かないのか)

もちろん、ぼくのように、祖先の名を知らない、無名者にも、歴史への接点はあるはずである。





幸福

2010-11-18 12:58:19 | 日記


ぜんぜん有名でも新しくもない小説から引用します。
ぼくがこの小説を読むようになったのは、ある映画(“ボイジャー”)の原作だったから。
それ以外この小説を書いた人も、この作品の背景も知りません;


★ わたしはとんぼ返りもしないし、歌も歌わない。しかしわたしだって楽しむことはあるのだ。しかもたんにうまい食事ばかりではなしに!おそらくわたしは必ずしもいつも自分を表現できるわけではない。が、いったいわれわれの出会った人間のうち何人が、わたしの喜びに、そもそもわたしの感情などに、興味をもってくれただろう!ザベートの意見では、わたしはいつも自分をおさえている、ないしは自分をいつわっている、ということだった。

★ わたしをいちばん喜ばせたのは、彼女の喜びだった。わたしはなんども彼女がどんなにつまらないきっかけで歌を歌う気分になれるかに驚いたものだ、そもそも何もなくともよいのである、カーテンを左右に開け、雨が降っていないことを確認する、と、もう彼女は歌うのだ。


★ その大きな回廊を歩いていたイタリア人の夫婦、なかんずく眠っている子を腕にかかえた父親の方が、あらゆる彫刻以上にわたしの興味をひいた――
それ以外には人影はない。
鳥がさえずっている、それ以外は墓場の静けさ。


★ 《眠れるエリンニエの頭部》
これ(同じ側廊の左手にある)は例のバイエルンの僧侶の助けをかりずにわたしの発見したものだった。わたしはもちろんそのタイトルを知らなかった、知らなくたっていっこうに苦にならぬし、いや逆に、わたしはどっちみち古代の名まえをまるで知らないのだから、タイトルなぞわたしにはたいていはじゃまになるだけなのである、そんなものを聞くとまるで試験を受けているような気がしてしまうのだ……ともあれここでわたしはそれをすばらしいと思った、まったくすばらしい、感銘的である、すてきである、深く感銘的である。それは石の少女の頭部で、ちょうど肱枕をしながら眠っている女の顔を見るような具合に、ねかされていた。
「いったい彼女は何を夢みているんだろう――?」


<マックス・フリッシュ『アテネに死す』(白水社1991)>




たんなる人間;錯乱と健康

2010-11-16 13:19:55 | 日記


★ ル・クレジオがインディアンに-なるとき、それはつねに一人の未完成なインディアン、「トウモロコシを栽培することもカヌーを削ることも」できないインディアンである。

★ カフカの描く、泳ぎを知らなかった競泳のチャンピオンについても事は同じだ。あらゆるエクリチュールは運動競技を含み持っている。だが、文学とスポーツを融和させることだの、エクリチュールをオリンピック競技に仕立てることだのからは遠く、この運動競技は、身体器官の漏出と欠損において行われるのである。ベッドに横たわったスポーツマン、とミショーは言っていた。

★ 動物が死に瀕していればいるほど人はいっそう動物になる。そして、精神主義的偏見に反して、動物こそは死ぬことを知っており、その感覚ないし予感を持っているのである。

★ 女性的、動物的、分子状のさまざまな迂回に到達するのは言語の義務であり、あらゆる迂回は死を賭した生成変化である。事物の中にも言語の中にも、直線などありはしない。


★ トーマス・ウルフは「たった一人の人間の経験の中に見出され得るかぎりにおける全アメリカを書きとめている」。まさしく、それは世界を支配するべく運命づけられた民衆=人民などではない。それはマイナーな民衆=人民、永遠にマイナーな、革命的に-なることの中にとらえられた民衆=人民である。おそらく、それは作家の諸原子の中にしか存在しない――

★ 私は永久に一匹の獣であり、下等人種のニグロである。それこそが作家の生成変化なのだ。

★ 文学は錯乱である。だが、錯乱は父=母にかかわる事態ではない。民衆=人民、人種、部族の数々を経由せず、世界史に憑依しないような錯乱は存在しない。あらゆる錯乱は歴史=世界的なものであり、「人種と大陸の数々の移動」なのである。文学とは錯乱である。

★ しかし、あの抑圧された私生児性=雑種的人種、さまざまな支配の下にあって絶えず動き回り、押し潰し監禁しにかかるあらゆるものに抵抗し、プロセスとしての文学の中にみずからの姿を白抜きに描き出すあの私生児性=雑種的人種の力に訴えるとき、錯乱は健康の尺度となるのだ。

★ 文学の最終的な目的――錯乱の中からこうした健康の創造を、あるいはこうした民衆=人民の創出を、つまり生の可能性を、解き放つこと。欠如しているあの民衆=人民のために書くこと……。

<ジル・ドゥルーズ“文学と生”―『批評と臨床』(河出書房新社2002);この本は最近河出文庫として出た、廉価で買える)








<注:“たんなる人間(ホモ・タントゥム)”>

★ 私たちは個体性であり、「主体化」されているだろう。そして、そこには一般性の数々がともなっているだろう。だが、それとまったく同時に、私たちは一つの「此性」でもある。

★ たとえば、乳児たち――彼ら/彼女らは個体性をほとんど持たない。しかし、そのしぐさや、その微笑やそのしかめっ面の一つひとつは、一つの特異性であり、したがって純粋な力である。乳児たちを横断しているのはただ内在的な生のみであり、そのようなものとしてそれぞれが「一つ」なのだ。

★ このような「一つ」であること、「此性」であることは、ドゥルーズにおいて、私たちが「主体」や「客体」の一般性を溢れ出し、その閉域をあらかじめ打ち破るような力そのものであり、多様性そのものであることを意味している。

★ ドゥルーズは、「主体」や「客体」のうちにのみ「現勢化」されるのではない別の多様性の次元、別の潜在的=潜勢的なるものの次元を明確に想定しており、その力をどんな一般性うちにも抽象化することのない思考こそを呼び求めているのである。

★ 「ホモ・タントゥム」とは、まさしく「内在:ひとつの生……」(ドゥルーズ死の直前のテクスト)において、ドゥルーズが死にゆく人間のうちに見た「此性」の別名である。

<ドゥルーズ『批評と臨床』の訳者(守中高明)あとがき“ドゥルーズと文学の問い”)