Don't Let Me Down

日々の雑感、引用。
言葉とイメージと音から喚起されるもの。

永遠の歴史;THE TIMES THEY ARE A-CHANGIN '

2011-02-25 14:14:47 | 日記


出たばかりの岩波新書『ラテンアメリカ十大小説』(木村榮一)から引用します;

★ 話を1938年に戻しますと、その年のクリスマスの日、帰宅した彼はエレベーターが故障していたので、階段を急いで駆け上がりますが、たまたま踊り場の窓が開け放たれていたためにその角に頭をぶつけて大怪我をしました。さらに搬送先の病院の処置が悪かったものですから、敗血症にかかり丸2週間40度近い高熱が続いて文字通り死の一歩手前まで行ったのです。

★ ようやく意識が回復した彼は、真っ先にC・S・ルイスの『沈黙の惑星を離れて』を読んでほしいと母親に頼みました。2、3ページ読み進んだところで突然泣き出したので、母親がびっくりして理由を尋ねると、高熱が続いている間中悪夢にさいなまれて、頭がおかしくなったと思い込んでいたので、読んでもらった本が理解できてうれしくてたまらなかったのだと語ったそうです。


★ 死の世界から生還した彼が書いた最初の作品が短編集『伝奇集』に収められている「『キホーテ』の作者ピエール・メナール」です。主人公のピエール・メナールはフランスの詩人で、サンボリストらしく世界を象徴的な記号の集合としてとらえて詩作を行う一方、デカルト、ライプニッツ、ライムンドゥス・ルルス、あるいはチェスにまつわるエッセイを書いているのですが、ある時セルバンテスの『ドン・キホーテ』を書こうと決意します。最初は17世紀の人間であるセルバンテスになりきってあの時代のスペイン語を身につけて書こうとしますが、しばらくしてそれでは簡単すぎると考えるようになります。彼は20世紀の人間である「ピエール・メナールでありつづけ、ピエール・メナールの経験を通して『キホーテ』を書」かなければ意味がないと考えるのです。

★ 面白いのは、セルバンテスの『ドン・キホーテ』の一節とメナールが書いたとされるそれとを並べて引用している個所です。なんとボルヘスはまったく同じ文章を引用しておいて、しれっとした顔でその違いとメナールの斬新さをまことしやかに説明してみせるのです。読者はここを読んで一瞬戸惑いを覚えつつも、きっと大笑いされることでしょう。

★ 文学という言語遺産は後世の人たちに残されたこの上ない贈り物であり、しかも古典の場合はそこに時間(歴史)という厚みが加わります。17世紀のはじめにセルバンテスが書いた『ドン・キホーテ』、そして当時の読者が読んだ『ドン・キホーテ』、それとわれわれ現代の読者が読む『ドン・キホーテ』、それらはそれぞれに違ったものなのです。なぜなら、「古い書物を読むということは、それが書かれた日から現在までに経過したすべての時間を読むようなもの」(『ボルヘス、オラル』)だというのがボルヘスの見立てだからです。

<木村榮一『ラテンアメリカ十大小説』(岩波新書2011)>






* 画像は若き日のボルヘスではございません。








むかし、なんども聴いた歌が聴きたくなる。
むかし、なんども聴いた歌を歌いたくなる。

ぼくには、そんなにたくさんの“歌”は、いらない;

あなたの息はあまく
あなたの瞳は空に輝く二つの宝石のよう
あなたの背中はまっすぐで、あなたの髪はなめらかに
あなたが横たわる枕にひろがる
だけどあなたの愛情が感じられない
敬意も愛も感じられない
あなたの忠誠はぼくに対してではない
あなたの頭上の星々に対してだ

コーヒーをもう一杯道を行くために
コーヒーをもう一杯ここから出て行くために
あの下の谷に向かって

あなたの父さんは無法者
根っからの放浪者
彼はあなたに教えるコソ泥の仕方
ナイフの投げ方を
彼は王国の支配者
よそ者は閉め出す
彼の声は震える
おかわりを求めるときに

コーヒーをもう一杯道を行くために
コーヒーをもう一杯ここから出て行くために
あの下の谷に向かって

あなたの姉さんは未来を見る
あなたのママやあなた自身のように
あなたたちは決して読み書きを学ばない
あなたたちの棚には本がない
そしてあなたたちの快楽には底がない
あなたたちの声は草原のヒバリのよう
しかし、あなたたちの心は大海のよう
神秘的で暗い

コーヒーをもう一杯道を行くために
コーヒーをもう一杯ここから出て行くために
あの下の谷に向かって

<BOB DYLAN;“ONE MORE CUP OF COFFEE”>







今朝、感じること;“コンテクスト”

2011-02-25 11:07:51 | 日記


朝起きてパソコンを立ち上げ、その画面に表示されるいくつかの“文”を読む。

それは、大メディアの“公式見解”であったり、ソーシャル・ネットの“つぶやき”だったりする。

“大メディアの公式見解”は、ほぼ“すべての”ひとが知っている。
“ソーシャル・ネットのつぶやき”は、“無数”なので、ぼくが見たのは“偶然”である。


今朝の“傑作”は以下の<文>である;

《オイラがなにを求めてるのかオイラにもわからなくなってきた 9:32 PM Feb 23rd Echofonから tori_otoko鳥男》

この発言だって、“鳥男”を知らなければ、それほど面白くない。
鳥男君は、“ニート”であり、それにもかかわらず(あるいは“それゆえ”)、現在日本の“政治状況”にきわめて熱心な関心を持続してきた。
最近のブログでは、選挙制度の変更について“提案”している。
その彼が、上記引用のように“つぶやいた”。


つまり、鳥男君は、“なにからなにまで”ぼくと反対であるが、上記引用文の“心境”は、ある意味で、“ぼくと同じ”である。

ぼくがなにを求めてるのかぼくにもわからなくなってきた。


“公式メディア”にも、なかなか面白い発言がある。

① 政府高官は「首相は正直なのだが、本当のことを言ってはいけない時もある」と漏らした。(“子ども手当2万6千円、「議論当時びっくり」首相答弁”byアサヒコム)

② デモの拡大に政権を返上したエジプトのムバラク氏は、現実主義者だろう。カダフィ氏はロマン主義と言うべきか、……(天声人語)

③ いの一番に挙げるべきかどうかはともかくも、「タイミング」が処世の上で大事であるのは歌詞の教える通りだろう(読売編集手帳)


上記の発言の教訓は以下の通り;

①“本当のこと”を言ってはいけない
②“ロマン主義”より“現実主義”が良い
③“タイミング”が、処世の大事

ぼくは、菅直人もカダフィも松木謙公・農林水産政務官も好きではありません。
というか、興味がない。

“だから”、それについて“とやかくいう”ということにも関心がない。
“ゆえに”、ぼくは、なぜそんなことを“とやかくいって”いるのだろうと、とやかくいうひとの知性を疑います(つまり、この場合、“疑う”ことが、“関心”です)

ぼくは“本当は”、まったく別のことに関心を持っている。
その“まったく別のこと”に集中したい。

だから、“ネットを見ること→このブログを書くこと”、は時間の無駄のように感じられる。

それで、本を読む。

しかし、最近、“哲学はダメだから社会科学にしよう”(笑)と思ったのも“うかつ”でした。

大澤真幸と宮台真司の新書を続けざまに読んで、“コリャいかん”と思った。
まあ、“気力が失せた”という感じ。


さて今日の“語録”の決定版は、以下の発言;

④ケータイ小説や「デス・ノート」や「リアル鬼ごっこ」や「バトル・ロワイヤル」に抵抗があるなら、せめて綿矢りさや平野啓一郎くらいは読んでみるといい。そこにはいま起こってることの萌芽がある。例えば、藤村・花袋・漱石・鴎外からこれらの作品までを等価として並べてみる視座をもったとき、初めて見えてくるものがある。「団塊」が、「全共闘」がアンビバレントな感覚で見つめ続けた近代は、ちょうど中上健次が亡くなった頃、完全に終焉を迎えたのである。
ぼくは教育現場にいるから、必然的にこういうことを追いかけざるを得ない立場にいる。思索とフィールドワークの往還にしか、コンテクストを欠落させない言説は生まれ得ないのである。
「さようなら。団塊よ、全共闘よ。私は所詮、あなたたちとは無縁の存在であった。」とでも、高橋和巳ばりにつぶやいてみようか(笑)。
(引用)


上記は北海道国語教師・堀裕嗣の<コンテクスト>というブログ。
ぼくは先日のこのブログで堀裕嗣を“批判”した。
それを読んだか読まないか知らないけれど(ああ!)、これまた“団塊批判”である。

けれども“団塊世代”にひっかかる世代である“ぼく”の方が、“団塊”に対してもっと根源的な“批判”をもっている。

なぜなら、堀裕嗣よりぼくの方が、団塊を知っているからである。
だからこれはまさに“堀裕嗣君のせい”ではない。

ただ“世代差”による無知はこまる。
端的に言って、<団塊=全共闘>ではない。

ぼくは、堀君等が“全共闘世代”と呼ぶその時、早稲田大学・文学部に在籍していた。
その“世代”には、デモなんかに一度も行ったことがなく、それどころか、ストライキが早く解除され、“まじめに勉学して、まじめに出世コースへ行きたい”と考える人々が“大部分”だった。

堀裕嗣“世代”は、団塊先輩の虚偽の“武勇伝”と、マスコミの画一的な<団塊=全共闘>神話を実証なく無批判に受け入れているだけだ。


しかし一番重要なのは、ここでの<文学>についての堀裕嗣の発言だ。

ぼくは、高橋和巳など1冊も読み終わっていない。
“読み終わっていない”とは、当時、読みかけて、つまらなかったからである。
当時、ぼくが読んでいたのは、大江健三郎である。

そして吉本隆明を“読み始め”、むしろ“サラリーマン生活を続けながら”、1970年代から10年以上、吉本の本に“関わり”、ある時、彼と別れた。

その間、ぼくには自分の<感想>を他者に伝えるHPやブログやツイッターなどの“メディア”はなかった。

ぼくは《綿矢りさや平野啓一郎くらい》は、読んでいる。

綿矢りさは、読んだ最初の1冊だけで、けっこう。
平野啓一郎はすでに数種読んだし、継続して読む。

また上記に引用していない部分で、堀裕嗣は、
《彼らは大塚英志を無視し、宮台真司を無視し、東弘紀を無視した》と書いている。

しかし、ぼくは宮台真司について、最新ブログで“書いた”。
“東弘紀”(堀君の誤入力―“東浩紀”)については、『動物化するポストモダン』や大澤真幸との対談(『自由を考える』)発言について、Doblogの時から注目している。
大塚英志は、数冊持っているが、充分に読んでいないが。


しかしなによりも問題なことがある(このブログで言いたいのは以下のこと“のみ”である)

☆ 例えば、藤村・花袋・漱石・鴎外からこれらの作品までを等価として並べてみる視座をもったとき、初めて見えてくるものがある。「団塊」が、「全共闘」がアンビバレントな感覚で見つめ続けた近代は、ちょうど中上健次が亡くなった頃、完全に終焉を迎えたのである。(堀裕嗣ブログ引用)


堀君、
君は中上建次をどれだけ“読んだ”んですか?

いったい中上建次において、《「団塊」が、「全共闘」がアンビバレントな感覚で見つめ続けた近代》が、どのように《終焉》したんですか?


《藤村・花袋・漱石・鴎外からこれらの作品までを等価として並べてみる視座をもったとき、初めて見えてくる》
と君が言うとき、《初めて見えてくる》ものは、<何>なんですか?

もし“近代(モダン)が終焉した”と言うのなら、“きみたち=堀君らの現在40代世代”の“近代後(ポストモダン)”の特質というのは、いったい<何>なんですか?

つまり君が、君のブログのタイトルに掲げた《コンテクスト》は、どのようになっているのですか?

君の“意見”では、まるで《藤村・花袋・漱石・鴎外から》、《団塊》(あの異常な世代!)だけを“飛ばして”、《ケータイ小説や「デス・ノート」や「リアル鬼ごっこ」や「バトル・ロワイヤル」》や《大塚英志、宮台真司、東浩紀》にいたれば、<日本の近代→日本のポストモダン>にいたる《コンテクスト》は、めでたく予定調和的に完結するのでしょうか?


あなたは書いている;
☆ ぼくのなかに「還暦を過ぎると右傾化する」というテーゼがある。ほんとうは「還暦を過ぎると」というのは正しくなくて「リタイアすると右傾化する」のほうが良いのかもしれない。ぼくには経験がないので想像にしかならないのだが、たぶん自分の職務上の動的な位置づけから離れ、それでも社会のいろいろなことが気になるというとき、かつて自らの立っていた共同体を絶対視することにしか発言の信憑性を確保できなくなることが原因なのだろう。共同体は職業でもあり、世代でもあり、地域でもある。
☆ 物心ついた頃から青春期までを人は懐かしむ。それは仕方のないことなのだが、しかしそこに価値判断を伴わせて彼が主張し始めるとき、そしてそれが現代にも通ずるリアリティがあると主張するとき、彼は時代から用済みの烙印を押される。彼らの議論にどうしようもなくコンテクストが欠落してしまうからである。
(引用)


《ぼくには経験がないので想像にしかならないのだが》(引用)

“まさに”そうだ。

しかも、君には“想像力”が不足している。

ぼく自身がそうだったからよくわかる(笑)

ぼくが団塊“世代”だとして、堀裕嗣“世代”を名づける言葉はない。
ここで“ポストモダン世代”と命名しようか?(笑)<注>

つまり、“団塊”は、他“世代”を、ネーミングによって差別しない(できない)

堀裕嗣が上記で言っているこことも、“まちがい”ではない。

しかし少なくともぼくは、“現役世代(”リタイア“してない世代)の、現場での努力(苦闘)をバカにしてはいない。
だから、よくわからない(ぼくには“経験のない”)堀君の“仕事”についてのブログも時々読んでいる(大変だろうなー、と思う;笑)

だから、“リタイアした人々”への想像力をもってほしい。
“同情”ではない。

たしかにまだ団塊は“強い”のかもしれない。
しかし“これから”は、まさに堀君の世代の手の中にある。

“そのとき”、リタイアした団塊“世代”に、《用済みの烙印を押す》ことでよいのだろうか。

団塊“世代”を排除して成り立つ、“君たちのポストモダン”に、いかなる《コンテクスト》があるのか?


《さようなら。団塊よ、全共闘よ。私は所詮、あなたたちとは無縁の存在であった》


しかし、もし中上建次(ぼくと同年齢)を、<近代>と呼ぶのなら、中上建次を死なせるわけにはいかない。(笑わない)




<注>

まさに“ポストモダン”という言葉(概念、立場)についても厳密でなければならない。
ぼくにとっては、“ポストモダン”は、“ポスト構造主義”という立場においてアプローチできる。
具体的には、フーコー、ドゥルーズ、デリダである。
そして、フーコーやデリダを“批判した”ハーバーマス。
そしてハーバーマスが“影響を受けた”、アドルノ、ベンヤミン、アレントなどのドイツ批判理論(弁証法的想像力=マーティン・ジェイ)である。
ぼくは、“日本人として”彼らの分かりにくい思考にじわじわと噛り付く。
“だから”、“デリダを読む”ことではじめた東浩紀に注目し、『クォンタム・ファミリーズ』のような愚作SFしか書けない彼の“現在”に失望した。
柄谷行人、宇野邦一を読む。
しかも“参照すべき名”は、上記のみではない。
たとえば、サイード、立岩真也、ル・クレジオ、デュラス。
そして大江健三郎、中上建次が“いる”。





非常に長くなったブログで恐縮だが、“フェア”であるために、堀裕嗣ブログ<コンテクスト>の全文を貼り付ける;


コンテクスト

ぼくのなかに「還暦を過ぎると右傾化する」というテーゼがある。ほんとうは「還暦を過ぎると」というのは正しくなくて「リタイアすると右傾化する」のほうが良いのかもしれない。ぼくには経験がないので想像にしかならないのだが、たぶん自分の職務上の動的な位置づけから離れ、それでも社会のいろいろなことが気になるというとき、かつて自らの立っていた共同体を絶対視することにしか発言の信憑性を確保できなくなることが原因なのだろう。共同体は職業でもあり、世代でもあり、地域でもある。
もちろんこれはあくまで相対的な問題であって、若くて現役だからといってその呪縛から逃れられるわけではない。しかし、「リタイア」して数年でのそ傾向が顕著になっていく事例が多い。かつて自分の上司として、或いは尊敬すべき先輩として君臨していた彼らが、妙に価値観を固定化し、下の世代を、或いは社会を断罪するのを見ていると哀しくなる。現在の「団塊前記」ともいえるリタイア組は基本的に、それを昭和30年代から40年代に置いている。物心ついた頃から青春期までを人は懐かしむ。それは仕方のないことなのだが、しかしそこに価値判断を伴わせて彼が主張し始めるとき、そしてそれが現代にも通ずるリアリティがあると主張するとき、彼は時代から用済みの烙印を押される。彼らの議論にどうしようもなくコンテクストが欠落してしまうからである。
かつてはこうした昔語りもある程度の尊敬をもって迎えられた時期もあった。それは昔語りが「戦争」であったり「終戦」であったり「戦後復興」であったりした頃である。その手の話について若い世代は聴く価値を見出せた。もちろん当時のその世代も確かに右傾化していたのだが、戦争体験者が自らの戦争体験を、或いは家族の喪失を語りながら、別の場所では右傾発言をするということに、それがこの国のもつジレンマと解釈することができた。昭和ひと桁からぼくらの親世代、つまり昭和十年代生まれ程度にまでは彼らの話を聴いていてその意識を抱くことができた。
しかし、とうとう「団塊」の番が来た。「全共闘」の番といってもいい。彼らは何も語るものをもたない、数だけは多い、上からも下からも蔑まれた世代である。上からは思想のなさを指摘され、赤軍事件の後には暴走族や校内暴力に取って代わられたと揶揄され、ぼくらの世代からは「全共闘などアルマーニのスーツと何も変わらない」と思われている。高度経済成長の終焉を前に、社会構造の変化をあばかず、それ以前の社会構造をただただ延命させようとした。いや、正確に言えば、彼らの上の世代が延命させようとしてきたことをあばかず、それに乗っかった。そしていよいよ自分たちの番だと思った矢先にバブルの崩壊、拓銀や山一、オウムや酒鬼薔薇に象徴されるような時代の流動化のなかで、右往左往した過ぎない。
その彼らがいま、必然というべきか右傾化している。もちろん、右翼思想・左翼思想の右傾化ではない。経験則だけでものをいう馬鹿げた論理を展開しているにもかかわらず、その論理に拘泥し続けるという程度の意味で理解していただくと近い。
彼らは大塚英志を無視し、宮台真司を無視し、東弘紀を無視した。学力論争の一方に与し、教育再生会議に賛同し、「国家の品格」に賛同した。郊外化とヤンキー社会と浜崎あゆみとケータイ小説の構造的関連を無視した。ロングテールを自らのことだと勘違いしながら、大衆的な共同性に洗脳されていることに気づかない。記号化された80年代的ポストモダンをいまだにポストモダンだと理解し、心理主義的なひきこもり社会と社会学的な決断主義を無視し続けている。秋葉原事件をキャリア格差の世論に持って行ったのも彼らだ。農業その他に求人はたくさんあるのに、ネットカフェ難民になるのは甘えだと感じている。ネットカフェに入り浸る金があるならひと部屋くらい借りられるではないかと発想し、ロスジェネを蔑む。もう時代を語る資格を失っているのである。かつてのような「もう我々の時代までは良かった」という論理は通用しないのである。
ケータイ小説や「デス・ノート」や「リアル鬼ごっこ」や「バトル・ロワイヤル」に抵抗があるなら、せめて綿矢りさや平野啓一郎くらいは読んでみるといい。そこにはいま起こってることの萌芽がある。例えば、藤村・花袋・漱石・鴎外からこれらの作品までを等価として並べてみる視座をもったとき、初めて見えてくるものがある。「団塊」が、「全共闘」がアンビバレントな感覚で見つめ続けた近代は、ちょうど中上健次が亡くなった頃、完全に終焉を迎えたのである。
ぼくは教育現場にいるから、必然的にこういうことを追いかけざるを得ない立場にいる。思索とフィールドワークの往還にしか、コンテクストを欠落させない言説は生まれ得ないのである。
「さようなら。団塊よ、全共闘よ。私は所詮、あなたたちとは無縁の存在であった。」とでも、高橋和巳ばりにつぶやいてみようか(笑)。





とても国民には言えない理由

2011-02-23 12:00:33 | 日記


沖縄の米軍基地。

この沖縄の米軍基地問題について、内田樹最新ブログが書いている。

すなわち、沖縄に米軍基地が“ある”ことの、<とても国民には言えないような理由>について―引用する(今回はこの内容にほぼ賛成なのでぼくのコメントは控える);

☆「とても国民には言えないような理由」とは何か。
それが「非核三原則により、ないことになっている」核兵器でないとすれば、残りは一つしかない。
それは「沖縄がアメリカの在外基地の中でもっとも快適で、もっとも安全で、もっともコストの安い基地だから」というものである。
米軍基地は東アジア全域で縮小されているが、その大きな理由は、駐留先からの「出て行ってくれ」という激しい要求に屈服したせいである。
基地の外に出るとどこでも敵意にみちた視線を浴びる、というのが今のアメリカの在外基地兵士たちのの実情である。
前にも書いたが、アメリカの軍事的パートナーである韓国の軍人たちへのアンケートで「一番嫌いな国」の第一位はアメリカであり、「これから戦争する可能性がある国」の第一位もアメリカである。
それが38度線を抱えた臨戦国家の兵士たちの、同盟国に対するリアルな感情である。
他国においておや。
だから、フィリピンでも、韓国でも、1990年代から米軍基地は急ピッチで縮小されることになったのである。
その中にあって、一人日本だけがいまだに「在日米軍基地は必要だ」ということを政治家も官僚もメディアも言い募っている。
そんな国はもう東アジアでは日本しかない。

☆アメリカ軍にとって、日本列島はいまや「世界で一番居心地のいい場所」、たぶん世界で最後に残されたアメリカ軍ご用達の「リゾート」なのである。
ここを追い出されたら、もう行くところがない。
だから、いる。
その程度の理由で米軍は沖縄に基地を置いている。
それを知って、鳩山さんは 呆然としたのである。
というのが、私の推理である。
まさか、「沖繩は快適なリゾートだから、出たくない」というような「本音」を公的にアナウンスするわけにはゆかない。
それは「日本はアメリカの属国です」という天下周知で、日本人だけが知らないふりをしている「事実」を認めることになるからである。
しかたがないので、「抑止力」という手垢のついた用語を一時の方便に使った。
そういうことではないかと思う。
もちろんこれは素人の床屋政談に過ぎない。
けれども、「方便」の語義について、私の解釈以上に説得力のある解釈があれば、誰か教えて欲しい。

☆メディアの解釈は「鳩山の言うことには何の意味もない」というところで停止している。
沖縄のことについては何も考えたくない、というメディアの気持ちは私にもわかる。
日米がイーブンパートナーではないということを受け容れない限り、沖縄で起きていることは説明できないからだ。
そのことを認めるのが日本のエスタブリッシュメントにとってはたぶんきわめて不快なのであろう。
だが、どれほど不愉快であろうと、そこから話をはじめなければ、私たちはどこへも行けない。
(以上引用)






“モダン”と“ポストモダン”;素敵な勘違い

2011-02-23 09:20:46 | 日記


先日、“100ページ”での感想を書いた宮台真司『日本の難点』(幻冬社新書2009)を読み続け226ページまできた。

この本についてなにか言うとき、二つの“論点”がある。

ひとつは、この本が出た2009年4月という“時点”である。

おどろくべきことは、この2009年4月が、そんなに昔ではないにもかかわらず、“はるかな昔”に感じられることだ。
《オバマのアメリカ》
《リーマン・ブラザーズ》
《ネオコン》
《裁判員制度》
などなどの“時事的”話題である。

宮台真司氏は、これらの“時事的話題”をどんどん取り上げて語る、それはある一貫した記述であるよりも、“トピック対応”的である。
しかし、もちろん、宮台氏は、“社会システム理論”という<理論>を語っていると称している。

たとえばこうである;

★ 僕の社会システム理論に影響を与えた二クラス・ルーマンの法に関する思考も、ハートの考え方をシステム理論の用語で言い換えたものです。その意味で卓越主義的リベラリズムの立場に立つのは当然なのです。(引用)

この“引用”部分をこれだけ読んでも、わからない。
たしかに宮台は、“社会システム理論”についても、“卓越主義的リベラリズム”についてもこの本で“説明”している。

その“説明”で、読者が“わかる”かどうかは、かならずしも宮台の“責任”ではない。

しかし、まず上記の文については(ついても)、ぼくには疑問がある;
《僕の社会システム理論に影響を与えた二クラス・ルーマン》という記述。
そうではないだろう。
宮台が“いろんな”(社会学に限らない)<理論>を勉強して、“二クラス・ルーマンの社会システム論”に影響を受けたのである。

どうも、宮台氏には、謙虚さが足りない(笑)

“しかし”、宮台のこの本には、たしかに“考えるべきこと”がたくさん(あまりにも多く!)書いてある。
また、宮台がときどき“自分の立場(立ち位置)”を言明しているのは、フェアだろう。
たとえばぼくがわりと読んできた大澤真幸には、その状況分析は面白くても、彼の立ち位置がいまいち不明であるという“難点”がある。

たとえば、宮台は書いている;

★ ちなみに、ぼく自身は元々の意味での新自由主義者です。

この《元々の意味での新自由主義》というのは、《「小さな政府」&「大きな社会」の枠組み》だそうだ。
《「小さな政府」で行くぶん「大きな社会」で包摂せよ》ということである。

ぼくはこのキャッチフレーズを見て、立岩真也の《分配する最小国家》を思い出した。
この“キャッチ”においても、ぼくは立岩の方が“好き”である。

なぜなら、宮台の“政府―社会”という把握には、“国家”が出てこないからである。

この宮台の本にフィックスすれば、まだまだ“あらゆる論点”がある(だろう)
ぼくは、“それ”を考える。
しかし、最初に書いたように、2009年4月と2011年2月が“まったく隔たってしまった”ことも事実である。

たとえば、“中東革命”から“中国革命(の可能性と不可能性)”の<現在>において、《オバマのアメリカ》は限りなく影がうすい。

まさに<それ>は、沖縄の米軍基地の問題であり、宮台の言う《重武装》<追記>の不可能性の問題である。


“しかし”、ぼく=warmgunには、あらゆる“社会学(社会科学)的理論”の蓄積はないが(爆)、宮台のようなひとよりも、“時代の核心をとらえうる”野心があるのである。

ぼくの現在の“モチーフ”は、ひとつの“収斂点”を感知している。
それはタイトルに掲げた<“モダン”と“ポストモダン”>である。


この<問題>は、まず“世界的”である。
その上で、“日本的特殊性”は当然考慮される。


たとえば、北海道国語教師・堀裕嗣ブログ(“「青春の終焉」と「遅れてきた青年」”)での発言;

今世紀に入って、三浦雅士に「青春の終焉」という名著があった。近代は左翼系文学にしても、三島にしても、全学連にしても全共闘にしても、急進的に進む個の心象で形成されてきた。少なくとも美学的にはそう言えるはずである。そうした心象は高度経済成長が終わっても、短いオイルショックをはさんで、何とか80年代まで延命させてきた。もちろんニューアカによるポストモダンの流行がそうした古い美学的知見に疑義を唱えはしたが、その疑義も近代を「向こうにまわして闘うべき相手」として意識していた点で、近代はまだまだ健在だったのである。
簡単に言えば、ぼくらはその微妙な時期を生きてきた。だから、バブル崩壊ととともに成長の飽和が意識され、「まったり」ブームで「終わりなき日常を生きろ」と言われたとき、ぼくらのなかの新しい部分が呼応して「なるほど新たな機運を的確に捉えている」という感慨とともに、ぼくらのなかの古い部分が「理屈はわかるが、そうはいっても、ぼくらはそれに満足できない」という違和感とに引き裂かれたのである。
近代的心象は、或いは三浦雅士流に言えば「青春」は、ある種、絶望を基盤に急進的に破滅へと向かっていく行為である。それはことごとく悲劇に終わる。漱石の主人公がことごとくそうであるように、学生運動がそうであったように、三島が死を賭したように。
(以上引用)


上記引用文のタイトルにある“遅れてきた青年”は大江健三郎の初期長編小説タイトルである。
“青春の終焉”は、三浦雅士の本のタイトルである。
また文中にある“終わりなき日常を生きろ”は、まさに宮台真司の言葉(書名)である。

さらに、この引用文には、いくつかの“名詞”もある;
《三島》、《全学連》、《全共闘》、《ニューアカ》、《ポストモダン》、《近代》、《微妙な時期》、《バブル崩壊》、《まったり》(これは形容詞;笑)、《新しい部分》、《古い部分》、《理屈》、《違和感》、《近代的心象》、《青春》、《絶望》、《破滅》、《悲劇》、《漱石》、《学生運動》、《死》


ぼくはDoblog以来、堀裕嗣君には“好感”をもってきた。
しかし、この上記の文章と、彼の“音楽の趣味”はダメである(笑)

しかもこれは、堀裕嗣固有の欠点ではないから、“引用”した。

まさに(ぼくや、ぼくの“世代”をふくめて)、検討されるべきなのは、上記の<単語>である。

それらの<語>について、いったい“ぼくら”はなにを“知って”いるか?

それは、“国語”の問題であり、国語の問題でなく“社会科学”の問題である。

その<核心>をぼくはここで、<“モダン”と“ポストモダン”>として提起する。

“ポストモダン”を標榜する人々が、“モダン”を知らなくては、話にならない。


そもそも、<ポストモダン>は、どこにあるのか?




<蛇足>

宮台真司は《包括性を欠いた社会》が現れた“最近”をポストモダンと呼ぶらしい。

しかし、ぼくが生きた日本の戦後60余年に、“包括性を欠かない社会”があったわけではない。

では、“ポストモダン”は、“いつから”なのか?

まさか、麻布中学・高校 → 東大・同大学院 → どっかの大学講師 → 首都大学東京教授(現在)という彼の経歴において、“包括性のあった社会” → “包括性を欠く社会”という“転換”があったのだろうか(笑)

たぶん宮台氏の周辺には、“ポストモダンなひとびと”が、いる(いた)のだろうか!





<追記:“重武装”について>

宮台真司『日本の難点』読了(今日はちゃんと仕事にも行きました;笑)

この本の“結論”(270ページ“結局、社会は変えられないのか”からの展開)は、非常に意外でした(笑)

その前に、
《僕が社会学に学問的関心を抱いたのは、吉本隆明の著作を通じて柳田國男を知り、いま述べた柳田國男の問題設定と同じものが社会学にも見出されることを知ったからです》
という記述で、レレレという感じでした。

ぼくは“柳田國男”はほとんど読んでいませんが、前に内田隆三の『柳田國男と事件の記録』という本には感銘を受けました。
そして、柳田國男について宮台氏より“専門的に”考察している赤坂憲雄を読もうとして、まだ読めていません。

それで“レレレ”と思ったのは、柳田ではなく、“吉本隆明”という名です。
ぼくはある時期、思想書では“吉本のみ”を読んでいました。
それでぼくの考え(フィーリング)では、吉本は、“ポストモダン”ではありません。

だからこの本の大部分で、宮台氏がポストモダンな学者たちを“引用”して展開してきた論旨と、《僕が社会学に学問的関心を抱いたのは、……》の“整合性”が理解できません。

もっと“奇妙”なのは、最後に出てくる“チェ・ゲバラ”です(爆)

ゲバラが“利他的”なひとでなかったと、ぼくも思わないが、だからといって、ゲバラが“利他的なひとを代表するキャラである”ということは、どうやって“論証”されるのでしょうか?
ぼくもゲバラについてよく知らないが、宮台氏はソダバーグの2本の“ゲバラ映画”以外の情報をお持ちでしょうか?

極めつけはこの本の最後の文章;

《これについても僕は楽観します。先にも一部紹介したように、僕の知る限り、東大でも霞が関でも一番優秀な連中は軒並み利他的だからです。》(引用)


ぼくは残念ながら、《東大でも霞が関でも一番優秀な連中》とのおつきあいがございません。

だから“わからない”が(笑)、上記の文は、少なくとも、そーとー“イヤミ”ではないでしょうか!

“最後の文章”というのはフツー、その本の“結論”なんです。
宮台氏は、《僕は楽観しています》をこの本の最後にきて“連発”します。

しかし、《東大でも霞が関でも一番優秀な連中》が、本当に“優秀”なら、現在の日本“社会”のこのテイタラクはいかなる要因によるのでしょうか?<翌朝追記>

ああ書き忘れるところだった;

宮台くん、《重武装》というのは、《核武装》のことですよね?


この本を読んでの、”宮台真司”というひとの感想;

ああ、保守的なひと。









<翌朝追記>

答え;

社会”システム”(爆)







ソーシャル・ネットワーク

2011-02-21 12:22:59 | 日記


アフリカ、中東の“ソーシャル・ネットワーク革命”が、中国へも波及したと報じられている。

“エジプト革命”については、それが“民主化”ではなく、“イスラム原理主義化”に到るのではないかという懸念が報じられている。

近日もこのブログで書いたが、そもそも<革命>とか<民主化>という言葉が、何を意味するのかが問われる。

同時に“ソーシャル・ネットワーク”という<メディア>を、“どう使用するか”が問われる。


ぼくがこれらの現在進行形の動向を耳にするたびに(目にするたびに)思うのは、以下のことである;

世界で最も“ソーシャル・ネットワーク革命”が起こらない国は、日本である。



このぼくの“感想”には、ふたつの面がある、それは;

まず単純に、
A:日本でいかに多数のソーシャル・ネットワーク“が使用されようと、それは”無駄話“の拡散であって、決して、”革命“どころか、”現実行動“に結びつかないという”予想“である。

つぎに、
B:そもそもフェイス・ブックだかツイッターだかブログだかしらないが、“ソーシャル・ネットワーク”が、<革命>を引き起こす(といわれる)事態が、良い(善い)ことなのか、という疑問である。


当然、上記の“感想”をぼくはブログを書き続けている当事者として抱いている。

つまりぼくは、“単純に”、<革命(行動、大衆運動)>や<ソーシャル・メディア>を否定しているのではないし、肯定もしていない。


ぼくは昨日の日曜日、“政局の転換期”にあたって、最近まったく見ていない“政局”に関する<テレビ>をかなり見た。

その感想は、これらテレビでしゃべっている“タレント=田原総一郎、朝日新聞政治記者:星活のようなひと)が、消えてなくなる(仕事を失う)事態をもたらすのが、<日本革命>であるというぼくの信念を変更する必要はまったくない、ということであった。

もちろん、革命によって“消えてほしい”ひとは、これら“テレビ”タレントのみでなく、“あらゆる”既成政党政治家、官僚システム(“公務員的”感性と無思考=ガッコの先生から市役所まで!)であり、あらゆる“偽芸人”、“偽専門家(有識者!)”である。


また“ツイッター”については、たまたま星野智幸という作家が書いた文章(“言ってしまえばよかったのに日記”)を“ネットで見た;

★ まず、インターネット時代の現在でも、「コミュニケーションが言葉以外の伝達方法へと退行しようとしている」と思っています。例えば、ツイッターでは、140字に限られます。たくさん書きたければ、連投すればいいわけですが、140事前後の塊としてぶつ切りになります。すると、短ければ短いほどよいわけなので、自分の言いたいことを、できるだけ簡潔にコピー化しようという気持ちが働きます。できるだけ、ワンフレーズで、という意識が強くなります。さもないと、読み手の注意を引き、理解してもらうチャンスが減るからです。
★ インターネット上でそれを促すのが、コピー&ペーストの文化です。ツイッターでは、それがもっと手軽なRe-tweet(RT)へと進化しました。誰かの書き込みを読み、お、これはいいと感じたら、とりあえずRTする。
★ 読み手の頭に簡単にインプットされて記憶されるために、できるだけ短い文章で書こう、という傾向と、その短い文章をどんどんコピーし、RTであちこちへ広げていく、という傾向。この二つの傾向が重なると、言葉は、文章を作っていくというよりも、記号化していきます。アイコンとか絵文字と、似たような表現に近づいていきます。
★ 私の考えでは、言葉による表現というのは、言葉で表せない気分や感情をも、言葉で伝えることです。だから、単にその言葉の意味だけでなく、言外にたくさんの意味を含んでいます。その意味を伝えるために、「文脈」、コンテクストが必要になります。つまり、文章を読むとは、文脈、言葉の流れを読むことです。言葉の流れの中に、言葉では表しきれない意味がたっぷりと溶けているのです。
(引用)


上記引用文で“肝心”なのは、もちろん最後の部分である;

《私の考えでは、言葉による表現というのは、言葉で表せない気分や感情をも、言葉で伝えることです》

《言葉の流れの中に、言葉では表しきれない意味がたっぷりと溶けているのです》


ぼくが日頃思っていることを的確に表現している文章なので引用した。

ここに書かれていることも、“あたりまえ”のことである。

しかし、この“あたりまえのこと”を、まったくわからずに“読み書き”しているひとが、あまりにも多い(“プロ”にも―アマにも;笑)



ひとことで言って、“ソーシャル・メディア”も<メディア>である。

<メディア>自体が、<メッセージ>であることは、あり得ない。

むしろ<文は人>である。



上記と直接関係ないが、そしてこれまでもぼくがこのブログでさんざん言ってきたことではあるが、ぼくが現在“ただひとつ”確信していることがある;

それは、

ただ日本の内部にだけ生きていてはいけない

ということだ。

これは、“物理的状態(生存)”を意味しない。


このことについては、これまでも書いたし、“これから”も書くだろう。






コオリザトウ

2011-02-20 08:44:48 | 日記


★ 先生はイラクサのスープにも、カレーやポタージュや煮物にも、はちみつやグラニュー糖ではなく、氷砂糖をくだいて使うことが多かった。果実酒に用立てるくらいで一般にはあまり料理に使わないあの半透明のかたまりを、穏やかな味になるからと常備されていた。ときおり大切そうに口に含んでいたし、ごくまれに列車で地方へ出かけられたときにも、トンネルで耳がつんとするのを防ぐにはこれがいちばんいいのよと、飴のかわりにかならず氷砂糖を携行されていた。実山さんは思った。先生が最後に言おうとしたのは、コリザではなく、コオリザトウではなかったろうか。男の子からわけてもらった、あの氷砂糖ではなかったろうか。先生はその子を、本当は雨でびしょ濡れになっても連れて帰りたかったのではあるまいか。

★ ねえ、庸子さん、先生が最後に言おうとした言葉だけど……。そう言いかけて、ふと目をやると、ロールカーテンのむこうがうっすらと明るんで、雲間から陽が射しはじめているのがわかった。

<堀江敏幸“イラクサの庭”―『雪沼とその周辺』(新潮文庫2007)>







なぜ“名前”を書かないのか

2011-02-19 21:14:49 | 日記


今日のニュースです;

<退陣論、期待と火消しと 首相は解散に含み>アサヒコム2011年2月19日5時8分

 菅直人首相の退陣と引き換えに、野党の協力を得て予算関連法案の成立を図る打開策が民主党内で浮上した。首相は18日、こうした動きを「古い政治」と強く否定したが、これまで封印してきた解散・総選挙には初めて含みを持たせた。退陣か、解散か。政界の緊張は高まる。
 首相を支持してきた民主党幹部が公明党幹部に、首相退陣と引き換えに予算関連法案成立への協力を打診したことが判明した18日。民主党執行部が退陣論の火消しに躍起になる一方で、党内には局面打開への期待が広がり始めた。参院幹部は「首相を代えて野党に法案成立をお願いするしかない」と話し、副大臣の一人も「菅さんのままではもうだめだ」と漏らした。
(以下略)


上記引用文の疑問点は、

《首相を支持してきた民主党幹部》
《公明党幹部》
《参院幹部》、《副大臣の一人》
である(笑)

これらの人々は、“名なしのゴンベイさん”(古いね!)であろうか。

それとも朝日新聞社は、自分が取材している相手の“名前”を確認しない、杜撰な(ズサンなと読むのよ)取材をしているのだろうか!


だから天木直人にこう書かれた;

《なだれを打ったかのように菅おろしが加速している。
 その中でも超ど級の決定打は、民主党の有力幹部が菅首相退陣と引き換えに予算関連法案に賛成してくれないかと公明党に打診していたという報道が流れたことだ。
 これで菅首相の命運が尽きた。
 小沢派の連中が騒ぐのはわかる。菅首相にとっては想定内だ。
 しかし菅政権を支えてきた有力幹部が後ろから刺したのだ。
 しかも野党との取引材料として。
 これこそ裏切りだ。まさに政治の世界だ。
 そんな卑劣な事をした民主党有力幹部とは誰だ。
 どの新聞も知っていながら書かない。
 そんな中で、産経新聞だけが2月19日の朝刊の一面トップで書いた。
 それがあの仙谷由人代表代行だったとしたら・・・と。
 もちろん断定はしていない。
 誰もそれを断定しない。
 それどころか首相退陣の動きなどまったくない、と菅首相や安住国対委員長はとぼけて見せる。
 しかしもはや名前が出た以上おしまいだ。
 そして、間違いなく早晩その事が明らかになる。
 もしそうだとしたら仙谷由人という政治家の政治生命も終わる。
 産経新聞が一面に掲げた「仙谷暗躍説」が菅・仙谷という二人の政治家を葬りさることになる。
 政治の世界は一寸先は闇だとはよく言ったもんだ。》
(引用)



もちろんぼくは、《それがあの仙谷由人代表代行》であるかどうかを知らない。

あなたも、知らない。

だが記事を書いた人は知っている。

なんかとってもヘンじゃありませんか。
これが、“民主的なメディアの姿”なんですか。
誰に遠慮しているんですか?

なんかアホらしくて、“報道”なんか読んで(見て)いられない。


《政治の世界は一寸先は闇だとはよく言ったもんだ》(天木語録)

そうなんですか?!


闇をもっと暗くして、なんも見えなくするのが、“メディアの使命”になったのね。






14対1

2011-02-19 20:36:34 | 日記


ニュースです;

<国連:イスラエル入植「違法」非難 米が拒否権発動で廃案>毎日jp

【ニューヨーク山科武司】国連安全保障理事会は18日、イスラエルの入植活動を「違法」と非難する決議案を協議。常任理事国の米国が、オバマ政権となって初めて拒否権を発動し、同案は採択されずに廃案となった。

 アラブ諸国中心に提出された決議案には約130カ国が共同提案国となり、安保理理事国15カ国のうち米国以外の14カ国が賛成した。親米ムバラク政権が転覆して揺れる中東情勢の下で、依然、イスラエルとの関係を絶てない米国の孤立ぶりを印象づけた。

 アラブ側が決議案を先月提出。米国は決議より拘束力の弱い議長声明での採択という妥協策を探っていた。

 ライス米大使は協議で「イスラエルの入植を支持しているわけではない」としながら、「問題の解決は、米国と国際社会の支援の下、当事者の直接交渉でなされるべきだ」と述べ、従来の枠組みでの和平進展を主張。決議採択は「当事者間の交渉を困難にする」と拒否理由を述べた。

 オブザーバーとして出席したパレスチナ自治政府のマンスール大使は安保理で「入植が違法との決議案には世界中のコンセンサスが得られている」と述べた。

 米国が中東問題で拒否権を行使するのは01年以降10度目。最近は06年11月にパレスチナ自治区ガザ地区でのイスラエル軍の軍事行動の停止と同地区からの即時撤退を求める決議案に行使した。

 今回の決議案は「イスラエルによる入植活動、特に東エルサレムでの活動は違法で和平実現の障害」などとしていた。







なんといったらいいか、わからない

2011-02-19 08:44:33 | 日記


恒例の“内田樹ブログ”を読みましょうね、という、ぼくのブログである。
後半ではちゃんと“天声人語”も読む予定である。

最新内田樹ブログから引用;

《ご案内のとおり、1991年の大学設置基準の大綱化によって、大学の教養教育は解体された。
それは「一般教養などというものは不要である。18歳から4年間びっちり専門教育した方が、使いでのある新入社員ができる」という産業界からの強い要請があったからである。
そうやって10年間専門に特化した大学教育をしたら、当然ながら、卒業生は「使えない新入社員」ばかりになってしまった。
自分の専門のことだけは詳しいが、それ以外のことには何の興味も示さない若者が量産されたからである。
彼らは同一の価値観を共有し、同一の語法で語る「内輪のサークル」でかたまることを好み、年齢や立場や職種の違う人々とのコミュニケーションにぜんぜん興味を示さなかった。
でも、「そういう学生が欲しい」と産業界の方が言ったのだから、いまさら「困る」と言っても私は聴く耳持たない。
18歳から専門特化しても、いいことなんかないぞ。それより文学とか哲学をやったほうがいいって、と私は声高に呼びかけていたのだが、だあれも聴いてくれなかったのである。
いまさら経団連や日経連が「やはり大学では文学や哲学を勉強して、幅広い視野をみにつけていただきたい」などと言い出しても、私は返す言葉を持たない。
それにここに透けて見えるのは、やはり「高いスペックの既製品が欲しい」という切実な欲求であり、未加工の素材を受け容れて、それを育て上げてゆくところで企業文化の底力の差が出る、という考え方は見られない。
現代の若者を取り巻く劣悪な雇用状況の原因はここにある。
非力で無能な若者たちを育てるのは社会全体の責任だという考え方がここにはない。
若者の社会的未成熟は自己責任であり、それゆえ就活でさんざん苦しまなければならないという一見合理的な発想の根本にあるのは、企業の社会的責任の放棄である。
企業の社会的責任の放棄は雇用者の側の「社会的未成熟」の結果である。》(引用)


要約しよう;

① 1991年の大学設置基準の大綱化によって、大学の教養教育は解体された
②「一般教養などというものは不要である。18歳から4年間びっちり専門教育した方が、使いでのある新入社員ができる」という産業界からの強い要請があった
③ 10年間専門に特化した大学教育をしたら、当然ながら、卒業生は「使えない新入社員」ばかりになってしまった
④ 自分の専門のことだけは詳しいが、それ以外のことには何の興味も示さない若者が量産された
⑤ 彼らは同一の価値観を共有し、同一の語法で語る「内輪のサークル」でかたまることを好み、年齢や立場や職種の違う人々とのコミュニケーションにぜんぜん興味を示さなかった
⑥ 18歳から専門特化しても、いいことなんかないぞ。それより文学とか哲学をやったほうがいいって、と私は声高に呼びかけていたのだが、だあれも聴いてくれなかったのである
⑦ ここに透けて見えるのは、やはり「高いスペックの既製品が欲しい」という切実な欲求であり、未加工の素材を受け容れて、それを育て上げてゆくところで企業文化の底力の差が出る、という考え方は見られない
⑧ 現代の若者を取り巻く劣悪な雇用状況の原因はここにある
非力で無能な若者たちを育てるのは社会全体の責任だという考え方がここにはない
⑨ 若者の社会的未成熟は自己責任であり、それゆえ就活でさんざん苦しまなければならないという一見合理的な発想の根本にあるのは、企業の社会的責任の放棄である
⑩ 企業の社会的責任の放棄は雇用者の側の「社会的未成熟」の結果である


以上①~⑩をさらに、圧縮する;

展開;
《大学の教養教育の解体》 → 《専門教育だけする》 → 《使いでのある新入社員ができる(はず)》 → 《専門のことだけは詳しいが、それ以外のことには何の興味も示さない若者が量産》 → 《同一の価値観を共有し、同一の語法で語る「内輪のサークル」でかたまることを好み、年齢や立場や職種の違う人々とのコミュニケーションにぜんぜん興味を示さない》(笑) → 《未加工の素材を受け容れて、それを育て上げてゆくところで企業文化の底力の差が出る、という考え方は見られない》 → 《非力で無能な若者たちを育てるのは社会全体の責任だという考え方がない》

結論;
A:若者の社会的未成熟は自己責任であり、それゆえ就活でさんざん苦しまなければならないという一見合理的な発想の根本にあるのは、企業の社会的責任の放棄である
B:企業の社会的責任の放棄は雇用者の側の「社会的未成熟」の結果である


さて、AとBは循環してますね(笑)

《企業の社会的責任の放棄》=《雇用者の側の「社会的未成熟」の結果》


こうなると、日本社会というのは、永遠に“循環している”だけです。



次ぎ、今日の天声人語;

《▼遠いのが政治の春である。小沢一郎氏は「菅おろし」で腹を括(くく)ったとみえ、氏を慕う議員が脱党へと動き始めた。政権交代の岸に並べた夢は片端から消え、民主党そのものが絶滅、いや自壊の途にあるかに見える▼いよいよ改革に踏み込むかという時に、またぞろ政局祭りだ。国の針路を争うならまだしも、私怨(しえん)のたぐいだから情けない。ひと雨ごとに春暖が近づけば、ひともめごとに希望が遠のく。予告編ばかりの政治を見せられているうちに、はて何度目の春本番だろう。》(引用)


つまり“季節はめぐる(循環する)”のです。

だから、また春が来ると言って、喜んだり、希望に胸を膨らませているわけにもいかないのかも。

必要なのは“切断”かも。

あなたが変わらなきゃ、なんも変わりません。